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 海外旅行から帰って来ると、日本のじめじめした気候にうんざりすると言う。特にカビの生える梅雨の季節は、乾燥した地域の人間から言わせれば体中に油を塗られているかのようで非常に不快だそうだ。湿度は肌に良いものとされるが、慣れるのには時間がかかるらしい。

 しかし、逆に日本人は梅雨をどう感じているかと問われると、他国人と同じように不快である。毎年のこととはいえ、こればかりはどうしようもない。

 本日は待ちに待った実地訓練の日である。訓練地は学生には非公開だが、おそらく日本よりは赤道に近い熱帯地域だろう。訓練生を取り囲む鬱蒼たる木々と猿や鳥の声と思われる音は、以前何かのドキュメンタリーで見た景色を彷彿とさせる。ジャングルの中なのだ。霧雨が降っているが、気温は二十度以上あるだろう。ミストサウナのように、何度ぬぐっても顔面を水滴が覆う。せっかく塗った迷彩メイクも落ちてしまうのではないかと思うほどだ。

 リョウとリンコを含め、およそ五十人の学生が参加していると言う。しかし、この分では他の生徒に出会うわけもないだろう、とリョウは内心ほっとしていた。ただでさえ鬱陶しい大自然のために視界は最悪だと言うのにそれに輪をかけたような悪天候であり、騒音やぬかるんだ地面のために五感はかなり疲弊している。それはリョウ以外の生徒についても同条件のはずであり、それならばお互いに相手を見つけたくないと考えるのが道理である。

 リョウはナイフで淡々とツタを切り裂きながら、泥道を突き進んでいく。後ろからはリンコの荒い息遣いが聞こえる。もう半日以上歩いているのだ。リョウの役目は進路の決定と前方の索敵及び状況確認。リンコは前方のさらに広範囲や左右、背後を視野に入れて、索敵において決して取りこぼしのないようにしている。リンコの持つ機兵化した目の能力を最大限に利用した役割分担だった。

「なあ、リンコ。もうスタートから結構経つぞ。いったいいつまで歩けばいいんだ」

「知らないわよ」リンコが疲労を隠したような声を出す。「金曜の夜に飛行機に乗って、あたしたちは今日の早朝に着いたのよ。他の連中が、いつどこで落とされているのかもわからない。ひょっとしたら、このジャングルは思った以上に広いのかも。噂じゃあ、日をまたいでゴールした学生もいるみたいだし、実際この訓練は申請すれば公欠扱いになるのよ」

「ってことは、週末だけじゃ終わらずに月曜までゴール出来ないやつもいるってことか」

 リョウは途端に、本日中にゴール出来ないのであればもっと歩くペースを遅くしたほうがいいのではないかとか、今日は晩飯にありつけるのかといった考えを巡らせた。終わりの見えない訓練を前に、早くも現実逃避し始めているのだ。

 金曜日の夜、授業を終えた後でリョウとリンコは訓練参加者の集合場所へと向かった。持ち物は特に指定されていなかったが、現場へ着くとすぐに訓練用の迷彩服を支給されて、すぐに着替えるよう言われた。

「その服は使い捨てだから、今回の訓練でボロボロになっても気にしなくていいわ」

 受付をしていた女性は、笑顔で言った。

「ボロボロになるような訓練なんですか?」

 リョウが尋ねると、女性はやはり笑顔で答える。

「そうねえ。死者は出ていないはずだけど……大けがしてギブアップする学生や学園自体をやめちゃう学生も確かにいるわね。後、行方不明になってそれっきりって学生もいたような、いないような……」

 あっけらかんと言ってのけた女性に、リョウは良い知れぬ恐怖を覚えた。そして、ひょっとして参加を辞退するなら今しかないのではないかと考えたが、後ろで「早くしなさい」と言っているリンコのいらついた顔を見ると、観念するしかないようだ。リョウはすごすごと案内された更衣室へと入った。

 着替えを済ませて来ると、そのまま女性に連れられて、すぐ裏手にある学内空港へ向かった。校外演習とは聞いていたが、基地内の設備を使うのだろうと思っていたリョウは、ここで初めて海外で行うのだと知らされた。案内された先では、小さい割にハイテクそうな印象の飛行機が待ち構えていた。すると女性は「席に着いたらこれをかぶってね」と言って、リョウとリンコに黒い帽子のようなものを渡した。

「なんですか、これ?安眠マスク?」

「違うわ。この訓練では原則他の参加者の情報は得られないようになってるの。それをかぶっていれば、お互いに顔がわからない。誰が参加しているのか、誰と誰がチームなのか、全部秘密ってわけ。馴れ合い状態になると訓練が破綻しちゃうでしょう。ちなみにそのマスク、軽い防音機能もあるから安眠用にもバッチリよ」

 女性はくすくすと笑って、二人を飛行機の中へと入れた。辺りを見渡すと、なるほど全員マスクを着用している。間接照明だけの薄暗い機内では、マスクをしているだけでも十分に人相を隠すことが出来るのだと納得した。他の参加者にならって、リョウとリンコも席に着いてからすぐにマスクをかぶった。

 しばらくすると、マスクの防音機能もあってかリョウは徐々にまどろんできた。そこに活を入れるかのごとく、防音をぶち破る大声が聞こえた。どうやら機内にも関わらずメガホンを使っているらしく、スピーカーが音割れしている。リョウはすぐに声の主は監督だと気付いた。

「お前ら、よく聞け!これから今回の校外演習プログラムについて概要を説明する。演習内容は各自訓練場内で目的地まで到着すること。制限時間は一週間だ。これを過ぎたチームについては失格とみなし、単位は認定されない。これから、各グループにGPS付きの電子マップ端末他、訓練に必要なものを渡す。端末には緊急救援信号を発信する機能も付いているから、いざという時に使え」

 言われてすぐ、リョウの手元に大きなリュックが置かれた。飛行機の座席は真ん中に通路を挟んで一列四座席。通路側に座っていたリンコが、渡された重たい荷物をリョウのほうへパスして来たのだ。腹部に突然与えられた衝撃に、リョウはカエルのような声を出した。

「お前らはこの後、チームごとにバラバラのスタート地点へと移動になる。スタート地点に到着する五分前に、各座席頭部についたスピーカーからアナウンスする。五分後には、各々のスタート地点へとダイブだ。到着したチームから随時スタートすること。以上!」

 監督が話し終えてすぐに先ほど案内してくれた女性による補足説明が合った。挙手制で質問を取ると参加者の名前が割れてしまうため、よくある質問への答えを伝えるからそれで我慢しろということだ。ほとんどのことは留意しておくほどのことではなかったが、例年GPS端末を紛失したために迷子になってしまう学生がいるらしい。捜索に時間がかかり、期限を超過してしまうと最悪の場合は退学のなる恐れがあり、現実にそうなった訓練生もいるそうだ。端末の管理には十分に気をつけなければならない。

 そしてもう一つ、目的地への到達が早い順に先着でボーナスポイントが入る。認定される単位が増えるだけではなく、別に特記事項として学校側が個人の実力を証明してくれるのだ。傭兵コース出身者といっても、雇用条件のいいところと契約するためにはそれなりの準備がいる。この措置は学生にとって喉から手が出るほど欲しいものだ。

 リョウは俄然やる気が出てきたと同時に、周囲からのただならぬ殺気に気がついた。完走が目的の野外訓練から、他人を蹴落としてでも一位を手にするデッドレースに進化してしまった瞬間だった。始まってしまえば、特に監視もないサバイバル戦だから、容赦のない戦闘が繰り広げられるのは必至だ。

 マスクの中で青くなっているリョウの手を、リンコがぎゅっと握って「大丈夫だから、訓練に備えて早く寝なさい」と小声で言った。もちろん、他の訓練生はマスクの防音効果のために全く聞こえなかっただろう。このマスクの向こうでは、リンコもマスクをかぶって寝ているのだ、と思いながらリョウはひと時の眠りについた。

「桜井リョウ・久居リンコチーム。到着五分前です。適切にシートベルトを装着しているか確認しなさい」というアナウンスによって二人は目を覚ました。二人は手探りでシートベルトを確認し、五分後の飛行機離脱に備えた。説明によると、この椅子はパラシュートになっているらしく、参加者はこの椅子ごとスタート地点に落とされるのだと言う。この飛行機は参加者でいっぱいだったから、全員がスタート地点に着いたら客席は全部なくなってしまうのだろうか、とリョウはなんとなく思った。

 説明で聞いた手順通りにいくつかスイッチを押すと、椅子は二人をぐるりと包み、落下準備万全の体勢となった。まるでお握りの具になったような状態だが、どこかに空気穴があるらしく呼吸は問題なく出来る。ただ、頭蓋骨を守る設備がかなりしっかりと働いているため、腹部に荷物を抱えているリョウにとっては、実際の広さよりもずっと狭苦しく感じた。

