ep20 初仕事
午後の市場通りは、活気と人の熱気に包まれていた。
色とりどりのテントが並び、異国の料理や雑貨を売る露店が軒を連ねる。スパイスの香りと焼き菓子の甘い匂いが風に乗って漂い、耳には陽気な楽器の音色が響いていた。
「ちょっとこれ見て! 羽飾り付きの鈴! ウチこういうの大好物なんだけど!!」
サヤがカラフルなアクセサリーを手に取り、目を輝かせる。
「おいサヤ、買う気ないだろ」
レインが半眼でじとっとした視線を送ると、サヤはうぐっと言葉に詰まった。
「見るだけでもテンション上がるじゃん? ウィンドウショッピングよ」
「……それ、さっきからずっと言ってるな」
「だってぇ~、日本じゃ見れない珍しいものが多すぎるんだもん! てか女子の買い物は時間がかかるのデフォだから!」
そのやり取りを聞きながら、ルナベールは小さく微笑み、ガラス瓶の並ぶ薬草屋にふと目を止めた。店先に並ぶ素材の名前を一つ一つ確認しながら、丁寧に手に取っては元に戻していく。
「このハーブ……“グリモス草”ですね。痛み止めの効果があるって、以前講義で習いました。こんな市場でも扱っているなんて……」
丁寧な口調で語るルナベールの姿に、レインはちょっと感心したように首をかしげた。
「へぇ、ルナベールって勉強熱心なんだな。ほんと尊敬するよ」
「ふふ、いえ。私はまだまだです。もっと学ばないと……」
「レインもルナちゃんの姿勢を見習った方が良いよ?」
「いや、お前もだろうて!」
控えめながらも嬉しそうに頬を緩めるルナベール。その表情に、レインはふと心が和らぐのを感じた。
「勉強も戦いも全力投球って感じだな、ルナは」
隣でシャルロードが豪快に笑う。
「ルナベール・アイリーン……ギルドの若きエース! うちのパーティに入ってほしかったもんだがなぁ」
「えっ、そ、そんな……私なんて、まだまだで……っ」
「褒められ慣れてないのか、ルナちゃん」
サヤがにやにやしながら茶々を入れると、ルナベールは少し赤くなって目を逸らした。
その少し後ろで、サンシャインが無言で隣の屋台をにらみつけていた。
「……値札の付け方、おかしい。昨日と価格が違う。観光客を狙ってるのね」
「えっ、まじ?」
「商人は信用が命だってのに……そういうの、許せないのよね」
三つ編みを揺らしながら、サンシャインは小さくため息をついた。
「はっはっは! さすがサンシャイン、細かいとこ見逃さねぇな!」
シャルロードは感心したように親指を立てた。
その頃、サヤは別の店でネックレスを手に取り、興奮気味に言った。
「えっなにこれ、民族系の装飾品!? え、これ絶対写真映えするやつじゃん!? ねぇレイン、これ似合うと思う?」
「……ん、まぁ、似合うんじゃねーかな」
「でしょでしょー☆」
「ま、今は無一文だから買えないんだけど」
「ガーン……」
そのとき──
「おい! そこの子、待てッ!!」
怒号と共に、群衆の間をすり抜けるように小柄な影が走り抜けた。
少年だ。ボロボロのマントをまとい、手には盗まれたらしい果物が詰まった袋。店主が慌てて追いかけるも、人の波に阻まれて追いつけそうにない。
「な、なに!? なんか始まった!?」
サヤが目を見開く一方で──
「行くぞ!」
シャルロードが咄嗟に反応し、音を立てて地面を蹴った。
「えっ、シャルさん!?」
サンシャインの叫びも聞かず、彼女はまるで風のような速さで盗人を追いかける。
「ルナちゃんは右に回り込んで! あたしは直線で追う!!」
「──はいっ!」
ルナベールも即座に理解し、サンシャインの合図でもうひとつ先の路地へと回り込んでいった。
判断が速い。ギルドメンバー同士の連携力の高さが、瞬時の行動に表れていた。
だが──
「この子、速い……!」
追いつけそうで追いつけない。
盗人の身のこなしは俊敏で、屋台と人々の間を縫うように進み、ルナベールの回り込みを軽々と交わした。
シャルロードが正面から突っ込むように飛びかかるが、少年は地を滑るように姿勢を低くし、シャルの脇をすり抜ける。
「うおっ、抜けた!? やるねぇ〜、動きが読めねぇ!」
シャルロードが慌てて振り返るも、すでに距離を取られていた。
「氷の壁──展開します!」
ルナベールが前方の通路に氷魔法を展開、足元を滑らせて封じようとする。
だが、少年は氷に足をかける直前に跳躍し、反転しながら狭い軒先に飛び移った。
「この動き……!」
ルナベールが思わず目を見開く。
少年は壁を蹴って反対側へと着地し、人ごみの隙間に再び姿を消す。
「氷を飛び越えた!? とんでもない反射神経……!」
レインはその一部始終を見て、違和感を感じた。
少年のスピード、判断力。単なる子供の犯行とは思えない。
(あいつ……ただのスリじゃないんじゃないか?)
