第二章 ファミリア(2/5)
「いったああああい! ちょ――暴力とか信じられないんですけど!」
更衣室兼控室。営業を終えたゴッド・エンジェルことグレタにベッキー、ドナの三人は控室で水着を着替えていた。そして普段着に着替え終えたグレタは、鼻歌まじりにスマホを弄っていたベッキーに拳骨を喰らわせてやったのだ。
非難がましく睨んでくるベッキーに、グレタは顔を真っ赤にして声を荒げる。
「信じられないのはこちらだ! 何度も止めろと言っているのに追いかけてきて! スタッフが止めに入らなかったら危うく事故になるところだったぞ!」
「別にポロリなんて事故でも何でもないし。ちょっとしたお色気を入れて現場を盛り上げようとしただけなのに、そんなに怒る必要なんてなくない?」
悪びれるどころか被害者面でベッキーが言い訳を口にする。拗ねたようにそっぽを向くベッキーに苛立ちを募らせるグレタ。控室が険悪な雰囲気に包まれる中、着替えを終えたドナがお菓子を摘まみながらポツリと言う。
「仕事も終わったし、あたしはもう帰るから」
いつもの眠たげな眼差しでそう呟いたドナに、グレタは慌てて声を掛ける。
「ちょっと待つんだ、ドナ! 仕事終わりにはいつもアイリーンさんと一緒に、反省会を兼ねた話し合いをする約束だろ! 勝手に帰ってもらっては困る!」
「いつも大した話なんかないし……二人が聞いた話を後日報告してくれればいいから」
「あ、それ賛成! アタシもこれから友達と約束あるし、後はグレタよろしくね」
そう一方的に告げて、ベッキーとドナが控室の出口へと歩いていく。「お、おい」と狼狽するグレタを無視して、ベッキーがスマホ片手に控室の扉を開いた。すると――
「どちらに行かれるのですか?」
開かれた扉の先に綺麗の女性が立っていた。
「あ……アイリーンさん?」
ベッキーが僅かに頬を引きつらせる。黒髪を後頭部でまとめたスーツ姿の女性――アイリーン・ブルフォードが控室に入り、帰り支度をしたベッキーに首を傾げる。
「仕事の後は、これからのことも含めて話をする予定のはずですが、何か急用でも?」
「ああいや……えっと、話し合いの前にちょっとトイレに行っとこうかなってね」
ベッキーの回答に、アイリーンが「そうですか」と無表情のままさらりと言う。
「安心しました。私はてっきり友人との約束を優先して帰ろうとしているものとばかり」
ベッキーが「うげ」と表情を歪める。控室での会話を聞かれていたらしい。沈黙したまま他所を向いているドナ。その少女を一瞥してからアイリーンが事務的な口調で言う。
「仕事を振り返ることも大切です。面倒でしょうが少しだけお付き合い頂けませんか?」
「ちぇ……分かったよ」
「……ふう」
不満げに頬を膨らませるベッキーと、諦めたように溜息を吐くドナ。両者ともに目上に対する態度ではないが、それを特に気にする様子もなくアイリーンが話を始める。
「皆さんお疲れさまでした。フォーエバースイミング様の三日間にわたる営業ですが本日で終了となります。数日間は仕事もありませんので、体を休めるなり研鑽に励むなり各々自由にお過ごしください。では今日の仕事内容について何か意見はございますか?」
グレタはサッと手を上げる。アイリーンの視線がこちらに向けられたことを確認してグレタは「今日に限りませんが」と口を開いた。
「この三日間の営業において、ベッキーとドナの二人はサボってばかりで仕事をしていません。それだけでも由々しき問題ですが、ベッキーに関しては仕事の邪魔までしています。この点について私は早急な解決を望みます」
「うわあ……チクリとか最低なんですけど」
チクリもなにも三人の仕事ぶりはアイリーンも見ているため把握していることだ。恨みがましいベッキーの視線を無視して、アイリーンを見つめるグレタ。アイリーンが「なるほど」とひとつ頷いて、何かを考え込むようにしばしの沈黙を挟んだ。
「……お話しは分かりました。時にグレタさん、今回の営業目的を説明できますか?」
「え? 営業目的ですか……それはもちろん説明できます。ブレイブによる悪魔退治を題材にした劇を見せることで、フォーエバースイミング様の集客に貢献することです」
理解していて当然の質問にグレタはやや戸惑いながらそう答えた。グレタの回答にアイリーンが「その通りです」とこくりと頷く。
「近年におけるブレイブの活動はエンターテイメントに傾倒したものとなっています。ブレイブをCMに起用することも、営業に呼ぶことも、顧客様がブレイブのパフォーマンスに期待して下さっているからです」