そして唐突に二人を中に入れた椅子が音を立てて、空中へと投げ出された。飛行機から離脱したのだ。五分前に連絡があったとは言え、その間ずっと時間を計っていたわけではない。乗っている側の観点から言えば、いきなりハッチが開いて、いきなり落下したような具合だ。

 外の様子は内側からはわからない。二人を包んでいる、先ほどまでは椅子だったこの機械が自動で落下位置を探し、最高のタイミングでパラシュートを開く仕組みだ。とは言え、自分は今落下しているのだ、という感覚は伝わっている。シートベルトで固定されて、地に足もついているはずなのに、どんどん重力に引っ張られている。外部の情報がわからない分、旧式のパラシュートより断然怖いな、とリョウは内心思った。

 パラシュートが開いてから着陸まではあっという間で、二人は機械の指示に従って外に出た。

 長い空の旅からようやく開放されて意気揚々と扉を開いた先にあったのは、絶景とも言える大自然だった。ジャングルである。ちょうど二人が着陸した辺りの木々だけが、くり貫いたかのように禿げている。この機械が着陸直前に木々を根こそぎ刈り込んだのか、それともあらかじめ何かの要因で木のなかった所に着陸したのかは定かではない。どちらにしても凄い技術力である。

「なあ、リンコ。この機械ってこのまま放っておいていいのかな?誰かが見つけたら、分解して機密の独自技術が盗まれちゃう気がする」

「ああ」リンコは事も無げに言う。「いいのよ。これは有機物で出来てて、着陸と同時に凄いスピードで腐食が始まるらしいの。この場所じゃ、今日中にはもう原型とどめてないだろうし、そうなってからじゃあ持って帰って分解なんて出来やしないわ」

 リンコは心底嫌そうに周囲を見渡した。温度も湿度も、生鮮食品を置いておくには難しい気候である。さらに獣の声や虫の羽音が、騒音のように響いている。恐らくリンコの読み通りになるだろう。

「さあ、とっとと出発するわよ。一週間以内だなんて言ってたけど、冗談じゃないわ。この週末で帰ってやるんだから!」

 リンコが改めて意気込んで見せる。リョウとしても、こんなところに長居するつもりは毛頭ない。とっとと機兵化を成し遂げて、自室でゆっくりとしていたいのだ。

 リンコの持つマップ端末に従って、二人は目的地へと出発した。しかしこの端末が曲者だった。マップとは言うものの、周りはジャングルであり道路や建物の区画が表示されるわけではない。ただ、現在地と目的地の両方が画面上で点滅して、そこに至るまでの距離と方角、そして日時が表示されるだけである。今までは限定された区画内での訓練を主に行ってきた二人にとって、初めての体験だ。勝手がわからない二人はすぐに、とりあえず歩いてみようという結論に達した。

 ジャングルの中という経験も、二人にとってあまり多くはなかった。ぬかるむ土に足を取られ、道なき道を切り開きながら進むのだ。お互い、ナイフと散弾銃とで護身しているし、機兵化しているリンコがいるから猛獣に出くわしても対処出来るはずだが、それにしても心細い。

「大声で呼んだら誰か返事しないかな。そうしたらもう数人のグループでゴールまで活動すれば都合がいいだろ」

 リョウは前方を注視したまま言った。

「駄目。説明で先着順にポイントが加算されるって言ってたでしょ。ほかの連中を蹴落としてでも一番になりたいやつなんて大勢いるはずよ。仲間になるフリをして襲われる可能性もあるんだから、基本的に訓練中はあたしとあんた以外は信用出来ないと思いなさい。それに馴れ合い状態になったら訓練の趣旨にも反するわ。第一、目的地が全員同じとは限らないでしょ、お馬鹿」

 そこまで言わなくてもいいだろ、とリョウは思った。リンコの性格上、提案が否定されるのには慣れっこだが、こうも完全に論破されるとモチベーションが下がる。

「あと、訓練中に私語は厳禁よ。もっと集中しなさい」

「はい」

 ……いちいち、もっともな物言いだよな、別にいいけど。

 そうして半日が過ぎた。この時点で、他の訓練生や猛獣には出くわしていない。二人とも怪我はなく、装備にも不具合は起こっていない。もちろんマップ端末も健在であり、唯一の変化は途中で雨が降り始めたぐらいだ。

ただ、二人は絶望的に体力を消耗していた。途中二度休憩を取り、食事も十分にとった。しかし、不愉快極まる熱気と湿気、幾重にも幾重にも立ちふさがる木・枝・ツタ、足元を狂わせては二人からエネルギーを奪う土。ジャングルに備わる属性の一つ一つが、確実に二人の力を吸い取っていた。

そして目的地までの距離は五十キロ。この半日歩き通した二人が進めた距離は、わずか三キロである。制限時間内のゴールさえ絶望的だ。

 午後五時を過ぎたころ、二人は歩くのを中断し寝床の準備を始めた。周囲の安全を視覚で確認出来るうちに安全な場所を確保しなければならない。ジャングルには夜行性の猛獣たちが山のようにいるのだ。夜中、明かりを灯して作業していれば、餌食になることは必至だ。

 リョウは二人分のハンモックを、なるべく丈夫で高い木に設置した。出来ることなら、アクシデントが起こった時に絶対逃げられる経路も欲しいところだが、それは高望みである。せいぜいハンモックの結び目を最大限頑丈にするぐらいが、今リョウに出来ることのすべてである。

 ハンモックの完成を見計らったかのようにリンコが帰ってきた。寝床から半径十メートルの安全確認をしていたのだ。リンコは戻るや否や、どっかりと地べたに座り込む。

「お帰り。どうだった?」

「今のところはとりあえず何もいないわ。一応、虫除けと蛇除けと虎除けは撒いてきたけど。それ以外が登場したらお手上げね」

 リンコは大げさに手を広げて言った。

「ありがとう。それだけやれば大丈夫さ。それに荷物にはそれしか入っていなかったわけだから、きっとその他は気にしなくていいってことだよ」

「そうだといいけどね。でも虫なんて毎年凄い数の新種が見つかっているのよ。こんな人智の及ばない未開の土地なら、人間を主食にする巨大昆虫がいたっておかしくないんだからっ」

 続けてリンコは道中の文句を言い始め、リョウは苦笑しながら話を聞き、夕飯が出来るのを待った。夕飯はご飯と、一日に必要な栄養が一度に取れるという、肉なのか魚なのか、はたまた根菜なのかわからない学園特製の食品である。食べやすいようカレー風味にしてあるが、口に入れればカレーでないことはすぐにわかる。以前リョウが孤児院に持っていったところ「健康になりそうな味ね」との感想をアニーからもらった。どちらもケース入りで、付属された紐を引くと中の火薬が反応して温まる仕組みである。

「……いつまで続くのかな。この訓練」ふいにリンコが話を変えた。「今日一日歩いてたのよ。それで三キロしか進めてなくて、目的地まで残り四十七キロもあるのよ。どうやったって十日以上かかるじゃない。それを一週間なんて、はっきり言って不可能よっ」

 リョウも同じことを考えていた。今日、二人は早朝からほとんど歩き通しだった。その間歩くペースは悪くなかったし、猛獣や他の訓練生に邪魔されたわけでもない。言うなれば、今日は二人にとってベストコンディションだったのだ。にもかかわらず、二人が移動できた距離は三キロ程度。このままでは制限時間に間に合わないことは明白だ。

「ちょっと、リョウ。聞いてるの?明日は早起きして、今日よりも速いペースで行こうって言って……。ねえ、リョウ、リョウ!」

 リンコは声量を下げると「誰か来るわ」と囁いた。瞬時に二人は身を伏せ、リョウはナイフを、リンコは散弾銃を手に取った。

「人数と距離は?」

「二人。もう三十メートル圏内に入ってる。まっすぐ向かってくるわ。ねえ、どうする。応戦しましょうか?」

 薄暗い森の中で、リンコの片目が一瞬月明かりに煌く。銀色の光だ。リンコは今、機兵化した目で二名の人影を捉えている。望遠か、赤外線か、サーモグラフィか。あるいはそれらの能力を総動員しているかもしれない。つまり他の誰でもなくリンコだからこそ、この距離で対象を目視するという芸当が出来るのである。ということは、先方が同じく機兵化した目を持っていない限りリョウたちの存在を知る術はなく、こちらにやってくることへの他意もないはずだ。

「いや、向こうの狙いがわかるまで様子を見よう。暗闇の中なら、リンコが圧倒的に有利だ。後手に回っても押し勝てる」

「了解」

 二人は息を殺して、侵入者の到着を待った。リョウは木の陰に隠れ、リンコはありったけの木の葉をかぶって地面に伏せている。相手の足音に集中しているため、先ほどまではうるさくてたまらなかった動植物の音さえ二人の耳には入らない。

