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ep21 世界の一員

 ──暗闇。


 気づけば、俺は真っ黒な空間に立っていた。

 どこまで続くのか分からない闇。音も、風も、何もない。ただ、自分の心臓の音だけが響いている。


(ここは……夢、か?)


 足元にうっすらと靄が広がる中、一歩を踏み出したその先で──


「……まだ生きてたんだね」


 聞き覚えのある声。

 振り向けば、そこにはあの“悪夢の少年”が立っていた。影のようなシルエット、表情のない笑み。

 そして次の瞬間、視界が反転する。


「──が、はっ……!」


 首を掴まれ、持ち上げられていた。身体が宙に浮かび、息が詰まり、視界が滲む。


(息が、できな──)


「すぐ"僕の力"に溺れると思ったけど、意外としぶといんだね……」


 少年は近づき、不敵な笑みを浮かべる。


「次もまだ生きてられていたら、面白いもの見せてあげる……」



「世界が滅びた瞬間をね──」



 囁くような声が耳に触れた瞬間──


「……っは!」


 レインはベッドの上で飛び起きた。

 額にはびっしょりと汗、肩で息をしながら荒れた呼吸を整える。胸の鼓動がうるさいほど響いていた。


(またあの夢……)


 冷たい汗が背中を伝う感覚に眉をひそめ、ふと視線を横にやった。


「…………」

「…………」


 もっこりと膨らんだ掛け布団。その中から金色の髪がぴょこんと飛び出している。


「……おい」


 レインの声に、布団の塊がもぞもぞと動いた。


「ん~~……ぅあ~、ん……おはよぉ~……じゃなくて、ん、あれ? まだ夜?」


 布団をめくると、サヤが無防備すぎる寝ぼけ顔で顔を出す。


「お前、また俺の布団に……」

「だって寒かったんだもん〜」


 もはや当然とばかりに、にへらと笑う。


「いやいやいや! こっちは悪夢で汗びっしょりなのに、なに勝手に人の布団に侵入してんだよ!」

「でもウチのベットの横の窓がガタガタしててさぁ〜……風がビュービューうるさくて寝れなかったんだもん。レインのとこは静かであったかいし」

「どんな理由だよ……!」

「しかも、レインって地味にあったかいんだよね〜。なんか体温ちょうどよくてさぁ~、こう……抱き枕っぽい?」

「寝ぼけてんのか本気なのかどっちだよお前!!」


 騒ぎながらも、肩からじんわりと伝わる温もりに、少しだけ悪夢の余韻が薄れていくのを感じていた。


 サヤの存在は、やっぱり──騒がしくて、どこか安心する。


(……まったく、こっちは夢で殺されかけたってのに……)


 心の中でそう毒づきながらも、どこか救われた気がしていた。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 ──朝。


 レインは、差し込む朝日とシャワーの音で目を覚ました。


「……またかよ……」


 頭を掻きながらベッドを抜け出し、カゴに置いていたTシャツに腕を通す。

 眠気まじりのまま、背中側の布を直そうと腕を後ろに伸ばした時──


 むにゅっ。


「んっ……あっ♡」


 耳元で、甘くとろけるような吐息。


「……へ?」


 恐る恐る振り向くと、湯気をまとったタオル姿のサヤが、胸元を押さえて顔を赤らめていた。


「……お、おはよ? レイン♡」


 視線を下にずらすと、自分の右手ががっちりと、彼女の“そこ”を鷲掴みにしていた。


「───ッ!?」

「レインったら……朝からそんなスキンシップするとかぁ♡  やばい、ちょっとさすがにドキドキしてきたかも……♡」

「ちがうちがうちがうッッッ!!!」


 が、レインが手を引っ込めるよりも先に──


 ガチャッ!!


