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 夏休みに田舎へ帰ってやるべきことなど、頭に思い浮かぶだけで大量にある。それらすべてを実行しよう、とリョウは往路の電車の中で心に決めていた。事前にインターネットで実家近隣のイベント情報もチェックしてある。準備万端だ。

 これはアニーからの頼みでもあった。リョウが実家に帰ると決めた時、リンコとマオの同行を提案したのは彼女だ。「いい機会だから、マオちゃんと仲良くなってきて」とウインクをしながら、アニーはリョウに三万円もの小遣いをくれた。孤児院の収入を考えると、とても受け取ることの出来ない額だ。しかしリョウとリンコがその旨を伝えてもアニーは押し付けてくるのみで、保育士長も無言で頷いて持って行け、と圧力をかけてくる。しかたなく、リョウは貰った三万円を自分の財布へとしまった。

 この経緯からリョウたち、とりわけリンコのイベント熱はすさまじいものがあった。イベント雑誌を網羅する勢いでみっちりとスケジュールを立てて、これでは逆にマオが疲れてしまうのではないかとさえ思われた。まったく空きのないカレンダーからは、かなりの圧迫感を感じた。自分が休む暇はないな、とリョウは諦め半分に肩を落とした。

 しかしそれも、マオとの親睦を深めるためだと思えば安いものだ。未だ孤児院で友達を作れていない彼女と、他の孤児に顔がきくリョウたちが仲良くなれれば、いずれ橋渡し的に両者をつなぐことが出来るかもしれない。そう思うと、少しぐらい休みがなくても気合で乗り切れる気がした。

 そうしていざ計画を実行に移すと、時間が進むのはあっという間だった。予想外の出来事によって必ずしも計画通りに進まなかった場合もあるが、全員の気持ちとして楽しさが完全に勝っていて、失敗したことなど気にしている暇すらなかった。リョウ本人、日めくりカレンダーがどんどんなくなっていく感覚は初めてのものだった。

 リョウたち三人に、時にはリョウの祖父母や近所の子供たちが参加して、夏の行事を盛り上げていく。ラジオ体操に始まって、海水浴、キャンプ、バーベキュー、地域の野球大会、お祭り、花火大会と各地へ出向く。他の子供たちの宿題を手伝って一緒に昆虫採集をすることもあった。リンコもマオも、水着、浴衣、麦藁帽子プラス白ワンピースなど何を着ても物凄く似合って、ひょっとして自分は最高の役回りなのかもしれない、とリョウは信じていない神に感謝した。

 移動に際しては、祖父の車をリョウが運転した。学園で取得した国際免許のために合法的に運転することが可能で、訓練でもしばしば使うので運転はお手の物だ。しかし「危ないからやめてくれ」と懇願する祖母と、ド田舎であるためにリョウの持つ特殊な免許証を見たことがなく、リョウを現行犯逮捕しようとした警察たちにはさすがに困り果てた。

 大変だったエピソードもある。キャンプに行った先でちょうどいい大きさの川があり、皆で泳ごうという話になった。ところが遊泳の最中で岩に生えたコケに足をとられ、リョウが頭を打ってしまった。昏倒したリョウのもとへ、リンコとマオが心配そうに駆け寄ったが、気が気でなかったのはリョウ本人だ。案の定、機械虫と入れ替わってしまったリョウは脳内でパニックになった。しかし意外にも、機械虫はリンコたちの質問にも淡々と応対し「疲れたから横になる」と言ってテントに戻ると、再びリョウにバトンタッチしたのだ。

 これにはリョウも驚いた。つまるところ、機械虫はリョウの内面や人間関係を理解して、最良の返答を出来るところまで成長しているのだ。アレックスと対峙した時とは比べ物にならないほどの人間性を手に入れている。そして恐らく、機械虫はリョウと同様に、リョウ体を支配している時は干渉こそ出来ないものの脳の中で覚醒して、目を通してリョウの見るものをそのままに見聞している、とリョウは予想した。そうでなければ、いきなり近づいて来たリンコたち相手に、自然な会話をすることなど出来るはずがないのだ。感心し、害がないのではないかと考えると同時に、急激に成長していく機械虫にリョウは恐怖を覚えずにいられない。

