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ねえ、ちょっと聞いた?今回の進級生十人もいるんだって。
うそ!なにそれ最悪。そんなに増えたらバトルの頻度も上がっちゃうじゃない。
それがさ、今回の試験がわけありみたいで、結果も甘々だったらしいのよ。
そうなの?じゃあ雑魚ばっかりなんだ。心配して損しちゃった。
でも、だからこそ危ないのよ。新入り狩りに巻き込まれたら大変。
ああ、単位稼ぎに雑魚が進級生を襲うってやつ?あれ本当だったんだ。
本当よ。今回は人数が多い分、頻発するわよ。もう入れ食いってやつ。
じゃあ進級生が弱っちい間、つまり機械化完了までの今日と明日は荒れるわね。
そういうこと。中でもタック・ナタックのやつが気合入れてるらしいわ。
タックって、あの通信兵みたいなひょろひょろの?あいつまだ在籍してたんだ。
こそこそ進級生と闘って、年間必要単位だけ稼いでたみたいよ。本当卑怯なやつ。
まあ、あいつぐらいならあたしたちが巻き込まれることはなさそうね。
それが違うのよ。今年は例の、アレックスのお気に入りが進級して来たのよ。
え?あの殺人童貞?
そう。タックみたいなやつが間違ってそいつを殺しでもしたら……。
キャー!考えたくない考えたくない!
ククク……でしょ?あたしもアレックスのとばっちりだけは受けたくないわ。
アレックスのやつ、男も女も見境ないものね。ああ、鳥肌立ってきたわ。
わかるわ、その気持ち。……ちょっと、あの子よ!アレックスのお気に入り!
あのアジア人?……ふうん、意外に可愛いじゃない。守ってあげたい、的な。
駄目よ、駄目駄目。だってあの子、あの久居リンコと出来てるんだから!
げ。あの片目女?
そうよ。なんでも、三次大戦以来の孤児仲間だってさ。
へえ。それにしても、タックにアレックスに久居リンコなんて……ククク!
本当よね……ククク!お化け屋敷でも作る気かしら?
クククク!あら、嫌だ。今、目が合っちゃったわ。ククク!
ちょっと駄目よ。こういうのは静かに影から笑うものよ。……ククク!
*
おれは割と耳がいい。
視界の端で何やらこそこそやっていれば、嫌でも聞こえてくる。それが悪い話なら、なおさら鮮明に聞こえてくるのだ。
セカンドグレードのエリアに入ってから妙な噂を散々耳にして、リョウはすっかり意気消沈していた。というのも、先輩から向けられる奇異の視線に加えて、よからぬ噂が四方八方。挙句の果てに、アレックスやら新入り狩りやらと物騒な話まで聞こえてくれば、これはもう一日のエネルギー全部を消費しかねない。
リョウが肩を落として廊下を歩いていると後ろから「よう!チェリー」と声がかかった。振り返ってみれば、へらへらしたゴーグル姿の黒人と、妙に肌を露出した巨乳女が立っていた。チンピラが女を連れて歩いているようだ。
「……サムか。元気そうでなにより。そっちの子は?」
「この子はリンダってんだ」とサムは女の肩を叩いて言った。「今さっき、そこで知り合った。おれたちと同じ、こないだの試験を通過したセカンドグレードの同期だ」
「よろしくね。あの有名なチェリー君とこうも早くお近づきになれるなんて運がいいわ。思ったより可愛い顔してるのね、チェリーなのに。ねえ、ダーリン」
リンダが猫なで声で言った。先日の試験をクリアしたのであればリョウよりも確実にいくつか年下のはずだが、どう見ても成人前後の容姿だ。化粧のせいだろうか、とリンダをしげしげと眺めていると、ふいに強烈な香水の匂いが鼻につき、リョウは反り返るように顔を引く。
それにしても、今さっき知り合った男女が果たして腕を組みながら歩くだろうか?ダーリン、なんて呼ぶだろうか?少なくとも、おれが今まで知り合った中にそんなやつはいない。本当だとしたら、相当に軽薄なやつだな、もちろん二人とも。
呆れてものが言えないリョウを尻目に、サムとリンダは足早に去っていく。
「悪いな、チェリー!お前を生贄にささげて、おれたちは先に進ませてもらう」
「は?」
リョウの応答を待たず、二人は廊下を駆け抜けていった。「ばいばーい」と手を振るリンダも、十センチ以上もあるハイヒールで器用に走り、二人はあっという間に見えなくなった。