「──おはようございます。そろそろ支度の──って……!!?」


 ノックもなしにルナベールが入室。そして即、凍る。


 サヤの色気たっぷりな表情。

 掴んだままのレインの右手。

 絶望的すぎる“構図”が、部屋中に静止する。


「っ……こ、これは……!」

「いやあああああああああああああああああっ!? 」

「ち、違うんだって! これは誤解! 事故! 不可抗力で!!」

「――《フリーズ・ロック》!!!」


 ルナベールの怒りをはらんだ小さな詠唱。


 次の瞬間、氷の結晶が床から伸びあがり、レインの足元を包み込み──そのままズバァンと氷柱が跳ね上がり、彼を完璧に氷漬けにした。


「ひぎゃあああああ!?!?!?!?」


 顔だけ出して凍り付くレインの絶叫が、室内に響いた。


「……レインさんのド変態!! スケベ!! もう一生そこで反省してくださいっ!!」

「さっすがルナちゃん☆ 判断と行動がキレッキレ~!」


 サヤは肩を揺らして爆笑しながら親指を立てていた。


 レインはというと──


「さみぃぃぃぃ……しにゅ……」


 うっすら白目をむきながら、氷像と化していた。


 ──そして、この騒がしい朝はいつも通り幕を開けたのであった。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 ──午前十一時。


