ep32 虚闇召喚
訓練場の中央、突如としてレインとサヤがファウストの背後に現れる。
「サヤ、投げろ!」
「ほーい☆ 今回のターゲットは~……空き瓶だよ♪」
空になった回復薬の瓶が放り投げられる。
「カタストロフィア!」
空気が震え、目に見えぬ“運命の歪み”が奔る。
瓶は重力を裏切るように、急角度で跳ね上がった。あり得ない角度、まるで誰かが“そこを狙え”と導いたかのような不自然さ。
そして──ファウストの左肩へ、ガシュッ!!と鈍い音を立てて直撃。
瓶が砕け散り、無数の鋭い破片がファウストの肩から首元にかけて襲いかかる。
ピシャッ!バキッ!ザシュ!
破片が肉を裂き、袖を破り、数本が深く刺さった。
「っぐ……!」
顔をしかめ、肩を押さえるファウスト。血がじわりと滲み出し、彼の視線が明らかに苛立ちを帯びてレインとサヤに向けられた。
「……ッのやろ!」
ファウストが飛び退いたその先に、またしても二人が出現する。
「次はコレ! フォークだよん♪」
「いくぞ……カタストロフィア!」
フォークが空中で回転し、突風でもないのに急降下してファウストの脚元へ刺さる。小さな“事故”が連続し、ファウストの動きに微細な乱れが生まれる。
「いける……いけるぞ……!」
「このままS級倒しちゃったりして……!」
左肩を抑えながら、ファウストが顔をしかめる。その目には、はっきりとした苛立ちと殺気が滲んでいた。
「……やってくれるやないか。小細工ばっかり……虫酸が走るんじゃ……!」
怒りに任せ、彼は両手を前へ突き出す。その掌に、黒い雷がバチバチと音を立てて集束していく。
「──《雷蛇燐》!!」
ゴオオォォォッ!!
雷鳴と共に放たれた黒雷が、複数の蛇のような軌跡でサヤとレインを貫こうと突き進む。
「カタストロフィア……ッ!」
レインが言霊のように呟いた。
黒雷は確かに一直線にレインたちを狙っていた……はずだった。
だが、あと一歩のところで──ギュンッ!と音を立てて、雷の軌道が不自然に逸れる。一本は真横へ、一本は頭上をかすめ、一本は地面を削って後方に逸れていった。
まるで、レインとサヤの身体に“当たらない未来”だけが選ばれたかのように。
ファウストの目が大きく見開かれる。
「なっ……!?」
避けたわけでも、凌いだわけでもない。ただ、“当たらなかった”。
「嘘やろ……なんでや……今のは……必中やったはずや!!」
観客席にもどよめきが走る中、レインは息を荒げながら、震える足で立っていた。
「……そう落ち込むな、ファウスト。今のは、ただ“運が悪かった”だけだ」
ファウストが息を荒くし、冷や汗を滲ませ始めた。いまだかつて、これほどまでに“読めない攻撃”に翻弄されたことはなかった。
攻撃を予測しようにも、どこからサヤの投擲が来るか読めない。さらには、レインのスキルが行動結果をズラしてくる。
そして、ふたたび背後に出現。
「これが──!」
サヤが投げたのは、スプーン。
「俺たちなりの戦い方だ──!」
スプーンは奇跡の反射を繰り返し、地面→壁→床と跳ねて、ファウストの頭にコンッと命中。
観客席がざわめく。
目にも止まらぬ戦法。異次元の立ち回り。
レインとサヤは、確かに戦場を支配し始めていた。
しかし……
ブチッ
何かが切れるような音がした。
「こんの……ガキィ!! 舐めんのもいい加減にせえ!!」
ファウストの表情から余裕が消え、怒りが露わになる。
──そして。
「《虚闇召喚》」
ファウストの低い呟きが、空間の色を一瞬で変えた。
空気が張り詰め、急激に沈む。
紫黒い霧がフィールドを覆い、まるで世界そのものが閉じていくように、天井の光源が一つ、また一つと闇に呑まれていく。
「なっ、なんだ……!」
「ヤバっ! あいつ怒らせちゃった!?」
「アカン! やりすぎや! ファウストやめぇ!!」
メフィストの怒声が飛ぶが、すでに制御の域は超えていた。
観客席のざわめきも、ひとつ、またひとつと闇に吸われていく。
そして、霧の奥から、それは現れた。
紫の炎を纏い、獣とも鬼ともつかない巨大な“影”。
輪郭は崩れ、姿は定まらず、それでもただひとつ──“殺意”だけは確かだった。
咆哮と共に、闇そのものを喰らいながら迫りくる。
「レイン、逃げ──!」
パチンッ!