 しばらくすると、相手の姿がリョウにも視認出来るまで近づいてきた。自然とナイフを握る手にも力が入る。リョウはそれに気づき、相手に集中するよう自分自身に念じた。

相手の二人組みもやはり訓練生だ。怪我をしているのか、うつむいた様子で歩いている。「おかしな連中ね」

リンコが誰に言うでもなく小声でつぶやいた。それに反応してリョウは一瞬、リンコのほうを見た。

リョウは戦慄した。リンコのすぐそばで、温めていた夕飯が湯気を上げていたのだ。もちろん湯気を遠方から視認出来るとは考えにくいが、臭いとなると話は別だ。極力臭いを出さないよう作られているはずだが、他に何もないジャングルでは目立ち過ぎる。人間のいる証拠としては十二分である。大失態だ。

 リョウは唾を飲み込んだ。

 来るなら来やがれ。こっちには暗闇のスペシャリストと、三年目にして傭兵コース進学を果たした期待の新鋭がいるんだ。おれはまだ機兵化出来てないけど、ゲリラ戦ならお手の物だぜ。……出来れば素通りして欲しいけど。

 心臓を高鳴らせているリョウたちの前に、ようやく侵入者がやって来た。何かを探しているらしく、きょろきょろと周囲を見回している。

「……いないね」

 侵入者の一方が口を開いた。女の声だ。もう一方は、まるでコンタクトレンズを落としたかのようにしゃがみ込んで、しきりに探し物をしているらしい。

「そうだな」もう一方は男の声だ。「でもほら、飯が残ってる。まだ封を開いていないところを見ると、調理中におれたちが来るのに気づいて逃げちゃったか、あるいはどこかで隠れて様子を見てるんだろうさ」

「戦うの、ダーリン?」

「戦うっていっても、おれたちはまだ二人とも進級したばっかりだぜ。勝てっこないよ。それよっか事情を話して、一緒に行動させてもらえるよう交渉しよう」

「いやーん、ダーリン。頭いい!」

 リョウは、リンコが落ち葉の隙間からちらっと目配せするのがわかった。

わかっているさ。『攻撃可能』の合図だ。つまり、連中をとっ捕まえるなら今がチャンスだということだ。向こうはまだ、おれたちの痕跡しか見つけられていない。こちらが圧倒的に優位なのだ。

 しかしリョウはリンコに向けて首を横に振ると、発光筒を取り出して放り投げた。

 侵入者たちは、飛んで来た発光筒に向けて呆けたような顔をして見つめていたが、そこにリョウの姿を認めると一気に顔をほころばせた。

「おおっ、チェリーじゃんか!」

「やっぱりお前らだったか」

リョウは呆れたような声を出した。

侵入者の正体はサムとリンダだった。崖から転げ落ちたのか二人とも迷彩服はボロボロで、リンダに至っては水着よりも露出度が高いとさえ言える。一方サムは、ボロボロになったのを良い事に服を着崩し、またどこから手に入れたのかゴーグルを装着して、まるでいつもと変わらない風体だ。

「地獄で仏とはまさにこれだな。ひどい目にあって来たが、ここでチェリー坊やに会えて本当によかったよ。あ、座っていいか」

「いや、ちょっと待ってくれ。その前に確認したい」腰を下ろすのみならず料理に手を伸ばそうとするサムを制止して、リョウが二人に尋ねる。「お前ら、ここへ何しに来た?単刀直入に言えば、おれはお前たちが寝込みを襲いに来たんじゃないかと疑ってるんだ」

「おれたちが寝込みを?おいおい、そりゃあちっとばかし、人聞きが悪いんじゃないか」

「そうよ、チェリー。いっくら可愛い顔してるからって、待ってるだけで向こうから素敵な女の子が夜這いに来るなんて考えてたんじゃ駄目よ。そんなんだから、いつまでたってもチェリーなのよ。ね、ダーリン」

 そう言うとリンダはサムにキスをした。サムも「そうだ、そうだ」と笑いながら囃したてる。お前ならどこへでも夜這いに行きそうだ、とリョウは心の中でリンダに毒づいた。

「じゃあ、どうしてここへ来たんだ。今日一日歩き続けても、誰にも出会わなかったぐらい広いジャングルだ。偶然に、しかもこの時間に人に出くわすなんてことが出来るわけない。最初から探すつもりでなきゃな」

「おいおい。そう喧嘩腰になるなよ、チェリーボーイ。友達は信じるものだぜ。おれたちも困り果てて、悩んだ挙句に他の連中を探してたんだ。……実は最初に配られたマップ端末をうっかりなくしちまってな。あれがないとゴールがどこかわからないだろ」

サムが恥ずかしそうに頭をかいた。続けてリンダが「そうなのよ、ダーリンったら」と不満を言い始めて、はたから見れば夫婦漫才のような会話である。

「それで別のグループを探して、ゴールまで同行しようとしてるってわけか。でも各グループごとにゴールが違うかもしれないだろ。その時はどうするんだ?」

「その時は失格でもいいから、そのまま一緒に回収してもらうさ。この広い密林の中、人を探すのにもこれだけ骨だったっていうのに、それが小さな端末になったらどれだけ大変か。言わなくてもわかるだろ。なあ、頼むぜ。おれたちも一緒に連れて行ってくれよ」

 サムがウインクしながら言った。説明は納得出来るものだし、二人ともリョウとは以前からの知り合いである。出来る事なら助けてやりたい。しかし、リンコの手前なんとなく二人の同行を許可しづらいのだ。

 リョウが決めあぐねているとリンダが腰を振りながら歩み寄り、リョウの腕にひしとつかまった。半ばもたれかかるような勢いでリョウに密着し、口からはアルコールのような臭いを振りまいている。この女はひょっとして酔っ払っているのではないかと、リョウの頭に更なる疑念が生まれた。

「一緒にいさせてくれるなら、今日でチェリーって名前とサヨナラさせてあげるよ」

 リンダがリョウの耳元で囁いた。細く、ラメの塗られた指先でリョウの胸の辺りをなぞってくる。さらによく見れば、リンダはリョウの腕に胸を押しつけている。今更ながらその悩ましい感覚にとらわれたリョウはいよいよ緊張して、全身が真っ赤になった。

 そうしてリンダが「サービスするから、ね」と言って、リョウの耳を甘噛みし始めた瞬間、「駄目えええええ!」とリンコが勢いよく飛び出してきた。突然地面からむくり、と起き上がったリンコに三人ともあっけにとられて、しばらく無言の時間が流れた。特にリョウ以外の二人は心底驚いたらしく、リョウはリンダの心音が異常に速くなったのを巨乳越しに感じると同時に首にきつくホールドをかけられて、このままでは意識が飛ぶのではないかと思った。

 結局リンコも交えて話し合った末、四人はリョウ・リンコチームの端末が指し示すゴールまで同行することとなった。話し合いの間、リンコは終始面白くないという風な顔をしていたが、断る理由がない以上仕方がないというリョウの意見に従って了承した。しかし、やはり虫の居所が悪くなったようで、夕飯を終えるや否やハンモックへと登って行き、それっきり戻ってこなかった。

「行っちゃったな。あちゃー。ひょっとしておれたち、お邪魔だったかな」

 サムは発光筒をもてあそびながら、へらへらした調子で言った。当たり前だ、と思いながらリョウは自分のハンモックが設置された木に手をかける。リンコもリンダも就寝済みである。四人行動になることを考えると、進行速度はさらに遅くなるだろう。休めるうちに休み明日に備えるべきであるという認識は、口にこそ出さないもののその場にいる全員が持っているべきものである。

「なあ、チェリー。寝る前に一つ聞きたいんだが、お前はなんでこの学園に、傭兵コースに来たんだ?お前は大戦孤児なんだろう。戦争は嫌じゃないのかい」

 サムが尋ねた。リョウは登りかけた足を止め、少しいらついてサムのほうを向いた。青白い発光筒のせいか、サムの顔はいつになく真剣に見えた。

「戦争は嫌いさ。訓練でも毎回小便ちびりそうな気分になる。逃げ出したいとも思うし、殺し合いなんてゴメンだとさえ思う。でも、いざ戦争となればおれだけの問題じゃない。おれの大切な人たちも被害者になるかもしれない。両親を失くした時のように、何も出来ないまま、ただ人が死んでいくのを見ているなんてのはもう嫌なんだ」

「なるほど。チェリーは自分の大切な誰かを守るために、自分が戦場に行くことを望んでいる。そのための力が欲しいってわけだ」サムはもっともらしく頷いて見せる。「でも、それなら政治家や、もっと身近な例を挙げれば警察でもいいじゃないか。あるいは職業でなくとも、ジムや道場に通って鍛えておくだけでも十分だろ。なんでわざわざ殺し殺され、憎み憎まれるこの傭兵業に就く気になったんだ」

