ep2 始まりの呪い
「……は? なにそれ」
突然の問いかけに、レジを打つ手がピタリと止まった。
「いやいや、お前、マジで言ってんの?」
そう言った藤原は大のオカルト好きで、ネットの怖い話や都市伝説を漁るのが趣味の男だ。
「今、世界中で話題になってんだぞ? "見たら死ぬ"って言われてる最恐の幽霊、サヤ子!」
「……はぁ。お前まだそういうの信じてんのかよ」
レインは呆れたように眉をひそめる。
「マジなんだって! だってさ、この一ヶ月で謎の心臓発作で死んだ奴らが何人もいるんだぞ? しかも共通点は一つ——全員、"呪いの動画"を見た後に死んでる」
「心臓発作? そんなん、ただの偶然だろ」
「いやいやいや、ニュースでもやってんだって! しかもただの事故じゃねぇんだよ。死んだ奴ら、全員苦悶の表情を浮かべてたらしい」
藤原はスマホを取り出し、動画のサムネイルを見せてきた。
——《【閲覧注意】本物の呪い!?サヤ子の動画を見た男、死亡》
サムネイルには、顔を歪ませて絶命した男の写真が貼られていた。
「……馬鹿馬鹿しい」
「いやいや、マジでヤバいんだって! 最近じゃ、海外のYouTuberが"検証"とか言って動画を見て、次々に行方不明になってるらしいぜ」
「……どうせヤラセだろ」
レインは適当に相槌を打った。
「お前さぁ、もっと危機感持てって! ただでさえ昔から運がなくてクラスで浮いてたんだからさ~」
「うっせ。ほっとけ」
「しかもこのサヤ子って幽霊、三十年前にも一度話題になったんだけどさ……」
「あ~そういやなんかそういう映画あったな。井戸だかから出るとかいう」
「ちっげぇよ!映画なんかじゃねぇし! 三十年前の時も動画を……あ、いや当時はビデオテープを見た奴らが次々に死んで、都市伝説になったんだ。で、最近また復活して、また死人が出てんの!」
藤原は興奮気味に身を乗り出した。
「だからさ! もしお前んとこにこの呪いの動画のリンクが届いても、絶対開くなよ?」
「……なんで?」
藤原が真剣な表情で念を押す。
「呪いは伝播する。誰かがリンクを踏んで動画を見て死ぬと、それがまた次の誰かに勝手に送られるんだと。だから、万が一動画が送られてきても、絶対に開くな。いいな?」
「……お前さぁ」
レインは呆れたように溜息をついた。
「安心しろ。俺に連絡してくる知り合いなんてお前以外に居ねーからな」
「っ……!」
「大体、"見たら死ぬ動画"ってなんだよ。そんなもん、誰が作ったかもわからねぇのに、本気で信じてんのか?」
「……でも実際に死人が出てるんだぞ?」
「死人が出たのと動画の関連性なんて、誰も証明してねぇだろ。適当にこじつけてるだけじゃないのか?」
「お前は相変わらずだなぁ……まぁ、そう言うと思ったけどさ」
藤原は溜息をつくと、スマホをしまった。
「俺は忠告したからな。動画が送られてきても、絶対に開くなよ?」
「はいはい、わかったよ」
レインは適当に流しながら、藤原を退店を見送った。
やがてバイトを終えたレインは、コンビニのビニール袋を片手にアパートのドアを開けた。暗い室内。いつも通り、誰もいない。靴を脱ぎ、肩を回しながらため息をつく。
「はぁ……今日もダルかったな……」
床に投げ出したリュックからスマホを取り出し、ニュースアプリを開く。
【“サヤ子”現象、世界中で報告多数】
その見出しが目に飛び込んできた。
記事を開くと、被害者の男性が動画を見た直後に急死し、PCの画面には呪いの動画が再生されたままだったという内容だった。
(……偶然だろ)
そう思いながらも、なんとなくスクロールを続ける。
——《視聴者の証言:動画の最後に"こちらを見つめる女"が映る》
——《専門家の見解:「映像の乱れでは説明がつかない不気味な現象」》
幽霊だの呪いだの、動画を見ると死ぬだの——馬鹿らしい。
記事の中身を流し読みしながら、レインは鼻で笑う。
「さっさと飯にしよ」
そう言いながら、スープカップの封を剥がし、湯を注ぐ。 レンジで温めた弁当を頬張り、シャワーを浴びる。テレビではバラエティ番組が流れ、ニュースが"サヤ子"の噂を特集していた。
「マスコミまで煽ってんのかよ。他に報じるもんあんだろ……政治とか」
何気なく呟きながら、レインはPCの電源を入れた。机に座り、適当にネットを眺めながらキーボードを叩く。
その時——
画面の右下にメール通知が表示された。
【藤原:お前にだけ特別に見せてやる。開くなよ?】
画面には、一本のリンク。
