第一章 ブレイブ(1/4)
人里離れた深い森の中。国により禁止区域に指定されたその場所は、近代化が急速に進められている現代においても、手つかずのままの自然が残された未開拓地となっている。そんな植物や野生動物、悪魔の使い魔たるファミリアだけが生息するその場所に――
一棟の屋敷が建てられていた。
赤い屋根の豪華な屋敷だ。数十はあるだろう膨大な部屋数に、細やかな意匠が施された煌びやかな外観。敷地内には建物と同じ面積ほどの庭園があり、そこに植えられた季節外れの樹々や色鮮やかな花々が、陰鬱とした森に不釣り合いな色味を添えていた。
その屋敷の壁の一部が突如――
膨大な熱衝撃波により破壊される。
「ぜえ……ぜえ……ぜえ――」
屋敷の壁をぶち抜いた熱衝撃波。その発生地となる建物の一室。金糸で模様が描かれた絨毯に猫足のテーブル、クリスタル製のシャンデリアが吊るされたリビングに――
一人の老人が息を切らせて立っている。
灰色の髪をオールバックにした老人だ。深いしわが刻まれた表情に、年老いてなお衰えることのない鋭い灰色の瞳。膝丈まで隠れる大きなローブを着用しており、その艶やかな質感から一見して高価なものだと知れた。
破壊された壁に右手をかざして呼吸を荒げている老人。徐々に呼吸を整えていき「ふう」と息を吐いたところで、老人は自身の失態を悟りハッと表情を固くする。
「……ぬう……しまった。またついカッとなり魔法を使用してしまったぞ」
そう独りごちて、老人は自身の魔法で破壊した壁を呆然と見やった。熱衝撃波の高熱により縁が焼け焦げた直径五メートルほどの巨大な穴。ポッカリと開いたその穴から吹き込んでくる風に灰色髪を揺らしつつ、老人はひどくバツが悪そうに眉間にしわを寄せる。
「さすがにこれでは、以前のように野鳥が激突してきたという言い訳は通じまい。すぐに修復をしなければ。アイリーンに知られようものならまた小言を言われて――」
「私がどうかしましたか?」
突如女性の声が返される。老人はビクリと肩を揺らすと、恐る恐る聞こえてきた声に振り返った。老人の背後にいつの間にか一人の女性が立っている。
長い黒髪を後頭部でまとめた女性だ。年齢は二十歳前後。きめ細やかな白肌に切れ長の青い瞳。紅の引かれた鮮やかな唇。黒のタイトなスーツを着用しており、彼女の女性的で魅力的な体の線がよく表れていた。
感情の読めない女性の視線。その無機質な視線に睨まれて老人は額にじっとりと冷や汗を浮かべた。場を取り繕うようにコホンと咳払いして、老人が女性に話し掛ける。
「帰っていたのか、アイリーン」
「はい、つい先程」
小さく頷いて女性が――孫娘であるアイリーン・ブルフォードが瞳をすっと細める。
「手続きは全て完了しました。明日にも例の事業を始めることができます」
「そ、そうか。手間をかけたな。感謝しているぞ、アイリーン」
「おじい様のご要望とあれば、この程度のこと苦ではありません」
労いの言葉をかける老人にアイリーンがそう淡々と返す。ぶっきらぼうに思えるが彼女は普段からこの調子であり別段機嫌が悪いわけでもない。老人はそれを察してほっと胸をなでおろした。だがその直後に――
「ところでおじい様。屋敷内での魔法使用は禁止だという約束は覚えていますか?」
アイリーンが口調を変えずそう言った。安堵から一転ぎくりと肩を揺らす老人。顔を蒼白にした老人に、アイリーンが青い瞳を細めてさらりと言う。
「罰として用意していたチェリータルト。おじい様のぶんは抜きです」
アイリーンの残酷な言葉に、老人は「あう」と呻いた。アイリーン手作りのチェリータルトは老人の好物なのだ。目尻をしょぼんと下げる老人にアイリーンがまた淡々と言う。
「今日は風が冷えます。落ち込んでいないですぐに壊した壁を修復してください」
「……どうせ修復するのだ。そんな重い罰を受けんでもいいのではないか?」
