第二章 ファミリア(3/5)
観光都市フォレース。今でこそ国を代表する大都市の一つとして数えられるその街も、五十年前は名も知られない小さな村でしかなかった。その無名の村を一躍有名にしたのは、村から旅立った二人の英雄だった。
五十年前の当時、世界は『悪魔』という災害に晒されていた。人間を遥かに上回る強大な魔力を有していた悪魔は、ファミリアと呼ばれる怪物を使役して世界に牙を剥いた。世界を蹂躙する悪魔に人類も抵抗を試みる。だが当時の技術力では悪魔に太刀打ちできず、国軍でさえ悪魔を滅ぼすことは叶わなかった。
人類は滅びの危機に直面していた。その人類を救済したのが二人の英雄である。二人の英雄は強大な魔力を有する悪魔を次々と討伐、ついには世界に現れた全ての悪魔を駆逐して、人類を悪魔の脅威から救い出したのだ。
悪魔を討伐した二人の英雄。剣術に優れたセシル・コーエン。支援魔法を得意とするフローラ・フィールド。彼らの名前は国内外問わず世界に広く知れ渡り、悪魔戦争から五十年が経過した今なお称えられている。
そのような経緯もあり、フォレースは英雄を志す冒険者――ブレイブにおける聖地とされている。街の中心には英雄の生い立ちなどを展示した歴史博物館も存在しており、年間を通して客足が途切れることのない、街の観光名所の一つとなっていた。
ブレイブの聖地となるその街では、プロダクション会社が集中していることもあり、ブレイブ関連の催しが頻繁に開催されている。ブレイブによる講演会や舞台、並びにサイン会や握手会、コンサートなど歌手活動に精を出すブレイブもおり、街を賑わせていた。
その催しの一つに、次世代ブレイブの発掘を目的とした大会、『NB‐1グランプリ』が存在している。PT結成から一年未満の新人ブレイブのみ参加可能なトーナメント形式の武術大会で、所属先の垣根を超えてその年一番のブレイブを決定しようというものだ。
会場は西区にあるEEマルチホール。収容人数が千人ほどの中規模会場で、会場の中心に舞台を設置して大会が執り行われる。試合形式はPT全員参加の総力戦。PT全員が戦闘不能、もしくは敗北宣言により勝敗が決する。武器使用可。ただし運営側が事前に安全性を確認したものに限られる。
PT結成一年未満ということもあり大会に参加するブレイブは無名ばかりだ。ゆえに有名ブレイブが多数参加する大会ほどの認知度はない。だが地方局でテレビ中継されることや業界から注目されていることもあり、参加するブレイブの意気込みは高い。無名な新人ブレイブにとって、この大会は自身の名前を売り込むチャンスなのだ。
そして今年もまたNB‐1グランプリが無事開催された。業界関係者の事前インタビューによると今年は例年に比べて期待薄とされていた。大手プロダクションの新人も含めて特筆した実績のあるPTが見当たらないためだ。だがそんな前評判に反して――
今年の大会は例年以上の盛り上がりを見せることとなる。
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『うぉおおおおおおおっと! 試合開始の合図と同時、早くも一人脱落だぁああ!』
実況者の声が会場に響くと同時、観客たちからわっと歓声が上がった。会場の中心。眩いライトに照らされた舞台。その舞台上に木剣を握りしめた女性が立っている。ポニーテールにした赤髪をふわりと揺らして――
グレタ・ウィズダムは横に構えていた木剣をゆっくりと脇に下ろした。
明るいライトに赤い瞳を細めながら足元に視線を落とす。グレタの足元でうつ伏せに倒れた男がピクピクと痙攣していた。首筋を木剣に打たれ気を失ったのだろう。ザワザワと熱気を帯びた観客らの歓声に混じり、実況者の高らかな解説がグレタに届く。
『開始早々に倒されてしまったのはドトール&ガッパーヤ社所属のブレイブ、ストロングヒーローのボブ・サンプ選手だ! 鍛え上げられた肉体でこれまで相手選手を軽々となぎ倒してきた彼が、準決勝であっさりと敗北するなど一体誰に予想できたでしょうか!?』
実況者による見当違いの解説にグレタは嘆息する。彼は間違いなく強敵だ。それはこれまでの試合を観察して確信していた。ゆえに奇襲じみた特攻で彼をまず全力で叩きのめしたのだ。もしこの奇襲に失敗すれば、敗北することはなくとも苦戦を強いられただろう。
(――とりあえず一人か)
グレタはここで素早く後方に跳ねた。