心の中で直感が警鐘を鳴らす。
「サヤ! 俺たちも手伝おう!」
「いやいや、私の力使ったら死んじゃうよー! 泥棒でも相手子供だよ!?」
「た、たしかに……! お前の能力も意外と使いづらいな」
「ちょっと私の能力ディスんないでよっ!」
言い合いながらも、二人の目は盗人の逃走ルートをしっかりと捉えていた。
ルナベールやシャルロードが追い込んでも、あの身のこなしではそう簡単に捕まらない。レインは、心の中で覚悟を決めたように息を吸い込む。
「……だったら」
スッと右手を上げ、低く呟く。
「カタストロフィア!」
風の音すら飲み込むほどの静かな声と共に、世界が一瞬だけざわめいた。
次の瞬間──
「……っ!?」
逃げる少年が屋台の屋根へと身軽に跳び移ろうとし時、足をつけた布張りの屋根が、“ほんの少しだけ”沈んだ。
見た目には些細なゆるみ。しかし、全力で駆けた勢いと着地の衝撃を受け止めるには足りなかった。
バリッ――という音とともに、屋根が破ける。
少年の体が、そのまま勢いよく屋台の中へと落下していった。
「捕ったあああああ!!」
そこを待ち構えていたシャルロードが渾身の飛びつきで少年の体を押さえ込み、ずしゃっと地面に倒れ込む。
「げふっ……っ!?」
「おっと、悪い悪い。でも捕まえるのが仕事なもんでねっ!」
そのまましっかりと押さえつけ、逃げられないように拘束。
少し遅れてルナベールが駆け寄ってきて、すぐさま状態を確認する。
「だ、大丈夫ですか……!? 怪我は……」
ルナベールの声は優しいが、しっかりとした意志が込められていた。
少年は無言のまま俯き、地面を見つめている。
「レイン!」
サヤが駆け寄ってきて、少し驚いたようにレインを見た。
「今の、もしかして……」
「ちょっとだけ、不幸を呼んだ」
「さっすがぁ! こういう時に割と役に立つもんなんだね」
「うまく使えりゃな。外したら、ただの事故だし」
そんな言葉に、後ろからシャルロードの笑い声が重なった。
「なるほど。それが君の能力かい? 不幸を引き寄せるって……いやぁ、面白い力だね!」
「お褒めに預かり光栄っす……」
冗談めかしたやり取りのあと、場に一瞬だけ静けさが訪れる。周囲の騒ぎも次第に落ち着きを取り戻し、人々は安堵の吐息をつきながら再び日常の買い物に戻り始めていた。
屋台の主も無事を確認し、商品を拾い集めながら「助かったよ」とつぶやく。
そして数分後――
「ふぅ、よし。こいつはオレたちが衛兵隊に突き出してくる」
少年をしっかりと抱えたシャルロードが立ち上がる。
「あなたたちは、ここで待っていてください。……状況説明は、私がきっちりしてきますので」
サンシャインは盗人の様子を確認すると、目を鋭く細めて付け加えた。
「ったく……逃げ足の速いヤツだったな。ま、逃げ道はあっても、正義からは逃げられねぇってな!」
「うまいこと言ったつもりでしょ、それ」
サンシャインが小声で突っ込みながらも、少年の腕を取り、シャルロードと一緒にその場を離れていく。
残されたレイン、サヤ、ルナベールの三人。
「あの子の動き、素人ではありませんでした……」
ルナベールが真剣な眼差しで呟く。
「そ、そうなの? ウチにはただ速いだけに見えたけど……」
サヤが首をかしげると、
「体重移動、回避のタイミング……戦い慣れしている人の動きでした」
「ふ~ん……なにか事情があったのかな」
「だとしても盗みはいけません」
「そう、だよね~……」
三人はしばし場の空気を整えようと静かに呼吸を整えた。
「助けてくれてありがとうよ、兄ちゃん姉ちゃんたち!」
果物屋の店主が汗をぬぐいながらレインたちに深々と頭を下げた。
「最近、ちょくちょくスリが出ててね……ほんと助かったよ。お礼と言っちゃあなんだが──これ、うちの姉貴がやってる衣装屋の引換券。よかったら好きなもん、ひとつずつ選んでってくれ」
