ep12 流れ星
「うぅぅぅ〜……限界、ウチもうお腹ペッコペコ……」
サヤは両手でお腹を押さえ、地面に崩れ落ちそうな勢いで呻いた。
「……俺も……やばい、まじで何も食ってねぇ……」
隣のレインも顔色が若干青ざめており、足取りがフラフラしている。
そんな二人を無言で導いていたのは、鋭い目つきの受付嬢と、筋骨隆々な無口の大男だった。
ギルドの制服らしき黒と赤のコートを身に纏い、背筋をぴしりと伸ばして歩くその姿は、まさに“戦士”そのものだった。
「……ったく。幽霊だとか不幸だとか異世界転生とか……その前にまず飯よ、飯」
受付嬢が低く呟くと、廊下の奥の重厚な扉の前で立ち止まった。
「ここがギルドの食堂。倒れる前に食っときな」
「ありがとうございますうううぅぅぅ……!!!」
サヤは今にも膝から崩れ落ちそうになりながら、力を振り絞って扉を押し開けた。
──ふわり、と香ばしい匂いが二人の鼻腔を満たす。
「……うわ……」
レインが思わず息を呑んだ。
食堂の中は、外からは想像もできないほど広々としており、天井から吊るされた魔石ランプが柔らかな光を放っていた。レンガ造りの壁には様々な調度品が飾られ、木製の長テーブルが整然と何列も並んでいる。
「ねぇ見て、肉焼いてる! パン焼いてる! スープもあるぅぅぅ!!」
サヤはもう完全に我を忘れ、涎が出そうな目で料理の数々を見つめる。
「ああ、腹減りで死んじゃうかと思った……」
「二回目の死因が餓死じゃなくてよかったな……」
レインの小さなツッコミに、サヤはケロッとした顔で笑った。
そんなやりとりを背に、受付嬢が厨房に一声かけると、木皿と碗が二人分すぐに用意された。
運ばれてきたのは、香草の効いた分厚いハーブステーキ、色とりどりの根菜の炒め物、焼き立てのふかふかパン。そして、じっくり煮込まれた骨付き肉のスープ──どれもが空腹にはあまりにも酷なほど魅力的だった。
サヤは皿を抱えたまま、涙目でフォークを突き刺した。
「う、うまっ……え、うますぎっ……下手な高級レストランより全然うまい……」
レインも呆然としながらスプーンを口に運び、震えるように感想を漏らした。
「この異世界グルメ、最高だ……」
「だよね!? ちょっと、今までの不幸チャラになったかも!」
嬉しそうに笑い合う二人を、無言の大男はじっと見つめていた。
受付嬢は、やれやれといった表情で腕を組んでいる。
「ふん……まあ、食う元気があるならよし。食べ終わったら自己紹介でもしてもらうわよ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「はぁー……生き返った……」
満腹で椅子にだらけるサヤは、トロンとした目で天井を見上げていた。
レインもスープの器を置くと、深いため息をひとつ。
「……人間、飯がうまいだけで救われる気がしてくるよな。あ、サヤには分からないか」
「いや、ウチちゃんと人間だからね? 元は幽霊だけど、今はちゃんと実体あるからね!??」
その時、トン、とテーブルを指で叩く音が響く。
受付嬢の隣には、やはり無言のまま立つ巨漢の男。
「そろそろ自己紹介の時間よ。お互いに顔と名前くらいは覚えてもらわないと、ギルドじゃやっていけないから」
「えっ、名前とかあったんですか!? あたしずっと“受付嬢さん”だと思ってた!」
「あるに決まってるでしょ!」
「あはは、冗談冗談♪」
「……私の名前はミランダ。このギルドの訓練管理と窓口業務を担当してるわ。そしてこっちはガロウ。無口だけど、腕っぷしも心も頼れる男よ」
無言のまま軽く頷くガロウに、サヤがひらひらと手を振る。
「あんたたちも覚えておきなさい。このギルドに所属している冒険者は三十人以上、ギルド職員は四人。朱雀国で二番目に大きな冒険者ギルドよ」
「そんなにいるのか!」
「あ、もしかして昼間に居たあの冒険者達がそう?」
サヤが横から首をかしげる。
「いえ、違うわ。普段うちのギルドは特別に、ギルドに所属していないフリーの冒険者にも、仕事を斡旋したりしているわ。昼間にあんたたちが初めてやってきた時にいた冒険者たちは、その大半がフリーの冒険者。正式な所属じゃないわ」
レインは少し納得したようにうなずいた。
「なるほど。じゃあ、正式メンバーは仕事で留守だったのか」
「そうよ。ここじゃ、フレア婆ちゃんはギルドマスターであると同時に、みんなにとってのおばあちゃんみたいな存在なの。私たちも全員、おばあちゃんにとっての孫。たとえ血は繋がっていなくてもね」
ミランダは、普段の鋭い口調とは裏腹に、どこか誇らしげな目をして言った。その表情からは、この場所に強い絆と誇りを感じていることが伝わってくる。
「ほう。それってつまり……」
レインが身を乗り出しながら呟く。何かを察したような目つきだ。
「つまり、私たちは家族同士よ」