「……生贄?」
殺気。
リョウはちらっと背後を確認した。いるわいるわ。思い思いの格好をした先輩方が、ハイエナのような視線をこちらに送っている。もうすぐ始業ベルが鳴るというのに、まるで意に介していない様子だ。恐らくはこれが、噂に聞く「新入り狩り」だろう。
その場は何とか逃げおおせたリョウだったが、暇さえあれば新入り狩りの連中に出くわした。恐らくターゲットとしてマークされているのだ。次の教室への移動中、トイレで用を足している間、購買でパンを買おうとするその瞬間にさえ、あちらこちらに刺客の影が見える。
さすがのリョウも一日中狙われ通しの状態が続くと辟易してきて、対策を考えた結果一人でいることが危ないと悟った。だから今夜、普段であれば絶対に参加などするはずのないダンスパーティに顔を出したのだ。サムとリンダからの招待で、今期に進級した学生への非公式の歓迎会だ。公式なものはすでに開かれた後だが、教師の目を気にしていては本気になって楽しめないと思った有志の人間が新たに開催したらしい。
本気になって楽しむとはどういうことなのか、それを聞いた時はピンとこなかった。しかし実際に参加して内容を見ると、つまるところ不良めいたことがやりたかったようだ。巨大なホールで社交ダンスを踊るのかと思ったリョウは一張羅で来てみたものの、薄暗い室内でポールダンスをする肌も露な女の子たちを囲んで縦揺れしている。ラフな格好の人々の中で、スーツ姿のリョウは明らかに浮いている。しかも皆の手にはアルコール。二十代の人間なんてほとんどいないだろう。根っからの模範生であるリョウとしては、頭が痛い光景だ。群集の中心にはいられず、壁に寄りかかっていた。ただ、多くの人間が飲み、踊り、楽しんでいる様子を眺めていると、こちらまでうきうきとしてくる。その感覚を得られただけでも、今日は来て正解だったのかもしれないとリョウは一人で納得した。
そこへ、ポールダンスをしていたうちの一人が向かってきた。そんな知り合いはいないぞ、とリョウが目を凝らして見つめるとそれはリンダだった。濃い化粧だけでも実年齢とはかけ離れた容姿なのに、彼女の衣装ときたら過激な黒のランジェリーだ。きっと両親が泣いている。
「ねえ、踊んないの?」
「そのつもりだったんだけど……ちょっとおれの踊れるやつじゃないみたいだ」
「なんで?覚えたらいいじゃん」
どうもリンダはリョウを参加させたいらしいが、しかし断った。決して雰囲気が合わないとか、彼女のことを好きになれないとかそういう理由ではない。人々から渡されるアルコール飲料をかたくなに拒否していたリョウは、しかし呼気に含まれるアルコールによって徐々に気分が悪くなっていた。無理に動けば吐きかねない状態なのだ。
さらに言えば、ここがほとんど密閉された地下室であることも居心地の悪い理由の一つだ。酒と合わせて、どこかから持ってきたタバコを吸っている人間もいるらしく、場内の空気が非常に悪い。多くの人間は気にしていないらしいが、紫煙になれていないリョウにとっては大きな苦痛だ。そのためリョウは、一刻も早く外に出たい衝動に駆られていた。
「踊んないなら、出たらいいじゃん」
「まあ、そうなんだけどね。どうも新入り狩りのターゲットにされてるらしくて、一人でいるのは物騒だからさ。出来るだけ大勢の中にまぎれていたいんだ」
「ふうん。そういうことならいいけど、こういう場所が嫌なんだったらさっさと出て行ったほうがいいよ。お互い気を遣うし」
「うん。心配してくれてありがとう」
リョウは笑って礼を言って、お立ち台へと戻るリンダに手を振った。そして「言われてみればその通りだ」と思い直し、妥協案として少しだけ外へ出ることにした。
外へ出て戸を閉めると、室内で響いていた大音量の音楽は見事に聞こえなくなった。なるほど、こういう効果もあるのかとリョウは少し感心する。それからすぐに近くに窓か何か、夜風に当たれる場所はないのかと周囲を見回した。
