ep29 絶望の模擬戦
夜の帳が下りる頃、ギルド《赤蓮の牙》の訓練場には、冷たい風が吹き抜けていた。
広々とした魔力障壁付きの闘技場。その中央に立つのは──レインとサヤ、そしてファウスト。三人を取り囲むように、ギルドの仲間たちが見守っていた。
観客席の端では、シャルロードが真剣な表情で腕を組み、モンベルンが欠伸をしながら座る。レックスはルナベールの隣で落ち着きなく視線を動かし、ナナやサンシャイン、クリスティンも口を閉ざして息を呑んでいた。反対側の客席にはジンとエジールが距離を空けて座る。
そして、中央でには審判役を任されたソルフォンスが、試合の様子を静かに見守っていた。
「ねぇ、レイン? この戦い無謀過ぎない……?」
サヤがじと目で睨みながら、小声で肩を寄せてきた。
「まぁ……うん。巻き込んですまない。でも俺たちを信じてくれたルナやフレイさんのためにも、ここで逃げたらダメだと思ったんだ」
レインは額に冷や汗を浮かべつつ、視線をファウストから外せない。
「そうだけどさぁ~……まぁ、ルナちゃんが付き纏われてるなら放っておけないしね」
「だろ? ルナも困ってるっぽいし、ここでいっちょ」
「相手S級だけど……まぁ、やってみますか!」
「おう!」
観客席で観ていたレックスがルナベールに耳打ちする。
「ねぇ、ルナベールさん。ファウストさんが戦うところって見たことある?」
「ううん。直接見たことはないけど、噂はかねがね」
ルナベールは静かに言葉を継いだ。
「“朱の地喰い”――あの灼熱の深層魔域で、群れる大型魔獣をたった一人で掃討したって記録があるわ。しかも、全員頭部を一撃で仕留めてる……正面からじゃなく、姿を一度も見せずに、ね」
その場の空気が、ひやりと冷えた。
「スピードと一撃の威力、その両方でファウストさんに敵う冒険者は、世界でもほとんどいないわ。彼が本気で狙った相手が、朝日を拝めた例はないって話もあるくらい。“生ける暗殺術”とも呼ばれてる。もしあの人が本気で敵に回ったら──私は正直、逃げる自信がない」
「え、ファウストさんってそんなに強いんだ!? レインたちヤバイじゃん……」
そんなふたりを尻目に、少し離れた場所からメフィストが手を振っていた。
「頑張れよファウスト〜。俺まで出たらさすがに不公平やからな。ワイは見学させてもらうで」
「チッ、サボリよって……」
ファウストが舌打ちし、睨むようにレインを見た。
「正直な、さっきの台詞──地味に腹立ったわ。お前らのため思うて言うとるのに、まるでこっちが悪もんみたいやんか。……どっちが正しいか、ここでハッキリさせよや」
その声にソルフォンスが大きく溜息を吐き、ゆっくりと手を挙げた。
「……ったく、子どもか。しゃあない、俺が審判を務める。模擬戦のルールは簡単。殺傷行為は禁止、降参か戦闘不能と判断された方の負け。異常状態の持続も禁止。……よいな?」
レインとファウストが無言で頷き、サヤは拳を握った。
「……それでは、模擬戦──始めぇ!」
ソルフォンスの合図で戦闘が始まった。
レインがすぐさま両手を構え、魔力を集中させる。
「カタストロフ……」
その詠唱が終わる前に、空気が消えた。
否、消えたのは――ファウストの姿だ。
ファウストの立っていた位置に、土煙だけが残されるように舞っていた。
「──ッ!」
次の瞬間。
ズドッ!!!!!
「が、はっ……!!」
鈍い音とともに、レインの腹に強烈な拳が突き刺さる。拳の先端が腹部にめり込み、レインの口から血混じりの吐息が飛び出した。
そのまま身体ごと吹き飛ばされ、一直線に後方の魔法障壁へと叩きつけられる。
ガヂィン──!!
