第一章 ブレイブ(3/4)
建物脇にある非常口からカードキーを使用して建物に入る。近代技術に疎いリオンはカードキーなる奇妙なモノに首を傾げつつ非常口を抜けてフロントロビーに立った。
「ここが受付か。ふむ……想像より中々立派ではないか」
一階をまるまる使用した広大なロビー。備え付けの受付台を除いて家具の類は一切なく伽藍洞としている。だがソファや観葉植物などで飾ればそれなりの見栄えとなるだろう。
「今はまだ社員が私とリオン様の二人なので、私がリオン様の秘書兼受付を担当します」
アイリーンが正面入口のシャッターを開けながら説明する。壁の端末を操作して出入口の自動ドアを起動、一度開閉を確認してからアイリーンがリオンに振り返る。
「面接会場は三階の社長室となります。分岐点に看板を立てておいたので面接を受けに来た方も迷うことはないはずです。少し早いですが我々は社長室で待機していましょう」
アイリーンに案内されてエレベータに乗り込む。魔法で容姿を若くしているリオンだがその中身は老体のままだ。たかが三階であろうと堪えるものがある。小さな駆動音を鳴らしながら上昇していくエレベータの中で、リオンはふとアイリーンに尋ねる。
「ところで細かなところは任せきりにしてしまったが、どのように募集を掛けたのだ? 広告費用も馬鹿にならんだろう?」
「広告費用は大したことありません。ネットの掲示板に募集案内を載せただけなので」
「……ネットだと?」
眉間にしわを寄せるリオンに、アイリーンが間を空けず説明する。
「近年急速に発達した情報通信網です。魔動機器端末を用いて接続することで、不特定多数の人間がアップした情報を閲覧できます。最近ではゲームプレイや動画観賞にも利用されており、都会ではもはや欠かすことのできない必須ツールの一つです」
「……ふん。そういえばテレビでそのような技術のことを話していたか。だがわしはどうにもその類の機械を信用できん。昔はそのようなものがなくてもだな――」
「子供の姿で老害トークはお控えください」
アイリーンの忠告にリオンは慌てて口を閉ざした。
そんな話をしている間にエレベータが三階に到着する。エレベータから降りて面接会場となる社長室、つまりリオンの執務室へと向かう。ウォールナット材で造られた社長室の高級扉。その扉の前で立ち止まり、リオンは「ほう」と感嘆の息を吐く。
「ロビーもそうだが建物内はさほど悪くないな。廃墟のような外観からさほど期待していなかったが、これなら居心地も悪くなさそうだ」
「建物は納期を優先したものですが、内装はそれなりの品を揃えました。まだ家具のない部屋も多いですが、この社長室に関しては一通りの家具も運び終えています」
「さすがわし自慢の孫娘だ。頭をいい子いい子してあげるからこっちに来なさい」
「腕を捻じり切りますよ?」
雑巾を絞る仕草をしながらアイリーンが淡々と言う。孫娘の可愛らしい冗談に背筋を凍えさせながら、リオンは社長室の扉を押し開いた。
社長室に一歩入り部屋を見渡す。アイリーンが事前に話していたように、社長室は伽藍洞としたロビーとは異なり、必要となる家具が綺麗に配置されていた。
落ち着いた色合いの絨毯に、細かな模様が縁に彫られた膝丈のテーブル。テーブルを挟んで向かい合わせに配置されたソファに、部屋の隅にある観葉植物。窓の前には立派な木製デスクがあり、そこに置かれているだけで部屋の雰囲気を重厚なものに変えていた。
社長室の内装を一通り眺めてうんうんと一人頷くリオン。だが彼はすぐにその満足げな表情をポカンと呆けさせた。部屋にある家具の中でも一際目を引く木製デスク。そこにセットで置かれた革張りのチェアー。社長たる自身が座るだろうその椅子に――
