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 タック・ナタックが女だと知ったのは、彼女との戦闘から一カ月ほど後のことだ。

 そのころには連日続いた新入り狩りもすっかり落ち着いて、以前と同じ日常が始まっていた。もっとも、今期生は弱いという噂が流されたために、例年よりは長めだったらしい。

 かく言うリョウもかなり頻繁に絡まれ、非常に迷惑を被った。

 ただし、全戦全勝だ。リョウ自身も気持ちが悪いぐらい、完璧に勝利していた。

 もちろん、気持ちが悪いというのは、その理由が自分の実力ではないと理解しているからだ。目下のところ、授業や戦闘に関わるものについてリョウの悩みはその一点に尽きる。他のことに頭を回す余裕はない。

 普段のリョウなら、タック・ナタックが女と知れた時点でお見舞いに行っただろう。男だと思っていたとはいえ、気絶するほどの攻撃を食らわせたのだ。万が一、顔に傷でも付いていたら。そう考えると、自分の軽率な行いのせめてもの償いとして、お見舞いぐらいは当然に行くのだ。例えこちらが狙われた側であったとしても。しかし今回は、一応出向いてはみたものの、見舞い先にタックはおらず、例の地下室にもいないことがわかるとすっかり諦めたほどだ。

 それに加えて、新たに重大な問題が発生したのだ。

 先日リンコが話していた孤児院に新しくやってきた子供の話だ。マメな性格であるリョウは、巨大な花束とサンタの荷物と見紛うほどのお菓子を持って、さらにピエロの化粧とコスプレをした上で孤児院へと向かった。来たばかりで、右も左もわからないだろう。知らない人間が現れたら恐怖を覚えるに違いない。今までいかなる子供相手でもウケをかっさらってきたこの衣装なら鉄板だ。

 孤児院の前に来て、リョウは姿を見られぬよう柱の陰に身を隠す。子供の心をつかむにはやはりサプライズが必要なのだ。そしてすぐ近くに、お誂え向きにも孤児院全体を見渡せる木がある。リョウは素早くその木によじ登り、サムからもらったシャーペン型スパイカメラを覗いた。

 どの子だ?リョウは枝の隙間から、子供たちの顔を一人一人確認していく。子供たち全員の顔は把握しているから、すぐに見つかるはずだ。

 あの子は……、違う。こっちも違う。おっと、あいつらまた喧嘩してるのか……今度注意してやらねば……。あっ、あの子か?

 黒髪の女の子だ。孤児院の庭の隅に、一人寂しそうにしゃがみ込んでいる。髪の陰に隠れているため顔は見えないが、他の子供たちは揃っているから彼女に間違いない。

「さて、どうやって中に入ろう」

リョウはカメラを外して周囲を見渡した。すると二、三人の少年たちが虫取り網を片手に走り回っているのが目に入った。孤児院では有名な悪ガキグループだ。網を持ってはいるものの虫取り自体にはとっくに飽きているようで、棒の部分で突っつき合ったりお互いの頭を網に入れたりしている。

そのうちの一人が、少女のほうに目をやってはた、と立ち止まった。しまった、とリョウが思う間もなく、少年たちは少女に群がった。今まで仲間同士で突き合っていた棒の矛先が、一斉に少女に向く。いじめの標的になってしまったのだ。

ほら、逃げろ!とリョウは心の中で少女に呼びかける。しかし少女は、一応両手で顔を防御してはいるものの、やられるがままだ。普通の子ならば助けを呼べるだろうが、悪いことに彼女は今声が出ない。

徐々にエスカレートしていく悪ガキグループを見ながら、リョウは沸々と怒り始めていた。そうして、グループの一人が少女の頭に虫取り網を被せ、また別の一人が今度は少女の頭からホースで水をかけ始めたところで、見ていられなくなったリョウはそのまま木から飛び降りた。着地と同時にどすん、という音と地響きが起こった。

「こら!お前ら、なにやってるんだ!」

 リョウは少年たちに勢いよくゲンコツを食らわせた。上空から突然現れたリョウの姿に、少年たちはきょとんとしていたが、ようやく事態を把握すると一目散に逃げ出した。頭を小突かれても泣き出す子供がいないあたり、この孤児院の子供はしたたかに育っている。

「まったく……。君、大丈夫?」

 リョウは向こうで洗濯か何かをしていたアニーにバスタオルを持ってくるよう頼むと、自分は少女を慰めようと考え、ひとまず被っていた虫取り網を外した。少女の濡れた長い髪が顔に張り付き、ホラー映画の女幽霊のように見える。しかし、声こそ出さないものの彼女は明らかに泣きじゃくっているし、衣服もずぶ濡れで早く乾かさないと風邪を引いてしまう。幽霊とは違うか弱い女の子だ。

 リョウは経験から、子供を泣き止ますにはまず目を見て話すことが必要だと思った。涙をこする少女の手を、リョウは優しく持ち上げた。少女の目は赤く腫れて、鼻水とよだれが溢れていた。

「あー、あー。怖かったね。もう大丈夫だから……」

 ん?何か見覚えがあるぞ。

 リョウは少女の顔をじっと見つめた。最初は泣いていた少女も、リョウからの視線に気づいて顔を上げ、二人はしばし見つめあった。

 次の瞬間に、リョウは仰天してのけぞった。

 あの子だ!ネーレーで逃がした、あの女の子だ!