アイリーンが「それとことは別です」ときっぱりと告げる。老人は落胆の息を吐くと、魔法で破壊した穴に右手をかざした。一瞬の集中。老人は灰色の瞳を鋭くすると――
魔力を展開して術式を編み込んだ。
構築した術式により魔法が発動する。壁に空いた直径五メートルの穴。その周囲に散らばっていた瓦礫が突如動き出して壁の穴を塞いでいく。時間にして十秒弱。まるで時間を逆行したように壁に空いていた穴が完全に消え失せた。
自身が破壊した穴の修復を終えて、老人は「これで良かろう」と右手を下す。
「さて、一仕事終えたところで茶にしようか。アイリーン、タルトを用意してくれ」
「おじい様のぶんはないと申し上げたはずです。ついにボケましたか?」
自然な流れからタルトを要求するも手痛い反撃を受けて、老人はガーンと分かりやすい反応を見せた。孫娘からの辛辣な言葉に傷付く老人。その彼をさらりと無視して、アイリーンが修復された壁をじっと見やる。
「壁は宜しいのですが、ここには確かテレビも置かれていたはずですね」
「う、うむ……魔法の標的であるテレビは完全に消滅してしもうたからな。修復できん」
「そうですか。いつも自分こそが世界一の賢者だと威張り散らしているおじい様でも修復不可能なのですね。これから親愛を込めておじい様を役立たずと呼びましょう」
「……おじいちゃん泣いちゃうぞ」
「それはそうとテレビで何か気に入らないことでもありましたか?」
アイリーンの疑問に、老人は顎をさすりながら「う、うむ」と頷く。
「チェス対局の再放送を見ている時にな、例の連中が出ているCMが流れたのだ」
「勝敗の決した対局を新鮮に楽しめる、おじい様の忘却性抜群の脳が羨ましいです」
「――しくしく。孫娘がイジメる」
「それでおじい様が言われる例の連中とは、ジョンストーン社所属の――」
「そう……確かホープソードとか名乗っているいけ好かん冒険者どもだ」
「彼らは冒険者ではありません」
アイリーンが小さく頭を振り、その青い瞳をゆっくりと瞬きさせた。
「彼らは一般的に『勇敢な者』と呼ばれています。冒険者とは彼らの古い呼び方です」
「古い新しいなど関係ない。他所の土地へと出向き与えられた任務をこなす。それを生業とする連中はすべからく冒険者だろう」
「確かに以前はそのようなブレイブも大勢といました。しかし今は時代が違います」
アイリーンが一呼吸の間を空けて、台本でも読むように淀みなく言う。
「現代のブレイブは広報活動が主な仕事となります。お話しにも上がりましたブレイブのPT、ホープソードはジョンストーン社所属です。そしてその会社はエドモンズ社と専属契約を結んでいます。CMで彼らがエドモンズ製品を売り込むのはその理由からです」
「……まるで見世物のパンダだな」
老人の吐いた悪態を肯定も否定もせず、アイリーンが抑揚なく言葉を続けた。
「当時とは異なり危険生物は国が指定した禁止区域に隔離されました。安全を確保した現代人がブレイブに求めるのは、優れた戦闘力ではなくエンターテイメント性なのです」
「……そのエンターテイメント性とやらが、魔動機器による自動性魔法で見せかけだけのドラゴンを倒すということなのか?」
先程テレビで流れていたCMを思い浮かべながら老人は尋ねる。明らかに不快に表情を歪めるその老人に、アイリーンが「はい」と間を空けることなく頷く。
「ブレイブは人気のコンテンツです。恐ろしい怪物を華麗な魔法や剣技で打ち倒す。そこに誰もが魅力を感じています。いつの時代も人は強さに憧れを抱く。そして何より――」
アイリーンが短く息継ぎをして、すぐにまた話を再開させる。
「五十年前、人類を窮地に追い込んでいた悪魔を二人の英雄が討伐しました。そのような時代背景もあり、怪物と戦うブレイブは大勢の人々に支持されているのでしょう」
「……下らんな」
老人が頭を振りながら言葉を吐き捨てる。
「張りぼての怪物を倒すことに何の意味がある。五十年前に存在していた悪魔や、禁止区域に隔離されている使い魔のファミリアは、あのような張りぼてではないぞ」
