第1章 第1節
ピピピ、と気の抜けたアラームで目を覚ます。
布団の中からもぞりと手を伸ばし、音の発生源のある方を叩く。…手応えなし。アラームも止まない。
とりあえずその辺りを適当に叩くも、手応えは無い。
仕方なく体を起こして直接、音の発生源…目覚まし時計を手に取り、アラームを止める。
「ふわぁぁ…まだ眠い……でも今寝たらお昼まで寝ちゃいそう……」
欠伸をしながらベッドからおりる。
机に置かれた卓上カレンダーで、予定を確認する。
今日は非番。「お出かけ!」と空色のボールペンで書かれている。
次に洗面台に行き、髪を梳かした。
前髪をかき上げて青のカチューシャで留める。
今日は任務の予定はないけれど、念の為、イヤリングは付けておく。奇襲や事件に出くわした時の予防策でもあるが、どちらかと言えばイヤリングのデザインが可愛いから気に入っている為、という方が本音だ。
お出かけ用の私服に着替え終わったと同時に、ドアをノックする音が3回。
「はーい!」と元気よくそれに応え、ドアノブを回して扉を開けた。
「ん」
客人は左手を胸元の辺りまで上げて挨拶をする。
私はにっこりと笑ってそれに答える。
「おはようっ、久遠!」
顔の左半分をほぼ覆い隠した前髪。
後ろで1つに纏められた黒がかった濃い赤の髪。
切れ長で少しくすんだ空色の瞳。
私の友達第2号にしてバディ、久遠がそこにいた。
ーーーー…
久遠と出会ったのは、1年と半年前の事。
"WPDCO"の本部があるこの街の南側にある大きな海岸が"転生者"によって襲撃された時だった。
たまたま通りがかった私は、街の人達の避難をしつつその"転生者"の相手をしていた。
なんとかソイツを倒した所に、タイミング悪く(?)久遠が現れたのだ。
『お前…"転生者"か』
『えっ、うん。そうだけど…』
『ならば…斬る』
『うぇぇっ!?』
問答無用で襲いかかってきた久遠に、私は驚くしか無かった。駆けつけた他の"転生者"の方が止めてくれなければ、死んでいたかもしれない。
半ば強制的に"WPDCO"の本部に連れていかれた私は、何故か知らないうちに正式な"WPDCO"の一員になっていた。"WPDCO"の"転生者"は、必ずバディ、つまりペアで任務を行わなければならない。
またしても何故かは分からないけれど、
『今日から、刹那ちゃんと久遠少年でバディを組んでもらいまーっす!因みにバディ解消は不可!仲良く頑張ってくれたまえ!』
『何でコイツと!?』『何でこの人と!?』
久遠とバディを組むことになってしまったのである。
バディを組ませた張本人、千歳先輩に聞いてもはぐらかされてしまい、理由は今でも不明のままだ。
最初の出会いが最悪の始まり方だった事も起因して、私たちは事ある事に喧嘩はするし、戦闘中も息が合わず互いの攻撃で怪我する事もしばしば。
その結果、"WPDCO"で最も仲が悪いバディで一躍有名になってしまった。
そして今から1年ほど前、その不仲が一変する出来事が起きた。
開発班の製造品の1つ、全自動お掃除マシンなるものが(調整をミスした為)暴走し、"WPDCO"中を掃除と称した破壊をし始めた。その時"WPDCO"本部にいた"転生者"は私と久遠しかおらず、2人だけでそのマシンを止めなければいけない羽目に。
しかし、私たちは持ち前の連携の悪さで思うようにマシンを止めることが出来ず、結局は焦れた久遠が1人で突っ込み力任せにマシンを破壊し、暴走は収まった。
……そこまでは良かった。そこまでは。
直後、マシンが自爆(何で搭載してたんだろう?)し、マシンがあった半径1.5メートルの範囲の床が抜け、私と久遠は地下空間に落っこちてしまったのだ。
通信機も壊れ、久遠は足を瓦礫に挟まれ動けない。
私の方も着地の際に足を挫いてしまっていたし、救援が来るまで、その場で待機する事にした。
その間でも当然のごとく口論になったが、途中で私の一言をきっかけに、久遠の様子がガラリと変わった。
『フンだ!久遠の家族に会ったら、久遠の悪いとこぜーんぶ言いつけてやるんだからねーっ!』
