ep24 不幸の兆しと片割れの影
「うわ〜! 見て見て! このチーズ、トロットロじゃん!!」
ギルド食堂の奥、窓際の明るいテーブルでサヤのテンションが上がっていた。テーブルの上には、焼きたてパン、ボリューミーなミートプレート、色鮮やかなサラダ、香ばしいスープなど、ギルド名物の昼食メニューが並ぶ。
「……おぉ、これはレベル高い」
レインもひと口食べて、目を見開く。
「この肉、柔らかっ……え、噛んでないのに溶けちゃった」
「うん。味付けも絶妙です……レインさん、サヤさん、これは当たりですね」
ルナベールも小さく微笑みながら、品のある所作でナイフを動かす。
サヤはナイフなんて使わず、豪快にフォークで肉を貫き、どかっと口に放り込む。
「っんっま〜〜〜っ!! ウチ、この街で太ってまう〜!」
「おい、まだ冒険者始めて一週間も経ってないぞ……」
レインが苦笑しつつも、どこか嬉しそうに口元を緩める。
そんなわいわいとした昼時、テーブルにぽつんと置かれた封筒が一枚。
「ん? これって……」
「今朝シェリルさんから預かりました。昨日の依頼報酬ですね……開けてみますか?」
ルナベールが封を切り、金貨を数枚テーブルに並べる。
「おおっ……!」
「いいじゃんいいじゃん!! ちょっとした買い物ぐらいできるじゃん!」
サヤの目がギラリと光った。
「ねぇねぇルナちゃん! ちょっと買い物付き合ってよ〜! 異世界ファッション探検しよっ♪」
「えっ……あ、はい。いいですよ……?」
「あれ、俺は?」
「だーめーでーす☆ 乙女の買い物についてくるとか空気読めないな~レインってば」
「ひでぇ、そこまで言うか!?」
レインの抗議も虚しく、サヤとルナベールは軽快に席を立つ。
「じゃ、レインは後でねー!」
「お金は節約して使いましょうね、サヤさん……!」
二人は陽射しにきらめく街路へと消えていった。
取り残されたレインは、冷えかけたスープをすすりながら小さく呟いた。
「……まぁ、たまには一人でのんびりもいいか」
背もたれに身を預けて、ふぅとひとつ息を吐いた。
食堂を出たレインは、ギルド本館の廊下を一人歩いていた。陽光が差し込む窓からは、街の賑わいと赤い瓦屋根が見える。先ほどのわいわいとした時間とは打って変わり、静かな空気が彼の歩調を緩める。
「…………」
「わっ……!」
曲がり角で大きな影とぶつかりそうになり、レインは思わず一歩下がる。
「……すまん。大丈夫か」
立っていたのは、大柄な男――ギルド職員のガロウだった。鉄製の胸当てをつけた屈強な体格。無口で無愛想だが、根は悪くないと評判の人物である。
「あ、ガロウさん……いえ、こっちこそすみません」
軽く頭を下げると、ガロウはレインをじっと見つめ、静かに口を開いた。
「初任務。相当活躍したと聞いた……よくやったな」
「ありがとうございます。まぁ、サヤとルナベールの活躍が大きかったですけどね」
「……フッ、そうか」
ガロウはふむと小さく頷く。少しの沈黙。だが、そのときだった──
「おやおや。珍しいな、ガロウ。 お前が誰かと話しとるなんて……」
不意に、滑らかな関西弁に似た口調の声が廊下に響く。
視線を上げたレインの前に、二人の男が現れた。
一人は黒髪をゆるく撫でつけた男。細身の体に黒いコートを羽織り、片手に本を持ったまま優雅に歩いてくる。その整った顔立ちはどこか艶やかで、目元には薄く笑みをたたえていた。
もう一人は無骨なレザー装備に身を包み、視線を鋭く彷徨わせる寡黙な男。髪を無造作にまとめ、腕を組んだまま後ろからついてきている。
「うん?……誰やお前」
「コイツが噂の新入りらしいで、兄貴」
「あぁ……そういうことかいな。俺はメフィスト」
柔らかく微笑んだ男が名乗る。
「……こっちは、ファウストや。”滅多に人前に出ることはあらへん”シャイな弟や」
睨みつけるような視線をレインに向ける。
「二人とも、《双牙》の異名を持つギルドのSランク冒険者だ。最近まで別の拠点に出向していはずたが……どうやら戻ってきたようだな」
ガロウがぽつりと補足した。
「で、おまえさんが……例の、“異世界から来た”っていう新人やな?」
メフィストの視線がじわりとレインに向けられる。
「……は、はい」