ミランダが軽く微笑む。食堂のあたたかい灯りの下、その笑顔には不思議な安心感があった。
「家族……」
レインが小さく呟く。
その言葉の重みを噛みしめるように、そっと視線を落とした。
「えっ、なんかうれしい! ってことはミランダおねえちゃんって呼んでもいいよね!」
サヤが目を輝かせながら、椅子の背もたれに身を乗り出してそう叫んだ。
「おっ、おねぇちゃん!?」
突拍子もないサヤの発言に、ミランダは盛大にむせかけた。その反応に、ガロウが思わず肩を震わせる。笑っている……わけではないが、明らかに口元が緩んでいた。
「ミランダおねえちゃん! ガロウおにいちゃん! よろしくね♪」
満面の笑みを浮かべて手を振るサヤ。その明るさに、食堂の空気がふわっと和らいでいく。
「……!」
ガロウは一瞬だけ目を見開き、そっと頷いた。無口な彼なりの、全力の返事だった。
「ま、まぁ悪い気はしないから許すとしよう……」
頬を少し赤らめながら、ミランダが視線を逸らす。彼女なりの“歓迎の言葉”は、ほんの少しだけ照れくさそうだった。
ゴホンと話を戻すミランダ。
「さて、それじゃあんたたちの番。改めて、名前と、どんな人間か教えてもらおうかしら」
「えーっと……あたしは夜霧サヤ。日本で最恐の幽霊だったギャル、今はしっかり異世界で人間やってます☆」
「日本……?」
ミランダが眉をひそめる。
「前の世界の国の名前ね。まぁ細かいことはさておき、好きな食べ物はタピオカ。ショッピングと遊園地が好きで、映画鑑賞とカラオケが趣味だったよん♪ あとホラー映画は観るより出る派って感じで……」
「そこまでの自己紹介いらんやろ!」
レインがすかさずツッコミを入れる。
ミランダとガロウはしばらく沈黙して、視線を交わす。
「……ギルドにこんなタイプが来たのは初めてね」
「…………」
ガロウは相変わらず無言だが、ほんの少し眉が動いたように見えた。
「俺は幽鬼レイン。えっと……前の世界では、ただのフリーターで、生まれつきの不幸体質でした。なぜかいつも運が悪くて、事故やトラブルばっかで……挙句の果てには呪いの動画を見てコイツに殺されました」
「マジそれ自業自得だからな。ウチのせいにしないでくれるー?」
「は? お前が呪いの動画なんて生み出すからいけないんだろ!」
ミランダは深くため息をつく。
「……ま、あの鑑定結果が本当なら、普通の枠じゃ語れないってのはわかってるけど」
ガロウは真顔でうなずく。
「ともかく、今後の話だけど。しばらくは訓練期間として、みっちり叩き込むから覚悟しときなさい」
「えー、戦闘訓練とかー?」
サヤがうんざりした顔を見せる。
「戦闘だけじゃない。魔法、国の仕組み、この世界の常識、生活に必要な基礎知識も全部よ。異世界から来たのなら尚更勉強するのは当然でしょ」
「うっわ……学校みたいじゃん……」
「サボったら死ぬほどキツイ特別メニューをやらせてあげるから覚悟しときなさい」
「……真面目にやろ」
レインが真顔で言うと、サヤも渋々頷いた。
「ふふ……よく食べたようだね」
柔らかくもどこか背筋の伸びる声が響いた。振り返ると、ギルドマスターのフレアがいつの間にか彼らのテーブルへと歩み寄っていた。背筋はしっかりと伸び、目元には笑みを浮かべながらも、ただの好々爺ではない威厳が滲み出ている。
「フレア婆ちゃん!」
サヤがうれしそうに手を振ると、フレアは穏やかに頷いた。
「さて──今ミランダからも話があったように……」
レインとサヤが思わず背筋を伸ばす。フレアの瞳が真っ直ぐに二人を見据えると、空気が少しだけ引き締まった。
「明日から数日間は、ミランダの元で基礎知識の講習と戦闘訓練を受けてもらうよ」
「き、基礎訓練……って、あの……走らされたりとか、腕立てとか、そういう……?」
サヤが顔を引きつらせながら尋ねる。
「ええ。しっかり“泣かせて”あげるわ」
ミランダがニッコリと微笑んだ。が、その微笑はまったく優しさのない、“笑顔の鬼教官”のそれだった。
「ひぃっ……鬼だぁ……!」
サヤが椅子にしがみつく。レインは隣で額を押さえて、静かに天井を見上げた。
「……ヤバイ予感がしてきた……」
「おまえさんたちの力は、常人を超えとるでな。じゃが、扱い方を誤れば、己を滅ぼすことにもなりかねん」
フレアはそう語りながら、そっと二人の肩に手を置いた。その手は温かく、しかし確かな力強さを宿している。
「訓練を受け、知識を得て、自分たちの力を正しく使えるようになりなさい。わたしゃそのために、おぬしたちをここへ迎えたのじゃ」
「……はい!」
レインとサヤは真剣な顔で頷いた。
「冒険者として依頼を受けられる準備が整い次第、実際の依頼をいくつかこなしてもらう。実地経験を積むのじゃ。もちろん、無理はさせないよ。ミランダやガロウ、他の仲間がおまえさんたちをしっかりと導いてくれるはずじゃよ」
