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 リョウは自分の体が意図せず飛び上がるのを感じていた。ただの跳躍ではない。自分の背丈のはるか上にある大枝まで、助走もつけずにジャンプして到達したのだ。さすがのアレックスもリョウの人間離れした芸当には驚いたようでしばらく注視していたが、すぐに視線を先ほどの狙撃主へと戻した。

 リョウを撃ったのはタックだった。ジャングルから唐突に現れたタックが、機械虫を変形させた拳銃でリョウの後頭部を撃ち抜いたのだ。どうやらかなり疲労しているようで、肩で息をしながら狙いも定めて的確に発砲した様子からは物凄い執念を感じる。しかしもう機械虫を拳銃型に維持しておくだけの精神力はないらしい。見る見るうちに形を崩し始める。リョウの目には、まるでタックの足元から水銀が流れ出しているように見える。

「そいつは、ボクの獲物だ」タックが震えるような声で言った。「ボクの強さを証明するために、そいつが絶対必要なんだ。たとえセカンドグレード最強の男が相手でも、譲るわけにはいかない!」

「何を言っている。おれを差し置いてチェリーと戦っていいやつなどいるはずがない。なにせおれとチェリーは前々世から運命的に殺し合う仲だからなあ。そこへ割って入って、おれの恋路を邪魔しようって言うなら、お前も殺してしまう他にないぞ」

 アレックスは笑いながら憤り、エリマキトカゲのように全身から機械虫を広げて威嚇する。両者はにわかに戦闘態勢になった。アレックスの魔の手から逃げたいリョウにとってはまたとないチャンスだ。何せリョウは二人のうちどちらとも、戦いたくなどないのである。

 雄叫びを上げながらタックが機械虫でマシンガンを構築し、そのままアレックスめがけて連射した。一瞬、リョウはタックが勝利したものと思った。しかし次の瞬間に聞こえてきた金属音によって考えを改める。アレックスは広げていた機械虫を戻し、そのまま機兵化していたのだ。アレックスは皮膚に機械虫を飼っている。それはつまり、全身がぐるりと金属で覆われているということだ。タックの放った弾丸は、すべて機兵化したアレックスの体表面でストップしていた。

「機械虫で鉄砲なんて作ってしまうやつは、馬鹿だ」アレックスは全身で受けた弾丸を、自身の機械虫に吸収させながら言った。「自分の機械虫を外に吐き出しちまうんだから、その分機械虫が減って弱くなる。一度失った機械虫を元通りに戻すには、場合に寄れば数カ月かかる。そんな非効率的なことをするボンクラがおれの前に立とうなんてなあ」

 アレックスが銀色の皮膚をゆがませて笑う。その表情は余裕そのもので、光の反射具合からか皮膚のない状態よりも邪悪に見える。一方で、タックは渾身の攻撃を食らってもまるでダメージを負っていないアレックスに恐怖し、足をすくませていた。だがタックもリョウとの戦闘権を譲る気はないらしく、未だ戦う姿勢を崩していない。

 しかしリョウは、アレックスとタックの存在よりもさらに恐ろしい事態に陥っていた。

 体が自由に動かないのだ。リョウは今すぐに逃げ出したいと思い、「逃げろ!」と全身の神経に命令を送っている。しかし体は微動だにせず、真下でいがみ合う二者を観察している。本当は安全な脱出ルートを探したいのに眼球すら動かすことが出来ず、しかしリョウの意思とは無関係にアレックスやタックの手足や機械虫の挙動を監視してしまう。まるで、全身のコントロールが誰かに奪われたかのようだ。しかも気のせいか五感がいつもより冴えて、耳などは騒音がガンガンと響いてうるさいほどである。

 リョウが混乱している間に、眼下ではまた戦闘が始まっていた。勝負は圧倒的にアレックスが優勢だった。そもそもアレックスはセカンドグレードナンバーワンの実力者であり、かたやタックは新入生狩りをして細々と単位を取得していた程度の人間だ。それだけで歴然とした力の差があるのに、無傷で全快状態のアレックスに対し満身創痍で機兵化すら危うい状態のタックでは勝ち目などあるはずがないのだ。アレックスの機械虫が伸縮自在に変形して次々と無数に繰り出す攻撃を、タックは樹木や不完全に硬化させた機械虫を盾にして回避することしか出来ていない。アレックスの遊び半分の攻撃すらタックにとっては致命傷になりかねないから回避することは大前提ではあるが、攻撃出来なくてはただ体力を消耗するだけで勝機はない。しかし、もうタックには、機械虫で盾を作りながら重火器を同時に精製するだけの精神力はないようだった。

 その時、リョウが枝から飛び降りてアレックスの前に立ちふさがった。もちろんリョウの意思ではない。戦いの真っ只中に突然参加させられてリョウは内心パニック状態だったが、リョウの体はそんなことはお構いなしに眼前のアレックスを見据えていた。

