エーレントラウト・カッシング
バン!
大きな音を立てて扉が開く。
もっと静かに開けてもよかったような気がするけれど、こういうのは勢いも大事だし、アゲていきましょう。
「出たぞ!」
兵士の半分は裏門付近まで迫っていた火トカゲに剣を向けていて、ボクたちには背中を見せている格好だ。チャンスだね、体勢を整える前に排除しないと。
ギデオンが扉に一番近かった兵士の集団に盾を構えたままチャージをかける。ギデオンは勇者だ。その膂力は数人の兵士で支えきれるものじゃない。
「「「ぐはっ!」」」
まとめて吹き飛ばされる兵士たちの横を一気に駆け抜けた。
幸いにも、残りの兵士はサラマンダーを牽制するのに手一杯だ。ボクたちに回す余力はないみたい。
「あ!」
「待て、お前たち!」
「カッシング卿、逃げるのか!!」
こんな状態でも健気なまでに任務に忠実な彼らの視線を背中に感じながら、つくづく思った。
「よかった。無駄に殺さずに済んだね」
一般の兵士たちはただ上役からの命令を受けてここにきているだけだし、罪のある存在ではないんだもん。
「だけど、彼らにサラマンダーと戦える装備はあるのかしら?」
安堵のため息を漏らすボクに、いつの間にか隣を走っていたラウラが正論をぶつけてきた。
次いで、ギデオンが釘を刺してくる。
「戻ってやつらを助けるとか言い出すなよ?」
「いやいや、さすがにボクだってそんなお人好しじゃないよ」
ただ、なるべく早めにヘンリに会って、サラマンダーを撤収させないと。
考えながら、彼女に指定された湖へと失踪するボクだった。
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「ここでいいのかな」
ほどなく、湖の西端にある小さな船着き場にたどり着いた。
ここはギリギリ湖と言っても差し支えないかな? くらいの、あまり広くはない水たまりだ。中程の水中に隣の領地を治めるフロスト子爵領との境界線が存在するために、あまり船遊びには向かないところでもある。
戦後の王国内の貴族領の間は原則として行き来が自由になっているとはいえ、よその領主がちょろちょろと出たり入ったりするのを見るのはあまり気分のいいものでもないだろうし。
「へぇ。ずいぶんと領地の端っこに領主の館があるんですのね」
「まあ、いろいろあってな」
ボクにかかっている封印の術式には、屋敷の位置が重要な意味を持つ。
ホントはもっと東に寄せたいくらいだったらしいけどね。
このへんの詳細はまたいつか機会があったら。
「ところで、リリーが見当たらないようだが」
ギデオンが周囲を見回しながら不安げに言う。
「あら、そういえばいませんわね。どこかに落としてきてしまったかしら」
ペットやぬいぐるみじゃないんだから。
いや、でも、ホントにどこ行ったんだ。彼女がついてこれないような移動をしてはいないはずだけど。
「逃げたか。やっぱりあの時に始末を付けておくべきだった」
「大袈裟ね。いいじゃありませんの。人間の一匹くらい」
リリーをよく知らないラウラは、彼女を過小評価しすぎている。
おそらくギデオンもそう感じたのだろう。何か言いかけたところをボクがが引き継いで言った。
「この中で一番敵に回したくないのがリリーだよ。ことに、今回のように行方をくらませていつ襲ってくるかわからない状態の時にもっともこわい」
「人間のメスの中でも大きい方じゃないですわよね。あんな小娘にそれほどの脅威はあるのかしら」
その弱そうな見た目も怖さの一つなんだけどね。
リリーに近づかれても誰も警戒しないだろう。
「触れそうな近さで対峙すればギデオンが勝つよ。距離を置いて向かい合えばラウラだろうね。でも――」
そこまで話してから、ボクは自分の言葉に不安を覚えて、真っ暗でよく見えない周囲に必死で目を凝らす。
何の効果があるわけでもないのはわかっていても、やらずにいられなくなったんだ。
「――こういう、伸ばした自分の指先も見えない闇の中で、ぜったいに会いたくないのが、敵に回ったリリー」
「ふぅん。そんなものなのかしら」
龍人である彼女は、蛇人間ほどではないにしろ、熱を感知する能力を身につけている。闇夜で気付かれずに近づいてくる刺客に対して、なかなかイメージが湧きづらいのだろう。