『……』
『?……あれ?』
急に黙り込んだ久遠に訝しみ、首を傾げていると、
『…俺、家族がいねぇんだ。"大災厄"の時、両親も妹も死んだ』
重々しい口調で久遠がそう言った。
『えっ…あ……ごめん』
『いや、知らなかったんだからしょうがねぇよ』
久遠はふぅ、と息をつくと、家族が殺された時の事について話し始めた。
ーーーー…
"大災厄"の起きたその日、久遠は"WPDCO"の第1研究所にいた。久遠の妹さんと両親の4人で。
久遠の両親は第1研究所の研究員だったそうだ。
第1研究所は、異世界からもたらされたとされる強力な魔力が込められた物を保管し、観察する仕事をしていたと先輩方による講義で教わった。
久遠と妹さんの2人が両親の仕事の手伝いをしていた所に、"大災厄"が起きた。
確か"大災厄"の発生源は第1研究所だった筈だ。
発生源という事もあり、その脅威は恐ろしいものだっただろう。
気が付いた時には自分は瓦礫の下敷きに、家族達は見るも無残な骸に変わっていたそうだ。
久遠は時々、その時の事を夢に見るらしい。
『視界いっぱいに広がる灰色の空。頬を撫で付ける熱風の焼けるような熱さ。体の上にのしかかる瓦礫の重さと痛み。あちこちで上がる悲鳴と苦痛の声。…あの時五感の全てで感じ取ったものを、鮮明に夢に見るんだ』
そう語る久遠の肩は、少しだけ震えていた。
救護隊に救出された久遠は怪我が完治するや否や、"大災厄"を起こした"転生者"、Disasterを殺す為に、(今は廃止されているが)人為的に"転生者"をつくりだす実験に参加し、僅か1年足らずで"転生者"の力を得た。
その代償に左目の視力を失い、左手の甲に施された術式が無ければ力を行使しただけで理性を失い、敵味方構わず攻撃してしまうようになってしまったそうだが。
代償の事について、辛くは無いのかと聞いてみた。
久遠は、「家族を殺されたと知ったあの時に比べたら、これくらいどうって事ない」と言い、平然としていた。
『…仇を討ったら…その後、久遠はどうするの?』
『さぁ?…今のところは、死のうかなって思ってる。家族の仇を討った以上、生きる理由もねぇからな』
『そんなの…!』
『んだよ、その顔。…じゃあ、お前が俺に、生きる理由でも与えてくれんのか?』
やれるもんならやってみろ。出来もしねぇだろうがな。
みたいな顔をしながら宣う久遠に、私は密かにキレた。
『えっ!?うーん、そーだなぁー…………あっ!そうだ!じゃあさ、私と友達になろう!』
『…………はぁ?』
『友達だよ!とーもーだーち!』
『何で俺と』
『えっ、理由が必要?』
久遠は珍しく驚いた表情を見せていた。
動揺しているのが目に見えてわかる。
『私、久遠と友達になりたい!久遠と一緒に、遊んだら色んな所に行ったり、沢山お話したりしたい!久遠に生きる理由が無いのなら、私が見つけてあげるよ!』
真っ直ぐに久遠を見つめる。
こんなに真剣に誰かに思いを伝えたのは、生まれて初めてかもしれない。
『本気なんだな』
『うん。本気だよ』
『後悔するぞ』
『私は自分の選択を後悔したことはないよ』
『……』
『……………』
3分近く、無言の見つめ合いが続いた。
先に折れたのは、久遠だった。
『……はぁ。わかった、俺の負け』
『!…じゃあ!』
『あぁ。"仕方ないから"お前の友達になってやる。…ただし、Disasterを殺すまでに生きる理由を見つけられなかったら俺は迷いなく死ぬから、覚悟しとけよ』
『おっしゃあ!まっかせといて!』
こうして、晴れて私と久遠は友達になった。
…因みにその後、私は久遠に、何故最初に会った時に私を殺そうとしたのか聞いてみた。
『お前の持つ力と、Disasterの扱ったとされる力が一緒だったんだよ。…だからてっきりそうなのかと…』
『私の力って…。武器の錬成?』
『違う。青い炎の方』
『あ、そっち?…んん?あれ、じゃあ』
たったそれだけの理由で、私はいきなり斬りかかられたって事……?
