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誤訳怪訳日本の神話  作者: 大橋むつお
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1『天地のはじめ(アメツチノハジメ)』


誤訳怪訳日本の神話


1『天地のはじめ(アメツチノハジメ)』  




※ 始まりにあたって


 わたしは、かつて社会科の先生でした。


 自分的には日本史の先生であるつもりだったのですが、社会科的には何でも屋でした。


 現代社会 地理 政治経済 世界史 日本史 倫理社会……と、全部やりました。


 わたしが生徒であったころは、日本史の先生はずっと日本史、世界史の先生は世界史、地理は地理、政経は政経と狭い専門の中で授業をやっていました。

 生徒も『世界史の先生』『日本史の先生』『政経の先生』という括りで先生を憶えています。社会科の先生というと、ちょっと中学的な幼い呼び方という感覚でしたね。


 その時代の先生は古いノート一冊あれば事足りました。


 まあ気楽な商売でした。


 一年生の担任になっても日本史とか世界史が自分の持ち教科であれば、一年の地理などは持たずに、二三年生の授業だけを持っていて、自分のクラスにはホームルーム以外は顔を見せない、どうかするとホームルームも生徒任せで、月に数回しかクラスに顔を見せない先生もおられました。


 自分が先生になると大違い。


 たいてい、自分が担任や学年係をしている小教科を必ず受け持ちます。ですので、学年が変われば担当する小教科も変わります。生徒も社会科の先生という認識で中学と変わりません。

 ノートも、その年その年の教科書に合ったものを作ります(教育基本法だったか指導要領だったかに、授業は教科書によらねばならないとあります)。

 そうやって、なんとか授業のカタチと水準を維持していました。


 そのため、自分の専門と思っていた日本史は手薄なものでした。


 それで、この歳になって、ちょっと振り返ってみようと思い立ちました。


 振り返ってみるにあたって、記紀神話から始めようかと思います。


 記紀神話とは、古事記・日本書紀をつづめた言い方です。


 昔も今も、学校で神話を教えることはありませんね。神話と言うと、なんだか昔話やお伽話のイメージです。人によっては『戦前の教育』とか『非科学的』とかの印象を持つ人が多いかもしれません。


 しかし、神話には、まだ日本に文字が入ってくる前の民族的な記憶、もっと緩い言い方をすると日本人の思い出がこめられています。その思い出を、皆さんとともに辿っていければと思います。


 まあ、寝っ転がって、ウフフ アハハと笑って読んでいただければ幸いです。



 地震などの災害で避難した時の日本人の行儀の良さは有名です。戦後の学校教育の成果……いえ、もっと昔、日本書紀には中国に渡った日本人が自分たちのリーダーの指示に従い、行儀よく並んでいたという記述があります。


『倭』という日本の古名は中国が付けました。背の低いやつらという意味ですが、もう一つの意味は――従順な奴ら――という意味です。


 集まれと言えば集まり、待っていろと言われれば大人しく、いつまでも待っています。列に並べと指示があれば世話を焼かすこともなく並んで次の指示を待ちます。こういうことを知っていると、日本人や日本の歴史への親近感が違います。そいうことが記紀神話のあちこちに散らばっています。


 で、長ったらしい前説を言い訳にして、好き放題に神話を騙って……語ってみようと思った次第であります。




☆ 天地あめつちのはじめ



 その昔、世界の一番始めの時、天界で御出現になった神さまは、お名前をアメノミナカヌシの神といいました。


 次の神さまはタカミムスビの神、その次の神さまはカムムスビの神、この三人の神様さまは皆お一人で現れて、すぐに居なくなりました。


 次に国ができたてで水に浮いたサラダオイルのように、またクラゲのようにふわふわ漂つている時に、泥の中から葦が芽を出してくるようなスピードで現れた神さまは、ウマシアシカビヒコヂの神、次にアメノトコタチの神でありました。この神さまがたも皆お一人で御出現になつて、すぐに居なくなってしまいました。


 それから続々と現われ出た神さまは、クニノトコタチの神、トヨクモノの神、それからウヒヂニの神とスヒヂニの女神、ツノグヒの神とイクグヒの女神、オホトノヂの神とオホトノベの女神、オモダルの神とアヤカシコネの女神、それからイザナギの神とイザナミの女神とでした。


 これらをまとめて神代七代かみよななよと言います。


 最後のイザナギ・イザナミにいたる神さままでは実体がありません。ただ名前が出てくるだけです。


 いろんな面倒くさい解釈がありますが、わたしはハッタリをかましたのだと思っています。いわばイザナギ・イザナミの出現にモッタイを付けるための前座・イントロの役割にすぎません。映画や舞台でも、主役がいきなり出てくることはありませんよね。


 このイントロにあたる部分は、たいていの神話や宗教の伝記にはあり、聖書などノアが出てくるまでアダムとイブから何十人も出てきて、箱舟のあとノアの子孫からキリストが出現するまで、長編小説が二冊書けるほどの人物とストーリーがあります。


 まあ、キリスト教はユダヤ教という土壌を持っているせいもありますが、日本の神話は、わずか神代七代に過ぎません。スカートで言えば膝上5センチ程度で、シンデレラほどの長さはありません。まあ、女子高生のスカートほどの軽やかさです。無ければ上着だけのスッポンポンで、どうにもなりませんが、ベルばらのマリーアントワネットほどの仰々しさでもありません。

                        

 寝っ転がってポテチを齧りながら読んでいける軽さでやっていこうと思います。自分のイメージに合わない所は、好き放題に付け加えたり、膨らましたりしようと思います。最後まで行きつけるかどうか分かりませんが、とりあえず、始まりでした。


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