サヤがレインを腕を掴み、ワープを試みようとする。
しかし──
「どうして……!? ワープが出来ないッ!」
「クッハハハハ!!! 《影縫い》。影あるものは誰だろうと逃げられへんで……」
レインの影が、地面に縫いつけられていた。
紫の鎖のような魔力が、レインの足元から伸び、影を封じ込めている。
「クソッ、なんだこれ……動けねぇ……!」
その目の前まで、巨大な幻影の顎が迫ってくる。
ドクン、と心臓が嫌な音を立てた。風が震え、皮膚が焦げつくような熱を帯びていく。
もう、数秒も持たない──その確信が胸を打った。
「サヤ……っ! 逃げろ!! お前だけでも!!」
レインは振り返り、叫んだ。
「はぁ!? 何言って──」
「いいから!! ……影がないお前なら逃げられる、早く……!」
レインは叫びながら、影に縫い止められた足を力任せに動かそうとする。
だが、一歩も動かない。
その間にも、幻影の咆哮が耳をつんざく。距離は……もう十メートルもない。
影の奥に、赤く染まった口──否、“奈落”のような空洞が口を開けていた。
「終わりだぁ!! 飲み込まれろおぉぉぉ!!!」
恐怖が、喉を締め付ける。
理屈じゃない、“本能”が死を告げていた。
「レインッ!!」
サヤが飛び出した。レインの前に立ちはだかり、両腕を広げる。
「やめろ! 俺のことは置いてさっさと逃げろ!!」
レインの叫びが届く前に、サヤが振り返りざま、涙をにじませて叫ぶ。
「やだッ!! レインだけ置いてウチだけ逃げるなんて絶対ムリ!!」
「なんで……なんでそこまでして俺を守ろうとするんだよ!」
レインの叫びに、サヤの目が揺れる。
「……なんでって……そんなの、決まってるじゃん!」
張り裂けそうな想いを込めて、サヤが叫ぶ。
「今度こそ幸せになるんでしょ!」
「……ッ!」
『俺も……この世界で幸せな人生を歩みたい。今まで不幸だった分……いや、それ以上の幸せを掴んでみせる』
──あの時、噴水広場でサヤと交わした約束が脳裏に蘇った。
「だからこんな所で死んでちゃダメッ!!」
「だからってお前が死ぬ必要なんてないだろ!」
目の前で自分を守ろうとする彼女の姿に、胸の奥がざわめく。
「……レインが好きだから」
小さな声だった。けれど、その言葉は真っすぐに、レインの胸を撃ち抜いた。
「……お、お前こんな時に何を」
戸惑いが、レインの表情を強ばらせる。
サヤは俯きながら、けれどひとつひとつ、言葉を紡いだ。
「レインのおかげで生まれ変われた。レインのおかげで異世界に来れて、ルナちゃんや他の仲間達に出会えた。そして、レインがこの力を目覚めさせてくれた。全部レインのおかげ……」
言葉に乗せられた記憶たちが、サヤの心を押し上げていく。
「前の人生じゃ、こんな楽しい経験は絶対できなかったから」
声が震えていた。けれど、目だけは真っ直ぐにレインを見つめていた。
それは、嘘偽りのない、サヤの“本心”だった。
「覚えといて。好きな人を守るためなら、命だって賭ける。それが──ギャルの生き方! ……それがウチが選んだ、“三度目”の生き方なんだから!!」
「サヤ……」
彼女の想いの重さに、胸の奥が熱くなる。
その瞬間、地を揺るがすような轟音が響いた。
ゴオォォォォア!!!!
「だったら寂しくならんよう、仲良く地獄に送ったるわいッ!!」
その殺気に満ちた叫びに、戦場の空気が凍りついた。
けれど、レインはもう目を逸らさなかった。全身が痛みで悲鳴を上げていても、心は決して折れていない。
(……ずっと不幸続きで、誰かを信じるなんて、ムリだと思ってた。どうせ裏切られるし、どうせ報われない。そんなのばっかだった。でも……サヤ、お前だけは違った。どんなに災難に巻き込まれても、俺の隣にいてくれた。信じてくれた。だから──)
血に濡れた拳を震わせながら、前に踏み出す。
(だから今度は……俺が、お前を守る番だ)
「……っカタストロフィアアァァッ!!」
叫びにも似たその声は、かすれていて、それでも誰よりも強かった。
そして、次の瞬間──
“運命の歯車”が、また一つ、大きく狂い出した。




