第一章 ブレイブ(2/4)
観光都市フォレース。そこは数十万もの人口を湛える国内でも有数の大都市の一つだ。都心から離れた位置にありながら重要拠点にアクセスできる交通機関も充実しており、暮らすにもビジネスをするにも適した街である。
国の人間ならば一度は名前を聞いたことがあるだろう大都市フォレース。だが今でこそ国内で指折りに数えられるその都市も、数十年前までは名前の知られない小さな村でしかなかった。都心から離れた山の中にあり、かつ目ぼしい産業もなかったその村は、近代化の波から隔離された土地であったのだ。
立地にも資源にも恵まれなかった村。幾多の小さな村がそうであるように、本来ならば滅びゆく運命にあっただろう。だがその村に突如として救世主が現れた。
それは悪魔を打ち滅ぼした二人の英雄だ。
何の特徴もない小さな村。フォレース。だがその村は二人の英雄を生み出した場所であった。遡ること五十年前。まだ名前も知られないその小さな村から旅立った二人の若者。その彼らが国軍さえ太刀打ちできなかった悪魔を討伐して世界に平和を取り戻したのだ。
英雄の出身地であるフォレースの名前は瞬く間に国中に広がった。村もまた英雄を全面に推した観光業に力を入れて莫大な利益を獲得した。そして僅か数十年にして小さな村は、誰もが知るだろう大都市へと変貌したのだ。
交通網が改善されたことで、現在では都心から離れたこの街にも大勢の人が集まるようになる。十年程前からは実業家にも注目されて観光業とは異なる事業もまた次々と立ち上がった。英雄の故郷であるこの街は新規ビジネスを始めるのに縁起が良いのだろう。そしてそれら数ある新規事業の中で、特にこの街と相性が良かった事業が――
冒険者のプロデュース業だ。
「はいはい皆さん注目! 今や国民の誰もが知る大人気ブレイブのホープソード! その握手会チケットを激安で譲っちゃうよ!」
人でごった返した大通り。その一画に声を張り上げている一人の男がいた。ヨレヨレのスーツに緩んだネクタイと、男の風貌はいかにも怪しげである。だがその男の周囲には男の声に引き寄せられた大勢の人の姿があった。
男の声に集まった人々――若い女性が多い――がきゃあきゃあと黄色い声を上げている。その彼女たちをぐるりと一瞥して、怪しげな男が再度声を張り上げた。
「皆さんもご存知の通り、ホープソードのチケットは握手会から舞台まで入手困難! この機会を逃したら一生後悔すること間違いなし! さあ買った買った!」
「ええ、ウソやだ! ホープソードのチケットってマジもんなの!?」
「うわあ、絶対欲しい! あたしずっと前から狙ってたのに手に入らなかったのよね!」
「だけど正規値段の五倍って……ちょっと高すぎるんじゃないかしら?」
ざわざわと騒めく女性陣に、怪しげな男が「ちっち」と指を振る。
「馬鹿言っちゃいけないよ。これは需要と供給を鑑みたまっとうな値段だ。まあ要らないなら別に構わないけどね。この倍の値段で買ってくれる客を俺は知ってるから」
「そ、そうよね……こんなチャンス滅多にないし、私買います!」
「あ、あたしも買います! 彼らがデビューしてからのファンなんです!」
「ちょっと抜け駆けしないで! 私に譲ってください! 割増料金も払いますから!」
初めは男を訝しんでいた女性陣も、一人がチケット購入を決めた途端に負けじと自らも手を上げ始めた。詰め寄りながら声を荒げる女性らに怪しげな男が苦笑する。
「参ったな。チケットの数は限りがあるし、全員に売ってやることはできないんだ。こうなれば仕方ない。このチケットを高く買ってくれる人に売ろうじゃないか」
女性陣から次々と金額が提示されていく。ただでさえ割高なチケット。その値段が瞬く間に膨れ上がる。理解に苦しむその様子を遠目に眺めながら――