目の前に雷が走りバシンと床を叩く。紙一重で雷を回避したグレタは尖らせた赤い瞳を横に向けた。グレタの視線に睨まれて杖を掲げた男がぎょっと表情を強張らせる。
(魔動機器の武器か)
雷を発生させる魔法。その術式を内部に組み込んだ魔動機器。殺傷力のある武器は禁止されているため、恐らく直撃しても感電死することのない弱い雷なのだろう。だが体が痺れて戦闘不能となる可能性は十分にある。
グレタは身を屈めると杖を掲げている男に向けて駆け出した。男が慌てた様子で杖を遮二無二に振る。杖の先端に取り付けられていた宝石から雷が走る。だがグレタは迫りくるその雷を常人離れした動きで回避した。戸惑う男に瞬時に駆け寄り――
男の鳩尾に木剣の柄を突き刺す。
「――ぐふ」
男がグルンと白目をむいて昏倒する。大して力も入れてないが何ともあっけない。パタンと仰向けに倒れた男に、グレタはやや拍子抜けして溜息を吐いた。
『うおおお! 今度はストロングヒーローのアッケー・ボーノ選手が倒されてしまった! 魔動機器から繰り出された魔法を軽々と回避するその身のこなし! その動きはまさに赤い旋風! 燃えるような赤い瞳を湛えたこの女性について今一度ご説明しましょう!』
コホンと咳払いして、実況者がグレタのパーソナル情報を説明する。
『彼女の名前はグレタ・ウィズダム! ブルフォード社に所属するブレイブで、活動期間が短くまだPT名はないそうです! 彼女の所属会社を知らない方も多いでしょう! それも当然! 一ヶ月前に設立されたばかりの出来立てホヤホヤの会社であります!』
実況者がバンバンと机を叩きながら言葉をさらにまくし立てていく。
『所属会社さえもルーキーである彼女ですがその実力は御覧の通りです! あれよあれよと準決勝進出を決めたその意外性は本大会におけるダークホース! さらに驚くべき事実があります! 準決勝までの三戦! その試合全てを彼女一人で戦っているのです! 史上類を見ない躍進劇と言えるでしょう!』
「がんばってねえ、グレタァ」
興奮気味の実況者の声に混じって、何とも気の抜けた声援が聞こえてきた。引き締めていた表情をむっと渋くして、グレタは聞こえてきた声に振り返る。四角形の広い舞台。その隅にハラハラと手を振っている金髪の女性――ベッキー・キャンベルが立っていた。
「あと一人で決勝進出だよ。ちゃっちゃと決めちゃいなよお」
「……疲れたから早くして」
ベッキーの声援に続いて、彼女のすぐ隣に立っていた黒髪の少女――ドナ・エドモンズが声援だか不満だかをぼそりと口にする。準決勝に限らず、これまでも一切戦闘に参加してこなかったPTメンバーの、その身勝手な声援にグレタは頬が引きつるのを感じた。
(……いかん。今は試合に集中するんだ)
グレタは苛立ちを静めると、最後の一人となった敵を見やった。木剣を構えてグレタを睨みつけている中肉中背の男。グレタは意識を集中させて男に木剣を構えた。
(私と同じ剣士か……しかし)
剣士たる男の実力。それは未知数だ。これまでの試合。この男が戦闘に参加することはなかった。彼は常に仲間二人の背後に控えて、目の前の戦いを冷静に観察していたのだ。
(不用意には飛び込めないな)
仲間二人が倒されたというのに動揺もなく剣を構えている男。隙のないその構えにグレタはごくりと唾を飲む。どうやら長期戦になりそうだ。彼女は静かに覚悟を固めた。
騒がしかった会場が水を打ったように静寂する。グレタと男から発せられる緊張を感じ取ったのだろう。両者ともに剣を構えたまま時間だけが過ぎていく。攻めあぐねて苛立ちを募らせるグレタ。だがその彼女とは対照的に、敵は冷静さを決して崩さない。
(……奴の方が一枚上手か)
苦々しくもそれを認める。それからまた三分が経過した。未だに身動きの取れないグレタ。時間とともに消耗する体力。このまま膠着が続けば体力に劣るだろう女性が不利になる。グレタは胸中で舌を鳴らすと、一か八か攻め込もうかと足を踏み出そうとした。
するとここで一人のスタッフが舞台上にひょいと上がり、剣を構えている男へとスタスタと近づいていった。踏み出しかけた足を止めて、グレタはスタッフの行動をぽかんと見つめる。男の横に立ち止まったスタッフが、男の顔の前でハラハラと手を振る。剣を構えたまま反応を示さない男。スタッフがふむと頷いてマイクを口元に当てた。
『ストロングヒーローのポニー・オルゴン選手の失神により、決勝進出は――』
スタッフが力強くグレタを指し示す。