「……開くなって、絶対開けってことだろ」
呆れながらも、無意識に指が動く。
クリック。
その瞬間、画面が暗転し、動画が自動再生された。
映し出されたのは、夜のトンネル。
画質は荒く、視点が揺れ、息遣いと足音が聞こえる。
『ゼェ……ゼェ…… 』
視点の主は、何かから逃げるように走っていた。
『アイツが悪いんだ……オレを無視するから……!』
——視点が後ろを振り返る。
トンネルの地面に、制服を血で染めた女性の遺体が横たわっていた。
赤く染まった髪が広がり、近くには転がったバッグとスマホ。
犯人らしき男の呼吸が乱れている。
『……ハハッ、オレのことだけを見ていればよかったのに……拒絶なんてするから! どれだけオマエのことを愛していたか、これで分かったはずだ……!』
レインは不快感を覚え、顔をしかめた。
「……ガチで殺人の映像か?」
その瞬間、PCのスピーカーから妙なノイズが走る。
犯人の視点がトンネルの出口を向き、速足で歩き始める。
だが——
画面が突如、暗転。
「……ん? 止まったか?」
数秒の沈黙が続く。
やがて映像が復帰——
しかし、視点が変わっていた。
さっきまで"犯人の視点"だったカメラが、今は"犯人の背中"を映している。まるで、誰かが後ろから撮影しているかのように。
レインの喉が、不快に鳴る。
「……これ今誰が撮ってんだ?」
犯人が背後の気配に気づき、ぴたりと足を止める。不自然な静寂の中、肩が小さく震えた。
ぎこちなく、首が左右に揺れながら、ゆっくりと振り返る。
そして――その顔が、カメラの真正面に映し出された。
見開かれた目。血の気が引き、蒼白どころか青黒く変色した肌。瞳は焦点を失い、震える唇からは、声にならない空気が漏れるだけ。
まるで、全身が“死”そのものに触れたような凍結の表情だった。
犯人の口が、わずかに開かれる。
『……あ……』
その瞬間、映像がブツリと途切れた。
「……は?」
レインは眉をひそめ、マウスを動かす。
クリック。
反応なし。
もう一度、クリック。
画面は真っ暗なままだ。
「チッ……またフリーズかよ」
ため息をつきながら、キーボードを叩く。
だが、何も起こらない。
その時——
カチッ
静寂の中で、何かが切り替わるような音がした。
次の瞬間、モニターが唐突に光を放つ。
映し出されたのは——
天井から見下ろした画角のレインの部屋だった。
——まるで、カメラでリアルタイム配信されているかのように。
「……なんだこれ」
画面の中の自分が、モニターを凝視している。
PCのカメラ機能が誤作動したのか?
しかし——
カメラの起動通知など一切表示されていない。そもそも天井にカメラなど設置していない。
——じゃあ、この映像は一体なんだ?
レインの喉が、ごくりと鳴る。
その時、画面の中の"自分"の背後——
暗闇が、不自然にゆらめいた。
「……ん?」
部屋の隅、カーテンの裏、クローゼットの隙間。
そのどこでもない、"何もないはずの暗闇"から——
何かが、這い出ようとしている。
レインは息を呑み、背後を振り返ろうとする。
が、動けない。
身体が金縛りにあったかのように硬直し、喉もこわばる。
画面の中の"自分"もまた、同じように動けずにいた。
——そして、その"違和感"が決定的になる。
映像の中のレインは、息を荒げている。
だが、自分はそんな呼吸をしていない。
——画面の中の"何か"が、勝手に動いている。
「……おい、これ……おかしいだろ……?」
絞り出した声が、異様なほど小さく響く。
その時——
暗闇の奥、"こちらを見ている"ような違和感。……そこに"目"がある。
黒い長い髪のようなシルエット。その隙間から覗く、白濁した眼球。
皮膚のただれた頬。
画面がチラつき、そのたびに"それ"が、少しずつ近づいてくる。
『─────ゥ”ァ”』
最後に一瞬、顔がはっきりと映る——そこから、スピーカー越しに囁く声が響いた。
『─────ミ"タ"ァ"』
ザザザザザザッ
スピーカーから、あり得ないノイズ音が鳴り響く。
レインの心臓が激しく脈打つ。
——逃げろ。
そう思うのに、身体が動かない。
『─────コ"ロ"……ス"』
耳元で、かすれた声が響いた。
PCのスピーカーではない。
——すぐ後ろから聞こえた。
視界の端。
ざらり。
首筋に絡みつく、冷たく湿った感触。
次の瞬間——
「─────ノ"ロ"ッ"テ"ヤ"ル"」
PC画面が、完全にブラックアウトした。
そして——
レインの意識もまた、そこで途切れた。