目当ての場所はすぐに見つかり、リョウはほっと一息つく。そこは中庭の一部だった。しばらくゆっくりしていようと思っていたリョウは、すぐに自分以外の人間が大量にいることに気がついた。最初は気配しか感じられず、ひょっとして新入り狩りが潜んでいるのかとリョウは逃げ出そうとした。しかし夜目が利いてくるにしたがってその正体がわかった。カップルだ。何組ものカップルがあちらこちらで、甘い時間を過ごしていたのだ。
別の意味で逃げ出したくなったリョウは、またパーティ会場へ戻ろうかと思った。しかし不意に何かを踏んだと思ったその瞬間に地面が抜け、リョウは一気に地下へと引きずりこまれてしまった。もちろんカップルたちは誰も気がつかない。
あまりに唐突な事態にリョウは悲鳴を上げる暇もなかった。落下しながら、状況を把握するために考えを巡らせるものの、結局何もわからない。しかし自分に危機が訪れているのは明白だ。新入り狩りかも知れない、とリョウは戦闘に向けて心の準備をした。
ようやく底が見えたと思うと同時に、リョウは強烈に尻を打った。リョウが落ちてきたところの内部は円筒形で、滑り台のような構造をしていた。しかしそこから抜け出た先にはだだっ広い空間があるのみだった。地下室を支えるためか、空間全体を鉄柱が縦横に取り付けられていて、まるで巨大な将棋盤の上にいるかのような感覚に陥る。鉄柱は上下にも、ちょうど床に張り巡らされた縦横の柱が十字に交差した部分から垂直に備えられていて、天井から吊るされた少ない照明では視界が狭められてしまう。
「……ここも地下室、なのか?」
リョウは極めて冷静に自分の置かれた環境を分析していた。すぐに敵が現れなかったために落ち着きを取り戻す余裕が生まれたのか、あるいは訓練によって緊急事態においてもリラックスする術を身に着けていたのかはリョウ本人にもわからない。しかし、何が起こるにしても脱出するにしても、まずは辺りを調べないことには始まらない。
「ここは地下室じゃないよ。少なくとも、上でやってるようなパーティが開かれる場所じゃない。昔この島全体が国営軍事施設として機能していた時の名残さ」
声のしたほうへリョウは驚いて振り向き、近くにあった廃材を手に取った。臨戦態勢だ。リョウは体中いたるところから、汗がじわり、と噴き出すのを感じた。
薄明かりの中で目を凝らし相手を確認する。小柄なアジア人だ。細い肉体とは対照的に大きなリュックサックを背負って、黒髪を無造作に散らしている。典型的なオタクといった容姿だ。そう、まるで通信兵のような……。
リョウははっとして、再度男を凝視した。間違いない。今朝、感じの悪い二人組みの女が話していたやつこそ、この男だ。
勘ぐるようなリョウの視線が気に入らなかったのか、男もまたにらみ返してくる。
「ずいぶん性格が悪いようだな、きみは。人がせっかく、善意で説明してやったのに」
「ふん、善意ね」鎌をかけてやる、とリョウは薄く笑った。「それは見ず知らずの人間を穴倉へ引きずりこんだ人間の使っていいセリフじゃないな。ええ、タック・ナタックさん」
リョウが挑戦的に言い放つと、男はぎくっと肩をすくめた。リョウはいよいよ確信を持って、勝ち誇った顔をする。しかし逆に男は開き直り、不適に笑い始めた。
「……ふふふ。なんだ、知っていたのか。ゴシップ姉妹からでも聞いたのかな。じゃあ隠す必要もないし、遠慮して戦う必要もないね。きみも戦闘準備をしているだろうし。実のところ、最初は隙を見て気絶させてきみのアイディーを盗んで、こっそり戦闘履歴を改ざんしてやろうと思ってたんだ。でもそっちがその気だったら、ボクだって本気で叩きのめしていいってことだよね」
男はひとしきり笑い声を上げた後、背中のリュックを下ろした。そしておもむろに中身を出すと、現れたのは真っ赤な箱だった。
「いや」とリョウは再度、男の出した箱を確認する。「ガソリンの、タンク?」
「その通りだ。中身も予想に反することなく、ガソリンが入ってるよ」
「それをどうしようって言うんだ。まさか放火でもする気なのか?」
男はこれ以上ないというほど嬉しそうににやけると「まあ見てろよ」と言ってズボンのすそをまくり始める。すると彼の足は見る見るうちに銀色に変化した。機械虫だ。リョウは滅多に見る機会がなかった他人の機兵化の様子を、まばたきも忘れて見つめる。