「それは、より多くの人を守りたいからだ。傭兵が携わるのは戦争だ。世界中の人々に国単位で影響を与えるわけだ。そこに参加すればその分、守れる人数が多いだろ」

「なるほど、単に人数の大小が問題ってわけだ」そうではない、とリョウが言うのを待たず、サムは畳み掛けるように言った。「でも、戦争じゃあ常に戦う相手がいる。そしてそいつらにも守りたいものがあって、そのために戦ってるわけだ。チェリーはこれから傭兵として自分と同じ考えを持つ、ある種〝同士〟のような連中を皆殺しにしなけりゃならない。守る人数も最大なら、殺す人数だって最大だぜ」

 サムはいやらしく笑う。その様子はどこか、リョウのことを試している、あるいは考えを改めさせようとしているようだ。むっとする反面、ひょっとして自分は間違った道に進もうとしているのではないかとリョウは不安になった。

 リョウが答えに窮していると、サムは手を振って「もう寝ろ」と言った。

「良いことを教えといてやるよ、リョウ。傭兵コース出身者は機兵化時のあまりの強さからインスタントの一騎当千と呼ばれているが、これは学園側がプロモート用に作った言葉で、戦地にはまた別の愛称がある。知ってるか?……〝機械仕掛けのシリアルキラー〟って言われてるんだぜ。おれたちは周りから見れば、血の通っていない冷酷なマシーンと同レベルってことだ」

 リョウは聞こえないふりをして、そのまま自分のハンモックへ寝転がった。すぐ近くでは、リンコが雨よけシートの下で防水マットに包まって寝息を立てている。その近くにはリンダもいるが、リョウの見る限り二人とも寒そうではない。

 リョウは今になって自分が雨でずぶ濡れになっていることに気づき、リュックからタオルを引っ張り出した。なんとなくいらいらして、乱暴に体を拭いてタオルを枝にかける。迷彩服には着替えはないが、水をはじく仕様になっているらしくタオルで拭っただけで大丈夫そうだった。

 リョウは頭上の雨よけに響く雨音に耳を澄ませながら、サムの言葉を反芻した。

 おれは本当に、このまま傭兵になるべきなんだろうか。それが本当に自分のやりたいことで、人々を守るために最高の方法なんだろうか。傭兵になって、その後はどうする。戦って戦って、死ぬまで戦い続けるのか。

 翌日、リョウは鳥の声と朝の陽光によって目が覚めた。鳥の声と言っても普段聞く可愛らしいさえずりではなく、攻撃態勢に入っているようなガラガラ声だ。日光もかなり熱があり、湿気と相まって殺人光線と化している。朗らかな目覚めとは程遠い、訓練二日目の朝だった。

 リンコが先に起きていた。雨よけについた水滴を払い、器用にくるくると丸めている最中だ。自分のハンモックはもうしまったらしい。

「あら、起きたの。おはよう」

リンコは一瞬リョウへと顔を向け、すぐに手元へ戻す。未だいらだちが残っているのか、片づけをする手に力が入っている。おはようと言ったきりそっぽを向かれた形になって、リョウは何とか話題を模索する。

「今日も頑張ろうな。正直どこまで進めるのかわからないけど、行けるところまでは行こう。まだ六日間あるからな。諦めるには早すぎる。昨日より一キロでも多く進もう」

 その言葉を聞いたリンコは、肺の奥底から出したような深いため息をついた。

「そうね。……制限時間内にゴール出来る可能性はほとんどゼロだと思うけど」

 確かに望み薄だ。雨が止んだとは言え、相変わらず地面はぬかるんでいるし、今日は四人という大所帯である。昨日より進行スピードが落ちるのが道理なのだ。

 しかし、いざ出発しようというところで状況は一変した。出発前に、リョウはサムとリンダに昨日までの進行具合を説明した。泥舟に乗ってしまったと思われたくはなかったが、正直に伝えるべきと意を決して話したのだ。

 すると二人は、いったいリョウが何の話をしているのかわからないといった顔をした。そしてサムが「ひょっとして、お前らここまで歩いてきたのか?」と尋ね、リョウが戸惑いながらも頷くと、二人は数秒の間を置いて、それから突然に笑い出した。何が起こったのかわからないリョウとリンコは、あっけにとられて顔を見合わせた。

 しばらく笑い転げていたサムを、リョウが問い詰める。サムは、未だ笑いが抜け切れないといった調子で説明を始めた。

「機兵化だよ。機兵化して移動するの!」そう言ってサムは自分の右手を掲げると、その腕は見る見るうちに機兵化した。「見てろよ。機兵化した体は基本的に伸縮自在だ。お前もセミナーで見ただろ、リョウ。そして筋力も通常の非じゃあない。人間ぐらいだったら、投げ飛ばすなんてわけないぐらいの力が出せるんだ。これを利用しない手はないだろ」

 機兵化させた右腕で、サムは近くの大木をつかんだ。そしてそのまま右腕を縮めていく。すると当然のごとく、サムの体は右腕を基点として宙へ浮かび上がる。そしてターザンのように、周りの木へ次から次へと飛び移っていく。

「こうやって進むんだよ。と言うか傭兵コース専用の演習プログラムなんだから、機械虫を使って解決するのは常識だろ」

 常識という言葉を聞いて、リョウはリンコのほうを見た。リンコは「あんたに合わせて授業とってたから、傭兵コースのことには詳しくないの!」と言って、ふくれてしまった。

 四人はさっそく機兵化して進み始めた。歩くのとは比べ物にならないスピードである。時速に換算すれば確実に二十キロ以上あるはずだ。自動車とまではいかないが、自転車に乗っている程度の速さと言える。風を切って宙を舞うのは先ほどまでの湿気を忘れるほどに爽快であり、さらに地面で遭遇する厄介事とも隔絶されている。昨日までの苦労は何だったのかと、リョウは腹が立つと同時に恥ずかしくなった。

 リョウはサムの背中に乗っていた。右腕から触手のように枝わかれした機械虫が、リョウを包むようにしている。機兵化して進むことになって、仕方なく自分が未だ機兵化出来ていないことを話したのだ。年下で自分より身長も低いサムに背負われるのは絶望的な羞恥だったが、背に腹は変えられない。

「それにしても意外だな。おれはてっきり、もうとっくに機兵化しているもんだと思ってたぜ」サムは前を向きながらリョウに声をかける。「スパークリングの単位は順調に取ってるって話じゃんか。機兵化もしてないのに、よく他の連中と闘おうなんて気になるな。尊敬するよ、マジ」

 何を言っているんだ、こいつは。おれは未だスパークリングで負け続けて、勝ったためしなんて一度もないぞ。間違った情報を拾ってきているんじゃないか。

「残念ながら、勝ったことなんて一度もない。誰かと勘違いしてるんじゃないか」

「勘違いだって?」サムは心底意外そうな声を出した。「……うーん、そうか。チェリー本人がそう言うんだったら、それが一番正しいよな。変なこと言って悪かった。忘れてくれ」

 おかしなやつだ、とリョウは思った。

 ちらり、と後ろに目をやると、他の二人も順調についてきている。リンダはサムと同じく右腕を機兵化させ、もうずいぶん慣れているらしい、すいすいと木から木へ飛び移っている。リョウと同じ時期に進級したとは思えない上達ぶりだ。

逆にリンコは苦戦していた。普段は視覚機能ばかり使用して、物質的に扱ったことがないのだ。リョウと一緒にいたために傭兵コースのことは詳しくない、というのは本当らしい。実際、教えてもらわなければ、まさか自分の右目が眼窩から飛び出して巨大な手へと変形し、移動手段として機能するなんて誰も思いつかないだろう。リンコもまさにその通りの状態で思うようにスピードが出せず、先頭にいるリョウとはかなり離れている。

「リンダ、リンコさんの後ろについて、後方確認してくれ」

 サムが指示した。四人班はすでに二対二にわかれている。どんな状況下であれ孤立を避けるのは学園の鉄則である。しかし、単身で戦況を一変させるべく教育される傭兵コースにおいてはその限りではない。鉄則を重視しているのは、どちらかと言えばゲリラ活動を勉強している連中である。

「チーム戦に詳しいんだな、サム」

「……まあな」サムは素っ気なく返事をする。「それよりも前を見てみろ、どうやらジャングルが開けるらしいぜ。と言っても、ゴールに着いたわけじゃなさそうだが」

 そう言われてリョウは前を向くと、なるほど視界が開けていた。

 ジャングルの先で四人を待ち受けていたのは崖だった。吊橋つきの、いかにもジャングルを冒険するというシチュエーションらしい、切り立った崖だ。あまりに突然現れた絶壁に四人は考えるのを忘れて、ただ真下から吹き上げてくる河風を浴びていた。

