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はじまりの場所へ

掲載日:2016/12/14

 風が吹く。

 緑の丘に、優しい風が吹く。

 見下ろす斜面に立ち並ぶ墓石の数は、もうわからない。


 そこに立つ人間は、たったひとり。


 穏やかな風に長い髪をなびかせて、少女は涙を流す。

 こぼれた涙が、風に乗ってきらりと光った。


 丘の頂上に最後の墓石が立ったのは、つい先ほどのことだ。

 それは、彼女の母のもの。

 この惑星にたった二人だけになっても、最期まで生き続けることを選んだ、強い母の。


「不思議。パパが死んだ時より悲しいのに、大声で泣く気にならないなんて」


 髪をかき上げ、ひとりつぶやく。

 彼女は最後の人間だ。

 あらゆるネットワークで確認した。

 他の殖民惑星にも、どこの宇宙コロニーにも、すでに人間はいないと出た。


 そう、全人類の故郷、地球にさえ。


 広い宇宙で、本当に全ての地球人が死に絶えたのかはわからない。

 けれどたぶん、ここにいる自分が最後の一人で間違いないだろうと思う。


 他の星への移民が始まる以前から、全人類の名前、性別、生年月日、身体的特徴その他、個人を特定する情報はデータベースに登録されていた。一時期は管理できないほどに増え、非合法に生まれた者などが登録外ながらも生きていたというが、ここ五百年はそれもなくなっていた。

 それに、行方不明者があり得なくなったのは、もう千年以上も前の話。密林で人知れず生きる者も、もういない。


 だから、そう。

 地球人の血を引く者は、とうとう最後の一人になってしまったのだ――。


「家に帰らなきゃ。これからどうするか、決めなくちゃ。ママ……、わかってる。絶対に、自分から死んだりなんかしないよ。だからどうか、安らかに」


 目を閉じ、手を組んで、祈る。


「安らかなる旅路を」


 さあっ、と緑を揺らして風が通り抜けた。

 目を開けて、丘から世界を見渡して。それから少女は、墓場に背を向けた。

 ひとり歩き出す少女は、決して振り返らなかった。


 誰もいなくなった緑の丘に、優しい風が吹く。

 空はどこまでも白い雲に覆われていた。





 その夜、夢を見た。


 ああ、夢を見ているんだな、とわかるような夢だ。

 宇宙に浮かぶ、生まれ育った星、ララ。

 全天を雲が覆う惑星ララは、こうして宇宙から見るとまるで真珠のよう。


「綺麗な星だな、お前の育った星は」


 どこからか、声が聞こえる。


「うん。地球のように青くはないけど、好きだよ」

「私もだ。数ある殖民惑星の中でも、ララは格別、私好みの星だ」


 声が、すぐ隣で聞こえた。ララから目を離して、そちらを見る。

 少し年上の、十四、五歳くらいの少女が、目を細めてララを見つめていた。


「あなたは誰?」


 記憶に無い人物だ。

 尋ねると、微笑んでこちらを向く。

 黒い目と、青い目が合わさる。


「自己紹介は、実際に会った時にしよう」

「……会えるの? でも、人間はみんな死んだはずだわ」


 戸惑う金髪の少女に、黒髪の少女は笑いかけた。

 金髪の少女の知らない感情の笑顔。嬉しいのか、楽しいのか、そのどれとも違う気がする。


「そうだ。お前が最後。だから会える。どうする?」

「え?」

「私は、最後だからこうして出てきたが、お前が拒むなら」

「待って!」


 黒髪少女を遮って、叫ぶ。


「会いたい! あなたが誰だろうと、会いたいわ!」


 金髪少女の叫びに黒髪少女が笑う。とても、とても嬉しそうに、笑った。


「ありがとう。数日、待っていてくれ」


 見ているほうまで嬉しくなるような笑顔が、薄れていく。

 待って、と手を伸ばした金髪少女は、そこが自分の寝室だと気づいて、残念そうに手を下ろした。


 夢。夢だ。

 だけど、ただの夢じゃない。あの子が見せた夢だ。


 こういう夢を見せられるということは、あの黒髪の少女は能力者。

 一般人の持ち得ない特殊な能力を持つ者。


 それなら、なんとなくわかる気がする。

 あの子はきっと、見た目以上に年を重ねた、不老長寿の能力者でもあるんだ。遠い昔に出来た、科学技術による十年単位の延命術ではなく、数百年間生きられる能力者。そういう能力者は、現代に近づくほど増えていったらしい。

 最後まで生き残るのがそういう能力者じゃないということを、ずっと不思議に思っていた。

 だけど。


「まだ、いたんだ」


 ぎゅっと、膝を抱える。

 この広い宇宙で、独りぼっちで生きなきゃならないと、そう思っていた。

 だけど、ああ!