一人の少女が腰掛けていたのだ。
「……何だ、あやつは?」
十代半ばと思しき幼い少女だ。おかっぱにした黒髪にどこか眠たげな黒い瞳。体格は小柄でワイシャツに黒の上着、黒のスカートを履いている。社長椅子に腰かけて手元に視線を下している少女。その彼女の手には――
正体不明の小型端末が握られていた。
「ゲームに特化した小型魔動機器――つまり携帯ゲーム機のようですね」
リオンの疑問に気付いたのだろう。アイリーンがさらりと説明してくる。携帯ゲーム機なる魔動機器を淡々と操作しながら、少女がデスクに置かれていた箱に手を伸ばす。箱から細長い棒状の何かを取り出して、その棒状の何かをパクリと口に咥えた。
「棒状にしたクッキーをチョコでコーティングしたお菓子――商品名はパッキーです」
またもアイリーンが説明する。菓子の説明についてはどうでも良かったのだが、何にせよリオンは眉をひそめつつ少女が腰掛けているデスクに近づいた。リオンを無視して携帯ゲーム機に集中している少女。デスクの前に立ち止まりリオンは少女に簡潔に問う。
「何をしている?」
「……ファミリア・ハンター」
少女がぽつりと答える。首を傾げるリオンに少女がゲーム機を見ながら言葉を続ける。
「実在するファミリアが登場する狩猟ゲーム。今はクエストの最中」
棒状の菓子を揺らしながら呟く少女。リオンは顔をしかめると口調を僅かに強くした。
「そんなこと問うていない。お主は何者で何の目的でここにいると訊いている」
「……それって面接の質問?」
携帯ゲーム機の操作を中断して、少女がようやくリオンに振り返った。少女の言葉に目を丸くするリオン。アイリーンがリオンの隣に並んで少女に尋ねる。
「貴女はブレイブの人材募集をご覧になり面接にこられたのですか?」
「こんな辛気臭いビルにわざわざ訪ねる理由が他にある?」
何とも口の悪い少女だ。だがアイリーンは特に気分を害した様子もなく質問を続ける。
「このビルは魔動機器で施錠されていたはずです。どうやって中に?」
「その魔動機器って、エドモンズ製のSKM‐5800でしょ?」
アイリーンが目を瞬かせる。少女が咥えていた菓子を口に入れつつ淡々と言う。
「あの型番、公開されていないけど重大なセキュリティホールがあるから。スマホでも簡単に開けられる。最新のファームウェアで改善されたからアップデートしたら」
「……何だ? スマホとは?」
「携帯通話端末。通称スマホです。携帯可能な小型魔動機器で、もともと通話目的で開発されたものですが、現在ではカメラや動画など様々な機能が盛り込まれています」
リオンの質問にそう簡潔に応えて、アイリーンがまた少女に尋ねる。
「……魔動機器をハッキングしたのですか。魔動機器の術式にお詳しいんですね」
「別に普通だし。それでこれって面接なの?」
話にまるでついて行けないリオンの代わりに、アイリーンが少女の問いに答える。
「面接は十五分後です。他にも参加者がいればその方たちと一緒に行います」
「それじゃあ話し掛けないでくれる? クエストで手が離せないから」
少女がまた箱からパッキーなる菓子を取り出し、それを口に咥えつつ携帯ゲーム機に視線を戻す。ゲーム機の操作を再開させる少女にリオンは仏頂面でぼそりと言う。
「……そこはわしの椅子なんだが」
ゲーム機を凝視したまま沈黙する少女。面接でないのなら何も話す必要はないと判断したのか。少女の態度にリオンのこめかみがひくついた、その時――
「失礼します!」
廊下から声が聞こえてきた。
その大きな声に扉に振り返るリオン。アイリーンが足音を立てずに扉に近づき、一呼吸の間を空けてから扉を開く。開かれた扉の前には――
若い女性が一人立っていた。