魔力障壁が青白く閃き、レインの身体を跳ね返した。衝撃で膝から崩れ落ち、地面に倒れ込む。
ルナベールは思わず口元を押さえ、瞳を大きく見開いてレインの吹き飛ぶ姿を見つめた。
「レイン!!」
サヤが叫ぶ。
その声に反応するように、ファウストが無言のままサヤの方へと視線を向ける。そして、踏み込みと同時に地面を割る勢いでダッシュ。獣のような加速で迫る。
「速っ──!?」
サヤは反射的に後ろに跳びのく。
だが──
ファウストの眼が獣じみた鋭さを帯びた瞬間、彼の身体は宙を舞った。
「飛ん……ッ!」
命の危険を感じたその刹那、彼女の身体を青黒い炎が包み込む。
しかし、変化を始めたサヤに向けて、ファウストが躊躇なく足を大きく振りかぶる。
横薙ぎの回し蹴り。
空気を裂く音と共に、鋭く振り抜かれた──!
その渾身の一撃は、サヤに纏っていた青黒い炎を吹き飛ばす。
だが……
足は虚空を裂いたように、その輪郭を通り抜ける。
地面を削る衝撃音だけが遅れて響き、飛び散る砂埃が幻影のように舞った。
観客席から、ギルドの仲間たちが息を呑む。
シャルロードやクリスティン、ナナ、レックスらが固唾を飲む。ミリテットは目を丸くし、モンベルンが椅子を鳴らして前のめりになる。ルナベールは我を忘れたように立ち上がり、柵越しに前へと身を乗り出した。
「サヤさん……!」
一瞬の沈黙の後、土煙の中に風が吹き抜ける。
そして──
「……ちょっと! 手加減ってものを知らないの!?」
無傷のまま立ち尽くす、黒髪の"幽霊"
『幽終の王冠、ゴーストモード──』
髪がふわりと浮き、身体の一部が霧の様に幽気を纏い揺らめいている。透明に近い蒼白のオーラが身体を包み込み、地面から数センチ浮いている。
足元に風も起こさぬほど静かに立つその姿は、確かに彼女でありながら、どこか戦慄を覚える様な覇気を放っていた。
その異質な姿に、観客席のギルドメンバーたちは言葉を失う。
「……っ、あれが……」
「あれが、《幽魂転生者》の力…!」
「不思議な姿……身体が透けてる……」
クリスティンが息を呑み、ナナは杖を強く握りしめる。レックスはサヤから目を離せず、思わず立ち上がった。
「すげぇ、変身した!! それになんだこの雰囲気……ゾクゾクする……!」
その場にいた誰もが、“死”の力がもたらす神秘と畏怖に、言葉を忘れていた。
「影なき者……あらゆる物理攻撃をもすり抜ける、《幽魂転生者》特有の能力。それこそが、サヤさんを“元幽霊”たらしめる力なんです。あの力でガルグルスを翻弄していたんですよ」
ルナベールがレックス達に解説するように言った。
「ほう……。死者の力を纏いながら、尚も人の意思を持って戦う。面白い」
ジンは興味深げに目を細めた。
「……物理無効。半霊体による位相干渉か。対応するには魔力干渉型の打撃が必要……」
冷静に分析しつつ、様子を見守るエジール。
サヤの力を垣間見た仲間たちは、それぞれ感想を口にしながら、素直にその凄さを称えた
「ダッハハ!! お前の渾身の回し蹴り、ど新人に軽く避けられとるがな! ダッサイのぉ〜」
「うっさいわ。見とけ、すぐに対応したる」
ファウストがイラつきながらサヤに向かおうとした時。
「ま、て……」
砂煙の残る地面に横たわるレイン。
胸が苦しい。喉の奥が焼けるように熱い。初撃の拳は、完全にみぞおちを穿っていた。
「ッ……ぐ、ぅぅ……!」
呼吸を整えようとするが、肺が空気を拒む。
腕に力を込めて立ち上がろうとしても、肘が震え、地面をつかむ指先が空回りする。
そんなレインを、影のように立ちはだかり見下ろすファウスト。
その目にあるのは、勝者の余裕と、侮蔑。
「起きれへんやろ? ええから寝とけ。そこで這いつくばったまんま、相方がヤラれんのを黙って見とけ……それが、お前の限界や」
冷酷に言い放ち、サヤに向かって歩き始めるファウスト。
「ッ……ぐ……クッソ……ッ!」
悔しさ、無力感、そして……まだ消えていない、微かな闘志。
「レイン、大丈夫!?」
苦しそうに呻きながら動かないレインを見て、サヤの瞳に焦りが宿る。
「ちょっと待ってて! こいつぶっ倒して、今すぐ助けるから!」
「おいおい……一発避けれたぐらいで、えらい調子付くのぉ」
すぐさま間合いを詰めながら、ファウストが鋭く跳び上がる。
そのまま空中で一回転。
右足を高く振り上げ──踵落としの構えへと移る。
サヤは眉ひとつ動かさず、それを見上げた。
「だからウチには効かないって……」
余裕すら感じさせる口ぶり。
──が、次の瞬間。
ファウストの唇が、わずかに吊り上がる。
バチバチバチッ!!