「たとえば、ほら。あれもあたくしには見えますわよ」
「ん?」
「なんだ」
何かが静かに水面を滑ってくる音がする。
「中型のボート。乗ってるのは二人ですわね」
ボートにしては漕ぐ音がしない。
―― あ、そういうことか。
コツン。ぎぎぎ。
船体が船着き場にこする音がした。
迎えが着いたのかな。
「敵じゃないといいがな」
ギデオンが、リリーが見えなくなってからずっと抜き身のままの剣を握り直す。
「灯りを付けましたしだいじょうぶでは?」
なるほど、二十メートルほど先でかすかな火が見える。
それは、ゆっくりと、だけど確実に、こちらへ近づいてきたんだ。
ざっ。さくっ。ざっ。
雑草の生えた湿った土を踏む音を立てて近づいてきていた迎えらしき二人は、手にしたランタンの光で顔が見えるか見えないかの距離で足を止めた。
そのうちの一人、線の細い女性らしき影が前に出る。
「奥様、だんな様、お久しぶりです」
「やっぱりヘンリだ。おかえり、元気だった?」
「はい、奥様もお変わりないようでなによりです」
顔色も何もわからないけど、声の張りだけ聞くと元気そうだ。
まずはよかった。
ギデオンが一歩前に出てボクを庇うようにしながら言う。
「どこで何をしていたかはとりあえずあとだ。おまえの後ろの男は誰だ」
そう、彼女の連れのことだ。
おそらくは彼こそが、パパ=タルソスで伯父上が言っていた男だろう。
あ、ギデオンにはまだ話していなかったっけ。ドタバタしてたし。
「はい。だんな様。こちらが、魔王スタニスラス陛下です」
怒気を含んだギデオンの詰問にも平然と、ヘンリは背後に佇んでいた男性を紹介してくれた。
……やっぱり、そういうことになるのか。
☆★☆★☆★☆★☆★
「俺たちが分裂したのは、勇者に封印されたときだ」
「分裂? おまえとエーレンは一つの存在だったってことか?」
「その通り」
ああ、やっぱり。そんな予感はしてたんだ。
なんか、あんまり驚きがないよ。
ヘンリもことあるごとにボクを誰かと比較していた気がするし。
「いや、しかし……だけど、そうか。待て、ヘンリ」
「なんでしょう、だんな様」
「おまえ、エーレンが男の時は腹筋が割れまくりのむきむきって言ってなかったか」
なんだそれ。ボクはずっと線の細さに劣等感を抱いていたくらいだけど。
事実、目の前の彼も、同じ年頃の少年に比べるとずいぶんと華奢に見える。
「………………ああ。第一部九話」
「おまえな、あれからしばらくエーレンの顔を見ても萎えそうになって悩んだんだぞ」
「そうでしたか? 普段とぜんぜん変わらず盛っているように見えましたが」
うん、ボクもギデオンが萎えて手を出さなくなっていた時期の記憶はない。
「……話を続けていいか」
魔王スタニスラスが頭を抱えているよ。
ごめんね、片割れが勇者のお嫁さんで。
「あ、ああ。続けてくれ」
「ふう。で、本来ならば人間ごときに魔王が封印できるものじゃないんだ。だがな、勇者システムは救世主システムの劣化コピーだ」
「勇者は模造品か。言ってくれるね」
いつ王国兵が探しにこないとも限らない。
ボクらはヘンリの操る魂無き乙女が音もなく漕ぎ出した船に揺られて、湖上の人となっていた。
精霊使いが船を動かすときにを水の精霊を使うのは、もっともポピュラーな手段だね。ちなみに、帆がある船ならば風の精霊を使って進む方法もある。
もっとも、どちらも小型船にしか使えないんだけどね。
大型船を押せるくらいの数の精霊を集めるのは、たいへんだから。
「事実だ。そして、救世主システムには致命的な脆弱性があった。太古の大戦で救世主が暴走したのは、そこを突かれたからだ」
「突かれたって、誰に」
ボクはあんまりそのへんの事情に詳しくない。一般的な歴史書に書かれていることじゃないからだ。魔王城にあった本になら書いてあったのかも知れないけど、ボクが即位したときは読書してる余裕なんかなかったし。
「『悪意』だ。『憎悪』と言ってもいい」
「どういうこと?」
ボクの問いかけに、スタニスラスはチラリと視線を二人に走らせる。
ギデオンとラウラにはあまり知られたくないことなんだろうか。