「失礼します! ブレイブの人材募集の記事を拝見してお伺いしたのですが、ブレイブプロダクションのブルフォード社はこちらでよろしかったでしょうか!?」
十代後半と思しき女性だ。ポニーテールにした赤い髪に、キリリと引き締められた赤い瞳。紺色の上着にスカートと、いわゆるリクルートスーツを着用しており、背筋をピンと伸ばして正面だけを真っ直ぐ見据えていた。
直立不動の姿勢でいる赤髪の女に、アイリーンが頷きながら答える。
「ここがブルフォード社で間違いありません。面接を受けにこられたのですね?」
「はい! ぜひとも御社で働かせて頂きたいと、この度はせ参じた次第でございます!」
緊張なのか天然なのか、古めかしい言葉遣いでハキハキと答える赤髪の女。アイリーンがすっと扉の脇に退いて、デスクの前に立っているリオンを手で示す。
「面接は弊社の社長と私が担当させて頂きます。そしてあちらの方が弊社の社長です」
「これは――挨拶が遅れてしまい申し訳ありません!」
赤髪の女がデスクへと速足で歩いていく。デスクの前で腕を組みながら、女が近づいてくるのを待つリオン。赤髪の女がデスクの前で立ち止まり――
社長椅子に腰かけているおかっぱの少女に深々と頭を下げた。
「本日はよろしくお願いします! 御社で働かせていただく際は粉骨砕身の精神で――」
「わしが社長だ」
「仕事に臨ませて――うわぁああお!?」
リアクション芸人さながらに、赤髪の女が驚きの声を上げる。赤髪の女を半眼で睨み据えるリオン。赤髪の女が「こ、これは失礼を」と仏頂面のリオンに向き直った。
「改めて本日はよろしくお願いします! どのような仕事であろうと尽力する――」
「自己PRなら面接の時にしろ。今聞いたところで二度手間だ」
リオンは嘆息しながらそう言った。社長の気分を害してしまったと感じたのか、赤髪の女が勢いを落として「も、申し訳ありません」と謝罪を口にする。自身の失態に肩をすぼめる女にリオンはハラハラと手を払う。
「面接を始めるまで少し時間がある。適当な場所でくつろいでおれ」
「お、恐れ入ります」
赤髪の女がぺこりと会釈してキョロキョロと視線を巡らせた。待機する場所を探しているのだろう。一通り部屋の中を見回した後、赤髪の女が何を思ったのか――
デスクの上にちょこんと腰掛ける。
「貴様なにをしておるか!?」
「うわぁあああ! す、すみません!」
怒鳴りつけるリオンに、赤髪の女が慌ててデスクから降りた。
「そ、その……面接官よりも先に椅子に座るのは無礼だと参考書にありましたので」
「机に座るのはもっと駄目だろ! つまらんこと気にせずソファにでも座っとれ!」
赤髪の女が「重ね重ねすみません!」とペコペコと頭を下げて、狼狽しながらソファへと駆けていく。よほど焦っているのかダイブするようにソファに腰を下ろす赤髪の女。それはそれで無礼なわけだが、リオンは再度怒る気力もなく灰色の髪をボリボリと掻いた。
「まったく……アイリーンよ。面接の予定時間まであとどれくらいだ?」
「十分です。そろそろお茶菓子を用意しておきましょう」
アイリーンが準備のために部屋を出る。リオンは嘆息すると、部屋で待機している二人の面接希望者、おかっぱの少女と赤髪の女を順番に見やった。面接予定まで十分。このまま希望者が現れなければ、この二人から採用者を選ぶことになるわけだが――
(余りぞっとせんな)
リオンは祈るような心地でまともな面接希望者が現れるのを待った。
だが面接希望者が現れることなく無情にも時間が経過していく。テーブルに置かれた茶菓子。それに手を付けることなく、ソファに腰掛けて硬直している赤髪の女。そして社長椅子を陣取ったまま携帯ゲームに興じているおかっぱの少女。しばらくして、赤髪の女とは対面のソファに腰掛けていたリオンに、アイリーンがそっと耳打ちをする。