至極当然の話に、グレタはやや首を傾げながらも頷く。ベッキーとドナの様子をちらりと一瞥した後、アイリーンが再びグレタに視線を戻して「しかし」と話を続けた。
「当然ながら、顧客様はブレイブのパフォーマンスを見たいのではありません。そこにある付加価値を求めているのです。ブレイブをCMに起用するのは企業を売り込むためであり、営業に呼ぶのはグレタさんが説明されたように集客効果を得るためです」
「それは……はい。もちろん理解しています」
「ここで間違えてはならないのは、ブレイブの役目は優れたパフォーマンスを見せることではなく、拙くともその付加価値を満たすことだということです。それを実現できるのなら、事前に用意されていた台本通りに演じなくとも何ら問題ありません」
思いがけない方向に話が進んで、グレタはぎょっと目を見開いた。アイリーンが懐からスマホを取り出して、そのモニターにポチポチと指を触れさせる。
「三日間における集客率ですが、僅かながら増加したようです。お世辞にもクオリティの高い劇とは言い難いものでしたが、先の読めない展開を気に入ってくださった方がいたのでしょう。先方も甚く満足しており、また折を見て呼んでいただけるそうです」
「ほうら、やっぱりそうなんじゃん!」
アイリーンの報告を受けて、大人しくしていたベッキーが途端元気になる。アイリーンからの説教を期待していただけに悔しさを滲ませるグレタ。思惑を外して沈黙するその彼女に、ベッキーが得意げにケラケラと笑う。
「グレタはエンターテイメントってやつを何も分かってないんだよねえ! 台本通りにやったってダルいしダサいっての! 客が見たいのはハプニング性だし!」
「……た、たまたま上手くいっただけだ。こんなやり方、いつまでも続くわけがない」
「はい負け惜しみ乙~! 悔しかったらグレタも褒められるようなことしたらあ!?」
何とも憎たらしいベッキーに、グレタは静かに怒りを燃やした。控室に棒状の何かがあればそれを剣がわりに切り掛かっていたに違いない。すっかり上機嫌になり「きひひ」と肩を揺らすベッキー。彼女のその態度にグレタがさらに苛立ちを強くしていると――
「ただしそれは、一般的なブレイブをプロデュースする場合の話です」
まるで冷や水を浴びせるように、アイリーンが冷めた口調でそう言った。
アイリーンの一言に、グレタはぽかんと目を丸くした。ベッキーもまた虚を突かれたのか目をパタパタと瞬かせている。アイリーンの青い瞳がゆっくりと鋭く細められていく。
「弊社の目指しているブレイブは――弊社の社長が目指している冒険者はそのようなエンターテイメント性を重視したものではありません。昔ながらの実戦に即したものです」
「……実戦ってどういうこと?」
「詳しくは社長から直接お伺いください。ではリオン様。お入りください」
背後の扉にそう呼び掛けると同時、アイリーンが扉の脇にさっと退く。一呼吸の間を空けて、扉が静かに開かれていく。扉の先には灰色髪にスーツ姿の少年――
ブルフォード社の社長であるリオン・ブルフォードが立っていた。
リオンが控室に一歩足を踏み入れる。眉間にしわを刻んでいるリオン。明らかに不機嫌なその少年にグレタはごくりと唾を呑み込んだ。心なしか空気が凍えたように肌寒い。リオンがすうっと大きく息を吸い込んでいき――
「このたわけ者がぁあああああああああ!」
控室はおろか施設内全体に響き渡るような怒鳴り声を上げた。
「何だあのふざけた仕事は! 馬鹿者が二人でじゃれ合っているだけではないか! 貴様らはいつからお笑い芸人になった!? 冒険者としての自覚と誇りを持たんか!」
「え……えええ? ガキンチョはなんで怒ってんの? 営業は成功したんだよ?」
所属会社の社長をガキンチョ呼ばわりするベッキー。だがその点については特に指摘せず、リオンが「やかましいわ!」と不満顔のベッキーを一喝する。
「貴様らはいずれ世界を旅する真の冒険者となるのだぞ! その冒険者たる貴様らが恥知らずな真似をしおって! わしはああいう若者の悪ノリが大嫌いなんだ!」
「若者の悪ノリって……ガキンチョが何を年寄りじみたこと言ってんだよ?」
「黙らんか! いいか金髪の小娘! 冒険者にハプニング性も、ましてやお色気など必要ない! 冒険者に必要なのは純然たる戦闘力! それをよく覚えておけ!」