「リンコ、方向と距離はどうなってる?」

 リョウはサムの背から降りて、崖下を覗き込みながら聞いた。下を流れる川は結構な速さで、近くに滝があるのが予想出来る。

「……あっちね」リンコは橋の向こうを指差した。「距離はもう十キロ弱。だいぶ来てるわ。橋を渡って真っ直ぐ行けば、この分だとすぐに着けそう」

「橋を渡ってか……」

 リョウは吊橋まで歩み寄り、一番手前の板へと慎重に片足を乗せてみる。徐々に体重をかけ、意外と丈夫なのかと思った瞬間板は音を立てて割れ、谷底へと落ちていった。思った通り、木材もロープも基盤もガタガタだ。板の抜けた衝撃で大きく揺れている橋を見ると、落ちる様子が用意に想像出来て不安になる。

「機械虫を伸ばして行ったらどうだ?」

「いや、駄目だな。ちょっと遠すぎる。向こう側までは伸ばせない」

 リョウの案にサムが即答した。確かにこの吊橋はかなり長い。さらにリョウたちがいるところは木が禿げているため辺りを見渡せるが、橋の反対側は生い茂る木々のために終わりが見えない。この分では手を伸ばして渡ることはおろか、機械虫で向こう側まで放り投げることも難しいだろう。

「やっぱり、橋を渡るしかないな。軽い順から行こう。最後におれが行く」

 リョウは女子二人を先に進むよう促した。いっぺんに渡って、橋が崩れてしまってはかなわないから一人ずつだ。

 まず一番軽いリンコがゆっくりと渡り始める。やはり橋の老朽化は著しく、一歩進むごとにあちこちがきしむ。今にも落ちそうで、ロープが不気味にしなる度、リンコの靴音がする度にハラハラする。そうして、とうとうリンコの姿はジャングルに隠れて消えた。

「着いたわ!次の人、来てくれていいわよ」

 リンコが叫ぶ声がした。向こう側に着いたのだ。リョウは胸を撫で下ろし、そのままリンダに進むよう指示する。慎重に渡っていたリンコとは対照的に、リンダはファッションショーのランウェイにいるかのようにくねくねと、挑戦的に歩いていく。進む速度が段違いに速く、こちらもまた心臓に悪い。リョウは以前テレビで見た、ワニの口の中に顔を入れて笑って見せるショーを思い出した。彼はその後ワニに噛み付かれ、結局救急車を呼ぶ羽目になったのだ。

 リョウの心配をよそに、リンダは順調に向こう側へと渡り「楽勝よ。次、ダーリン!」と叫んだ。呼ばれたサムは特に怖がる様子も見せず、淡々と渡って行く。この程度で橋が落ちるはずがないと、確信しているようだ。

「……サムはこういうの慣れてるんだな」

 リョウはあっと言う間に見えなくなったサムの背中に向けて、愚痴るように呟いた。改めて見ると、橋はやはり頑丈とは言い難い。三人はうまい事渡ることが出来たが、最も重いリョウが同様に渡れる保証はないのだ。

「おーい、チェリー。渡っていいぞー」

 サムの声が無慈悲にも鳴り響いた。

 こっちは未だ心の準備が出来てないって言うのに……、ええい、ままよ!

 リョウは一歩ずつ、静かに進み始める。揺れ方はやはり前三者の比ではないが、意外と強度がある。少なくとも、落ち行く橋を重力に逆らうように駆け上がる、なんて神がかりな芸当はせずに済みそうだ。

 ようやく中間地点を越えた辺りで、リョウは奇妙なことに気がついた。

 音だ。機械の音か聞こえる。金属がこすれる不快な音が聞こえる。そして音のペースは徐々に速くなっている。まるで肉食動物が、ターゲットを見つけて助走を始めたように。

 モーターが熱を帯びた独特の臭いがする。動作と静止を繰り返す、あの不自然なロボットの動きが脳裏に浮かぶ。そして音の変化に合わせて、脳内のロボットイメージも速度を上げて行く。

 ……近くに、何かの機械があるのか?それも大型の、こんなジャングルにはあるはずのないものが。

 リョウは心臓が高鳴るのを感じた。明らかに何かがおかしい。それとなく、音のするほうを向いた。

 その瞬間、大きな音と地響きがして、同時に真下から巨大な影が目の前に現れた。リョウは最初、銀色の半人半馬の怪物が降臨したのだと思って呆然とした。しかしよくよく観察すると、目の前の怪物は見知った顔だった。

「スパイダーか!」

「やあ、数日ぶりだね」タックが薄気味の悪い笑みを浮かべて答える。「しかもボクを二つ名のほうで呼んでくれるなんて、歓喜のあまり踊りだしてしまうかもしれない。でもそれはまた今度にしよう。さあ、行こうか。殺人童貞!」

 タックは例の巨大蜘蛛型ロボットにまたがり、あろうことか吊橋を切り落とした。張り詰めていたロープが、切れ目から弾けるようにして崩れていく。一つ一つの板が波を打って飛び上がって、リョウの目からはまるで等身大のドミノ倒しが自分のほうへ倒れてきているように見える。もちろん、自分はその路線上に逃れようもなくたたずんでいるのだ。

 立ちふさがるタックの背後に一瞬、悲痛な顔をしたリンコの顔が見えた。そしてすぐに岩影に隠れて見えなくなった。リョウはタックと共に真っ逆さまに落ちていった。

 上のほうでリンコがリョウの名前を叫んでいる。恐らく泣いているのだろう。もう二度と悲しませたくないと思っていた女性に、またもや離別の苦しみを与えてしまった事をリョウは痛烈に後悔した。

 死ぬのだけは駄目だ。これ以上リンコを傷つけるわけにはいかないんだ。何があっても生きて帰らなければならない。

 なぜ今、この場所にタックが現れたのか、考えている暇はない。リョウは落下しながらも、素早く状況を確認した。橋の中心部近くで落とされたために、手の届く範囲にはつかむものは何もない。しかし、どうやら水底は思っていた以上に深いらしい。この分ならこのまま川へ落ちれば死ぬことはない。

 後数十センチで着水するというところで、急にリョウの体が空中へと引っ張られた。サムの仕業だった。リョウが落とされたのとほぼ同時に飛び降りて追って来たのだ。リョウを引き上げたのはサムの機械虫だった。

「サム!お前、どうして……」

「どうしてって、どんな時でも一人では活動しないのがルールだろ」

 サムは笑いながら「じゃあ、とっとと逃げるぞ」と告げると、すぐさま右腕を変形させていく。ほんの一瞬の出来事だが、チェーンや歯車のような部品が小さく爆発を起こしたかのように広がった後収束し、リョウが一度瞬きをするとそれは小型のボートになっていた。

「急ぐぞ!」とサムが声を上げた。プロペラが勢いよく回転を始め、ボートが発進する。かなりのスピードが出ていて、とてもつかまなくてはいられない。リョウはボートのふちに手をかけている。サムはそもそも右腕がボートと一体化しているためにその必要はないが、まるで穴が開いた船床に自分の腕を突き刺しているようで非常に動きにくそうだ。

 後方からはタックが、リョウたちに負けないほどのスピードで追いかける。半身半馬かと思った彼女の足は巨大な蜘蛛型ロボットに変形していて、六本の足を器用に操って走っているのだ。もっと別な形にすれば効率的なのに、とリョウはピンチながらに思った。

「これからどうする?」水しぶきと轟音の中、リョウが叫ぶ。「とりあえずスパイダーを倒してから、リンコたちに合流するか?」

「合流出来ればそれが一番いいけど、二人には先にゴールしておくように伝えてある。おれたちは別々に目的地へ向かったほうがいいだろう。ジャングルじゃあ、お互いを見つけるなんてことは難しいからな。距離と方向は頭に入れてあるから、まあ何とかなるだろ」

 サムは前方を向いたまま、いつもの調子でひょうひょうと答えた。リョウは呆れる半面、昨晩から一緒に過ごした中で見たサムの行動力の高さを再評価していた。自分と同期生であるとは思えない判断だ。

「まあ、どっちにしてもやっこさんから逃げ切らないとな。おれもボートなんて作るのは初めてだから、そのうち追いつかれる。チェリー、散弾銃を持って来た。それ使って牽制してくれ」

 サムに言われるままにリョウは散弾銃を手に取り、物凄い速さで向かってくるタックへと照準を合わせる。訓練生仕様の散弾銃は威力も攻撃範囲も戦地で使われているものに比べて格段に劣るが、それでも猪突猛進に襲ってくる巨大な的めがけて当てるぐらいであれば十二分である。加えてサムの運転はタックとの距離を考慮して絶妙な動きで進んでいて、銃を持ったリョウの側から言えばタックはまさに飛んで火にいる夏の虫だ。

 しかしリョウは何度照準を合わせても、引き金を引くのをためらってしまう。

「スパイダー!お前、女なんだってな」

 タックは一瞬狐につままれたような顔をして、それから怒ったように「ボクが女だったら、どうだって言うんだ!」と声を荒げた。タックのスピードが一気に上がり、大蜘蛛の魔手に捕らわれそうになるところをすんでのところでサムが回避する。