 レインとサヤ、ルナベールの三人は、ギルド本館の最上階――ギルドマスター執務室の前に立っていた。


「うぅ、まだちょっと凍えてるんだけど……」


 レインが肩を抱えながら震えている。


「いいじゃ~ん、ルナちゃんのおかげでスッキリ目ぇ覚めたっしょ?」


 サヤがにっこり笑いながら背中をバシバシ叩いてくる。


「骨まで冷えたって意味ではな……!」

「はい、では中へどうぞ」


 扉の前で待っていたギルド職員のシェリルがにこやかに案内すると、重厚な木扉がゆっくりと開かれた。


 中に入ると、そこは静謐な空気が漂う広々とした空間だった。

 壁には地図や古代語の書かれた布がかかり、机の奥では一人の老女がゆっくりとこちらを見やった。


 ギルドマスター、フレア・ヴァル=フレイム


 白髪を丁寧に結い上げ、深紅のローブを羽織ったその姿は、どこか包み込むような温かさを放っている。


「上手くやってそうだね、おまえさんたち」

「フレアおばあちゃん……!」

「はい、おかげさまで。それよりマスター、あの、今日は……」

「ふふ……そんなに肩に力を入れんでもええのよ。おまえさんたちはもう、《赤蓮の牙》の子どもたちなんだからね」


 フレアはにっこりと目を細め、机の上の書類に軽く手を置いた。


「今日ここへ呼んだのはの──おまえさんたちの“正式登録”を済ませるためじゃよ」

「……ついに、ですね」


 ルナベールが感慨深そうに小さく頷く。


「わたしの裁量で仮登録として受け入れたが……それも今日までじゃな。これからは、立派な“冒険者”として、この世界の一員になるんじゃ」

「……世界の一員……」


 レインがその言葉を噛みしめるように繰り返した。


「ちょいと大げさに聞こえるかもしれんけどね……居場所がある、ってのは、ほんとに大事なことなんじゃよ。それだけで、人はよう生きていけるもんさ」

「うん……分かった。ありがとう、フレアさん」


 レインの表情が、少し和らぐ。


「暖かいお言葉、あざます♪ おばあちゃん」


 サヤも手を挙げながらニカッと笑う。


「ふふ……。さて、細かい手続きは、シェリルにお願いするとしようかねぇ」

「 はいはーい! それじゃあレインさん、サヤさん、こっち来てー! 書類山ほどあるから覚悟してねっ♪」

「ひぃっ!? まだそんな試練が!?」

「へへっ、がんばろ? レインくん♡」


 レインとサヤがシェリルに引きずられるように向かう中、フレアはルナベールに静かに声をかけた。


「……ルナベール。二人のこと、よろしく頼むわね」

「……はい。必ず、ちゃんと導いてみせます」


 その返事に満足そうに頷いたフレアは、ルナベールの退室を見送り、静かに窓の外を見やった。


「光の神ガイアよ。我が子らを正しき道へ導きたまえ。汝の御光、地に満ちんことを」


 老女の瞳に映る空は、どこまでも穏やかで優しかった。


 三人がシェリルの後を追うように廊下を歩いていると、奥から黒いローブをまとった男が姿を現す。


「おや……これはこれは、イレギュラーの諸君ですね」


 低く滑るような声。壁際に立っていたルナベールが小さく眉をひそめた。


「ルーファスさん……」

「初めまして。記録官・ルーファスです」


 男はゆっくりと歩み寄り、レインとサヤの前で足を止めた。鋭い眼差しが、まるで心の奥底を見透かすかのように二人を貫く。


「あなたたちは、仮にもギルドマスター自らの推薦を受けた存在……それは確かに特別だ。だが──」


 ピタリと間を空け、ルーファスは淡々と告げる。


「特別であることは、常に“疎まれる”ことを意味する。誇るべきことではない。“普通ではない”という自覚を、常に胸に刻んでおきなさい」

「……」


 レインとサヤが言葉を飲み込む。どちらも、少しだけ背筋を正した。


「“選ばれた”などと勘違いしたまま、力に溺れ、調子に乗った者がどうなるか……歴史が教えてくれるでしょう」

「え~……なんかめっちゃ言われてる……」

「でも……うん。たしかに、そういう自覚は……ちゃんと持たないとダメかもだな」


 サヤの苦笑いに、レインはうなずいて答えた。ルーファスは目を細め、ほんのわずかに口元を動かす。


「……ならいい。口で言っても無駄な者には何も響かないが、君たちには多少、期待してもいいかもしれない」

「期待……してるんすね?」

「勘違いしないように。記録官として、事実を“記す”義務があるだけです」


 そう言い残して、ルーファスは黒衣を翻し、背を向ける。その歩みに、無駄な音は一つとして響かなかった。


「……あの人、いつもああなの?」

「うん……でも、嫌な人じゃないよ。必要なことしか言わない人だから」


 ルナベールが静かに答えた。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 カウンター前のテーブルに三人が腰を下ろすと、手元の書類をまとめたシェリルが、パタパタとファイルを開いて笑顔を向けた。

 眼鏡越しの瞳は真面目そうなのに、どこか明るくて親しみやすい。テンション高めの優等生、といった雰囲気だ。


「それではっ! 改めまして、レインさん、サヤさん──おふたりの正式な冒険者登録が完了しましたっ! 本日より赤蓮の牙所属、"Dランク冒険者”として正式に活動開始ですっ!」

「おお〜……なんか、いよいよって感じするな」

「ね〜、仮登録のときはまだ半信半疑だったけど、今はちゃんと“冒険者”って感じじゃん!」


 サヤも感慨深そうに笑い、ポンと胸を張る。


「そして、こちらがギルドメンバーの証となる認定バッジです!」


 そう言って、シェリルが小さな布張りの箱を開き、二つの金属製バッジを差し出した。

 中央に“朱雀の翼”を象った意匠が刻まれており、ランクを示す小さな刻印が添えられている。


「お好きな場所につけてください。冒険者としての身分証も兼ねてますから、なるべく外から見える位置にお願いしますね!」


「おお……こういうの、ちょっと憧れてたんだよな」


 レインはそっと手に取り、躊躇いながらも服の胸元のベルト部分に装着する。


「へへっ、似合ってる~? ウチもここにつけちゃおっと!」


 サヤは勢いよくバッジを手に取り、上着の左肩あたりにぱちんとつけた。

 その仕草には、ちょっとした誇らしさすら滲んでいる。


「はいっ、そこで──こちらが本日から受けられるクエスト一覧になります!」


 シェリルはすぐさまテーブルに数枚の書類を広げた。


「お三方のランクや条件に合わせて、私のほうでいくつか候補をピックアップしておきました。今回は、ルナベールさんがBランクなので、Dランクのおふたりも“複合編成”として中〜上級のクエストが受けられるんですっ!」

「へぇ……けっこうあるんだな」


 レインが書類に目を通すと、具体的な依頼の数に少し驚いたようだった。


「これは特例なんですけどね、信頼と同行者の実績があれば、チームとして受けられる範囲がぐんと広がるんですよ〜。ルナベールさんのおかげですねっ!」

「ふむふむ……つまり、ウチらのランクだと無理だけど、ルナちゃんがいればイケるってことか〜」


 サヤが満足げに頷く。


「そのとおりです! なので、最初のうちは“信頼できる仲間と組む”ことがとっても大事なんですよっ」

「がんばります」


 ルナベールが真っ直ぐに頷くと、シェリルは「はいっ、応援してます!」と満面の笑みを浮かべた。


「で、ですね! 今日のおすすめはこちらっ。未踏破の小規模ダンジョン“アレスの穴”での採取依頼です!」

「ダンジョン!?」


 レインが身を乗り出す。


「依頼主は王都工房組合。目的は“リヴァイアストーン”という希少鉱石の採取です。発見されたばかりの岩窟なので、内部は未調査ですが……魔物の強さは中級程度と推測されてます!」