「五十年前の悪魔との戦争。その体験者も今は数少ないでしょう。現代人には、命懸けの戦闘とエンターテイメントによる戦闘との境界が曖昧なのかも知れません。当時を知るおじい様からすれば腹立たしいことでしょうが」
「……嘆かわしいことだ」
老人がその瞳に憂いの気配を覗かせる。
「五十年前。悪魔が世に蔓延っていた時代。当時は真の冒険者が大勢といた。命懸けで悪魔やファミリアに立ち向かう猛者が大勢といた。それが今は何だ。魔動機器による自動性魔法にばかり頼るようになり、まともに魔法が使える者すらいない状況ではないか」
「現代において、一般的に魔法と呼ばれるものは魔動機器を用いた自動性魔法です。彼らに限らず、自力で発動する手動性魔法を扱える人間は数えるほどしかいないでしょう」
「その通りだ。そしてその限られた人間の一人がこのわしと言うわけだが――」
老人がちらりとアイリーンを見やる。何かを期待する老人の視線。だがアイリーンは無表情のまま反応を見せない。どこか残念そうに嘆息して老人は話を再開した。
「ともかく、ブレイブなどという紛い物が世を席巻している現状を看過するわけにはいかん。このままでは、五十年前の冒険者たちもまたブレイブと一括りにされかねん」
「事実若い世代では、ブレイブのCMなどを見て、あれが五十年前に活動していた冒険者の姿だと認識している者も少なくないようです。因みに最近のメディア調査によれば、将来のなりたい職業ランキングにて、ブレイブが男女ともに上位に食い込んだとか」
「ふざけておるわぁあああああああ!」
老人は頭を抱えると、駄々をこねる子供のように地団太を踏んだ。
「冒険者とは危険と常に隣り合わせの仕事だ! それを何がエンターテイメントだ! 何がなりたい職業ランキングだ! 若い連中はいつもそうだ! 表面的にしか物事を捉えられず物事を俯瞰的に見ることができん! わしが若い頃は――」
「……おじい様」
老人の絶叫にするりと声を滑り込ませ、アイリーンが冷えて口調で言う。
「すぐに世代を持ち出して批判する老人は、世間一般的に『老害』と呼ばれています」
アイリーンの指摘に老人は「うぐ」と沈黙した。痛いところを突かれて胸を押さえる老人。途端に静寂したその老人に、アイリーンが「まあしかし」とフォローを口にする。
「おじい様は五十年前、実際に冒険者として世界を旅していました。そのおじい様が現在の冒険者――ブレイブをご覧になり、憤りを覚えるのは尤もでしょう」
「おお……アイリーンよ」
アイリーンからの優しい言葉に、老人はじんわりと目元に涙を浮かべた。
「わしの無念を理解してくれるとは、本当にお主はできた孫娘だのう。どれどれ、わし自慢の孫娘、そのお主の可愛らしい顔をもっと近くで見せてはくれんか?」
「前言撤回します。老害は口と鼻を閉じて窒息死してください」
「なぜに!?」
途端に冷たい態度となった最愛の孫娘、アイリーンに老人はぎょっと驚愕する。いつも無表情なその顔に苛立ちのようなものを覗かせつつ、アイリーンが溜息まじりに言う。
「愚痴はそれぐらいにして下さい。だからこそ例の計画を立てたのではありませんか?」
「……そうだな。その通りだ」
アイリーンの確認に老人は頷いた。
五十年前当時。命懸けで世界を旅していた冒険者たち。その冒険者が今や、ブレイブなどと呼ばれて見世物と同列に扱われている。当時の冒険者たちを知る者として屈辱的で許しがたいことだ。ゆえにその現状を打破すべくこれまで着々と準備を進めてきた。
「わしも老い先短い身。いつくたばってもおかしくない。だがその前に、ブレイブにより貶められ、下らぬエンターテイメントに成り果てた冒険者の尊厳を取り戻すために――」
ばさりとローブをひるがえして――
老人はその言葉を力強く言い放った。
「このわし――リオン・ブルフォードが直々に真の冒険者をプロデュースしてやるぞ!」