「……わかった。ウチら、がんばるよ」
サヤが少し不安げに、けれど決意を込めて口を開く。レインも、その隣で小さく息を吐きながら、こくりと頷いた。
「うん、やるしかねぇもんな……」
その様子に、フレアは優しく目を細める。
「そうじゃ。おぬしたちは、まだ“冒険”の入り口に立ったばかりじゃ。だが──そこから何を掴むかは、自分次第じゃよ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
遅めの夕食を終えた食堂の片隅、ガロウが無言のまま立ち上がると、顎で「ついてこい」とでも言うように首をしゃくった。
「あ、はいはい。寝床の時間ですかね〜」
サヤがのんびりと伸びをしながら立ち上がり、レインも椅子を引いてそれに続く。
ギルドの通路は、昼間と違ってしんと静まり返っていた。照明の代わりに、壁に取り付けられた魔石灯が淡く青白い光を放っていて、その下をガロウが先導する。無口な背中は、なぜか頼もしくも見えた。
「ギルドに宿舎まで併設されてるのか……新人でも寝泊まりできるってのはありがたいな」
「うちらみたいな初心者には助かるよね~。金ないし、寝る場所あるだけで安心感ハンパない!」
サヤは手を後ろで組みながら、軽くスキップ気味に歩く。
「……っていうか、ガロウおにいちゃんってあんまり喋らないね」
「逆に落ち着くよ。サヤのテンション高いから、これくらい静かな方がバランス取れていい」
そんな冗談めいた会話を交わしているうちに、ガロウは廊下の奥にある一室の前で立ち止まる。木製のドアを静かに開けて、中を手で示した。
「……あれ? 同じ部屋?」
レインが戸惑いの声を漏らす。中にはベッドがふたつ、並んで置かれていた。
「えっ、ウチとレインって相部屋なの!? ギルドってそういうラブコメ展開あり!?」
サヤがニヤニヤと肘でレインをつつく。
「ちょ、待ってくれ! 俺はてっきり男女別だと──!」
その動揺を見ていたガロウが、珍しく口を開いた。
「……先程の鑑定結果で、精神的相互適性関係があると記されたことを鑑みて、常に近い距離で過ごしたほうが良いだろうと……ばあちゃんが判断した。お前たち二人の存在は特別なんだ。まだ何が起こるか分からない。片方が急変した時、もう片方がすぐ反応できる距離が望ましい」
「……あ、そういう……うん、まあ、確かに」
レインは納得したように頷いたが、頬の赤みは引かなかった。
「ウチと一緒のほうが夜も安心でしょ~? なんか出ても、ウチが追い払ってあげるし♪」
「いや、出るのはお前のほうだろ……」
そしてガロウと挨拶を交わし、二人は部屋に足を踏み入れた。
「うぉおおお!? え、思ったよりちゃんとしてるじゃん!!」
二人が中へ足を踏み入れると、そこには最低限ながらも清潔感のある室内が広がっていた。
ベッドが一台ずつ、木製のタンスが壁際に備えられ、部屋の奥には小さな洗面台。そして──
「シャワーもあるぅぅぅぅ!!!」
サヤが洗面所のドアを開けた瞬間、目を輝かせながら叫んだ。
「ありがたすぎる〜!! ウチ絶対明日からもやってける!!」
レインは苦笑しつつ、その反応を見守る。
「ベッドもふかふかぁああ!!」
そのままサヤは勢いよくダイブし、体を小さくうずめてもふもふと転がった。
「よかったな。……ほんとに、ちゃんとした部屋があって助かるよ」
レインも自分のベッドに腰を下ろし、ほっと息をついた。しばらく無言で部屋の空気を味わったあと、二人は自然と窓辺に歩み寄った。
窓からは、朱雀国の夜空が広がっていた。星がぎっしりと浮かび、まるで空そのものが光の海のようだった。どこか現実離れしていて、けれど確かにこの世界に自分たちはいるのだと実感させてくれる。
「……本当に冒険者になるんだな、俺たち……」
レインがぼそりと呟く。声にした途端、それが現実味を帯びた言葉になって胸に沁みた。
「うん。あたしたち、異世界転生して──ちゃんとここで、生きてるんだよね」
そう言ったサヤの横顔は、さっきまでのギャルっぽいノリとは違って、ほんの少しだけ大人びて見えた。
そのとき、夜空を横切るように、ひとすじの光が流れた。
「あっ、流れ星……!」
サヤが目を輝かせる。
「……なんかお願いした?」
少しだけ照れたように、サヤが横目でレインを見る。
「……無事に生き残れますように」
レインの答えは、真剣で、それゆえにどこか切実だった。
「めっちゃ現実的で草」
サヤがクスクスと笑う。けれどその笑いには、不思議な安堵と、どこか心強さが混じっていた。
こうして──幽霊だったギャルと、不幸体質の青年の、異世界での新たな夜が静かに更けていった。
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