「へぇ〜、なんか楽しみになってきたじゃん」


 サヤがニヤッと笑う。


「ただし! 条件がありますっ!」


 シェリルがぴしっと人差し指を立てる。


「日没までに戻ること! 深追いせず、安全に成果を持ち帰ることが最優先ですっ! 初回ですから、そこは慎重にお願いしますねっ!」

「了解っす!」


 サヤが元気に返事し、レインとルナベールも揃ってうなずいた。


「……最初の一歩としては、ちょうどいい難易度かもしれません」


 ルナベールが呟くと、シェリルは眼鏡を押し上げて、またにっこりと笑った。


「初めての冒険には、“出会い”と“学び”がいっぱい詰まってるんですから。どうか、気をつけて。ご武運を!」


 ──その後、三人はルナベールの部屋に集まり、出発前の作戦会議を行うことになった。


「えっと……まずは、ダンジョン探索時の基本について、簡単にまとめてみました」


 ルナベールが差し出したのは、手書きのメモがびっしり書かれた紙だった。

 内容はきっちりと整っており、項目ごとに箇条書きとマーカーが施されている。


「さすがルナちゃん、真面目~。字キレイすぎて感動なんだけど」

「ありがとうございます。でも、これは基本なので……ちゃんと頭に入れてくださいね?」


 ルナベールは微笑んで返しつつ、床に地図を広げた。


「今回のダンジョン“アレスの穴”は、まだ構造が把握されていない未踏破区域です。念のため、非常時の対応を想定して準備をしましょう」

「非常時って……まさか死ぬとか!?」

「あり得ます」


 ルナベールはきっぱりと断言した。


「マジで!?」

「冗談です。でも、万が一に備えるのが“冒険者”ですから。たとえば――」


 彼女はテーブルに三つの小さなアイテムを並べた。


「これは“回復薬”。基本的な体力回復アイテムで、軽傷ならこれ一本で対応できます」

「ふむふむ……なるほど」


 レインは真面目にメモを取り始めた。


「次は灯火石(とうかせき)。暗闇を一定時間照らしてくれる石です。魔力を流し込めば光ります」

「わ、キラキラじゃん! ウチ、これアクセサリーにした~い♡」

「ダメです。これは命に関わる道具です」

「お前、真面目に聞いとけって」

「は~い」

「はい、次は“テレポートスクロール”。これが一番重要です。発動すればギルド前まで強制帰還できますが……使用には制限があります。一人一回、魔力を込めて数秒の詠唱が必要です。発動中に中断されると無効になりますので――」

「レインの役目っぽいね、逃げ足なら速そうだし」

「いや、お前だってビビったら秒で逃げるタイプだろ」

「ふふっ、言い合いをしている場合じゃありませんよ」

「はーい、先生~♡」


 レインは苦笑しながらメモを取り続ける。

 サヤはふざけているようで、必要な単語はきっちり口に出して覚えていた。


「持ち物はこれで良し、と……装備の確認も忘れずに。念のため、お二人には私の短剣をお貸しします。防具はこのクエストが完了して報酬を貰ったら買いに行きましょう。今回のクエストは戦闘にはならないと思うので大丈夫かと」

「りょうかい」


 こうして、一通りの準備と確認を終えた三人。


 ──ついに、初めての冒険の時が来た。


「……じゃ、行こっか。トライデントの初陣ってやつ、見せつけてやろーぜ☆」

「おう、行こう!」

「気を引き締めて、気をつけていきましょう!」


 陽の光の下、三人の冒険者がギルドを後にした。

 目指すは、未踏破の岩窟《アレスの穴》。

 初めての本格クエスト、その幕が今、上がろうとしていた――。

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