「何だ……アレは?」
リオン・ブルフォードは顔をしかめた。
「転売ヤーですね。おじい様にはダフ屋と言った方が分かりやすいでしょうか」
疑問符を浮かべるリオンに、隣に立っていたアイリーンがそう回答する。必死にチケットへと手を伸ばす女性陣。その何とも滑稽な姿にリオンは「ふん」と鼻を鳴らした。
「なんと醜悪か。たかが紙切れ一枚を手にするために、ああも無様を晒すとはな」
「致し方ありません。ホープソードのチケットはどの店でも売り切れでしょうから」
アイリーンの補足説明に、リオンは苦々しくその表情を歪めた。
「どいつもこいつも……あのような外面ばかりの青二才の何がそんなにもいいのか。真に優れた人間はその中身こそ研鑽されているものだ。これだから若い奴らは――」
「老害」
アイリーンのぽつりとした呟き。リオンはぎくりと肩を揺らすと、「ま、まああれだ」と取り繕うように咳払いをした。
「そのような連中の目を覚まさせてやるのが、わしの目的でもあるからな。今はとりあえず構わんだろう。だが近いうちに連中も理解するはずだ。尊敬すべき真の冒険者とは一体どのような人間であるかを……な」
「物件はこの路地を抜けた先にあります。もう少し歩きますが……ところでおじい様」
口を開いたついでとばかりに、アイリーンがふとした疑問をリオンに尋ねた。
「その姿は何なんでしょうか?」
アイリーンに尋ねられて、リオンは自身の姿を見下ろした。灰色髪をオールバックにした老人。それがリオン・ブルフォードの姿だ。だがこの時のリオンは――
十代半ばの少年の姿をしていた。
首筋まで伸びた灰色の髪に、目尻の吊り上がった灰色の瞳。服装は普段着用しているローブではなく、あまり気慣れないスーツを着用していた。すぐ横にある店のガラス戸に自身の姿を映しながら、リオンは小さく首を傾げているアイリーンに答える。
「これから為すべきことを考えるとな、老人の姿よりも若者の姿のほうが何かと都合もいいだろうと、魔法で若かりし頃の姿に化けてみたのだ」
ニヤリとする少年姿のリオン。彼の説明を受けてアイリーンが「確かに」と頷く。
「焚火でよく燃えそうな枯れ木老人より、若いほうが都合よい場面もあるでしょう」
「おじいちゃんを燃やさんでくれるか!?」
「しかし少々若すぎるような気もします。見たところ私よりも年齢が低そうですが」
自身の暴言をさらりとスルーするアイリーンに、リオンは戸惑いながら腕を組んだ。
「そうか? 大体十五、六をイメージして化けてみたのだが、そのぐらいの年齢ならすでに働き始めているだろう。立派な大人だとは言えんか?」
「時代が違います。十五歳となれば今はまだ学校に通っている年齢ですよ」
「ふむ……まあ良かろう。この体格でスーツも仕立ててしまったからな。今更変えるのも面倒だ。だがこの姿でおじい様というのも違和感があるか。アイリーンよ、わしがこの姿の時は名前で呼んでくれんか?」
「承知しました、ポポロビネガー様」
「え? わしの名前覚えてない?」
そんな不安を抱いたリオンに――
ドカンと誰かが背後からぶつかってきた。
転倒して地面に顔面を打ちつけるリオン。突然の出来事に困惑しながらも、彼は視線を咄嗟に持ち上げた。地面に這いつくばった彼の視線の先に、赤と青のメッシュを入れた金髪の女がその場で足踏みしながら立っていた。
「ああっと、ごめんごめん!」
地面に倒れたリオンを見下ろして、金髪の女が軽い口調で謝罪を口にする。女の軽薄な態度に唖然とするリオン。目を丸くする彼に、女がカラカラ笑いながら口早に言う。
「でもこんな道端で突っ立ってるそっちも悪いから、おあいこってことで一つ宜しく。そんじゃ、アタシいそいでっから。ちょっと――アタシもチケット欲しいんだけど!」