『ブルフォード社所属の無名PTに決定いたしました!』
スタッフのその言葉を聞いて――
グレタは豪快にずっこけた。
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「いっえええええい! 決勝進出! おっめでっとさああああああああああん!」
控室ではしゃぐベッキーを、グレタはひどく冷めた心地で見つめる。どこから持ってきたのかクラッカーを鳴らして、ベッキーが「だけどさ」と陽気に肩をすくめた。
「思ったよりも楽勝だったよねえ。どいつもこいつも見た目だけで弱っちいし」
「……よくそんなことが言えるな」
調子の良いことばかり言うベッキーに、グレタはむすっと唇を尖らせる。
「私にばかり戦わせて、ベッキーとドナは何もしてないじゃないか」
「まあまあ細かいことは気にしないの。ほらアタシってばそういう野蛮なことガラじゃないじゃん? 汗なんか掻いたらお化粧もくずれちゃうしね」
「武術大会に化粧なんかしてくるな」
「おっと、それは乙女とは思えないNG発言だよ。女は常に可愛くなきゃね。グレタだって素材は良いんだから、もっとお洒落に敏感にならないと男に嫌われちゃうよ」
ベッキーの言葉にグレタは「うっ」と声を詰まらせた。このグレタの反応を目ざとく見つけて、ベッキーが「およよ?」とニンマリと憎たらしい笑みを浮かべる。
「てっきり『知らんげす』とかそんな反応するかと思いきや、なになにその意味深な反応は? もしかしてグレタ、剣術一筋に思わせて男いるな? 或いは片思いとか――」
「だ、黙れ! 君には関係ないだろ! そもそも『知らんげす』なんて私は言わない!」
顔を赤くして怒鳴るグレタに、ベッキーが「きひひ」と小気味よく肩を揺らす。
「図星感丸出しだねえ。ま、いいけどさ。とにかく決勝もヨロピコねえ。優勝したら勝利者インタビューとかされちゃうのかな? となれば今のうちに準備しかなきゃねえ」
一人ベラベラとそう話してベッキーが懐から何かを取り出す。その何かとはスプレーヘッドが取り付けられた小瓶だった。小瓶の中にある液体を霧状にして自身に吹きかけるベッキー。怪訝に眉をひそめるグレタに、ベッキーがふと気付いたように小瓶をかざす。
「ああコレ? これ香水だよ。インタビューあるなら身だしなみを整えなきゃね」
「……まだ優勝するとも決まってないし、決勝戦の前にするようなことか?」
「だって決勝が終わってすぐにインタビューされるかもじゃん。ただでさえ汗臭い人がそばにいるんだよ。その所為で、アタシまで臭いなんて思われちゃ堪んないからね」
その汗臭い人とは私のことか。口をつきかけたその言葉を、グレタはぐっと呑み込んだ。そんな皮肉を口にしたところで、ベッキーは悪びれることもなく頷くだけだろう。
「……くさい」
ポツリとした呟きに、グレタはびくりと肩を揺らした。その声の主は控室の隅で携帯ゲームに勤しんでいたドナだ。てっきり自分のことを言われたのかと慌てるも、ドナのその眠たげな視線はベッキーに向けられていた。どうやらベッキーの香水がお気に召さなかったらしい。ドナの率直な感想に、ベッキーが「ええ?」と自身の腕をクンクンと嗅ぐ。
「柑橘系のいい香りじゃん。お子様には香水の良さが分からないのかなあ?」
「あたしの半径十メートル内に入らないで」
「いや控室から出ないといけないし。まあそれよりネイルもメンテしなきゃ――」
「いい加減にくだらんお喋りは止めんか」
ベッキーのお気楽な声を遮り、やや苛立ちを含んだ声が鳴らされた。グレタは居住まいを改めて聞こえてきた声に振り返る。控室の出入口。その扉の前にブルフォード社の社長、リオン・ブルフォードとその秘書、アイリーン・ブルフォードの二人が立っていた。
子供らしい童顔に老齢な気配を浮かべて、リオンが「ふん」と鼻を鳴らす。
「この程度の低次元な大会の決勝に残ったからと浮かれおって。情けない小娘どもだ」
「なんだよガキンチョ。朝は何が何でも優勝しろって一番息巻いてたくせにさ」
ベッキーのこの指摘に、リオンが大きく嘆息してから頭を振った。
「わしが当初想像していたよりも相手が小物ばかりなのでな。あのような連中を叩きのめしたからと真の冒険者に相応しい評価を得られるものか疑わしいのう」
「それは致し方のないことでしょう」
アイリーンが不満顔のリオンにやんわりと説明する。