「どうした、チェリー」アレックスは笑いながら尋ねる。「まさかお前まで、こんな辛気臭い顔をしたやつを相手に……。いや、お前のことだ。おれに殺されそうになっているこいつを、身を挺して守るためにわざわざ降りてきたんだろう。地獄のように馬鹿げたボランティアだな」

「違う」大笑いするアレックスを冷めた目で見据え、リョウは口を開いた。「その女を守るつもりも、お前と戦うつもりもまったくない。状況整理のために、私に害をなすお前たち二人から意見を求めたいと考えただけだ」

 リョウはアレックスとタックを指差した。リョウは自分自身の口を通して、自分の考えもしない言葉が出てくることに驚愕した。言葉の意味がまるでわからず、また何が起こっているのかもわからない。それはアレックスも同じなようで、リョウが不可解な言動を始めてから徐々に探るような態度を示している。

 おれはいったいどうなっちまったんだ……?

 リョウは考えられるすべてのことに頭をめぐらせて、結局何もわからなかった。言い切れるのは、現在の自分には体を操る力がない。そして代わりに別の誰かがリョウの体を占有している。しかもその誰かは、意味不明の問答でアレックスを挑発している。それが意味するところは、つまるところ死だ。

「ボクを女と呼ぶな!」タックが叫んだ。「ボクを女と呼ぶことだけは、誰であっても許さない!そのために今まで傭兵としいて頑張ってきたんだ!ボクの人生への侮辱だ!次にボクを女と呼んだ時は、ありとあらゆる手段でお前を殺してやる!」

 タックが鬼のような形相でリョウをにらむ。何か複雑な事情があるんだな、とリョウは彼女を心配したが、しかし何よりもまず自分の状況を打開することが先決であり、その糸口すらつかめず混乱状態のリョウにとって彼女の発言はさして印象に残らなかった。リョウとは逆に、アレックスは非常に滑稽なことだと思ったらしい。腹を抱えて笑い出した。

「……意味も意図もまるでわからない」リョウは呆れたようにつぶやくと、二人に背を向けて歩き出す。「私は帰る。ここでお前たちと会話することによる利点がまったくない。本を読んだほうが有益だ」

「待てよ、チェリぃいいいい!」

 アレックスが怒声を上げて触手のような機械虫を伸ばし、立ち去ろうとするリョウを囲むように地面へと突き刺した。リョウの位置からはまるで巨大な銀のフォークがアレックスの体から飛び出しているように見える。機械虫を伸ばしている分、アレックスの上半身は皮膚下の赤肉が露出している。まぶたのない目玉は不気味だな、とリョウは思った。

「……そのチェリーというのはこの人間の呼称か?」足を止め、振り返りながらリョウが口を開く。「近しい人間は『桜井リョウ』と呼んでいるはずだが。向こうの女も私をチェリーと呼ぶ」

「そうさ!忘れたか。このおれが付けてやった最高にふさわしい二つ名だ、チェリー!『殺人童貞のチェリー』と言えば、学園の内外で抜群の知名度だぞ。このおれの宣伝活動に感謝することだな」

 アレックスが答える。学園外でもこの名前が知れているのか、とリョウは内心うんざりしながら、一方でまた自分を女扱いされてリョウに向けて罵詈雑言をわめき散らすタックにも辟易していた。どうも、現在リョウの体を操っている何者かには常識がない。あるいは配慮が足りない。これではアレックスから逃げるどころか、下手をすればタックとも同時に戦う羽目になりかねない。

「殺人童貞のチェリー……二つ名……、なるほど」リョウ本体の心配をよそに、リョウの体はまったく動揺していない。「それでこれは、この機械虫はどういうつもりだ、そこのでかいの?」

「馬鹿か。お前を逃がさないために決まっている」

「逃がさない?それでどうする。私にはお前と戦う気は無いし、戦う理由もない」

「ハハハハハ!本物の馬鹿だな、チェリー。毒キノコでも食ったのか?」アレックスが大笑いをして言う。「お前が戦いたかろうと戦いたくなかろうと何も関係がないんだよ!すべてはおれが決めることだ!おれが戦うか戦わないかも、お前が死ぬか死なないかもおれに決定権がある!お前のすべてはおれの手の中だあ」

 そう言うとアレックスの機械虫がにわかに溶け出して、どんどん範囲を広げていく。リョウはその銀の液体に触れぬように素早く抜け出して、ぎっとアレックスをにらんだ。

「そうだ、その顔だ!いつかこのおれを粉砕した時と同じ顔だ!ようやくお前も、おれと再び殺し合おうって気になったか。ぷくく!嬉しいぞ、チェリいいいいいいいい!」

 アレックスの言葉はほとんど奇声になっていて、その半分もリョウには理解出来なかった。しかし敵意を認識するには十二分であり、実際リョウが気づいたころにはすでにアレックスはリョウの目の前にまで飛び掛ってきていた。

 その瞬間、リョウは再び体が飛び上がるのを感じた。アレックスの巨体とさらにその数倍の範囲に広がる彼の機械虫から、一足飛びで遠ざかる。神がかりなまでに速く、力強い動きだ。リョウはもはや自分の体ではないのか、と諦めにも似た感想を抱きながら、自分の考えとはまったく無関係に動き回る肉体と五感からの情報を受け取っていた。