ホースのような姿になった機械虫が、まるで自らの意思であるかのように動き始め、タンクの口へと入って行った。そして勢いよくガソリンを吸い上げ始めたのだ。リョウには何をしているのかまるでわからず、なす術もない。そうしているうちにも、機械虫は液体を含んで水風船のように膨れ上がり、男の片足は通常の五倍以上の大きさになった。
「いったいボクが何をしているのか、きみには見当もつかないだろう。でもしょうがない。きみは傭兵コースに入ったばかりだからね。かく言うボクも最初はこれで厳しい洗礼を受けた。……だから今日きみがボクの餌食になるのは、この学園の伝統と言っていいだろう」
男が下卑た笑い声を、うす暗い室内に響かせる。何かまずい事が起こる、とリョウは予感し廃材を構えた。まずは相手の出方を見るべきだ。ここは相手の領域なんだ。何かわなが仕掛けられているかもしれない。隙あらば攻撃出来るようにしておかなければ。
しかし男の行動はリョウの予想を大きく超えていた。肥大した男の下半身は一瞬の液体化を経て徐々に本物の金属のようになり、物凄いスピードで何かを構築していく。そうしてものの十秒もしない間に、男の下半身は巨大な蜘蛛型のロボットに変形したのだ。唖然として見つめることしか出来なかったリョウには、何が起こったのかさえ理解出来ない。
「ふふははは!驚いているようだね!これがボクの二つ名が『スパイダー』と呼ばれる所以、超合金・スパイダービークルだ!どうだ、足が震えて動けないか!」
「ふ、二つ名?」リョウはようやく男と話せる状態を取り戻した。「ごめん、今なんて言った?」
「スパイダーだよ。ボクの二つ名さ。人はボクをタック・ザ・スパイダーと呼ぶ」
タックは誇らしげに言ったが、頬が少し赤くなっている。恥ずかしいのか、照れているのか。どちらにしても気色悪い。
「それって、お前が考えたの?」
「……そうだ。いつかボクのことを噂する時に楽だろうと思ってね……まあ、まだ誰にも話していないが」
「そういうの恥ずかしいからやめたほうがいいぞ。絶対後悔する」
「きみが言うのか!」男は憤慨した。「この学園じゃそこそこ名の知れた人間は皆二つ名を持っている。きみだってそうだ!かの有名な、『殺人童貞のチェリー』だ。学園で知らない者などいない。本名よりも知られているだろう」
「それはおれがつけたわけじゃない。誰かが言い始めたんだよ。……それにしても誰も知らないんじゃあ意味ないじゃないか、その二つ名とやらも」
「ふふふ」男は笑った。「だ・か・ら、有名なきみを狙ったのさ」
言うが早いが、男はリョウめがけて巨大な足を振りおろした。廃材で受けとめようかとも思ったが、男の攻撃はあまりに速い。ひるんだリョウは後ろへと飛び上がって回避する。
避けて正解だった。機兵化した男の足は地面に深く突き刺さり、引き抜かれた跡には大きな穴が出来あがった。もしも直撃したら、と考えると生身のリョウは生きた心地がしない。
「うまく避けたね」半身が巨大機械と化した男が、リョウの頭上から声をあげる。「機械虫の駆動をガソリンに任せて性能を桁違いに上昇させている。命中すれば重傷は必至だ」
「重傷って……殺し合いのつもりか?」リョウは逃げながら叫ぶ。「こんな非公式の場で相手に大けがさせてみろ。お前が処分される羽目になるぞ!」
「確かに普段の戦いではこんな真似は出来ない。でも今は違う。きみは機兵化が完了してない。機械虫はきみの体のどこに寄生しようか迷ってる状態だ。つまるところ大けがをしても一晩寝ているうちに機械虫が入り込んで、失った四肢や臓器の代わりに機能してくれる」
「馬鹿な!じゃあ今日のおれには何してもいいつもりで、本気で攻撃してるってのか?」
男は返事をせず、サディスティックな笑みを浮かべて猛攻を始めた。リョウは必死になって逃げ回る。この地下室を支える鉄柱が大量にあるため、陰に隠れながら素早く移動する事で敵の巨体より速く逃げる事が出来る。しかし自力で走るリョウと、ガソリンで動く男では持久力が圧倒的に違う。向こうはガソリンがなくなるまで常に一定のスピードを維持出来るのだ。これから自分の身に訪れる確実な疲労に、リョウは恐怖した。逆に男は追いかけっこを楽しんでいるようで、一見巨体には不利な狭い地下室での戦闘も彼のサド嗜好を満たすためなのかもしれない。