そう言って手渡されたのは、装飾が施された革製のチケット。裏には「古衣房リシェリア」の文字が刻まれていた。
「衣装!? マジで!? やったーー!!」
「そのお店なら私知ってるので、案内しますね」
サヤが目を輝かせて、レインの腕をがしっと掴む。
「ちょ、おま……別に俺は──」
「ダーメ! いつまでも同じ服でいられないでしょ☆」
「ふふ、そうですよ。お二人ともこの世界の衣装を身に纏って、馴染んでもいい頃です。ただでさえ目立つ容姿なので」
サヤとルナベールに押される形で案内されたのは、通りの端に佇む落ち着いた雰囲気の衣装屋だった。
中はまるで劇場の裏舞台のようだった。壁一面に並ぶ色とりどりの衣装たち。民族風のドレス、戦闘用ローブ、貴族風のマント、時代も文化も混在した異世界らしい品々が所狭しと並んでいた。
「うわ〜……テンション爆上がり……!」
「ま、まぁ……せっかくだし、タダなら……」
レインとサヤはそれぞれ店の奥へと案内され、試着室に入っていく。
──そして数分後。
「ど、どう……かな……?」
カーテンの奥から、レインがそろりと姿を現した。
黒を基調にした冒険者用のロングマントに、胸元に銀の装飾が輝く革ベスト。足元は動きやすいブーツで引き締められ、肩からのマントが風に揺れている。
不幸体質でどこか頼りなかったレインが、ほんの少し“冒険者”らしく見える装いだった。
「おぉ~~~っ!?」
思わず見惚れたのは、サヤの方だった。
「レインさんお似合いですよ!」
「良かった、ありがとう」
次にサヤが選んだのは、露出の多い民族衣装風のドレス。
鮮やかな赤と金を基調にした編み込みデザインで、肩と太ももが大胆に露出している。腰には鈴付きの布帯が巻かれ、動くたびにシャラリと音が鳴る。
「わ〜! サヤさんとっても素敵です!」
「な、なっ……!」
レインが一瞬、言葉を失った。
「えっへっへ~、どぉ? ちょっと派手かなーって思ったけど、似合ってる?」
「……いや、似合ってるどころか……なんだその……」
「ん~?」
「めちゃくちゃドキッとしたというか……!」
「マジ!? ふふーん、惚れた? 惚れちゃった??」
「違うわいっ!」
サヤが腰に手を当ててくるりと回ると、鈴が軽やかに鳴る。その姿にレインは思わず顔を赤らめて、目を逸らした。
「つーかお前……そんな恰好で街歩いたら、視線やばいだろ……」
「ん? レインってば、まさか……嫉妬ぉ? ぷぷっ、かわい〜♪」
「してねぇよっ!」
二人のやり取りを、遠巻きに見ていたルナベールは、そっと微笑んでいた。
「ふふ……二人とも、本当に楽しそう……」
陽光が店の窓から差し込み、異世界の衣装をまとった二人を照らしていた。
ほんのひととき、異世界という舞台で“新しい自分”を試してみた、そんな時間だった。
◇ ◇ ◇
「はああああ~~~~っ!!」
ギルドの扉をくぐった瞬間、サヤの絶望の叫びがこだました。
「なによ今日! あんなに可愛いアクセとか鞄とかいっぱいあったのに! 結局! 一個も買えなかったぁぁあ!!」
「いや、最初から俺たち金持ってねぇって言っただろ?……それにこの衣装をもらえたんだからそれでいいじゃねぇか今日は」
レインが呆れたように返す。
「それに見るだけで満足するって言ったのお前だろ」
ルナベールも少し微笑みながら苦笑を漏らす。
「見るだけと欲しくなるのは別問題なのっ!! ウチの購買欲はもう限界なのっ!!」
「怒んなって……」
わいわいとギルド内に戻ってくる3人。そんな彼らを見つけて、受付の奥からミランダがこちらへやって来た。
「おかえり、楽しかったようね。その衣装中々似合ってるわ」
「ミランダねぇさ~ん! ウチら、働きたいっス! お金稼がせてくださいッ!!」
サヤがテーブルに身を乗り出しながら、全力の勢いで訴える。
「却下」
「即答ッ!?!?」