「リオン様。面接のお時間になりました」
「……そうか」
リオンは不承不承に応えた。どうやら本当にこの二人から冒険者となる人材を決めなければならないらしい。リオンは一つ嘆息すると、社長椅子から未だ退こうとしない少女――いつの間にか別の菓子を食っていた――に声を掛けようとした。するとその時――
「――イェエエエエエエエイ! ギリギリセェエエエエエエエフ!」
突然乱暴に扉が開かれて部屋に何者かが転がり込んできた。
リオンはぎょっとして反射的に開かれた扉に振り返る。ノックもせずに部屋に飛び込んできたのは、赤と青のメッシュを入れた金髪の女だった。
「あぶないあぶない! もうちっとで遅刻すんとこだったよ! 面接って第一印象が大事だってのにさ、ド頭からポカすんとこだった! きひひひひひ」
面接云々と話していることから、この金髪の若い女もまた面接希望者なのだろう。だがインナーが透けたヨレヨレの白シャツや太腿が剥き出しのホットパンツ、チークやマスカラなどの派手な化粧と、どうにも場違い感が否めない。ブラウンの瞳を可笑しそうに細めている金髪の女にアイリーンが近づく。
「面接希望者ですね。予定時刻を少し過ぎてしまいましたが、道に迷われましたか?」
「あれれ、遅刻だった? まあ五分とか十分なんて遅刻のうちに入んないっしょ。それよりも面接すんなら早くしようよ。アタシってばほら、時間無駄にすんの嫌いじゃん?」
遅刻を悪びれる様子もなく金髪の女がソファへと近づいていく。襟から下着の紐が覗いているだらしない恰好だが、そのままの姿で面接に臨むつもりらしい。するとここでソファに腰掛けようとした金髪の女がリオンに気付いて「あれ?」と首を傾げた。
「そこのガキンチョ。どっかで見たことあるけど……何だっけ?」
怪訝にそう言った金髪の女に、リオンは「……何だと?」と表情を渋くした。
「わしは貴様のような騒がしい奴など知らん。何かの勘違いだろう」
「いやいや勘違いじゃないって。えっと……あああああ! そうだ! さっき道端でアタシにぶつかってきたガキンチョだ!」
金髪の女のその言葉に、リオンもまたはっと気付く。この金髪の女は大通りで背後からぶつかってきた挙句、転倒したこちらにろくな謝罪もなく立ち去った若者だ。パチパチと陽気に手を鳴らす金髪の女に、リオンは「貴様――」と憤怒に声を震わせた。
「あの時の無礼者か! というか、ぶつかってきたのは貴様の方だろうが!」
「そうだっけ? ま、いいじゃん細かいことはさ。それよりも何でガキンチョがここにいるわけ? まさか面接受けに来たわけじゃないよね? もしかして迷子とか?」
金髪の女の明らかに馬鹿にしたその口調に、憤懣やるかたなくギリギリと歯ぎしりするリオン。怒りのあまり声も出ないその彼に代わり、アイリーンがさらりと説明する。
「迷子ではありません。そのお方が本日の面接を担当する弊社の社長です」
「ええええ!? アンタが社長なの!?」
金髪の女がぎょっと目を見開く。自分が一体誰に無礼な口を利いていたのか。ようやく理解したようだ。リオンはそう考えて女に対する留飲を少しばかり下げた。だがそう思ったのも束の間、驚いたようにぽかんと目を丸くしていた金髪の女が――
突然ぷっと噴き出す。
「マジで? マジで言ってんの!? ガキンチョが社長とかチョーウケるんですけど! ヤベエじゃんこの会社! おままごとじゃねえっての! キヒヒヒヒヒ!」
金髪の女が足をバタつかせながら腹を抱えて笑う。女の思いがけない反応に怒りを通り越して唖然とするリオン。笑い転げている金髪の女をただ見つめるだけのその彼に――
「やはりその姿、若すぎたようですね」
アイリーンがそっと耳打ちをした。