 とは言え、リョウの不安とは関係なしに、夏はどんどん過ぎ去っていく。本当に短いと感じるほどすぐに、白鳥座流星群の観測予定日がやってきた。見ごろの時間と方角を知らせるニュース番組を見ながら、後一週間もないのか、とリョウは驚き、あっけにとられた。

「ねえ、リョウ。実はずっと気になってたんだけど」リンコが恥ずかしそうに尋ねる。「……リュウセイグンって何?」

 え、とリョウは一瞬言葉を失ったが、考えてみれば当たり前のことだ。学園では基本的に全員英語で話す。リョウのようにたまに日本へ帰る人間でなければ、使わない言語などあっという間に忘れてしまうものだ。むしろ今まで、何事もなくリョウの祖父母と話せていた記憶力を賞賛すべきなのだ。

「流星群ってのはつまり、流れ星のことさ」

 リョウは漢字を書いてみせる。するとリンコは「あー!」と声を上げて悔しそうに唇をゆがめた。可愛らしい様子に、リョウは満足感を覚えて思わずにやける。すると馬鹿にされたと思ったリンコが怒り出す。全国の独身男子諸君を憤死させかねない、まさに痴話げんかだ。しかし、これこそが幸せなのかもしれないとリョウは思った。

 リョウの祖父が伝えてくれた最高の観察ポイントに、三人は深夜一時ごろ到着した。寝ぼけ眼をこすりながら歩くマオを、リンコが支えながら歩いて車へ乗せた。そこまではよかったものの出発してからはリンコも寝入って、結局道中はリョウ一人で向かう羽目になった。入力した観察場所までの案内をしてくれるカーナビだけが夜道のお供だ。今度ばかりは警察に見つかると少年の深夜徘徊などと言われて補導されてしまうから、リョウは出来るだけ見つかりにくそうな道を選んで進んだ。

 着いた先は山の上にある、切り立った丘のような場所だった。街明かりからも十分に離れていて、星を見るには絶好の場所だ。

 リョウは車をとめて、周囲を確認した。今灯したばかりの懐中電灯以外に明かりが無いためか、ほとんど森の中だというのに虫がいない。その辺の木を切り倒せば、リンコが卒倒するほどの昆虫が出てくると思うとリョウはまたにやけそうになる。

「少し、早く来すぎたかな」

リョウは空を見上げて言った。満天の星空だ。これだけでも十二分に、来たかいがあると思う。しかしお目当ての流星群は未だ到着していないらしく、しばらくじっとしていても動くのは飛行機の赤いランプぐらいなものだ。

 防虫スプレーを撒き、折りたたみ椅子を人数分出してそのうちの一つに座る。裸の土の上で、安っぽい椅子はガタガタと揺れて安定せず、座り心地はイマイチだ。しかし、これも夏の醍醐味と思い直して、リョウは水筒に入れてきたコーヒーを自分の分だけ注いだ。

 しばらくして、背後の物音にリョウが振り向くと目を覚ましたマオがやってきた。椅子へと促すと、やはり安定しない椅子を楽しそうにガタガタと揺らした。リョウの実家に来て以来、当たり前になっていた彼女の笑顔があった。

「まだ、流れ星には早いみたいなんだ」

 リョウが告げると、マオはわかったと言う風に頷いて、別に持って来た水筒のココアを二人分注いだ。片方をリョウに渡すと、自分は嬉しそうに暖かいココアを覚ましながら飲む。正直に言えば結構暑いのだが、マオが嬉しいのなら自分も嬉しい、とリョウはココアを口に含んだ。

 二人の沈黙とともに、その場はほとんど無音になる。なんとなく気まずくて、リョウはさらにココアを含む。元より声を出せないマオは楽しそうに、椅子の上で足をばたつかせている。今まで聞きたかったことを、聞くなら今だとリョウは思った。