 独りじゃなかったんだ!

 

 母が寝込んで以来、少女は初めて心からの笑顔を浮かべた。






 それからララの時間で七日、まだかまだかと待つ日々が続いた。

 黒髪の少女の夢は、あれ以来一度も見ていない。

 白い空の下、金髪の少女は緑の丘から世界を見渡す。

 黒い墓石の群れが、それだけが、ほかにも人が生きていたという証のような気がした。だから彼女は、両親の墓参りに行くだけでなく、好んでその丘を訪れていた。


 墓場の向こうは、誰もいない町の広がる平野。ただ機械だけが、町の機能を維持し続ける。

 いつ誰が来ても、快適に暮らせるように。

 そんな景色も、彼女には人の気配を感じさせない。彼女が生まれた頃にはすでに、五人しかこの惑星には住んでいなかったのだから。


 町を越えた先、はるか彼方の地平線。いつの間にか、その向こうにララの太陽が沈もうとしていた。雲が、赤く染まっていく。


 暗くなる前に帰ろう。

 暗くなったからと言って、何が起こるわけでもないけれど。


 少女は立ち上がり、服についた草や土を払う。両親の墓に手を合わせて、彼女は帰る。

 今日もあの子は来ないのだろうと、半ば諦めかけている気持ちで。


 まだ薄明るい世界で、町の明かりが灯る。

 ぱぁっと明るくなった世界を、たったひとりだけの乗客を乗せて、無人運転のバスが走る。

 きれいに整備された町並み、ごみひとつない広い道路、無人の家で咲き誇る庭の花々、それらを維持するために動き続ける機械。


 先日、制御機械にアクセスして、使わない場所の機械を止めようとしたけれど、少女の知識では叶わなかった。


 少女以外いない、無人の町。

 なのに、人のために機械は働き続ける。


 太陽が姿を隠すその寸前に、バスは少女を送り届けた。

 道の先、バスの向かう方向で、最後の光が消える。なんとなくそれを見届けて、彼女は誰もいない我が家へ入った。


「……あれ」


 誰もいない我が家、のはずだ。


「誰かいる」


 期待と、不安。

 まさか、もしかして。


 知らない音楽が流れてくる場所を探して、少女は走る。一人で暮らすには広すぎる家。それでも、家族との思い出が詰まっている家だ、どの部屋に何があるのかくらいはちゃんとわかっている。


 しゅん、と音を立てて、少女のためにドアが開いた。


 ここだ。

 古いオーディオデッキがある、談話室。床には白いじゅうたん、ガラスの天板のテーブル、黒く大きなデッキ、水色のソファ。

 息を切らして部屋を見渡す。


 黒いデッキは、案の定とても久しぶりに動いている。穏やかに流れる歌は、少女の聞いたことの無い歌。

 同じ色が、水色の上にあることに少女はすぐに気づいた。


 漆黒の髪の少女。

 自分より年上らしい女の子が、ソファで疲れたように眠っていた。


 そっと近づいて、その顔を覗きこむ。

 ぐったりしていて具合が悪そうだが、確かに夢に見た少女だ。本当に来てくれたんだ。


 なんだか、起こすのは悪い気がする。すぐにでも話したいけれど、もしかしたら着いたばかりなのかもしれない。夕食の用意をして、それから起こそう。


 そう決めると、家主の少女は静かに部屋を出た。

 ダイニングで誰かと食事をするのはずいぶん久しぶりだ。キッチンでは、二人分の食事を作るよう、機械の設定を変えてきた。

 二人分。

 そう思うたび、自然、テーブルを用意する少女の表情は明るくなる。普段ならテーブルの準備も食事を運ぶのも全部機械にやらせるが、今日は自分でやりたい気分だ。

 談話室からもれてくる歌にあわせて、体も揺れる。


 こんなに楽しい気分はいつ以来だろう!