男を倒すにしてもここから脱出するにしても、十分な体力のあるうちでなければ駄目だ。リョウは思案した。手にあるのは先ほど拾った廃材のみ。一メートルほどの鉄パイプだ。これでは受け止めることも出来ないし、攻撃するにもリーチが短すぎる。
リョウは素早く周囲を確認した。すると暗がりの中に、リョウが落ちてきたような道がいくつも見つけられる。壁や天井のいたるところに、奥深いトンネルが掘られているのだ。
「ふふ、気付いたね!そう、この部屋には大量の穴がある。ボクが秘密に掘ったものだ。学園内の各地へ行ける秘密の通路さ。どのトンネルがどこに通じてるのかはボクしか知らないがね。どうする、トンネルを使って逃げてみるか?」
高笑いする男をよそに、リョウは何とか脱出出来ないものかと考えを巡らせる。
逃げるにはやはりトンネルに入らなければならない。しかしおれはトンネルの内部についても、行き先についてもわからない。ひょっとして行き止まりだったらお陀仏だ。支柱に阻まれたこの部屋だからこそ逃げ切れているが、障害物のない直線なら恐らくやつのほうが速い。それなら……。
リョウは一気に走りだした。目指すは向かい側にある一番小さなトンネルだ。待っていましたとばかりに、男はリョウを追いかける。するとリョウは、鉄柱の林を左右へジグザグに走り始めた。
「そんな程度の工夫で、このボクから逃げられるものか!」
男は嬉しそうな顔をしてリョウを攻め立てる。しかしリョウの狙いはそこではなかった。電灯だ。暗黒の地下室をかろうじて見える程度に照らす電灯を、リョウは廃材を使って片っ端から破壊し始めた。男が慌てて阻止しようとした時にはすでに遅し。二人のいる空間は完全な暗闇になった。
パニックに陥った男は、ガシャガシャと機械音を響かせながら地下室を乱雑に走り回る。支柱にぶつかる音が何度となく響く。しかしリョウの居所はつかめず、今度はトンネルに向かっていく。リョウが逃げ込んだとしたらそこだ。しかし足音がしない。恐らくは隠れて、勝機をうかがっているのだ。いったいどこに隠れている。畜生、畜生。
「畜生、隠れてないで出てきやがれ!正々堂々と勝負だ」
人を地下室へ連れ込んでおきながら正々堂々とはよく言ったものだ、とリョウは内心呆れながら男の咆哮を聞いた。しかしこれで、確実に男の居所を把握出来た。リョウはトンネルへ逃げ込んだわけではない。暗闇になってからずっと、男と同じ部屋に潜んでいた。しかしリョウだけは、自分の居所をしっかり理解している。上下左右に広がった鉄柱によって作られた升目を利用したのだ。それによって自分たちがまさに将棋の駒であるかのごとく、正確に位置判断をすることが出来る。タック・ナタックの巨大なロボットは動くのに大きな音と振動を伴うから、耳を澄ませていれば大まかな場所を把握するのは簡単だ。
そして今、幸運にもリョウの真下で敵の男が叫んだのだ。暗闇の中、リョウはずっと支柱をよじ登って天井に潜んでいた。目が見えない代わりに音で現状を知ろうとするあたりも含めて、まるでコウモリのようだ。しかし今宵この場のコウモリは、捕食のためでなく勝利のために、敵をめがけて廃材を振りおろすのだ。鈍い音が響く。タック・ナタックはリョウの一撃によって完全に気絶してしまった。
「ふう、面倒臭いやつだった」
リョウはため息をついて地面へと足を下ろし、すぐさまその場を離れた。元来た道からは戻れそうもなかったので、横穴を通ることにした。どこへ通じているのかはわからないが、きっと外へ出られるだろう。
しかし道中は、先ほどの地下室よりもはるかに気味の悪い場所だった。何せタック本人が掘った穴なのだ。建築法など無視されているに違いない。つまりいつ崩れたとしても不思議ではない。早く抜け出さなければ、とリョウは自然と駆け足になる。だが、タックを倒した安堵感からかリョウは大きく注意力を欠いていた。そしてようやく出口だというところで、意外にも狭く作られていたトンネルで頭を強打して、自身もまた気絶してしまった。




