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ep33 レイヴン

 ズドォォォォォォォォォンンッ!!!


 天井が轟音とともに砕け散った。

 訓練場全体が揺れ、まるで天が真っ二つに裂けたかのような衝撃が走る。同時に、灼熱の旋風が吹き荒れ、紫の闇を真っ赤な爆炎が塗り替えていった。


 ギャアオォォォォォオオ!!


 天井の裂け目から現れたのは、紅蓮に燃え上がる巨大な鳥──朱雀


 翼を大きく広げたその姿は、ただの魔法ではない。それは、神威すら感じさせる“存在そのものが力”であるような威容だった。


 その咆哮ひとつで空気が震え、紫黒の瘴気が後ずさるように揺らいだ。ファウストの《虚闇召喚》が放った禍々しい幻影──

 それすら、朱雀にとっては“ただの煙”にすぎなかった。


 炎の大翼がひと振りされる。


 ゴォオオオオオッ!!


 朱雀が放った超高熱の炎が、影の幻獣を貫いた。咆哮すら上げる間もなく、虚闇の化け物は蒸発し、消滅した。辺りを包んでいた紫の霧も一瞬で消え、まるで幕が引かれたかのように、訓練場は完全な沈黙と光に包まれた。


 全員が言葉を失っていた。


 サヤも、レインも、観客席のギルドメンバーも──ただ呆然と、空を焼くように羽ばたく朱雀の姿を見上げていた。


 その中で、レインだけは微動だにできなかった。


 縫い止められていたはずの影は、すでに解けている。

 だが足に力が入らない。膝が震え、ただその場に立ち尽くすしかなかった。


 圧倒的な力、命を刈り取る寸前まで迫っていた恐怖。そして、自分の叫びによって現れた“奇跡”。


(……まさか、これも俺の力……?)