 キッチンから出来上がった食事を二人分運んできて、並べて、よし、と拳をにぎった。

 笑顔のまま、少女は再び談話室を訪れる。

 客人は相変わらず眠ったままだけど、食事の用意も出来たことだし、起きてもらおう。


「あの」


 手を触れて、声をかけただけで、客人は目を覚ました。薄く開いた目をこすりながら、身を起こす。

 驚いて手を引っ込めたところで、目が合った。

 一方は、輝く宝石のような綺麗な青い瞳。

 一方は、吸い込まれそうなほど漆黒の瞳。

 互いの目に相手を映して、しばらく見つめ合って。どちらからともなく笑った。


「はじめまして」



 それから、年下の少女は夕食が出来たことを告げ、年上の少女は嬉しそうにうなずいた。


 ダイニングで向かい合わせに座って、二人は黙々と食事をする。

 変に緊張して、話題が出てこない。聞きたいことはいっぱいあるはずなのに、何もかも判っているような顔で食べ続ける目の前の子に、何も言えない。

 それでも、久しぶりに誰かと食べるのは楽しい。黒髪の少女も、おいしそうに食べてくれた。もっとも、作ったのは機械なのだけれど。



 食後のお茶を機械が持ってきて、一息ついたところで、客人がやっと口を開いてくれた。


「おいしい食事も頂いたことだし、そろそろ自己紹介といこうか」

「うん!」


 ぱっと、笑顔が広がる。その様子を見て、もうひとりも笑った。


「私はアオ。地球生まれの、気づいていると思うが、能力者だ」

「あたしはステラ。ララ生まれの、最後の人間だよ」

「よろしく」


 握手して微笑んで、二人は久しぶりの会話に喜んだ。

 話はまず、アオからステラへの質問で始まった。


 ステラがこの星で独りになったのはつい数日前であること。亡くなったのは母で、もともと病弱であったこと。だけどとても強い人だったこと。大好きだったこと。


 母のことを話すときに、ステラは少しだけ泣いた。黙って待ってくれるアオの心が、とても優しくステラの心を包んでくれた。そのおかげで、泣くのは少しですんだ。


 それから父の話。ステラの父は、この星最後の男性だった。ステラが生まれたときにはもう、この家族三人以外には高齢の女性能力者と、延命術を拒否した女性の二人しかいなかった。

 母がステラを産んだ時はだから、全員が喜んだという。

 そんな父は力強くて、大きくて、怒ると怖かったけれど、愛情に満ちた人だった。父はその後不治の病にかかってしまい、ステラが十歳になる前に亡くなってしまった。病弱な私より先に逝くなんて、と母が困ったように笑いながら涙を流していたのを、ステラは覚えている。


 もう、三年前の話だ。


 そこからの二年間で、ララの人口は二人になってしまった。

 能力者でみんなのおばあちゃんだった人が、一年前に亡くなった。みんな、先に死んでいく、とつぶやく母の声を聞いた。暗い部屋の中だったから、その時泣いていたのかはわからない。


 それからの一年は、母と二人、寂しいけれど楽しい毎日だった。

 二人きりの避暑旅行、二人きりの紅葉狩り、二人きりのホワイトクリスマス。


「これをもらったの」

「ラピスラズリだな」


 ステラが首から提げたペンダントを目の高さまで上げて見せると、アオが感心したような顔でつぶやいた。


「知ってるの? ママは、一目見て気に入ったから買っただけで名前も知らなかったのに」


 驚いて言うステラに、アオのほうも驚く。


「女性が宝石にうといというのはなかなか珍しいな」

「うーん、そうかな? あたしもあんまり知らないよ。でもこの石は好きだな。なんだかとっても神秘的」

「私も好きだ。濃い青に金色や白が混ざっている様子は、まるで星空か、地球のようで」

「星空……」


 その言葉にステラがうっとりと目を閉じる。


「そういえば、ララは常に雲が空を覆っているから、星空を見たことが無いのか」


 アオが思いついたように言えば、ステラはこくりとうなずいた。


「絵や写真や映像なんかでなら見るけど、実際には見たことないなぁ」


 つぶやいてステラは石を掲げた。


「では、見に行くか?」


 さらりと、近所の公園にでも誘うように、アオが言った。






 驚きに満ちた顔のステラと、無表情のアオが、超長距離航行の可能な宇宙船を管理する機械の前に立っている。


 アオがその機械を慣れた様子で操作する。

 ステラはその側で作業をじっと見つめる。


「さて、本当に構わないな?」

「う、うん」


 最後の決定の前に、アオが確認をする。ステラが少し緊張してうなずく。

 アオがにこりと笑った。


「これでよし。さあ、乗り込むぞ」

「うん」


 緊張した面持ちで、ステラが嬉しそうにうなずいた。



 アオとの出会いから、わずか十日――

 殖民惑星ララで生まれた最後の人間の旅が、始まった。



 

 約束の時は近い。

 おわりを迎えるために、はじまりの場所へ向かう旅が、始まる。



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