「マオちゃん、さあ……」リョウは意を決した。「楽しかった?おれたちと一緒にこっちへ来てさ。知らない土地だし、じいちゃんもばあちゃんも日本語しか喋れない。正直、居心地悪かったんじゃない?」

 わざとらしく軽い調子でリョウが尋ねると、マオは心底幸せそうに笑いながら頷いた。その様子を見てリョウはほっとする反面、さらに脅迫的な思いが喉の奥にこみ上げてくる。今にも吐き出しそうだ。

その衝動をぐっとこらえると、代わりに大粒の涙が意図せずに溢れ出した。突然に泣き出したリョウに今まで微笑んでいたマオも慌てて、どうするべきかと困惑しているらしい。リョウはこれ以上彼女を困らせないように、出来るだけ平常な声で再び問いかける。

「じゃあ、学園に来て、……あの試験の日に、おれにネーレーから連れ出されて、今こうしてここで学園の皆と一緒にいることになって、マオちゃんは幸せ?恨み辛みなく、幸せだと言える?」

 最初と同じように尋ねたはずなのに、後半は涙声になってまともな言葉にならなかった。情けない、とリョウはため息をつく。リョウの異変に慌てて何度も頷いて肯定してみせるマオを見ると、いよいよ自分も落ちるところまで落ちたという気さえする。

「おれさ、もう駄目なんだ。マオちゃんのためだと思ってこの夏中は頑張ってきたけど、やっぱりもう駄目だ。自分のことで手一杯なんだ」

 リョウはつらつらと自分の思いを打ち明け始める。今までひた隠しにしてきたリョウの本心だった。嗚咽交じりに、ほとんど言葉にならない状態でなお、リョウは話し続ける。全部すっかり話してしまって楽になりたい気持ちだった。

 リョウは話した。ネーレーでの死体のこと、マオを助けたこと、リンコと出会った大戦での戦禍のこと、父親と母親が死んだこと、それらすべてが『大切な人を守るために戦う』というリョウの信念の礎になっていること。そして誰かを守るために自分を殺して動くことも、もう限界だということを。

 マオには伝えられないことだが、機械虫がリョウの体を乗っ取り始めたことがきっかけだった。自分の時間が削られていく中で自分の意思を貫かんとすること、そしてその状態の中で周りの人間に頼られることがリョウにとって大きな負担になっていた。

 今回、アニーにマオを一緒に連れて行ってほしいと頼まれた時、リョウはよほど断ろうかと思った。しかしアニーのリョウを信じる目と笑顔を裏切ることは出来ない、と無理に承諾したのだ。

「おれはもう耐えられない。これ以上、荷物を背負えない」リョウは顔をぐしゃぐしゃにして、自分よりずっと年下の少女に訴える。「……もう、誰もおれに頼らないでほしい。マオちゃんの面倒も、これ以上見ることは出来ない……」

 言ってはいけなかった、とリョウは強烈に後悔した。同時に自分の身勝手さと、マオへの罪悪感に体が震える。マオには非がないことなど、リョウが一番よく知っていることだ。

 マオちゃんはおれが逃がしたんだ。おれがこの子の運命を変えたんだ。それなのに今更、面倒を見切れないから離れてほしいなんて、どういう了見だろう。それ以前に、誰かに頼られるのが嫌だなんて、自意識過剰も甚だしい。

 リョウは頭を抱えたままうつむいた。両腕の間で目を開くと、自分の座っているパイプ椅子の足が錆びているのを見つけた。先日のキャンプに行くために、リョウの祖父が物置からわざわざ出してくれたものだ。骨の折れる仕事にも関わらず、孫のひと夏の喜びを想って出してくれたその椅子で、リョウは今泣いている。今日はこの夏の最後のイベントとして、さっきまでは楽しい気分だったはずなのに、何をしているのだろう、とリョウの中でむなしさが加速していく。

