序章
- 序 -
こぽり、こぽり。
大小様々な泡が、いくつも出来ては上へと昇っていく。
私の視界は、いつも青くて狭い。
四角くて大きな水槽。そこに私はいる。
水槽の外では白い服を着た研究員達が、目まぐるしく変わる画面の機械を眺め、操作し、紙に書き留め、別の水槽へ駆け回ったりと忙しい。
私はいつもそんな彼らをぼんやりと眺めているけれど、彼らが私を認識する事は無い。
何故ならば、私には彼らのような体が無い。
私の体は水槽を満たす羊水そのもの。
水槽の中心、沢山の管に繋がれた金色の鍵は私の心臓。
目覚めや眠りなんてものは私には無くて、いつも同じ事を繰り返す水槽の外をぼんやりと眺めている日々。
何年も前から変わることなく続くそれは、私にとっては退屈で仕方がなかった。
他の水槽には、私と同じように管に繋がれ、白い服の研究員の様な体を持った同胞たちがいる。
しかし、彼らが目覚めることは決してない。
私が彼らのような体を得ることが無いのと同じように。
白い服の人達は、時間になると一斉にいなくなる。
部屋の電気は落とされ、夜が訪れる。
いつもなら人ひとり訪れない筈だが、どうやら今夜は違うらしい。青く煌々と光る私の水槽の光が、誰かをぼんやりと照らしだした。
頭で高く1つに結わえた白銀の髪。
丸くぱっちりした瞳は片方が蛍光色の桃色で、もう片方は深い海の様な青。
何の装飾もない淡い空色のワンピースを着た、女の子。
女の子は私の水槽に手を触れると、何かを呟いた。
途端、体が怠くなり視界が真っ黒くなっていく。
その時の私には、それが眠気である事が分からなかったけれど。
意識が真っ黒く塗りつぶされる直前、相も変わらず水槽の外で微笑んでいる女の子に、私は問いかけた。
ねぇ、あなたは、誰なのーーーーー?
ーーーーーーーー…
身体中を苛む痛みで目を覚ます。
指の先まで痛みのせいでジーンと痺れて、身動きが出来ない。仕方ないので、視線だけで辺りを見回す。
黒い雲が隙間なく空を埋めつくし、薄暗い。
自分と家族がいた研究所は、全て瓦礫と化していた。
身体の痛みは、自分の上にある瓦礫のせいだった。
辛うじて手と頭だけは動かせたので、何とか瓦礫の下から抜け出そうと試みて力を込めたら、軽く意識を失いかけた。
何故か頭が酷くクラクラする。視界も心無しか赤い。
額に手を触れると、ぬるりとした感触。
どうやら頭から出血しているらしい。
(構うものか…それより、家族は何処だ…)
辛うじて生き長らえている人達の苦悶の声、あちこちで上がった火災と逃げる人達の叫びや悲鳴。
そして今なお続く崩壊による激しい爆発音。
思わず耳と目を塞ぎたくなる程、酷いものだった。
探していた人達は、すぐ見つかった。
自分の目の前で、瓦礫の下敷きになっていた。
「父さん…母さん…結莉」
いくら呼んでも、返事は無かった。
(何でだよ…何で、どうして…っ!)
研究所の爆発はなんの前触れもなく、そして一瞬の出来事だった。
逃げる時間すら与えられず、自分達は爆発に巻き込まれた。
何故爆発が起きたのか、誰がやったのか。
それすら、今の自分では考えることが出来ない。
突然家族を失った事が、自分の中に深い絶望の影を落としていたからだった。
呆然としていた時、遠くで火の手が上がる。
ゴウゴウと燃える炎は、美しい青色をしていた。
「……ろして、やる…」
気がつけば、その炎…の近くにいるであろう、この惨状を引き起こした者に向かって叫んでいた。
「俺の家族を殺したお前を、俺は絶対に許さない!殺してやる!絶対殺してやる!どんな手を使ってでも、必ず!!」
ーーーーー…
自らの力のなさと人間の非情さに怒り狂う者と、突如大切な者の命を奪われた事に対する絶望と復讐を叫ぶ者の慟哭を、2人の神が見ていた。
1人は地上から彼らの絶望と怨嗟にほくそ笑み、
もう1人は天空から彼らを何処か悲しげにも見える無表情で見つめる。
2人の神は、やがて雨が降り始めると空気に溶け込むようにして姿を消した。
ーーーーー…
研究所を中心とした爆発と崩壊は街にも及び、沢山の死傷者を出した。
この事件は"大災厄"と名付けられ、毎年この日になると街全体で黙祷を捧げるようになった。
そして"大災厄"を起こしたとされる"転生者"はDisasterと呼ばれ、今でも行方や外見は不明のままだ。
そして"大災厄"が起こってから5年。
かつてDisasterに復讐を叫んだ少年は、1人の神様と出会う。
自分たちがやがて大きな敵を倒し、世界に変化をもたらす事になるのを、2人はまだ知らない。