風と炎
さて。またこれから少し時が前後していくよ。
なるべく混乱しないように話すつもりだから、許してね。
いまから半年ほど前の夜だった。
突然にカッシング領へ攻め込んできた王国軍は、あっという間にボクらの屋敷を取り囲んだ。おそらく二百人は下らない勢力だったと思う。
ギデオンが窓から兵士たちを見て言った。
「これは本気だな、全く油断のない配置だ。勇者と魔王への敬意を感じるね」
その上、屋敷に魔術的なトラップがあるかもしれないと警戒して遠巻きにしているのかもね。いずれ飛び込んでくるのは時間の問題だけどさ。
「もっとフランクに接してくれていいのにね。ところで、リリー?」
リリーは王国の密偵だ。ならば何事か知っているにちがいない。
「あー、すみません。わかんないです」
「わかんないって」
「いや、ホントにわかんないんですよ。私には何一つ連絡は来てませんし」
ううん。せっかく屋敷に潜入させている部下に連絡を取って準備もできないほどに切羽詰まった状態ってこと? だけどそこまで急いでここに攻め込んでくる理由って……。
「リリー、本当なのか? 俺はおまえを信用してもいいのか?」
ギデオンがいつにない厳しい目と口調でリリーに問いかけた。
だけど、リリーはその視線を真っ正面から受け止めて答える。
「陛下から奥様を殺せとの命令が届けば、たとえそのあとにだんな様に真っ二つにされるとわかっていても躊躇なくやりますよ。それが私です」
「そうか」
ギデオンは鞘から静かに剣を抜く。
「ギデオン、待って」
「止めるな。俺は君の安全を最優先する」
「だから待って。リリーは『自分に連絡が無かった』と正直に言ってるんだよ」
「あればいつでも殺るとも言ってるぞ」
「連絡が届かなければいいんでしょ。ここでボクたちとずっと一緒にいれば、敵と連絡を取るヒマなんてないよ」
ね? 問いかけるボクに、リリーは少し寂しそうな笑顔だけで返事をした。
「少しでも怪しいと感じたら斬る。いいな? リリー」
「大人しく斬られるつもりもありませんけど~」
ふう。まあ、彼女だってこの状態で紛らわしいことしてくるとは思えない。ひとまずは安心だろう。
「あの、ちょっといいかしら」
この大騒ぎの中、一人腰掛けてメイドに紅茶を入れさせていたラウラが、ティーカップ片手に何事か尋ねてきた。
「なに? 手短にね」
「ええ。そのメイド……リリーだったかしら。何者なの? 手癖の悪い子だとは思ってたけど」
あー。
そういや、ラウラには説明してなかったっけ。
☆★☆★☆★☆★☆★
簡単にラウラにリリーのことを話し終えた頃、外から兵士の大声が聞こえてきた。魔術で増幅したよく通る声だ。
要約すれば、ボクとギデオンだけ武装解除して出てこいと。そうすれば屋敷の使用人たちの安全は保障するとの内容だね。
「ボクらの安全は保障されないみたいだね」
「ある意味正直だよな。馬鹿正直ってやつか」
「魔族のあたくしはどうなるのかしら」
「ホントにのんきですよね、奥様たち」
めいめいに感想を述べていたボクらに、リリーがあきれ顔で言った。
「それでどうしますの? 勇者はともかくエーレンの命を使用人と交換するつもりはありませんわよ?」
「俺はいいのかよ……いいんだろうな」
「ええ」
「ホントにのんきですよね、だんな様たち」
そうか。この中ではリリーが一番普通の人間なんだよね。
「ボクもギデオンもむざむざ捕まるつもりはないし、使用人たちを犠牲にするつもりもないよ。屋敷から逃げ出そう。ボクらがいないならみんなに手を出す意味も無いし、安全だと思う」
「囲んでるのは二百人ほどでしたっけ?」
ラウラが面倒くさそうに伸びをしながら聞いてきた。
「裏口の方が狭くなってていいですわね。エーレン、あたくしのツノの力があれば、七レベル魔術もいけるわよね」
「七って、魔力子融合でもやらせるつもり? できるけど」
「できるんですか?? 魔力子分裂じゃなくて???」
人間の魔術師でもあるリリーが食いついてきた。
そういえば、人間は魔力子分裂も満足に制御できてないんだよね。
「あれは叙述魔術を二つ同時に制御しないといけないから、人間にある魔術経路だと細すぎるかもね」
ちなみにどちらも通常魔力使用と比較して数百倍から数千倍の威力を引っ張り出せる技術だ。ただ、魔力子分裂術は使用した土地に強い魔法汚染を引き起こす。下手をすると数十年単位で魔物の発生率が上がったり、近隣の住人に重度の呪詛が降りかかることもある。