「おいっ、チェリー!何の話してるんだ!さっさと撃っちまえよ」

「スパイダー」リョウはサムを無視する。「こないだは殴って悪かった。あの時はまだ、お前のことを男だと思ってたんだ。最初からわかっていれば、女のお前を殴るなんて真似は絶対しなかったよ。今だってそうだ。おれにお前を傷つけるなんて出来っこない。頼むから、おれたちを構うのはやめてくれないか」

 そう言うとリョウは散弾銃を船床へと置き、そのまま両手を挙げた。降伏のポーズだ。吹き上げる風と水が体中に飛び散ってくるが、リョウはそんなことを気にかけない。ただ平和的に解決したいという願いのほうが勝っているのだ。

 リョウの言葉を聞いている間、タックは終始不愉快そうな顔をしていた。そして話し終えると今度は唇を強く噛み、憤怒の形相でリョウをにらむ。

「……どうやらきみは、ボクが女だから絶対に負けるはずがないと思っているようだね」強く噛みすぎたのだろう、タックは口から血を流しながら怒鳴った。「上等だ、殺人童貞!今日、この場でお前を殺す!」

 タックの怒声が谷間に轟いた。あまりの剣幕にリョウが一瞬ひるむと、その間にタックは大蜘蛛を高速で作り変えていく。ものの数秒のうちに、タックは自身の足をコアにして、数百のガトリングガンがハリセンボンのように四方八方へと向いている形態になった。

「死ねええええええええええええ!」

 タック叫び声とともに、すべての銃が一斉に射撃を始める。一つ一つの銃口が火花を散らして、弾丸を炸裂させる。タックの周囲の岩が弾丸を浴びて崩れて落ちる。銃撃は轟音を伴い、リョウは耳の反応が鈍るのを感じた。身を守るすべがないリョウはとっさに頭をかばって船床へと伏せる。

「だから早く撃てって言ったじゃんか」ため息混じりにサムが言う。「でも好都合だな。やっこさん、逆上しておれたちが目に入ってない。今のうちに逃げるぞ」

「逃げるって、サムは簡単に言うけどそんなことが可能なのか?こんな一本道の川じゃあ、狙い撃ちにされる」

「やつの機械虫を良く見てみろよ」サムは相変わらず前を向いているが、ボートにはいつのまにかサイドミラーが出現していた。「おれが見たところ、逆上しておかしくなってるのはあいつの機械虫も一緒だ。操縦者の支配が完璧じゃないのさ。講習の時習ったろ、機械虫の変形は構造を再現することだって。ブチ切れて理性が飛んでる状態じゃ、大量のガトリングガンを構築するなんて芸当は出来っこない。弾丸の射出に成功しているのは一割もないだろうよ。ほら、あのざまだ」

 サムがタックを指差した。どんどん遠くなるタックの姿をリョウは目を凝らして見つめた。どうやらタックの作ったガトリングガンが一気に暴発を始めているらしい。大きく広げた機械虫のあちこちから火花が散り、いよいよその巨体を崩壊させようとしていた。

 壊れ行く銀色の塊の中からタックの顔がのぞく。一瞬、リョウと目があった。心底悔しそうに涙を浮かべて、苦痛に顔をゆがめている。このまま機械虫を操作出来なければ、おそらく彼女が川から自力で上がるにはかなりの時間がかかる。リョウは助けたい衝動に駆られたが、サムが構わずスピードを出し続けたためにあっという間に彼女の姿は見えなくなってしまった。

「巨大なハイテク戦車でも整備不良でメンテ連発状態じゃあ話にならないぜ。そこ行くとシンプルな小型ボートでも、技師がハイスペックなら最高の結果が出せるってわけだ」

 サムは得意げに鼻をこすった。リョウはタックの身を案じつつも、うまく逃げおおせられたことに安堵し、サムに感謝した。

 さらにしばらくボートを進めた後、都合よく階段状に積み上がった岩を見つけた。そこを上って行くと、視界はようやくジャングルへと戻ることが出来た。しかし安心出来る状態ではまるでなく、これから方角を見極めてゴールへと向かわなければならない。川を逆行して行けばまたタックと出くわすことになりかねないから、二人の足取りは自然とジャングルの中へと向かうこととなった。「休まないと機兵化出来ない」と言うサムの申告を受け、二人は徒歩で異動することにした。

 歩き始めてしばらくして、リョウは異変に気がついた。

 静かだ。静かすぎる。虫の羽音こそするものの、鳥や大型哺乳類の不気味な声がまったくと言っていいほど聞こえない。タックに気を回し過ぎて、どれだけの時間追いまわされたかは定かではないが、環境が大きく変化している。どうやらかなり遠くまで来たらしい。あちらこちらに今までは見なかった立て札がある。立ち入り禁止の警告文だろうか、私有地であるという宣言だろうか。どちらにしても、過去に人間が立ち寄った形跡であることは確かだ。

 徐々に日が暮れていく。夕焼けのジャングルは人間界と地獄の境界線のように思える。完全な夜になってしまえば、そこはもう人間の活動を許さない闇の領域だ。光も音もなくなってしまう。その夜に向かって、恐ろしい早さで太陽が沈んでいるのを感じるだけでリョウは心底不安になる。サムも同じように感じているはずだ。

「おい、チェリー。何か見えるぞ。……家の明かりみたいだ」

 何の前触れもなくサムはつぶやき、リョウの返答を待たず駈け出した。まるで状況がわからないリョウもとりあえず後を追う。もうかなり暗い。ここでサムを見失えば、今夜中どころか永遠にはぐれたままになる。それだけは避けなければならない。

 今までへとへとだった男のどこにこんな体力があったのかと思うほどのスピードで疾駆するサムの後を、必死にリョウが追いかける。相変わらず木々や泥のためにコンディションは最悪である。

 そして突然に走りだしたサムが突然に止まり、リョウが息も絶え絶えに追いついた時、二人はジャングルを抜けていた。サムの言った通り、目の前には集落が広がっていた。規模こそ小さく、建物が数軒あるだけだが、確かに明かりが灯っている。木製で高床式の、簡易ロッジとでも言うべき建物だ。要塞にて技術面としては最先端の生活を送っていたリョウたちから見ればまるっきり時代劇の世界だが、それでも人間が生活しているのだ。

ずうずうしくも「今日は泊めてもらおうぜ」と言いながら、サムは集落へと足を踏み入れていく。怪しまれないかと冷や冷やしながら、リョウも小走りに後を追う。サムは特に恥じるでも怖じるでもなく、どこか余裕な風で最も大きな家の階段を上がり、盛大にノックした。中から聞こえていた賑やかな談笑が中断される。

ドアを開けたのは中年の男だった。浅黒い肌の色をしているが、アフリカ系の顔立ちではない。シャツとジーンズを身に付けた、現代風の格好をしている。男の後ろにも数名の男女がいたが、一人として民族調の風貌はしていない。リョウは集落を見てなんとなく、ジャングルの奥地にいる幻の部族を発見!と銘打たれたテレビ番組を思い出していたが、彼らの装いからはかけ離れていた。

サムが元気よく挨拶をすると男も口を開いた。強いアクセントがあったが、それは確かに英語だった。リョウの持っていた部族イメージをさらに覆した。男は当初、銃を持ち軍服を来た二人の少年を恐怖と疑惑の眼差しで見ていたが、追い返すわけにもいかないと判断したのだろう、集落の外れにある小さな家を二人にあてがってくれた。さらに、二人が食糧を持たないことを知ると、肉や野菜などを分け与えてくれた。

「私たちも持ち合わせている食糧には限りがあるから、いくらでも渡せるわけではないが……どうか、暴力には訴えないでほしい」男は再度、二人の銃を見て言った。「それからこのパンは今日の施しの残りだ。よければどうぞ」

 十分な食糧を得た二人は、案内されたロッジに着くと崩れ落ちるように横になった。長い間使われていなかったようで床はほこりだらけだったが、それでもジャングルで寝るよりは万倍マシだ。ベッドもちょうど二人分ある。

 さらに幸運なことに、二人は先ほどの男から付近の地図をもらっていた。もちろん紙の地図であり、ジャングルの地理を詳細に把握出来るとは言い難い。しかし落ちた吊り橋、流された川の形、上陸した石段と目的地のおおよその位置を伝えると、男はすぐに理解したようで地図にマーカーで印をつけてくれた。地図にある道に従って行けば、半日もあれば着くと言う。二人は歓喜して男に礼を言った。

「地獄で仏とはこのことだな」

 食事を済ませてから、感謝の気持ちを込めてリョウが言った。するとサムは目を丸くして、それから呆れたように言った。

「あの人は神父さんだぞ、チェリー。さっき施しの残りだってパンをもらっただろ。慣用句だろうがブッダとキリストは使い分けるべきだ。それで真剣に戦争やってる連中が世の中にはいるんだぜ」

