王都からの間者
「リリー」
「はい、奥様」
「頭痛薬はあるかしら」
「まあ、たいへん。すぐに持ってまいります」
部屋を飛び出そうとする彼女を慌てて呼び止める。
「冗談です。あなた、陛下からのお言付けと言いましたか?」
「はい、奥様」
「それは、だんな様宛ではなく?」
「はい、奥様だけに宛てたものです」
「やっぱり頭痛薬をもらおうかしら」
「たいへん。すぐに」
改めてもう一度呼びとめた。
「いいから、もう」
「そうでございますか」
リリー・マールバラと名乗ったメイドをじっと見る。
年の頃は、ボクより一つ二つ上に見える、かな。たぶん十八歳は超えてない気がする。ニコニコしている。とにかく笑顔だ。だれからも愛されそうな、特に男性が見たら心奪われそうな、邪気を感じない幸せそうな笑顔だ。だけど、ただ明るいだけかと思えばそうでもない。足の運びに無駄がない。とは言ってもそれはよく経験を積んだメイドとしての範疇で、決して見る者が見れば何かやっていると感じさせるものではないと思う。
ボクも冒険者をやっていたんだ。荒事と無縁の一般の人々よりはずっと見る目があると自負している。そんなボクの目にも、彼女の動きはただの優秀なメイドとしか映らない。これならギデオンの目も ――
「あなたのことをだんな様は?」
「もちろんご存じありません」
ですよね~。
わかってたらボクがいるんだからぜったい雇わないでしょう。
過保護だもの、あの人。
「つまり、潜入中のスパイってことよね」
「私は陛下と奥様との間の連絡役です」
「頼んでないし!」
ガタン! 思わず立ち上がってツッコミを入れてしまった。
いけないいけない。貴族の奥様らしく。
「失礼。それで、素性を明かしてどうするつもりだったの」
「どう、とは?」
「屋敷の主人の妻が、主人のいないところで間者と通じるとでも思いましたか?」
「それは、私の関知するところではありません」
「はい?」
いや、キミが勝手に話してきたのに関知しないってなによ。
「私は陛下のご命令で奥様に明かしたに過ぎません」
……ああ、はい。そういうこと。
汚いな、さすが陛下、汚い。
ボクが王都へ行く前から仕込んでおいて、このタイミングでこう、か。
この子の命を使ってボクを試すとかさぁ。
「あなたのことをだんな様に話したら、あなたはわたしと陛下の間の……ちょっと待って。その前に確認させて」
「はい、なんでしょう」
「その、あなたは、わたしのことを?」
リリーはキョロキョロと周囲を窺い、黙って耳を澄ませて人目がないのを確認してから、ボクに向き直る。
おもむろに両手の拳をこめかみの脇に持っていき、そうして、人差し指だけをピンと立てた。
……ツノ、か。
リリーは形を改めて、深くお辞儀をした。
「申し訳ありません。大変失礼な振る舞いだとは存じているのですが、陛下より決して口に出してはならない事だと申し付けられておりましたので」
「知らされているのね」
「はい」
そこまで知っているとなれば、ただの連絡員のはずがないよね。王立情報局の子かな。ああ『勇者』もそこの管轄だものね、そりゃ潜入しやすいよ。
「それで、わたしがあなたのことをだんな様に話せば、わたしと陛下の間の会談の内容が彼に伝わると、そういうこと?」
「いいえ。奥様とのことは決してだんな様に漏らさぬよう厳命されております。どんな拷問を受けても。クスリや魔術を使おうとされたなら、すぐに命を絶って秘密は守りますので、どうかご安心を」
ああああ~~、もう、やっぱり!!!
先日の一件で、だんな様がまだ隠し事をしていることが露呈した。
一例を挙げれば、未だにわたしは弟の話を彼から打ち明けられていない。
仮にそれがわたしを思ってのことだとしても『これからは全てを打ち明ける』と言ったことはうそだった。
要するに、わたしとだんな様の間の信頼関係をここで量っているんだろう。
「リリー」
「はい、奥様」
「十分……いいえ、三十分あげます。その間に荷物をまとめて逃げなさい。三十分後にわたしは、あなたのことをだんな様に伝えます」
「奥様のお気持ちはとてもうれしく思います。ですが、私は逃げません」
「あのね、あなたはどう思っているかわからないけど、そうなればギデオンは間違いなくあなたを拷問にかけた上で殺しますよ」
「よく存じております。あの方は『勇者』ですから」
……相当だ、この子。
『勇者システム』に関しても深いところまで知ってる。
「奥様。私がいまここに立っているのは勅命なのです」
そう。殺されたってどかない、ってことね。
いい度胸してるよ。勇者と魔王の夫婦にケンカを売ろうっていうんだ。
よくわかった。受けて立とうじゃない。
「リリー」
「はい」
「……お茶が冷めたわ。代わりを入れてきて」
「かしこまりました、奥様」
ああ、負け。ボクの負けだ。
そう。
もう一つ。
あの陛下は、ボクがこの子を見殺しにできるかどうかも量っていたんだろう。
ボクはホントに弱くなってしまった。
たぶん、もう二度とボクには、勇者を殺すことはできないだろう。
それくらいに、弱くなった。
心が。
・
・
・
・
「ありがとうございました、奥様」
「なにがよ」
リリーの入れてくれた紅茶を飲みながら、ボクはふてくされていた。
「私の命を助けてくださいました。感謝の念に堪えません」
「ふん、だ。あなたみたいな子は、事もなげに鼻歌を歌いながらでも斬首を受け入れるんでしょ」
「奥様。私は主命とあれば命を捨てることに否やはありませんが、決して積極的に死にたいわけではございませんよ」
……はぁ。ボクはもうホントにダメだよな。
これだってぜったいに演技だよ、ボクの同情を買おうとしてるんだよ。それ以外にあり得ない。
そうは思うけど、やっぱり。
「ごめんなさい。そうよね、みんな死にたくないのに死んでいくんだ」
「奥様……」
そして、ボクはどこまでも弱くなる。
「ねえ、陛下はぜったいこれ、夫婦の間に『離間の計』を仕掛けてるよね」
「申し訳ありません、私は ――」
「はいはい、陛下の命令でここにいるだけね」
「恐縮です」
わかってんだけどなぁ。
「言っておくけど、あなたが不正な手段でカッシングに損害を与えようとしていることを確認したら、今度こそわたしは容赦しない。お願いだからわたしやだんな様に見つかるようなへまはしないでね。見て見ぬ振りとかしないよ。」
「はい」
「返事だけはいいよね、キミ」
「奥様、地が」
「……う、うるさいっ!」
クビにすることも考えたけど、ぜったいにギデオンに理由を聞かれる。たいしたことない事情でボクがメイドを解雇するはずがないって、そう考えるに違いないから。表向きは余所の伯爵家からの紹介でもあるしね。
いま、彼に疑われる行動はぜったいに避けたい。
こう考える時点でもう、陛下にはめられてる感満載なんだよ。
あの陛下は、どこまで調べ尽くしてるんだ。
ボクの性格も夫婦関係もぜんぶ筒抜けっぽいぞ。
夢の有閑マダム生活はどこいったんだろうなぁ。
「それで。陛下からのお言付けとは?」
「はい。それでは、口頭で失礼致します」
聞きたくない聞きたくない聞きたくない聞きたくないぃ。