『悪かったって』
『……』
『反省してる。本当に』
久遠らしからぬ素直な謝罪に思わず無言になってしまった私を、心底怒っていると勘違いした久遠が(私が止めさせようとしても)何度も真剣に謝り続け、救出に来た人達を驚かせたのは言うまでもない。
ーーーー…
その出来事を経てからというもの、私たちの活躍は突如として右肩上がりを見せ始めた。今では、"WPDCO"中に(強いという意味で)名が知れ渡っているくらいだ。
(懐かしいなぁ)
もう遠い昔のような話に思えて感慨に耽っていると、唐突に肩を叩かれた。
「おい、どうした」
「うぁいっ!?」
「1人で百面相し始めてっから、遂に頭がおかしくなったのかと思った」
「酷くない、それ!?」
抗議の声を上げると、久遠はふっと微笑を零すと、歩く速度を少し速めた。私も駆け足気味に追いかける。
「今日はどうするんだ」
「え?」
「せっかくの非番なんだから街に出掛けようと行ったのはお前。…まさか、行き先決めてないとか言わないよな」
「げっ」
しまった。全く決めてない!
「えーっと、とりあえず本屋に!」
「また行くのか?…まぁ良いけど、この前みたいに本屋だけで1日潰す気なら、容赦なく置いていくから」
「辛辣!あ、あの時は偶然だよ!」
「どうだか。これまでで2度もやらかしたくせに」
「うぐっ」
そう。私は本が好きすぎるあまり、久遠とお出かけの時に本屋(しかも同じ店)で丸1日過ごしてしまい、その間声を掛けても反応しなかった為、私は久遠にこっぴどく叱られる羽目になった事が、今までに2回ある。
久遠の「置いていく」発言は、3度目は無いという宣告なのだろう。
…私も、申し訳ないなぁとは思ってるんだけど…。
どうにかして反撃しようと糸口を探っている最中、
「おっはよう久遠少年ー!」
「ぐっ!!?」
元気な声とバシンという盛大な音と共に、久遠が呻き声を上げてつんのめった。
声の主、千歳先輩は長い茶髪のポニーテールを揺らして楽しそうに「おっはよう刹那ちゃん!」と私に笑いかけてきた。
「おはようございます!」
「背中は叩かないでくださいっていつも言ってるじゃないですか…」
背中を擦りながら久遠が恨めしげに千歳先輩を見るが、当の本人は気にすることなく私たちに話しかける。
「今日は2人でお出かけの日だっけ?」
「はい!だから今日は本屋に行こうかなって!」
「今日"も"の間違いだろ…。非番の度に本屋やら図書館に入り浸ってるくせに」
「私がしたいんだから良いでしょ、別に!一生なんてあっという間なんだから、少しでも沢山、本を読んでおかないと!あの時読んでおけば良かった〜なんて後悔、絶対したくないもん!」
「…」
意気込んで言ったのに、久遠の反応は無い。
「後悔、か…」
「……久遠?」
口元に指を触れさせ、久遠が何やら考え始める。
「おっ?久遠少年ったら、もしかして感傷にでも浸ってるのかい?めっずらしい〜!」
空気を読まない千歳先輩が久遠を茶化すと、突然千歳先輩の頭上目掛けて手刀が振り下ろされた。
「いったぁぁ〜!なにすんのさ、千夜乃!」
千歳先輩に手刀を叩き込んだのは、千歳先輩のお姉さんで"WPDCO"ナンバーワンの実力者、千夜乃先輩だ。
千夜乃先輩は、いつも眠たげそうに見える青と黄のオッドアイを剣呑に細め「貴女は少し、空気を読むという事をしなさい」と冷たく言い放つ。
「うっさいなぁ。そーゆうのはアタシの性格には合わないんだってば!」
「姉に対してその言い方は無いでしょう」
「へーんだ!誰が姉だ!アタシは絶対認めないね!」
千歳先輩はそれだけ言うと走り出し、あっという間にいなくなってしまった。
「…」
千夜乃先輩と千歳先輩の仲は、姉妹として言うならばあまり良くない。千夜乃先輩は千歳先輩と仲良くしたいようだが、当の本人が先程のように「姉とは認めない」の一点張りで、2人の距離は縮まらずじまいという訳だ。