……おれは馬鹿だ。大馬鹿野郎だ。

「ごめん、マオちゃん。おれ、馬鹿なことを言って」

 静かな山の中で、リョウの声だけが場違いに響いていた。そのことにリョウが気づいて泣き止もうとすると、マオが小さなハンカチを差し出して笑いかける。リョウが目を伏せると、マオはぐっと体をリョウの視界へと入れて向かい合った。リョウの目の前にマオの顔がある、と思った瞬間にマオがリョウの唇めがけて唐突にキスをした。

 リョウはびっくりしたが、そのまま唇をマオに預けた。言葉の使えないマオの、精一杯の肯定表現だった。それを噛み締めるように、リョウはマオの体を強く抱きしめる。小さく、柔らかく、脆い。こんな少女を守ることが重荷だなんてよく言えたものだ、とリョウは自嘲した。

そのまましばらく抱きしめていると、突然物陰から現れたリンコが勢いよくリョウの頭にゲンコツを食らわせた。

「あんたたち、いい加減にしなさい!」リンコが怒りの表情で、しかし口元だけ笑ったように歪めて言う。「人が眠っている間に二人きりで何をしているのかと思ってみれば、リョウ、あんたマオちゃんと浮気してたわけ?」

「い、いや、これは違うんだ。そういうことじゃ……痛っ」

 話の途中で再度ゲンコツをもらい、リョウは舌を噛む。その様子を、マオはおかしくてたまらないという風に笑って見ている。それが恥ずかしくてリンコは顔を赤らめ、諦めの表情を浮かべてため息を一つ吐いた。

「……まあ、全部見てたから、事情はなんとなくわかってるけど。それにしても悩みを打ち明ける相手に、このあたしを差し置いてマオちゃんを選ぶだなんて、将来の妻として見過ごすわけにはいかないわ」

「悪かった。誰にも心配させたくなくて」

「そりゃあ心配もするけど、リョウを助けるために力を貸すことだって出来るわよ。今度から、もうちょっと信用して。そうじゃないと、もう婚約破棄よ。しかも原因はリョウの不貞だから、慰謝料もたんまりせしめてやる」

「わかったよ」今度はリョウがため息をついた。「じゃあ、どうしたら許してくれる?」

「そうねえ」

 リンコはわざとらしく考えるポーズを取って、それから天高くを指差した。釣られてリョウは空を見上げた。

 流れ星だ。満点の星空を一筋、もう一筋と、銀色の尾を引いて駆けて行く。静かな夏の夜を彩る、大宇宙の神秘だ。そのあまりの美しさに、リョウは思わず感嘆した。リョウにとって初めての流れ星だ。マオも上空を、目を大きく開いたまま見つめている。しかし少しもしないうちに、リョウの目をリンコの手が覆い隠した。

「ちょっと、何するんだよ」

「いいの。もう見ちゃ駄目」リンコはいたずらっぽく言った。「今から次の流れ星が来る時まで、リョウはあたしとキスしなさい。そしたら許してあげる」

「なんだよ、それ。わけがわからな……」

「いいの!あたしたちは婚約してるんだから、それなりのムードとスケールがなきゃっ」

「でもそんな唐突に……」

「いいから、早くしなさい!一、二、三……」

 ああっ、もう!

リンコに急かされる形で、リョウは乱暴に唇を重ねた。本日二度目のキスだ。しかしそれぞれの意味は違う。一度目、マオからは〝許し〟をもらい、二度目はリョウの勇気と決意、それからリンコからの鼓舞を秘めた、愛の証だ。リョウは比喩でなく、自分の中で力がわいてくるのを感じた。それから同時に、これで婚前交渉無しなんだから、我ながら甘く見られて、もとい信用されているのだな、と思いリョウは自嘲する。

 リョウはさりげなく目を開いて空を覗いてみる。まさに絶好の観測場所だったらしく、少し見ているうちにもいくつかの星が流れて行く。

 まだだ。まだ、もう少しだけ。リンコが怒って怒鳴り始めるまでは、このまま……。

 リョウは再び目を閉じた。一瞬、にやにやと二人を見て笑っているマオと目が合ったことには気づかないふりをする。その時、喋れないはずのマオの口元は確かに「一人で悩まないで。困った時は、あたしが助けてあげる」と動いたような気がした。


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