「正式な冒険者ライセンスが支給されるのは明日から。今はまだ“仮登録者”だから、依頼は受けられないの」
ミランダは事務的に答えながら、書類を整理する。
「じゃあ今日は何を……?」
「もちろん──講義。座学の時間よ」
「……ざ、ざがく……? 今から??」
「この世界のこと全然分かってないでしょ? 他にもギルドの基本、依頼の受け方、報酬の仕組み、仲間との信頼関係の重要性……ぜ~んぶ教え込むから。二時間みっちり、詰め込むからね?」
「地獄じゃん……」
レインが小声で嘆いた。
「ま、がんばりましょう……」
ルナベールが優しく肩をぽんと叩く。
──そして二時間後。
「……ぐ、グダグダだった……」
「講義って、あんなにメモることあるの!? ペンが火吹いたんだけど!?」
「ふふ、二人とも頑張りましたね」
ルナベールはしっかりノートをまとめながら、穏やかに笑う。
「ルナはもう既に勉強した内容だったろ?」
「ええ、7歳の頃に学んだ範囲ですね」
「な、7歳……」
「それでもしっかり講義聞いて、板書までしてるルナちゃんほんと偉いよねぇ~」
「復習は何度やっても無駄にはなりませんからね」
日はすっかり沈み、ギルドの食堂には温かい灯りがともっていた。
夕食の時間──レイン、サヤ、ルナベールの三人は一つのテーブルを囲んで、今日一日の出来事を振り返っていた。
「ねぇレイン、異世界に来てみて、どう?」
「んー……最初は訳わかんなかったけど、ちょっと楽しくなってきたかも」
「ふふっ。二人は目標とか……あるんですか?」
ルナベールが優しく問いかける。
「俺は朝言ったように、今度こそ幸せな人生を歩みたいって思ってる。前の世界じゃ、不幸だらけで厄病神って言われてたぐらいだし」
「……レインさんって、真面目なんですね」
「そうそう、こう見えても真面目な——」
「スケベだけどね?」
サヤがポテトをもぐもぐしながら言った。
「おいこら」
「フフ、じゃあサヤさんの目標は?」
「ウチ? ウチはね~、人生これから楽しくなるってとこで……死んじゃったから、 この異世界で人生の続きを楽しむって感じ?」
「なんか軽そうに重い話してるなお前」
「何事も前向きに、ポジティブに楽しむべし!……が私のモットーだも~ん」
にっこり笑うサヤに、レインとルナベールもつられて笑った。
──それから少しして。
食後、部屋へ戻った三人は、それぞれの寝床に入る。
「明日正式ライセンスを貰ったら、いよいよ本格的に冒険者生活が始まるのか……」
レインがベッドに背中を預けて、ぽつりとつぶやく。天井を見上げながら、その先にあるまだ見ぬ冒険の日々に思いを馳せていた。
「楽しみだね、レイン」
隣の布団から、柔らかく囁くサヤの声。
ふと横を見ると、サヤはすでに布団にくるまってこちらを覗いていた。頬を枕に押しつけながら、わずかに上目遣いでレインを見つめるその姿は、どこか子猫のような愛らしさがあった。
ゆるく広がった金髪が枕に散らばり、月明かりに照らされてほのかに輝いている。
「サヤも楽しみに思ってたんだ? なんか意外だな」
「そりゃもちろん! でもね、それはレインが一緒だから……だよ?」
一瞬、沈黙。レインの心臓が“ドクン”と跳ねた。
「お、お前……なんだよ急に……」
思わず目を逸らすと、布団の向こうからくすっと笑い声が聞こえてくる。
「えへへ、照れちゃって可愛い~。……レインってさ、そういうとこ、ズルいよね」
「おちょくるなって……まったく」
それでも、どこか心地よい温かさが胸の奥に広がっていた。
「おやすみ、レイン」
「……ああ。おやすみ、サヤ」
灯りが消える。
真っ暗な部屋の中、かすかに聞こえる二人の呼吸が静かに重なり合っていた。
そして──
彼らの“異世界での一日”は、ほんの少しだけ胸が高鳴るような余韻を残し、静かに幕を閉じたのだった。