「話すと長くなる。いまはいい」
そして、説明を打ち切ってしまった。
そういえばラウラは何も言わないな。何か考えてるのかな。
「ともかく、それが原因で、長らく救世主システムは封印されてきた。いつ漏れたんだかわからないが、人間側が自分たちの理解できない範囲のフレームワークを理解できないまま組み込み、かろうじて理解できる範囲のみをインターフェース部分に再設計して作った勇者システムも、当時の魔法技術者たちは……暴走時の弊害を恐れたんだろうな。作ったはいいが使われないまま放置されてきた」
うん、王都でブレンドン三世国王陛下に謁見したときにそんな話をしたっけ。技術面の話ならそれなりに把握してると思う。
「それが、今回使われたんだよね」
「そう。そして、魔王システムは救世主システムの全てを含有している。先述した脆弱性もな。そして人間の魔術師ごときにそれが修正できるはずもない」
「待ってくれ、魔王システム?」
ギデオンが耳慣れない言葉に反応して口を挟む。
そこまで人間に話していいものか、ずっとボクは悩んでいた。
だけど、ここまでくれば……。
「魔王もね、結局は一つの魔術フレームワークで作られたシステムに過ぎないんだよ」
覚悟を決めて、ボクも説明することにした。
「魔術の頂点に魔王がいるんじゃないんだ。最高位の魔術の管理者として選ばれた魔族の長が、魔王ってことなの」
「選ばれたというのは、誰にだ」
「魔王システムにだよ」
「システムに? どういうことだ。生きているのか? 意識があるのか?」
ギデオンの疑問はもっともだ。
だけど《生きているのか》《意識があるのか》そんな疑問への答えは、実は魔王でさえも持っていないんだ。
「『最高位の魔術の管理者』と言っただろう? これって実は、主人の世話をする執事やメイドのようなものでね」
「なに?」
「と言ってもね、なにかしろって命令が来るわけじゃないの。ただ、魔術というのはね、みんなが好き勝手に構築して行使しているわけじゃ――」
「おい、おまえ」
ギデオンに対するスタニスラスの説明のわかりづらい部分を、ボクがなるべくかみ砕いて伝える流れが続いていたからだろう。
いま、スタニスラスに叱責されるまで、すっかり油断していた。
ここまでくれば、と考えてしまって気を抜き過ぎた。
ここからはダメだ、という線はまだ幾重にも積み重なっているんだ。
「『おまえ』はないんじゃない?」
ギデオンたちに違和感を抱かせる前に混ぜっ返してしまおう。
そんな軽い気持ちで入れたツッコミのはずだったんだけどね。
「他に何と言えばいいんだ。女スタニスとでも呼ぶか?」
「なにそれ。ああそうだ、前にそんな呼び方される主人公の物語を読んだことあったよね。じゃなくて、エーレンって呼んでよ」
「……その名前をいまに至るまで使うことになるとはな」
うん、たしかにちょっと曰くのある名前だけどさ、もはやこれこそがボクの名前なんだよ。
過去の事件に思いを馳せていると、ギデオンが力強く口を挟んだ。
「俺からも頼む、そう呼んでくれ。彼女は、エーレントラウト・カッシング。俺の妻だ」
「ボクはただのエーレンって呼べって言ったの!」
なんだろう。顔が熱い。メッチャ熱い。
ギデオンの言葉が恥ずかしい。けどちょっとうれしくて、やっぱり熱い。
たぶんこれ顔真っ赤だ。夜の闇の中でよかった。
そのときだった。
頑なに沈黙を守っていたラウラが、ぼそりとつぶやくように言ったのだ。
「龍人族って温度差が見えるのよね」
「っ……ラウラ!」
「あら、なにかしら。エーレントラウト・カッシングさま?」
くぅぅぅぅ、キミさ、なんかヘンリに似てきたよ。
「クッ……クッククッ」
ほら、笑ってるよヘンリ。声を殺して笑ってるよ!
「なんで俺の片割れがラブコメヒロインなんだ」
「いいから! それより、まずいままでキミはどこで何してたの。そうだ、この蓄魔器は何に使うつもりだったの。ヘンリも何も言わずに姿を消してどうしてたの」
照れ隠し八割の勢いで、ガーッと問い詰めてやった。
「はいはい。じゃあ、そのへんの話せるところだけ話していくか」
もったいつけずにぜんぶ話せ、ぜんぶ!
ぐるるるるる!!