彼の右足にまとわりつくように──紫の雷が、バチッと弾けた。
稲妻の如く揺らめく雷光。紫電が足元を這い、空気を焦がす。
「っ……!」
観客席。ルナベールが立ち上がり、目を見開いた。
「サヤさん避けて!!」
声が届いたのか、あるいは本能がそうさせたのか、サヤは咄嗟に飛びのく体勢に入る。
だが、ファウストの雷を纏った踵が振り下ろされる方が僅かに早かった。
その雷撃は唸りを上げてサヤの肩口をかすめ……
バチィィッ!!
「きゃあああああッ!!」
甲高く響くサヤの悲鳴。
電撃が肩口から背中に抜け、バチバチッ!と火花を散らす。
半霊体であるはずの身体が痺れ、ドサッとサヤが膝をついた。
観客から、驚愕のどよめきが巻き起こる。
「サ……ヤ……!」
レインが呻くように声を絞り出す。両手で地を押しながら、震える身体をどうにか起こそうとする。
「攻撃が通った!? 一体どうして……!? 無敵なはずじゃ……!」
レックスが叫ぶように立ち上がり、信じられないという顔で目の前の光景を見つめる。
その声に、メフィストが口の端をつり上げ、余裕たっぷりに肩をすくめて応じた。
「あくまで“物理攻撃”が効かんってだけや。魔法攻撃やったら、普通に通るっちゅうことやろ。ゴースト言うても万能やない」
そして、ゆっくりと歩きながらファウストが笑った。
「俺が物理攻撃しかできないただの脳筋やったら、確かに手も足も出んかったやろな……でもな、俺はアサシンや。毒も刃も魔術も──殺しに使えるもんはなんでも使う」
サヤの前に影を落とすように立ち、右手を構える。
「舐めたらあかんで……“S級”ってのは、そういうことや」
サヤは肩を上下させながら、呼吸を荒くし、それでも立ち上がることを諦めずにファウストを睨みつけた。その眼差しには怒りと悔しさが宿っていた。
ファウストはその姿を見て、ふっと鼻で笑った。
「……終いにしよか」
指先に、紫電がバチッと走る。
放とうとしていたのは、先ほどサヤを地に伏せさせた雷の魔法。
だが、その瞬間だった。
「──《カタストロフィア》」
振り絞るように、それでも確かな声で、レインが名を呼ぶ。
ファウストの顔がわずかに驚きに揺らぎ、視線をレインへと向けた──その瞬間、
「……っ!?」
右手に集めていた魔力が、突如として暴走を始めた。
ビリビリと音を立てて膨張した雷が、制御を失い、そのままファウスト自身の身体に逆流する!
バシュゥウウンッ!!
「グアッ……!!」
紫電が爆ぜ、煙が巻き上がる。
「な、なんだ!? 急に魔法が暴発したぞ!」
「あれはレインの力……?!」
観客席がどよめき、騒然となる中、メフィストが思わず立ち上がり、顔をしかめて叫んだ。
「なにやっとんねん、ファウスト!」
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