 サムの言葉にリョウはちょっと反省して、残っていたパンのひとかけらを一礼してから口に運んだ。考えても見れば今は出発から二日目の夜であり、つまり日曜日だ。あの集落でも敬虔なクリスチャンたちが礼拝に集い、今リョウが頬張ったパンを食べたのだろう。それはもちろん、イエス・キリストの尊い肉体としてである。

「サムは何か信教しているのか?」リョウが何の気なしに聞いた。「おれは他の日本人と同様に無宗教者なんだけど。信じているんだとしたら、やっぱり戦う理由にも神様がかかわってくるのか?」

リョウの問いにサムは、デリカシーのない質問だな、という非難の色を眼に浮かべた。しかし黙り込むのではなく、つらつらと話し始める。

「日本人の無宗教宣言ほど当てにならないものはないぜ。お前らはしっかり儒教を信じているし、それを行動にも示している。神はいないとのたまうくせに、超人間的な存在すべてを神と表現する。それなのに日本人の子供に神様を描いてみて、と言えば必ずヤハウェを描く。クリスマスを大々的に祝って、その一週間後には神社で一年の健康を祈る。……思うに、日本人は何でも日本式に当てはめて、それで自分たちは納得しちまうんだ。どれが真の神様かなんて誰かに押し付けるつもりはまるでなく、ただ他の宗教者とは確実に理解の壁を作っている。日本教とでも言ったらいいのかな。たちが悪いのは、それで自分たちは何も信じてないんだ、なんて思ってる事さ」サムは空に向かって咎めるような口調で自身の日本人論を語って前置きした。「とは言え、実はおれも無宗教者だ。意外そうな顔をするなよ。日本人は自分たちだけが無宗教で、他は全部クリスチャンか何かだと思ってるからな。まあ何せ、こんな世の中じゃあ神様なんて信じてもいられないさ。戦争ばかり。飯もろくに食えない。それどころか、大国の戦争に巻き込まれていいように扱われ、挙句親兄弟が死んでも文句も言えやしない。たとえ神様がいたってこんな仕打ちをなさるんじゃあ、お布施を出す気もしないぜ」

「じゃあ、サムはいったい何のために傭兵になるんだよ。金儲けか?」

 いつの間にか、リョウは昨日の仕返しをしている気分になった。問答の先を知りたいのではなく、サムの信念を聞いて揚げ足を取って楽しもうという腹だ。我ながら下卑た考えだと、リョウはちょっと自嘲した。

「力のためだ」サムは澱みなく答えた。「皆が平和に生きていくためには自分が力をつけるしかないんだ。この世には遵守すべき正義と行使すべき正義がある。世界を平穏に保つためにはどちらも必要不可欠だが、前者はこの世の全員に、後者は代行者のみに委ねられたものだ。おれはこの世に暮らす弱者のために、代行者として自分の素質を活かしたい。だから傭兵になる。おれが正義の銃弾になって、逆らうやつは蜂の巣にしてやる。そのために、おれはどうしても力が必要だったんだ」

 サムのスピーチは徐々に熱を帯びてきて、しまいには眼前のリョウに殴りかからん勢いだったが、ふと我に返ったサムは途端に後悔したように話を打ち切ってしまった。リョウもなんとなく聞きづらくなって、その話はそれっきりになった。ただ「もう寝る」と行って布団に入ったサムを見て、リョウは昨日とは逆だなと思った。

 消灯した直後に、サムが言った。

「リョウ。誰かを守るために戦いたいってお前の理想は最高だと思うぜ。相手のことなんか、深く考える必要はない。お前は守るべき誰かのための〝槍〟でいいんだ。ただひたすら何も考えずに、向こうを突くだけでいいんだよ。……昨日話した〝機械仕掛けのシリアルキラー〟のイメージとぴったりだろ」

 リョウは返事をしなかった。サムも特に話を続けるでもなく、お互い身動きもしない。ただ無音の時間が流れていた。

なんにせよ、明日中にはゴールに到着したい。せっかく人間らしいベッドを得たのだから、しっかりと休息して明日に備えよう。

リョウは目をつむり、睡眠へと意識を切り替える。サムの話は痛烈に心に響いていたが、今は寝ることが先決である。子供が羊を数えるように、リョウは今日の出来事を反芻した。

 今日は日曜日。……明日こそはゴールにたどり着かなくては。

今日は日曜日。……礼拝。キリスト教。

……キリスト教か。そう言えばいつだったか、講義でこんな話を聞いた。

……ゲリラ戦なら最高なのは日曜の夜中だ。キリスト教信者どもは日曜は休みと決めて油断しているし、夜中は暗闇が姿を隠してくれる……。

リョウはそのまま、まどろみの中に落ちて行った。

深夜、鳴り響く爆音と家が崩壊するような震動にリョウは目を覚ました。飛び上がって窓から外を覗くと、実際その通りのことが起こっていた。リョウのいるロッジを含め、集落のすべての建物が炎に包まれ、華奢な木造の家屋は当然のごとく倒壊している。ぎりぎりで倒壊を免れているのはこのロッジだけだった。

理解不能な状況の中で、とりあえずここにいては危険だと判断したリョウは急いでサムのベッドを確認する。いない。どうやら先に逃げたらしい。薄情なやつめ、とリョウは心の中で毒づきながら手早く荷物を外へ放り投げ、自分もすぐさま脱出した。

「いったい何が起こっているんだ……」

 外に出たリョウは半ば放心状態で、燃え行く集落を見つめた。炎の波の、圧倒的な力に飲み込まれて、成すすべなく灰になっていく。大自然の中での炎に浮かび上がる自分の影はさながらキャンプファイヤーのようだが、そんな穏やかな代物ではない。

 崩れた家を一軒一軒、生存者がいないか確認していく。炎の中に分け入っては絶望し、また分け入って、別の建物まで駆けて行く。猛烈に鼻を刺す煙の中に混じって、血と動物性タンパク質の焼ける独特の臭いがする。リョウが心底嫌いな臭いだ。

 死体を直視したリョウは例のごとく嘔吐した。と言っても、夕飯はすっかり胃の奥へと進んだようで、リョウの口から出てきたのは喉を焼く胃酸だけだった。出もしない吐き気のためにリョウは涙を流し、身をよじって苦悶した。

 ようやく落ち着いてきたリョウが顔をあげると、炎の中にゆらめく人影があった。生存者かと、リョウの顔は一瞬希望に満たされたが、どうも様子がおかしい。リョウは死角になる物陰へと素早く身を隠した。

 人影の主はかなりの巨躯だ。ガタイも良く、手ぶらで、この大火事の中にいて特に混乱しているようには見えない。ただ直立していることがこれほど不似合いな場所もないだろう。男が身動き一つしないにも関わらず、いまだ収束せずに燃え上がる炎のために邪悪で不気味な印象を受ける。

 まるで、悪魔だ。

 リョウはそう思った瞬間に二つのことに気がついた。一つは、巨体の男は何かを持っている。注視すると、それはどうやら例の神父だ。ぐったりとしていて、生死は定かでない。どちらにしろ、片手で引きずるようにされているのを見るに、平穏無事な状態とは言えないだろう。

 もう一つは、男の正体だ。一瞬、何かのはずみで勢いをつけた炎によって、男の顔がはっきりと照らし出された。リョウもよく知る、まさに悪魔のような男がそこにいた。

 アレックスだ。リョウを殺すことを追い求めるセカンドグレード最強の戦闘狂が、燃え上がる集落の中心にたたずんでいた。全身真っ黒のボディスーツを着て、不敵にも満面の笑みを浮かべている。それを一見するだけで、リョウはこの災害の犯人がアレックスであることを悟った。

 リョウは瞬時に装備を確認して肩を落とした。何度見直そうが、与えられているのはサバイバルナイフと散弾銃だけだ。これでは神父を助けるどころか、自分の身を守ることすら出来ない。かと言って、助け出さないわけにはいかない。

 一瞬、サムが近くにいるのではないかと思った。アレックスが異常者ということが周知の事実であるとは言え、リョウと同期で特にアレックスと関わりのないサムが、たかが村一つ焼かれたぐらいで一目散に逃げ出したりするだろうか。一般人であれば腰を抜かすだろうが、この程度ならセカンドグレードへの選抜試験の時のほうがよっぽど惨劇だ。

 もしもサムがいればアレックス相手でも共闘して、最悪でも逃げることは可能だろう。リョウは一分ほど頭をひねって、ようやく決断した。自分の居場所を知らせて、サムと一緒にアレックスと戦うのだ。

 一か八かだ。……頼む、来てくれ。サム!