「相変わらずですね…千歳先輩」
「ええ」
「何で仲良くしないんですね?姉妹なのに…」
「姉妹だから必ずしも仲良くしなければならないという訳でもありません。…それに、これでも昔より幾許かマシになったのですよ?一言も口を聞いてくれなくて、"あの子"と2人で頭を抱えたものです…」
「…"あの子"?誰のことなんですか?」
その質問をした時、懐かしそうに目を細めていた千夜乃先輩の表情が一瞬だけ曇った。
まずい。しちゃいけない質問だったのかも。
「……あの子は「よ、避けてくださぁぁい〜!」
背後から切羽詰まった声。
振り向くと、大量の本の山が此方に向かって倒れかかってきていた。
慌てて避ける。その際勢いが強かったせいでうまく倒れ込めず、壁にぶつかりそうになり目を瞑るが、いつまで経っても衝撃が来ない。
「…おい」
低い声がかかり、恐る恐る目を開ける。
「久遠!?」
中途半端に倒れかけた私の体を、久遠が支えていた。
「早く退け。重い」
「おもっ…!?女の子にそれは酷いよーっ!」
文句を言いつつ慌てて起き上がり、周囲を見る。
ゆうに20冊はありそうな分厚い本が廊下中に散らばっている。本が倒れてきた方向には、癖のある長い茶髪の人がうつ伏せに倒れていた。
どうやら、つまづいたらしい。
「大丈夫?アデル」
アデルと呼ばれた人は、黒縁眼鏡の位置を直しながら慌てて上体を起こした。
「は、はい、何とか〜…。千夜乃さんも、お怪我が無くて何よりです〜…」
アデルさんはパンパンと白衣の裾を叩くと、廊下に散らばった本を拾い始めた。
「全く…一度に何十冊も持とうとするからよ」
彼を手伝いながら、千夜乃先輩は言う。
しかも心なしか苛立っている。目つきが怖い。
「すみません…他の部署で医療班に置かれた本を使いたいのですぐ持ってきてほしいと言われて…」
「他の班員にも手伝わせれば良いことでしょう?…まさか忙しいからって理由で貴方一人に押し付けた、とかじゃないわよね?」
「皆さん、一昨日から徹夜で一度も休んでいないし、仕事もまだ沢山残っていますから…」
「貴方なんかこれで十徹目でしょう!!いい加減休みなさいとどれだけ言えば良いのですか!!」
アデルさんの目元には、くっきりと隈が出来ていた。
そばかすの浮いた顔も、疲れからか窶れている。
千夜乃先輩が怒るのもわかる気がする。
「カイヤかルベラに、貴方は休暇を出すよう頼んでおきます。丁度いい機会です、あの寂しがり屋の妹とどこかで羽を伸ばして来なさい」
千夜乃先輩は、それでも食い下がろうとするアデルさんに一喝するとスタスタと歩いていってしまった。
しかも、アデルさんが持っていた本のうち4分の3を片手で持ったまま。すごい人だ…。
「アデルさん…怪我はしてませんか?」
「僕は大丈夫ですよ。ありがとうございます、刹那さん。…久遠さんも」
「俺は何もしてねぇ」
「いえいえ!壁にぶつかりそうだった刹那さんを助けていたじゃないですか」
僕もそんな風に千歳さんを守れたらなぁ、とアデルさんはぼやく。その千歳先輩が、「アデルの魔術と治療のお陰で、アタシは全力で戦えるんだ!」と得意げに話していたのを教えたら、この人はどんな反応をするんだろうか。内緒にして、と言われたので言わないでおくけど。
「僕は急ぎ、この資料を届けなければいけないので、これで失礼しますね」
アデルさんは何度か振り返ってはお辞儀しつつ、駆け足気味に去っていった。
毎朝恒例の喧騒が通り過ぎても、私と久遠はその場で立ち尽くしたままだった。どうしようかと心の中で狼狽えていると、私のお腹が盛大に鳴った。
慌てて久遠を見ると、彼は口元に手を当てて声を殺して笑っていた。後でボコる。
「…行くか」
ひとしきり笑った後、久遠は歩き出す。
私も頷き、久遠の後を追った。