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ep1 呪われた人生

挿絵(By みてみん)

 生まれた瞬間から、幽鬼(ユウキ)レインの人生は呪われていた。


 産声を上げたその日、母体は危険な状態に陥り、出産は緊急帝王切開。医師は「母子どちらかが助かれば幸い」と言ったという。奇跡的に母子ともに命を取り留めたものの、それ以降、“奇跡”と呼ばれるような出来事は一度として訪れなかった。


 物心ついた頃には、家の中で原因不明の家電火災や家具の崩落が頻発していた。2歳で階段から落ち、頭を縫う大けが。4歳で公園の遊具が突然崩れ、鉄パイプが肩をかすめた。6歳になる頃には、誰も触れていないのに蛍光灯が突然落ちてきて、額に裂傷。病院のカルテは“転倒”“偶発的事故”ばかりが並んでいたが、明らかに異常だった。


「この子といると、不幸になる」


 幼稚園ではそう噂され、小学校に入る頃には、親たちの間でも“関わらない方がいい子”として認知されていた。最初こそ無邪気に友達を求めたレインだったが、遊んでくれた子が階段で骨折したり、飼っていたペットが急死したりするたびに距離を置かれ、「なんか怖い」と言われるようになった。


 父親はレインが9歳の時、黙って家を出て行った。


「お前のせいじゃない」と母は言ったが、夜中に泣いていた声をレインは知っている。仕事を掛け持ちしてもなお生活は苦しく、家の中は荒れていった。母は少しずつ笑わなくなった。


 高校生になる頃には、レインはもう他人と深く関わることをやめていた。必要最低限の会話、気配を殺したような存在感。そうしないと、関わる人すべてが不幸になる。自分と関わることで傷つく人間を、もう見たくなかった。


 しかしある日、通学中に自転車ごと車に跳ねられた。命は助かったが、治療費が家計を圧迫し、母はとうとう心を壊した。


「ごめんね、ママ、もう限界なの……」


 白く乾いた声でそう呟いた母は、翌日病院に運ばれ、二度と家には戻ってこなかった。診断は「重度の適応障害」と「精神的衰弱」。それを聞いたレインは、ただ静かにうなずき、黙って母の入院費用を稼ぐため、バイトを始めた。


 学校のあとに2つのアルバイトを掛け持ちする日々。睡眠は3時間。弁当は白米に海苔をのせただけ。制服は何年も前のボロボロなもの。


 けれど、それでも母が「安心して眠れている」なら、それでよかった。


 先生も、クラスメイトも、レインにはほとんど関わってこなかった。よくわからない“空気”が彼を避けていた。彼自身、それでよかった。誰かと関わっても、どうせまた不幸になる。誰かを傷つけるくらいなら、一人でいい。


 ──そう思っていた。


 でも、本音を言えば。


「誰かに助けてほしかった」


 そう思っていた。ずっと、心の奥のどこかで。



 あれから五年――。



 レインは大学に進学せず、今もバイトを掛け持ちして生きている。

 かつての目的──母の入院費を払い続けること──は、もう存在しない。


 母はもう、この世にいない。


 ずっと会わなかった。いや、会えなかった。

 自分がそばにいると、また何か不幸が起こるのではないか。

 ただでさえ精神を病み、病院のベッドで目も虚ろに眠る母を、これ以上苦しめてしまうのではないか。


 そう思って、数年間、面会を避けていた。

 病室の前まで来たことは何度もあった。だが、扉を開けることができなかった。


 それでも──あの日、ほんの一度だけ、思い切って会いに行った。


 母は変わらず眠ったままだった。けれど、その頬はやせ細り、顔色はまるで蝋人形のようだった。

 レインは、ベッドの傍らに座り、小さく「ごめん」と呟いた。

 何に対しての謝罪だったのかは、自分でもわからなかった。ただ、胸が苦しくて、声が震えた。


 それが──最後だった。


 面会から数日後、病院から連絡が来た。


 突然、容体が急変した。

 苦しむように身体を震わせた末に、そのまま息を引き取った、と。


 医師は「偶然です」と言った。

 だがレインは知っている。あの日、自分が会いに行ったからだ。


 自分が母に不幸をもたらしてしまった。

 自分が母の寿命を縮めてしまった。

 自分が母にトドメを刺してしまった……と。


 それ以来、レインは何のために働いているのか分からなくなった。


 昼は警備会社での現場作業。夜はコンビニでの深夜勤務。

 それでも変わらず働き続けるのは、ただ「止まる理由がない」からだった。

 最低限の食事と睡眠、息をするように繰り返す労働。

 時計の針は動いていても、人生そのものは止まっているような日々だった。


 誰にも必要とされず、何者にもなれず、ただ生きているだけの存在。

 この世界に、希望も救いもない。


 痛みも孤独も、とうに慣れていた。

 ただひとつ、母を失ってからというもの──“哀しみ”だけは、ずっと消えてくれなかった。


 深夜2時。誰も来ない時間帯、いつものようにレジに立っていた。コンビニの蛍光灯がうなる音だけが、薄暗い空間に響く。


 そんな中、自動ドアが開いた。見覚えのある顔が、ふらりと入ってくる。


「……藤原?」


 高校時代、唯一まともに会話を交わせた同級生だった。あの時、誰からも避けられていたレインに、変な気を使わず接してくれたただ一人の人間だった。


「よう、レイン。……お前、変わんねぇな。まだこんなとこで働いてんのかよ」

「他にできることねぇからな」


 レインは、変わらぬ調子で答える。

 藤原も、懐かしそうに笑って缶コーヒーを持ってきた。


 レジを通すその手元を見ながら、藤原がぽつりと口を開いた。


「なぁレイン、サヤ子の話、知ってるか?」

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