「エンターテイメント化したブレイブに本格的な戦闘技術は必要ありません。現代のブレイブに求められる戦闘技術。それは顧客を満足させる見栄えのよいもの――映える戦闘をするための技術です。それが実戦に通用するか否かは二の次なのでしょう」
「どうりで小手先ばかりの連中が多いわけだ。つくづく冒険者も落ちぶれたな」
「もちろんこのような大会が開催されていることから分かるように、ブレイブに実践的な力を求める声も少なくありません。しかしその求められるレベルは五十年前とは異なるのでしょう。その意味では、グレタさんの剣術は頭が一つ飛びぬけているようですね」
「――あ、ありがとうございます!」
アイリーンの評価にグレタは表情を輝かせた。愚痴ばかりのリオンもアイリーンのその評価には異論ないようで、顔を渋くさせながらも「そうだな」と頷く。
「実際悪くない動きだ。それだけに貴様の初陣には凶悪至極生物が望ましかったが」
「え、遠慮しておきます。そもそも凶悪至極生物って結局のところ何なんですか?」
「わしも知らん。まあ不満を口にしたところで仕様もない。いいか貴様ら!」
リオンがかっと灰色の瞳を見開く。
「こうなれば優勝は当然として、少しでも試合を派手にして只者じゃない感を演出しろ! ここで知名度を上げておけば、いずれ真の冒険者としての依頼も来るだろうからな!」
「ついさっき見栄えだけの戦いを否定してたくせに、調子いいなガキンチョは」
ベッキーが意外にも鋭い指摘をして、ふと妙案を思いついたように手を鳴らす。
「だったらさ、アタシたちにも魔動機器の武器とかちょうだいよ。魔法をドカンって派手にぶっ放せば盛り上がるし、アタシだってカッケーところ見せられるじゃん」
「残念ながらそれは難しいですね」
アイリーンが小さく頭を振る。
「武器として用いられる魔動機器は、その危険性から一般的に非売品です。他社所属のブレイブが大会やCMなどで使用している魔動機器は、自社PRのために魔動機器メーカーから提供されたものであり、メーカーとの契約がないわが社では入手も困難です」
「えええ……そうなの? なんだよ使えない会社だなあ」
「国の認定を受けていないノーブランド品には、そのような危険な魔動機器も売買されているようですが、その手の魔動機器は安全性が不確かであり何より違法品です。ベッキーさんが牢に入る覚悟があるというなら、調達もやぶさかではありませんが?」
「えっと……けっこうでえす」
「そもそも魔動機器など必要なかろう」
頬を引きつらせるベッキーに、リオンが挑発的な笑みを浮かべて言う。
「魔動機器とは内部に術式を組み込み、魔力をエネルギー源として魔法を発現するものだ。自らの魔力で術式を構築してしまえば、魔動機器に頼らんでも魔法は扱える」
まだ文明が成熟していない時代、人間は自ら術式を構築して魔法を発現していた。その人間が構築していた術式を予め内部に組み込み、術者の力量を問わず魔法を扱えるようにしたものが魔動機器である。近年では人間が術式を構築する魔法を手動性魔法、魔動機器を用いた魔法を自動性魔法と呼んでいるが、その根本的な原理は同じなのだ。
リオンが言うように、術式を自ら構築してしまえば魔動機器を利用する必要などない。その点に誤りはない。だがそれを実現するにはあまりに大きな問題が存在していた。
「……馬鹿げてる」
携帯ゲームから視線を上げて、ドナがリオンの言葉を真っ向から否定する。
「人間が術式を構築するなんてできるわけない。検討すること自体が無駄なこと」
「何故そう言い切れる、ドナ?」
特に不快感を示すわけでもなく、ただの純粋な疑問としてリオンがドナに尋ねる。
「貴様が今夢中になっているそのゲーム機も、ベッキーがよく弄っているスマホとやらも、魔動機器である以上、内部には術式が組み込まれている。そしてその術式を構築したのは紛れもない人間だ。ならば自ら術式を構築するのも難しい話ではなかろう」
「魔動機器に組み込まれている術式は、大勢の人が何ヶ月もかけて作ったもの。それを機材もなく一人で作るなんて無理。仮にできてもそれは品質保証のないゴミ。そもそも最先端技術の魔動機器があるのに、古臭い手動性魔法を使おうなんて発想がウザい」
「……いつになく饒舌だな。魔法や術式といった話題に興味があるのか?」
リオンの挑発的な口振りに、ドナが表情を僅かにしかめる。携帯ゲームに視線を戻してプレイを再開するドナ。拗ねたような少女の態度に、リオンが肩をすくめつつ言う。
「そろそろ時間だ。貴様ら、わが社の名を貶めるような戦いだけはするではないぞ」