「なるほどなぁ。よそ者がちょっと活躍したら、すぐ注目の的ってか。うちのギルドも、おもろい時代になってきたわ」
にこやかに笑いつつも、その言葉には確かな棘があった。
ファウストはレインを一瞥し、鼻を鳴らす。
「……こいつが”呪われた力”の持ち主やて? どちらかといえば”災い”そのものやないか? まぁ、見るからに軟弱そうやけどな」
「……!」
その言葉に、レインの中で何かがぴりついた。
「……何が言いたいんですか」
思わず睨み返す。が、相手はまるで面白がっているようだった。
「おお、ええ顔するやんか。ほな、言わせてもらうわ」
ファウストはスッと指を立てて言う。
「――おまえさんがいくら"特別な力"を持ってようと、それが“使い物”になるかどうかは別や。力に呑まれたら、それは災厄に変わるだけやで」
その瞬間、廊下の空気がピンと張り詰めた。
「やめるんだ、ファウスト。……彼はギルドの仲間だ」
だが、ガロウが一歩前に出て、それを静かに断ち切る。
「コイツがギルドに仇なす前に、身の振り方を考えたらどうやと……コイツのために言うてるだけや」
「なんだとッ……!」
「……はいはいそこまでにしとこか、ファウスト。悪いな、ちょっと興味が湧いただけや。脅してるわけやない。せやろ? ファウスト」
「フンッ……」
「ほな」
二人は肩をすくめて通り過ぎていく。残されたレインは、その場に立ち尽くした。
(なんだよ、あいつら……俺の力のこと何か知ってるのか……?)
悪寒のようなものが背筋を走る。
やがて、ガロウが短く言った。
「……気にするな。あの二人は昔からそうだ」
そう言って、再び黙って背を向ける。
レインは軽く頭を下げ、無言のまま廊下を歩き出した。彼の胸の内に、静かな不安の種が芽吹き始めていた。
薄暗い廊下を抜けて、レインは静かに自室の扉を開いた。
「……ただいま」
もちろん、返事はない。部屋の中には誰もいない。ほんのりと温もりの残る空気に、サヤの存在がまだ染みついている気がした。
けれど今は、その軽いノリや笑い声すら、やけに遠く感じられる。
ふぅ、とため息をついてベッドに倒れ込む。
『力に呑まれれば災い──』
レインは身体を起こすと、机の上に置いてあった小さな花瓶に目をやる。サヤが昨日拾ってきた花を挿しただけの飾りだが、今の彼にはちょうどいい“実験台”に見えた。
「……必ず使いこなしてやるさ。おかしな力だろうが、意味不明だろうが……幸せな人生を掴むために、俺はこんなとこで諦めない」
掌を上に向ける。
そして、小さく呟いた。
「──カタストロフィア」
一瞬、空気がぴしりと鳴った気がした。
直後――
ガタリ、と机の脚が突然揺れる。ぐらついた拍子に、花瓶が不自然な角度に傾き……そのまま、バシャ、と水をまき散らして床に倒れた。
レインは、しばし呆然とその結果を見つめてから――ふっと、小さく笑った。
ぐっと拳を握りしめた時──
「レ〜イ〜ン〜、ただいま〜っ☆」
扉がバタン!と勢いよく開いた。
「うおっ!? な、なんだよ急に!?」
「いや〜ルナちゃんと買い物してきたんだけどさぁ、外でなんか面白そうなイベントやってたんよ! これから行こうよっ」
手を引かれ、半ば強制的に立ち上がらされるレイン。
「ちょ、おい! 今いいとこだったんだけど……!」
「いいからいいからー!」
サヤの勢いに引っ張られるまま、レインは部屋を後にした。
賑わいの声が遠くから聞こえる。
ギルドの外に出ると、夕方の風が頬を撫でた。街は赤く染まりはじめた空の下で、普段よりもいっそう賑やかな雰囲気に包まれている。
「うわ〜、やっぱりお祭りだ〜! 出店もあるじゃん!」
サヤはテンション高く、通りの向こうで並ぶ屋台に駆け出していった。金魚すくいならぬ、水魔法で浮かせたスライムすくい、焼き魚の串刺し、魔法演出の光るキャンディー──異世界らしい品々が並んでいた。
「てかルナは?」
「買い物の後、なんか用事があるとかで別れたよ」
「ふ~ん……にしてもなんで祭りやってんだ?」
レインが辺りを見回すと、通りの中央に大きな立て札が掲げられていた。
『エリアル・クラッシュ予選大会、本日も盛況にて開催中! 本戦への切符をつかむ挑戦者たちよ、己の力を証明せよ──!』