金髪の女が転売ヤーへと駆けていく。離れていく女を地面に倒れたまま呆然と見つめるリオン。アイリーンがさっと屈みこんで、表情を硬直させている彼に声を掛ける。
「大丈夫ですか? シュリリンポンス様」
「――お、おのれ……」
タラリと鼻から血を流しつつ――
「ぜぇえええたいに、真の冒険者をプロデュースしてやるからなぁあああああ!」
リオンは力の限り絶叫した。
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それから歩くこと十分。リオンとアイリーンは目的地に到着した。にぎやかな大通りから外れて狭い路地を抜けた先。よく言えば閑静な、悪く言えばやや寂れたその場所に、一棟の建物が立っている。ティッシュを鼻に詰めたリオンは建物の前に立ち止まると、無言のまま建物をしばし観察した。
飾りけのない三階建ての建物だ。コンクリートが剥き出しの塗装されてない外壁に、各階にはめ込まれた大きな窓ガラス。一階の正面入口には灰色のシャッターが下ろされており、その入口のすぐ脇にある花壇には一本の花さえ植えられていなかった。
別段特筆すべきところのない平凡なビルだ。傷や汚れなどは見当たらないが、古臭いその外観から築数十年と説明されても信じるだろう。だが実のところこの建物は完成したばかりの新築物件であった。なにせここは――
冒険者のプロダクション事務所としてリオンが最近建設したものだからだ。
「何とも味気ない建物だな」
建物の感想を率直に述べるリオンに、アイリーンが「仕方ありません」と頭を振る。
「業者に無理を言って建設を急がせましたから。余計な装飾を施すような時間などありませんでした。しかし最低限の設備は整っているため業務に支障はないと思います」
「ふむ……まあ必要になる都度改築すれば良かろう。それに外観にばかり拘るのは愚かしいことだ。重要なのは中身。わしが冒険者をプロデュースするのだ。このような味気ない建物であれ成功は約束されたようなものだ」
うんうんと一人頷くリオンに、アイリーンが青い瞳を一度瞬きさせてから尋ねる。
「ポンキチ様の実力は私も重々承知であり、それを疑うようなことはありません。しかしプロデュース業はロコモコ様も初の試み。今更ですが何か具体案をお持ちなのですか?」
「無論だ。無論だが……えっと、そろそろ普通に名前を呼んではくれんか?」
「止めるタイミングを失しました」
「まさに今がそのタイミングだ。それはそうと具体案はもちろんある。寝る間も惜しんで考えたPT編成をメモしておる。このPTならば必ず世間受けするはずだ」
自信たっぷりにそう断言して、リオンは懐から一枚のメモ用紙を取り出した。アイリーンがリオンからメモ用紙を受け取り、用紙に書かれた文字に視線を落とす。彼女が読み進める速度に合わせて、リオンは自身の完全無欠なプランを説明していく。
「PT編成は四人を検討している。まず一人は攻撃魔法を得意とする老人だ。緑色のローブを着用して白いひげを生やしている。老齢であるがゆえに蓄えられた膨大な知識で、PTを正しき道に導いてくれる存在だ」
「……はあ」
「次は紅一点、回復魔法を得意とする女僧侶だ。青い祭服に腰まである金色の髪が特徴的で、優しくもお淑やか、だがどのような怪物だろうと怯むことのない芯の強さがある。PTの傷のみならず心まで癒してくれる、殺伐とした冒険には必要不可欠な存在だ」
「……なるほど」
「そして剛力無双、力をとことん極めた男戦士だ。岩のような頑強な体に大木のように太い両手足。赤い鎧を身に着けたその姿はまさに血に濡れた鬼神。だがその実体は不器用ながらも気のいい青年なのだ。彼が一人いるだけでPTは深い安心感に包まれるだろう」
「……」