 リョウは空めがけて、散弾銃の引き金を引いた。リョウの手の中で音を立てて炸裂する。その瞬間リョウは、この銃が以前に訓練で使用した殺傷能力が強化されたものとは程遠い代物だと理解した。与えられたのは武器に違いないと勘違いしていたが、どうやらこれはただの猟銃だ。食糧には限りがあったから、これで調達しろということだったのだろう。思わぬ装備の違いに、リョウは激しく失望した。

 どちらにせよ、発砲したからにはもう後戻りは出来ない。リョウはなるべく早く、サムが気づいてくれることを祈りながら炎の前に躍り出た。アレックスはさして動揺する風でもなく、リョウのほうを見つめていた。その蛇のような視線に、リョウはようやく自分が恐怖しているのを思い知った。

「よう、アレックス。久しぶりだな」

 リョウは自分から声をかけた。リョウは学園の中でも数少ない、アレックスと対等に会話することを許された人間である。突然戦闘を開始して即死するよりは、適当な話をしてサムが来る時間を稼いだほうが得策だ。

「まさかお前がこのプログラムに参加してたなんてな。最初から知っていれば、絶対に来ようとは思わなかったよ。それにしても民間人まで虐殺だなんてまったく恐ろしい男だな、お前は」

アレックスは返事をせず、ただ黙ってリョウを見つめている。アレックスとの無言の間が恐ろしいリョウは、続けざまに発言する。さらに二、三度話しかけて、なお口を開かないアレックスの様子にさすがに違和感を覚えたリョウは、少し黙って相手を見つめた。

暗闇の中でおぼろげだったアレックスの表情が、燃えたぎる炎によって一瞬照らされた。笑っている。普段は冷静沈着なアレックスが歯をむき出しにして、歓喜の表情を浮かべているのだ。

やばい、とリョウがアレックスと相対したことを後悔した瞬間、アレックスは徐々に表情を変え始めた。いや、変わっているのは表情ではない。アレックスが不気味に笑みを浮かべまま、顔の皮膚がめくり上がっているのだ。アレックスが機械虫を発動させ始めたのだ。

危険を感じたリョウは飛び上がるようにして後ろへ下がった。それとほぼ同時に、アレックスの皮膚が物凄いスピードでリョウの元へと迫る。あまりの速さにリョウはぞっとして、さらに後方へと下がる。鋭く尖った機械虫が眼前ぎりぎりまで届いていたが、間一髪リョウは機械虫から逃れることが出来た。

それにしても恐ろしい速さだ。リョウが見たところ、アレックスは時速三百キロ以上のスピードでリョウの元まで機械虫を伸ばしてきた。それが限界速度かどうかは定かでない。うまいこと回避出来たからいいようなものの、これが至近距離だったらどうしようもなかった。

「突然、危ないだろ」リョウは恐怖と緊張で胸が高鳴るのを感じながら、虚勢を張るように言った。「おれがそう易々と死んじまったら、お前としてはもったいないはずだろ?そんなに焦ってどうするよ」

「……ぷくく」

 アレックスが飛び上がらせた機械虫を元に戻しながら、ようやく声を発した。ぐにゃぐにゃと変形しながら皮膚の形を成していく水銀のような物体と、その下の赤い筋組織を見るのは不快である。しかしそんなことに気をとられている場合ではない。リョウはアレックスの四肢一つ一つと、さらに機械虫の挙動に全神経を働かせた。

「やっと、やっとだ。これで晴れてお前を殺せるんだぜ、チェリぃいいい。おれは待った。待ちくたびれた!もう百年どころじゃきかないぐらい今日この瞬間を待ち望んでた!今からお前を八つ裂きにして、そこの火の中に放り込んでバーベキューにしてやる。全部食い尽くす。骨もだ!それからあの久居リンコの前で下痢便ぶちまけてやる!」

 アレックスはまるでそれまでのリョウの発言などなかったかのように、意味不明かつ邪悪な言葉を並べ立てる。しかしその内容は事実関係も異なり、現実味に欠ける。リョウと顔を合わせたことによって錯乱し始めていることは明白だ。

 殺人宣言の後に高笑いするアレックスを見て、リョウは早くもうんざりしていた。学園に来てから数年間、リョウはアレックスの挑戦から逃げ続けてきた。現代に生きるバーサーカーを相手にするのは本当に骨が折れるのだ。しかし一方で、アレックスがリョウを前にして倒錯状態に陥っている点については安心していた。これならひょっとすると、助けが来るまでは時間が稼げるかもしれない。

 さて、どうやって戦おう。アレックスのやつを倒すことなんて出来るわけがないから逃げるのがベストだが、機械虫を使えるやつとおれでは機動力に圧倒的な差がある。それにジャングルに入れば真っ暗闇、さらにスピードが殺される。お互い視覚が利かない条件下とはいえ、足が速い分アレックスが有利だ。それにこの燃える集落から離れてしまえば、サムが助けに来たとしてもおれを見つけられないだろう。

 リョウは辺りを見渡した。家の数は八軒。集落全体の広さも十分だ。であれば各家の陰に隠れながら銃で威嚇することを繰り返すだけでかなり時間が稼げる。それで助けがこなければ、その時はジャングルへ行方をくらませるしかない。

 最も重要なのはアレックスの手にある神父を助けることだ、と考えたリョウははっとして尋ねる。

「おい、アレックス。……その人は無事だろうな」

「その人?その人というのは、まさかこれのことか」アレックスは神父を首から持ち上げてぶらぶらと揺らし、血塗れの顔面をリョウのほうへ向けた。「とっくに死んでいる」

 アレックスはまた、前よりも大きな笑い声を上げた。神父の耳と鼻はそぎ落とされ、目玉はえぐられ、口は一文字に切り裂かれていた。無残な姿だ。その神父の口を、アレックスは腹話術人形のようにカクカクと開閉してもてあそぶ。

リョウは怒りに打ち震えた。この男を何とかしなければならないと、使命感にも似た感情がわき上がってくるのを感じた。しかし同時に、自分の中で戦う意欲が減退しているのがわかった。もう守るべき相手はいない。であれば、自分はいったい何のために戦うのか。リョウは答えが出せなかった。

今になって、サムの言葉が心に響く。リョウは守りたいもののために戦う。それが今、目の前に守りたいものは何もないのだ。戦う理由がまるで見当たらずリョウはうろたえて、そのままアレックスに背を向けて、悲鳴を上げてジャングルへと逃亡した。

 勝てるわけがない。勝てるわけがない。勝てるわけがない。

 だって、おれにはもう戦う理由がない。だから、戦いたくない。

 怖い。

 リョウは無我夢中で走った。とにかく逃げることが重要なのだ。発光筒のおぼろげな明かりを頼りに、なるべく障害物の多いところを選んで走った。アレックスの体は巨大だ。手狭なジャングルの中を走りぬくということに関してだけ言えば、リョウのほうが有利であるはずだ。距離をとることが出来れば、このジャングルの中だ。お互いを認識する術はない。

 リョウが逃げる算段と希望を見出したその時、一気に視界が開けた。周囲に敷き詰められていた木々が一斉に倒れたのだ。頭上をかすめる大木を、リョウは呆けたように見つめた。すっかり木々の消えた目の前の光景を見て、パラシュートが到着した時に周囲が同様の状態だったことを思い出した。あちらも犯人はアレックスだろう。

 巨大な影に自分の体が包まれていることに気づいたリョウは、後ろを振り返って驚愕した。燃え盛る村を背後に、アレックスが不適な笑みを浮かべながらリョウのほうへ歩いている。そのアレックスの周りをうごめいているのは、アメーバのように変形している機械虫だった。

「なんで逃げる、チェリー?せっかくこれから二人でお楽しみだって言う時に」

 冗談じゃない、とリョウは近くにあった木の陰に隠れた。

 するとアレックスは全身の機械虫を極薄の板状に変形させて、自身を中心にして波紋のように拡大していく。リョウの見立て通り、やはり相当な速度で機械虫を伸縮させているが、驚くべきは速さよりも攻撃力にあった。アレックスから高速で広がっていく刃状の機械虫は、立ちふさがる木々をすべて難なく切り倒してリョウの眼前まで向かってきたのだ。リョウの隠れた木もかなり太いものではあったが、まるでチェーンソウで切り落とされたかのように綺麗な年輪を露にしている。あまりの威力にリョウはただ呆然と、機械虫が戻る様子を見つめてしまった。

 考えてみれば、アレックスの機械虫をこの目で見るのはリョウにとって初めての体験だった。そのあまりの強さから学内でもアレックスの噂は簡単に耳に出来たから、皮膚が機兵化していることだけは知っていたのだ。しかし今その恐ろしい力を目の当たりにして、リョウはすっかり戦意を喪失していた。

「どうした、怖気づいたかよ」アレックスは皮膚をまとわぬ人体模型のような顔で、大きく裂けた口を開いて笑う。「だったらお前はこれまでだなぁ。あばよ、チェリー」

 アレックスは機械虫を大きく広げると何百にも分裂させてその一本一本を針状に変形させ、リョウめがけて一斉に射出した。

 リョウは死を覚悟した。そして実際リョウは死んだように思った。

 死の直前、銃声がしたことにリョウは気がついていた。


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