 アレックスの機械虫がジャングルの中を縦横無尽に突き進む。木が生えていようがいまいが物ともせず、障害物を切り刻みながらまっすぐリョウへと向かってくる。空中から見れば、意思を持った水銀の洪水が一人の人間めがけて襲ってきているような、非現実的な有様だろう。しかし、その洪水がリョウへと届くことはない。

 リョウは自身のコントロールを失った今、初めて自分とアレックスの動きを客観的に見ることが出来ていた。初めてアレックスの機械虫を見た時はその恐るべき速度に圧倒されたが、しかしそれは獲物の隠れる場所も障害物もなく直線的に攻撃出来たからだ。リョウとアレックスが現在対峙しているのはジャングルの中だ。アレックスの機械虫が木々を切り倒せるとは言え、その分スピードは確実に殺される。さらに隠れる場所が多いために、的を視認してからの攻撃となるとどうしても反応速度が鈍る。理屈は不明だが異常に高い身体能力を発揮しているリョウならば、地の利を最大限に活かしてアレックスを圧倒することなど容易に思える。

「捕まれ捕まれ捕まれえええええ!」アレックスが叫んだ。彼の機械虫は今や巨大な手のように変形して、他のすべてを無視し、ただリョウだけを狙って襲い掛かってくる。「早く、早く、早く早く早く!おれの元へ来い、チェリいいいい!それこそがおれの願い!それこそがおれの運命!それだけで、おれは、おれはああああ」

「うるさい」

 リョウはつぶやくと、登っていた大木から降下した。アレックスの魔手が蚊でも殺そうとするかのごとく、しかし豪快に攻撃してくる。だが、いくつもの木々を跳ねながら落ちることで、リョウは難なくアレックスの機械虫をかわしていく。そうしてついに地面へ激突するというところで、リョウは目前に迫っていたアレックスの魔手にナイフを突き立てた。そして全体重をナイフに預けたまま巨大な機械虫を滑り台のように使って、一気にアレックスの元まで滑落して見せた。極限まで巨大化したアレックスの機械虫がたかがナイフ一本によってアルミホイルのように避けていくさまを、リョウだけでなく主人のアレックスまで驚愕して凝視していた。

 そこに確実な勝機が見えた。リョウはそのまま疾駆すると、むき出しになったアレックスの体めがけてナイフを構え、一瞬のうちに両手両足の腱をズタズタに切り刻み、とどめに首の頚動脈にも刃を入れた。アレックスの血液が噴水のように、夜のジャングルに飛び散っていく。アレックスはまぶたのない両目で、いったい何が起こったのかわからないといった風に吹き出す血液を見つめていた。セカンドグレード最強の男の、完全なる敗北の瞬間だった。

「うぎゃああああああああああああああああああ!」

 アレックスが悲鳴を上げながら、地面へと崩れ落ちる。リョウはなんとなく、要塞の陥落をイメージしながら、その様子を第三者として見つめていた。アレックスのコントロールを失った機械虫も、瞬間的に液体と化して落下する。かなりの範囲へと広がった。どうやらアレックスの機械虫は極限まで薄く伸ばされていたようで、これならば確かにナイフで切ることも可能に思える。

 アレックスの機械虫がすぐに主人の下へ帰還し、見る見るうちに皮膚へと変貌していく。驚いたことに、首に負った致命傷も止血出来るらしい。アレックスの首元で一瞬、銀色の水風船が物凄い勢いで血液を吸って肥大化したように見えたが、溢れた血液はどんどん血管へと戻されていって最終的には通常の皮膚へと変化した。しかしもちろん四肢の腱は切れているため、立ち上がることすら出来ない。

 圧倒的なまでの活劇を見て、興奮と感動を覚えていたのはリョウ本人だけだった。体のほうは、アレックスが再起不能であることを確認するとすぐさま踵を返した。そして村に置いていたリョウの荷物を回収すると、そのままジャングルへ入っていく。その方向からリョウは、リョウの体を操る何者かはリンコたちもいるはずのピックアップポイントへ向かうのだと気づいた。

 ジャングルの奥へと進むにつれて、未だ燃え続ける村からの明かりも徐々に届かなくなっていく。モンスターの咆哮にも似たアレックスの悲鳴も、まるで目に付かぬという風に放置してきたタックの罵声もだんだんと小さくなり、そうしてリョウはついに闇の中へと消えていく。同時に、自分自身がまるで別のものになっている事を再度感じていた。

 これから、おれはどうなるのだろう。ともかく体を動かせないのだから、背後霊みたいにただ、こいつの運転するおれ自身に乗り合わせればいいのだろうか。

 そんなのは困るんだが、……おれにはどうすることも出来ない。

 リンコ、学園や孤児院の皆とはどうする?どうなるんだ?

 リョウはこれからの生活に不安を感じながら、しかし自分の手では解決し得ない問題だと理解している。ただ呆然と、事態の進展を待つしかない。


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