「そして最後の一人にして真打、魔法と剣術をオールマイティーにこなすスーパープレイヤー。特徴的なツンツン頭に、青を基調とした旅人の服。PTの実質的なリーダを務める男であり、後に彼の存在は伝説的な何かになる。これがわしの考えたPT編成だ。このPTを世に生み出せば、間違いなく誰にも負けない無敵の冒険者に――」
「却下します」
アイリーンがそう一蹴して、PT編成の記載されたメモ用紙を引き裂く。「のぉおおおお!?」と頭を抱えて絶叫するリオン。風に吹かれて飛んでいくメモ用紙の紙片を絶望的な表情で見送り、リオンは涙目で声を荒げた。
「なな、なにをする!? わしが様々な文献を紐解いて見出した最高のPT編成を!?」
「おおよそ何を参考にしたのか分かるようなPT編成でしたが――」
アイリーンがふうと溜息を吐いて、無表情なその眉を僅かに曲げる。
「残念ですが、今現在、老人や筋肉ダルマをPTに加えることは推奨されていません」
「ば、馬鹿な!? 不器用な力持ちと老獪な年寄りはPT編成の鉄板ではないのか!?」
「その考えはもはや時代遅れです。現在はPTの大半が若者であり――女性です」
「女だと!? 若者であることはともかく、どうして冒険者のPTの大半が女なのだ!?」
冒険とは危険なものだ。体格的に不利な女性が少数派となるのは当然だろう。だというのにPTの大半が女性? 一体どういう理由か。すっかり頭を混乱させるリオンに――
アイリーンがさらに驚くべき事実を告げる。
「そしてそのPT内の女性は、PT内のただ一人の男性と異性関係にあります」
「なんだとぉおおおおおおおおお!?」
リオンは目を大きく見開くと、手を戦慄かせながら困惑の言葉を吐き出した。
「そ……それはつまり二股という奴なのか?」
「二股だけではありません。PTによっては三股、四股もあり得ます」
「何だその不純異性交遊PTは!? そんなPTが世間から支持されるはずがなかろう! 冒険者とは清く正しくあるべきだ! 友情、努力、勝利こそが基本ではないのか!?」
「昨今において友情や勝利はともかく、努力は敬遠されがちです。チート能力なるもらい物の能力により努力もせず無双、イキり散らすキャラクターが近年求められています」
「どこに求められる要素がある!? 宝くじが当選したと威張る成金と同じではないか!」
「しかしそれが現実です」
「な……なんということだ」
リオンは愕然とした。真の冒険者を世に送り出して、貶められた冒険者のイメージを変える。それが冒険者のプロダクション社を設立した目的だ。だがアイリーンの言葉が事実ならば、自身の理想とする冒険者は世間の支持とは真逆にあると言えた。それはすなわち真の冒険者であればあるほど、世間の支持を得られないということだ。
(道理で……ホープソードなどというチャラチャラした連中が支持されるわけだ)
リオンの中にあった強固な自信。その自信に大きな亀裂が入る。カタカタと体を震わせるリオンに、アイリーンがまた溜息を吐いて「しかしながら」と補足を口にする。
「先程説明はあくまで理想であり、現実とはいささか乖離があります。チートなど現実には存在しませんし、近年の情勢からPT内での二股三股も難しい。理想を追いながらも現実的な妥協点を探す。そのバランスに優れたPTが世間の支持を集めるのでしょう」
「むう……何やら想像よりも難しそうだな。少しばかり安易に考えていたかも知れん」
「どちらにせよ現段階で考えすぎても無意味なことです。理想とするPTが何であろうと、募集した人材をまず見ないことには何も決めることはできません」
「……そうだな。それで、その冒険者を希望する人材募集は済ませてあるのだったな」
「はい、抜かりなく」
アイリーンがこくりと頷いて、左手首に巻かれた腕時計に視線を落とした。
「今から三十分後に希望者の面接を予定しています。事務所に入り支度を整えましょう」