 あまりの驚きにリョウは声すら出ず、ただ少女を見つめるだけだった。彼女もほぼ同時に気がついたようで、まだ涙が流れたままの瞳でリョウを見ていた。偶然の再会に少女もやはり驚いたらしい。

「リョウ!どうしたの!大きな音がしたけど……って、あんたたち何やってるの!びしょ濡れじゃない!」

 タオル片手に駆けつけたアニーはリョウたちを見るとすぐさま駆け寄って、まずは少女の体を拭き始めた。アニーに言われるまで気がつかなかったが、リョウは悪ガキたちが水を出しっぱなしにしていたホースの上に乗っていたらしく、リョウの体重に圧迫された水が噴水のように飛び散り、リョウも少女と同様にずぶ濡れだった。

「リョウ。後片付けはやっておくから、ひとまずその子を連れてお風呂に入ってらっしゃい。あんたはともかく、そのままじゃその子が風邪を引いちゃうわ。……ああ、あとその子の名前はマオちゃんって言うの。ちょっと事情で声が出せないみたいなのよ。仲良くしてあげてね」

 アニーはそう言うと、水を含んだタオルを持って慌ただしく孤児院の奥へと消えていった。ちょうど今日二度目の洗濯機を回し終えたところで、一緒に洗ってしまおうという魂胆だった。

 取り残されたリョウとマオ少女は仕方なく浴場へ向かった。少女が声を出せないことからリョウは自分までしどろもどろになってしまいうまく説明が出来ず、結局少女の手を引いて行くこととなった。

浴場までの短い道のりを少女はリョウから少し離れて付いてきた。時折振り向いてちゃんと後ろにいるか確認すると、驚いた様子を見せてさらに数歩後ずさる。よほど強く涙をぬぐったのだろう、顔が真っ赤だ。

脱衣所に着くとすぐに、リョウは自分と少女の服を洗濯物用のかごへと放りこんだ。すると少女の衣服に交じって、銀色のプレートが付いたネックレスがあった。見ると、『親愛なるマオへ』と書かれている。なるほど、これでこの子の名前を知ったのか、とリョウは納得しつつ、洗濯物の中からそのネックレスだけを取り出して少女の首にかけた。他の洗濯物は、きっと先ほどのタオルと一緒に洗ってくれるはずだ。

そうして体が冷える前に、二人はさっさと浴室へ入った。ちなみにこの浴場は孤児院専用のもので利用者は基本的に幼い子供たちであるため、男湯・女湯にはわかれていない。大浴場が一つあるだけだ。

 浴場の外観も脱衣所の内装もリョウとリンコがいたころのままだ。ここに入るのも久しぶりだな、とリョウは懐かしい気持ちになった。ちょうどマオ少女と同じように、戦争のために家族や住む場所を失いここに住むことになってから、もう十年近くになる。孤児院にいたのは少しの間だけだが、悲しみに暮れていた当時のリョウたちにとってこの場所がどれだけ暖かく、どれだけ心の傷を癒してくれたことだろう。

 感傷にふけっていたリョウがふと眼をやると、少女がタオルを手にしたままうつむいて立っている。初めて入る日本式の風呂場に緊張しているのだと思ったリョウは、ひとまず自分と彼女の体を洗ってしまうことにした。並んだ椅子の一つに座るよう身振り手振りで指示し、地蔵のように固まっている彼女の頭と体を手早く洗い流していく。それが終わると彼女には浴槽につかっていてもらい、今度は自分の体を洗い始める。男子と一緒に風呂に入ることを恥ずかしがっているなどとは、リョウは夢にも思っていない。

 頭を洗いながらふと目を開けると、鏡の向こうで少女がリョウをじっと見つめていることに気がついた。

 なんだ?なんであの子はおれを見ているんだ?ひょっとして、おれをロリコンか何かだと疑っているのか?

少女が自分を凝視している理由を考えるうちに、リョウはにわかに不安になった。

あの子はおれがルールに違反して逃がした子だ。

今は喋ることが出来ないからセーフだが、もしも今後喋れるようになって、万が一あの日おれがあの子を逃がしたことが誰かにバレてしまったら……。

リョウは血の気がうせるのを感じて、すぐさま湯船につかった。そんなことになったら、やっとの思いで合格した傭兵コースから除隊になるだけでなく、学園規則に則ってこの要塞そのものから追放されるかもしれない。

大丈夫!大丈夫だよ、きっと!

リョウは自分にそう言い聞かせながら、横目で少女の顔を見た。今までじっとリョウを見ていた少女は、リョウと目が合った途端に顔を赤くして目をそらした。

おびえているのだろうか。それともこの子は極度の恥ずかしがり屋なのだろうか。

何にせよ、あの子の機嫌をとっておく必要があるな……己の保身のために。

リョウはしばらく頭をひねった後、少女を連れて風呂から上がった。少女はのぼせたのか真っ赤だった顔をさらに上気させて、頭で湯を沸かせるのではないかと思うほどだったが、リョウはまったく湯に浸かった心地がしなかった。


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