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がたり。あらぬ方向から物音がした。空耳のはずだがジョーイはびくついて、恐る恐るそちらをうかがう。誰もいない。やはり空耳か、とジョーイは安堵した。
上司が何かおかしいと気づいたのは、つい昨日のことだ。その日、ジョーイは録り溜めしておいた監視カメラの映像を見るのに夢中になって、睡眠を取らなかった。だから翌日、ジョーイは同僚に無理を言って勤務を交代してもらい、昼間ジョーイが出勤していたことにしつつ自身は布団でぐっすりと眠り、上司が来る直前になって登場してあたかもジョーイ本人がずっと働いていたかのように見せかける作戦だった。そのもくろみ自体はうまくいった。
ところが驚いたことに、例によって渡されたコーヒーを飲んで仮眠室へ引っ込むと、ジョーイはばたりと寝入ってしまった。一日寝ていたにも関わらず、しかもコーヒーを飲んでなお眠ってしまったのだ。
なんとなく不安になったジョーイは、次の当直でコーヒーを飲んで眠ったふりをして、忍び足で管制室へ戻った。音を立てないよう、細心の注意を払って戸を開き、用意した集音マイクと望遠ゴーグルでもって中の様子を確認した。
そこでジョーイは見たのは、携帯電話を片手にしきりに管制データをいじる上司の姿だった。ジョーイたち職員に任されているのは学園の管理であって、情報の変更やシステムへの侵入は許されていない。明らかな越権行為だ。
「それでここからはどうすればいいんだ?……ああ……いや、そうじゃない。自律防衛アーカイブから入った、システムの元データを開いてるんだ……だから違うって言ってるだろ!元データのフォルダを開いてるんだよ!許可されていない時間設定を変えなきゃならないんだから、元データを書き換えるしかないだろ!」
上司の怒鳴る声を聞き、ジョーイはたまらず「ひっ」と悲鳴を上げた。すぐさま口に手を当てて自分の挙動を心底悔いたが、時すでに遅し。誰もいないはずの扉の向こうから聞こえた声に上司はぴくり、と反応してゆっくりと振り返る。椅子が嫌な音を立てて回る。そして確実に上司の目はジョーイの姿をとらえて、にっこりと不気味にほほ笑んだ。
目が合ってしまった!
目が合ってしまった!
目が合ってしまった!
「うわああああああああああああああああああああああああああああああ」
あまりの恐怖に、ジョーイは隠れることも忘れて逃げ出した。後ろを振り返る勇気もなく、ただその場から立ち去りたかった。そうして仮眠室のベッドにもぐりこみ、震える体をさすっているうちに朝を迎えた。一睡も出来なかったが、結局上司は追ってこなかった。
今、ジョーイは一人で膝を抱え、管制室に待機している。そろそろ例の上司と交代する時間が来る。つまるところ、上司がシステムに侵入している現場を目撃してから初めての立会いだ。これから自分の身に何が起こるのか、考えただけで恐ろしさのあまり胃が縮み上がる。そこまで怖いのであれば逃げればいいものを、しかしジョーイはその恐怖のためにそこまで考えが及ばなかった。ただ今までともに働いてきた間の上司の素行を振り返ったり、巨大な秘密組織の暗躍を疑ったりしていた。
……思い返してみれば、ボスには怪しい部分がいっぱいあった。過敏なほど他部署の業務への詮索を否定して、保守、保守、保守。そればっかり。少しでも自分の管轄外に興味を持とうものなら、やれ首が飛ぶだの、家族がいるだのと言い始める。それにあのコーヒー。あの濃いコーヒーにしても、きっと睡眠薬の味をごまかすためにわざと濃く淹れていたに違いない!ああ、つまりボスはずっと前から何か不法なことをしてたんだ!
はっとしてジョーイは壁掛けの時計を見た。後五分もしないうちに上司がやってくる。万が一何か犯罪的な行為をしていたのなら、彼が来る前に確認しておく必要があるはずだ。証拠を押さえてしまえば、いざという時には警察に突き出すことが出来る。ジョーイはすぐさまパソコンに向かって、システムの変更点を徹底的に調べ始めた。しかし時間がない、急がなければと思うほど、マウスを持つ手やタイピングする指が震える。脂汗も出始めた。
ジョーイは深呼吸をして「大丈夫、焦るな」と自分に言い聞かせ、再度画面へ向かう。機材のランプだけが光源と言ってもいいほど真っ暗な室内で、パソコンの画面だけがまぶしく光る。目が痛い。視力が落ちているのではないかとさえ思う。しかし今は室内灯をつける時間すら惜しい。
元来怠け者であるジョーイとしては、かつてないほどの集中力を発揮していた。五感のすべてを今の作業だけに使っている。画面上の文字を追う速度も桁違いだ。しかし皮肉にも画面へと向けられた神経は、後ろから忍び寄る気配をまったく感知出来なかった。