 頭が追いつかず、ただ荒い呼吸だけが耳に響いていた。


 そのとき──


 ギィィィ……ンッ


 硬い金属がこすれるような音とともに、訓練場の扉が重々しく開かれた。


 炎の余波が揺れる中、金と赤の装束に身を包んだ小柄な老女が、静かに歩を進める。


 その手に握られているのは、背丈ほどもある黄金の杖。柄に刻まれた炎の紋章が、揺らめく残炎に照らされて赤く輝いていた。


 その人物こそ──ギルド《赤蓮の牙》の頂点に立つ者。


 ギルドマスター、フレア・ヴァル=フレイムだった。


 背後には、ギルド職員のミランダとルーファスが従っていたが、誰の目にも彼女以外の姿は映っていなかった。


 彼女の足元から、朱雀と同じ炎の気配が立ちのぼる。朱雀はひときわ高く鳴くと、炎の羽を舞わせてフレアの背後に降り立ち、その身を光に変えて静かに消えた。


 フレアは訓練場の中央まで進むと、ピタリと足を止めた。


 そして、静かに言い放つ。


「──そこまで」


 その言葉は雷鳴のようでも、怒号のようでもなかった。

 ただ、すべてを終わらせる声色だった。


 その瞬間、場に残っていた緊張が一気に霧散し、観客たちはようやく呼吸を再開することができたのだった。


「アンタたち、揃いも揃って夜遅くまでなにやってんだ!! 訓練場は22時閉鎖って、何度言わせりゃ気が済むのよ!!」


 ミランダの怒声が訓練場に響いた瞬間、空気がピリリと震える。


「んな……バカな。……俺の……」


 ぽつりと漏れたその声は、先ほどまで苛烈だった戦場の余韻を引きずっていた。

 ファウストがうつむいたまま、唇を震わせている。


 メフィストがそっと隣に並び、視線を前に向けたまま、ぽつりと呟く。


「……お前、一瞬本気出したやろ。らしくないな……」


 言葉が続かない。

 彼の知る弟は、こんな形で力を振るう男ではなかった。


「で、それが──ばあさんの魔法一発で……」


 ファウストの拳が、ぐっと震える。口を開こうとして、うまく言葉にならない。

 その目には、動揺が浮かんでいた。


 ──あれほどの魔力を注ぎ、闇を召喚し、全力で叩きつけた自分の“必殺”。それが、ギルドマスターによって、まるで燃えカスのように一瞬で消された。


 力の差は歴然だった。

 幻想ではない。事実として、世界がそう示していた。


「……うっさいわ」


 絞り出すような声が、震えた唇から漏れた。

 それは、兄に向けた言葉ではない。誰にも、何にも向けられていない、ただ、自分自身を押し殺すための言葉だった。


 沈黙が場に広がる中、ファウストの心の中だけに、静かに焼き付いた“敗北”の傷が、深く刻まれていた。


 そのとき、記録官ルーファスが双子に歩み寄る。

 記録魔導書を抱えた彼は、メフィストに小声で何かを告げる。


「ここまでやれと言ったつもりはありませんでしたがね……」

「すまへんなぁ、油断しとったわ。後で言い聞かせとくさかい今回は」

「まぁ、いいでしょう。記録は十分にとれましたから」


 メフィストがそれに頷くと、弟の肩を軽く叩き、ルーファスと共に歩き出した。


 そして──彼らが訓練場を去ろうとしたその時。


「──待ってくれ」


 声をかけたのは、レインだった。

 軽く息を整えながら、一歩前に出る。


 メフィストが立ち止まり、少し肩越しに振り返る。


「……なんや坊主。今回は──俺らの負けや」


 その笑みは、いつもの皮肉混じりのものではなく、どこか清々しさすらあった。


「お前らの“覚悟”、ちゃんと見せてもらったで。力だけやない、“命を懸ける覚悟”ってやつや。──今回は見逃したる……それでええか? ファウスト」


 振り返らない弟に、そう声をかける。

 ファウストは数歩だけ進んだまま、ようやく足を止めた。


「……因果を狂わせ、不幸に干渉する。ほんまキッショイ能力や。せやけど……」


 ファウストの声は静かだったが、その一語一語に研ぎ澄まされた刃のような鋭さが宿っていた。敵意ではない。だが、明らかに“警戒”と“境界”を引いた声だった。

 それでも、その口調にはほんのわずかに、認めざるを得ない“何か”が滲んでいた。


「この結果をもたらしたのも、お前の力によるものだとするならば……一応敬意は払っといたる。幽鬼レイン……いや、異世界から渡り飛ぶ凶兆(カラス)──」


 ファウストの目が、ほんの一瞬だけレインに向けられる。

 その鋭い視線は突き刺すようでいて、不思議と濁りはなかった。


「レイヴン」


 短く、だが重い一言。

 それは認定であり、名付けであり、警告でもあった。


 背中を向けたまま、ファウストは最後に言い残す。


「もしお前が──真に“災い”になるようなことがあれば……そのときは、“本気”で叩き潰したるから覚悟せえよ」


 冷えた空気が、訓練場を包む。


 誰も言葉を挟めないまま、ファウストは一歩、また一歩と歩き出す。


 そして──


 スゥ……ッ


 彼の姿が、まるで霧が晴れるようにゆっくりと掻き消えていった。

 まるで最初から、そこには“影”しか存在していなかったかのように。


「……っ!?」


 レインは思わず身を引き、サヤは声をあげた。


「え、き……消えた? なんで!?」


 ざわつくギルドの若手たち。

 レックスやクリスティンも、目を見開いたまま固まっている。


「なんでって、コイツただの"分身"やからな」

「はぁっ!?」

「分身ッ!!??」


 その騒ぎの中で、メフィストが肩をすくめ、軽く苦笑を浮かべた。


「なんや、若いもんは知らんかったか?」


 ゆっくりと周囲を見回す。


「……最初に会うた時に言うたやろ」

「え……?」

「”滅多に人前に出ることはあらへん”シャイな弟や……って」


 レインが思い出したように目を見開く。


「ファウストの“本体”は誰の前にも姿を晒さへん。あいつが使っとるんは、“影身”──自分の影から分けた、もう一人の自分や」


 沈黙が広がる中、レインが呆然と呟く。


「え……じゃあ、今まで戦ってたのは……」

「“分身体”やな。本人はずっとどこか別の場所から、あの影を通して全部見て、話して、戦うとる。……ま、アサシンらしいっちゃ、らしいやろ?」

「まじかよ……」


 誰もが唖然として言葉を失う中、サヤだけがぽつりと呟いた。


「いやいやいや、影であの強さ? 本体ってどんだけヤバいのよ……」

「まさか、サヤがデスゲイザーを使っても"効かなかった"ってことなのか」


 メフィストが無言で頷いた。


 ギルド最強クラスのひとり、ファウスト──

 その実力の“本当の一端”を、誰もまだ見たことがなかったのだ。


「それよか坊主……良かったな」

「え、なっ、なにが……?」


 レインが戸惑いながら聞き返すと、メフィストはニヤリと笑う。


「ファウストがお前にあだ名付けたやろ。"レイヴン"言うてたか? あれはな、認めた相手にだけ、ああやって名前を贈るんや。──まあ、あいつなりの流儀やな。胸張ってええで」

「えぇ!? レインだけ!? ずるい、ウチも欲しい! あだ名欲しい!!」


 サヤが身を乗り出し、ぷんすかと抗議する。

 その姿は先ほどまでのゴーストモードから、いつものギャルな見た目に戻っていた。


 メフィストはやれやれと頭をかきながら、苦笑する。


「おまえは……そうやな、テキトーに“ゴースト”とかでええんちゃう? 知らんけど」

「テキトーッ!? ひっどい! もうちょいセンスいいのないの?!」


 サヤは頬をふくらませ、ぷんぷんと不満げ。

 そんな様子を微笑ましそうに見ながら、メフィストは背中を向けた。


「──せっかくの宴席を荒らして、悪かったな。このお詫びは、また今度にでもするわ。ほな、またな」


 彼は振り返らずに、ルーファスとともに静かにその場を後にした。


 その背に、誰も追い言葉をかけることはなかったが、レインとサヤの胸には、確かに何かが残されていた。


 レインは、自分の手をじっと見つめた。血に濡れ、震えるその指先に、確かな熱を感じながら──まるで、自分たちに与えられたその異名を噛みしめるように、ぽつりと呟く。


「……ゴースト……レイヴン……」


 それは、絶望の中に灯った希望の名。


 誰かを守りたいと願った、ただの不幸な少年と、死を司る少女が初めて手にした……


 “意味ある呼び名”だった。

挿絵(By みてみん)

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