「融合術でもそういうのがないわけじゃないんだけど、まあだいぶマシではあるかなぁ」
「はぁぁ。ホントに何で戦争に負けたんすですか、魔族軍」
「魔王が情けないからかな。ね? ラウラ?」
すでにラウラにはボクの素性は明かしてある。
「もう、いじわる言わないで、エーレン」
さんざん魔王の悪口を言っていたラウラが、ばつの悪い顔をする。
あはは。ごめんね、ラウラ。
さて、そろそろじゃれ合ってないで動かないと。
「いま用意できてる魔術だと、裏口のドア周りの壁ごと兵士たちを吹き飛ばすくらいしか手がないかなぁ」
ボクには魔術の行使を制限する封印がかけられている。
それを回避するためには、魔術・魔力の両方を身体の外に準備する必要があった。すなわち、魔術師の杖に仕込まれた龍人のツノと蓄魔器だ。
あらかじめ杖にいくつかの魔術を刻んでおくことで、ボクの封印に抵触しないまま、その中の魔術を好きに選んで行使することができる。が、それはつまり用意していない魔術は発動することができないということだ。
「風の魔術でも入れておけばよかった」
そうすれば吹き飛ばして無力化することもできたのに。
久しぶりにでっかいのをぶっ放したくなって、大技ばかりを刻んであるんだ。まさかこんなことになるとは思ってなかったからね。
その中でいま使えそうなのは、六レベル魔術の《猛焔》しかない。
脱出にはオーバースペックすぎるから、あんまり選びたくないんだけど……。
「数十人は死なせちゃうかもしれないな」
「背に腹はかえられないでしょう」
ボクの持っている龍人のツノはラウラのものだ。そしてツノを失った龍人には魔術が使えない。
再び生えてくるまでには、あと数年を要するという。
とりもなおさず、いまはボクが血路を開くしかないわけだよ。
ラウラのドラゴンブレスの方が威力だけを考えれば向いているけど、弓兵が大勢待ち構えているところに身をさらすのは危険すぎる。龍人だって剣や弓で傷つけられれば死ぬんだから。
「ん? 奥様、あれ」
外を監視していたリリーが何かを見つけたようだ。
「どしたの。なにあれ、火柱? ううん、火が歩いている?」
窓からリリーの指さす先を見ると、ひとかたまりの巨大な炎が、まるで地ならしをするように低い姿勢でゆっくりと進んで見える。屋敷の裏手の森から、王国兵の集まりに向けてゆっくりとだ。
「……火トカゲ?」
「ですわね。精霊使いの救援に心当たりはありまして?」
ボクの隣から外を覗いているラウラに尋ねられるまでもなく、たった一人の心当たりが頭に浮かぶ。
「戻ってきたんですね、ヘンリ先輩」
「どこ行ってたんだろうね」
リリーも同じことを考えたようだ。
ともあれ、敵兵は混乱の極致。脱出するチャンスかな。
コンコン。
「ん?」
窓が叩かれている。
―― コン、ココココン、コンコンコココココン。
「な、なんです? 誰もいないですよね」
リリーがおびえを含んだ声を漏らすが、心配はいらない。
「見えざる乙女だよ、風の精霊。で、これは……」
「信号文ですわね。『すぐに裏口から出て東の湖に』?」
「へぇ、ラウラが魔族軍の信号を覚えてるなんてね」
「これでも武門の娘ですわよ。戦場には出ませんでしたけどね」
口を尖らせて言うラウラをからかうのはあとにしよう。
それぞれの装備を手早く確認して、一路裏口へと向かう。
「よし、出るよ。ギデオン、いちおう盾を構えてから扉を開いて」
「わかった」
「そのあと、リリー、ボク、ラウラは殿をお願い」
「いい判断ですわね。任されましてよ」
頑丈さで考えるとこれが一番だろう。
「ダスティン、フィリベルト、大変だけどあとはお願い」
「心得ました」
「お気を付けて」
見送りに出てきてくれた執事と従者に、あとを委ねた。
彼らなら、残されたメイドたちのこともうまくやってくれるはずだ。
「ダスティン、俺の隠し金の場所知ってるよな。あれを退職金にみんなに配ってくれ」
「はい、だんな様、お気を付けて」
ギデオンがかっこ良く叫んでいる。
ってこら、屋敷の台所は火の車だったんだぞ。そんなの初耳だぞ。
「ギデオン、無事生き延びたあと、大事な話があるから」
「……生き延びても討ち死にしても地獄かよ」
「ホントにのんきですよね、奥様たち」
ふふっ。
さぁて、バカ話はここまでだ。いこう。