ベッキーに大量の唾を飛ばした後、リオンがその鋭い眼差しをドナに向けた。
「貴様もだぞ、おかっぱの小娘! いつも我関せずといった無関心な態度を取りおって! PTとはチームワークだ! ゲームばかりしとらんでPTのために働かんか!」
「……うざ」
菓子を口に咥えたまま、ドナがぶっきらぼうに呟く。リオンの視線がここでグレタに向けられた。怒鳴られることを覚悟して緊張するグレタ。だが表情を強張らせる彼女を前にして、リオンから突如怒りの気配が消える。
「……グレタ……お前はまあ……あれだ……もう少し演技力を身に着けた方がいいな」
普通にダメ出しされて地味に傷付く。これなら怒鳴られたほうがましだ。一人傷心して肩を落とすグレタ。そんな彼女を無視して、アイリーンが落ち着いた口調で言う。
「リオン様。怒鳴り声が顧客様にまで聞こえてしまいます。少し自重なさってください」
「む……う、うむ。すまない、アイリーン」
アイリーンの指摘を受けて、リオンが素直に謝罪を口にする。社長とその秘書。二人は姉弟の関係らしい。姉のアイリーンが弟に敬称をつけ、弟のリオンが姉を呼び捨てというのは少々奇妙だが、このやり取りを見るに立場的には姉のほうが上であるようだ。
表情を渋くするリオンにベッキーが「そもそもさ」と髪をポリポリと掻きながら言う。
「世界を旅するとか考えかたが古すぎない? そりゃあ昔はブレイブも怪物を退治してたらしいけど、未だにそんなことやってる奴いる? ねえ、アイリーンさん」
「確かに現代において、ブレイブに怪物退治の依頼がなされることは稀でしょう。危険生物が禁止区域に隔離されたこともあり、都会に怪物が出現すること自体ありません」
アイリーンの丁寧な返答に、ベッキーが「ほらあ」と我が意を得たりと笑う。
「ブレイブが旅をしたり怪物退治するなんて時代遅れってやつだよ。アタシだってホープソードのアラン様のことが大好きだけど、アラン様がCMとかで倒している怪物がパチモンだってことは知ってるし。それを理解して楽しむのがエンターテイメントじゃん」
「だからこそ、貴様らにはホープソードとかいう紛い物の冒険者ではなく、真の冒険者を目指せと話しているのだ。ついでにあの青二才ごときに敬称も必要ない」
「……会社が何に拘るのかは勝手だけど」
沈黙していたドナがここでポツリと呟く。
「仕事を取ってきてるのは会社。下らない営業ばかり持ってくるくせに、それで真の冒険者を目指せとか言われても……こっちは迷惑」
「……それはわしとて不本意だ」
リオンが唸りながら両腕を組む。
「可能ならば、貴様らの初陣は累計五百人を食い殺した凶悪至極生物あたりで飾りたかった。だがアイリーンが言うように、そのような怪物が都会に現れることなどないのだ」
「現れても戦わないよ」
ベッキーが半眼で呟く。彼女の冷めた視線を無視して、リオンが残念そうに頭を振る。
「五十年前に悪魔は滅び去り、その使い魔たるファミリアも禁止区域に隔離されている現状、都会で遭遇できる危険生物など知れたもの。禁止区域の不法侵入も検討したが――」
「……検討するな」
今度はドナが呟く。だがやはりその呟きも無視して、リオンが落胆の溜息を吐く。
「怪物を倒したところで観客不在では名声も得られまい。ゆえに致し方なく、真の冒険者に相応しい仕事が舞い込むまで、適当な仕事でまず知名度を上げておこうというわけだ」
「真の冒険者に相応しい仕事ねえ……そんなの一生こないんじゃなーい?」
ベッキーがケラケラと笑う。社長に対する彼女の態度は頂けないが、その意見にはグレタも異論ない。凶悪至極生物は別として、グレタも可能なら得意の剣術を生かした仕事をしたい。だがこの平和なご時世に怪物退治の依頼など滅多にないだろう。
だがここでリオンが不敵な笑みを浮かべる。
「甘い……甘すぎるわ小娘どもが。わしの計画は常に着々と進んでおる」
「計画……ですか?」
首を傾げるグレタに、リオンが握りしめた拳を突き上げて声を張り上げた。
「貴様らには一週間後、とある大会に参加してもらうぞ! すでにその手続きは済ませておる! この大会に優勝すれば、真の冒険者への大いなる一歩となるはずだ!」
「うええ、めちゃ急な話じゃん。てか、なんなのその大会って?」
露骨に嫌な顔をするベッキー。アイリーンが手元のスマホに視線を落として口を開く。
「大会の名称は『NB‐1グランプリ』。年に一度だけ開催される――」
アイリーンの青い瞳がキラリと輝いた。
「新人ブレイブの武術大会です」