特別な感情
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「あー…」
夢の中で、彼が唸っていた。
実に、面白くなさそうに。
「なあ、嫌な予感が当たったろう?」
そして、早紀の顔を見るなり、そう言い放つのだ。
ああ。
心当たりがありすぎて、早紀は笑うことも出来ずに目を遠くへと泳がせた。
きっと彼は、イデルグの双子のことを言いたいのだろう。
鎧という立場から、どこまで現実世界のことを知っているかは分からないが。
だが。
「今日の当主のキレっぷりときたら、とんでもなかったぜ」
最初に彼の口から出たのは、イデルグのことではなく真理のことだった。
そうか。
鎧は早紀とつながっているが、きっと真理とも別の形でつながっているのだ。
だから、真理のことが分かるのだろう。
キレてたんだ。
早紀は、更にいやーな気分になる。
おとといも、昨日も、そして今日もいろいろあった。
真理にとっては、どれもこれも面白くないことの連続だったろう。
「おかげで、妙にお前さんに執着しはじめた」
ふぅと、鎧が嫌そうな音で言う。
「うーん、でもそれは…単なる持ち物の所有権とか、そういうレベルだから」
それくらい、早紀だってちゃんと理解している。
なのに。
兜が、早紀の方を向いて微かに傾いだ。
「じゃあなんで…」
声が、不意にひそめられる。
この空間には、二人きりしかいないというのに。
「じゃあなんで…お前は、あいつに好かれたがってるんだ?」
ガツン!
そんな音が聞こえた。
自分の頭の後ろの方。
『私のこと…好きじゃないくせに』
甦る、昼間の言葉。
早紀は真理に、何を求めたのか。
「だから、嫌な予感がしたっつったんだ…」
本当に不快そうに、もう一度鎧がそう言ったが──早紀は、自分の思考に取りつかれていて、耳には入らなかった。
※
そして翌朝。
またも、登校の後部座席は、不自然な沈黙に包まれることになる。
早紀の沈黙は、昨日のものとは違う。
簡単に言えば──落ち込んでいた。
昨夜、夢の中で鎧に言われたことが、起きてからもずっと彼女を刺し貫いていたのだ。
だから、真理が現在どれだけ不快な状況であるかとか、どれだけキレているかとか、あまり意識を向けていない。
自分のことで、手いっぱいだった。
そして。
出がけに、入り口にあった花が全部氷漬けになって粉々に砕けていたことも、確認はしたが衝撃に思うことはなかった。
「……」
中央のタミが、右と左に一度ずつ大きく目を動かしたが、今朝は口は動かさないでいてくれるようだ。
何で。
何で、真理の好意を自分は欲しがったのか。
他の誰よりも、そんなものを望めないはずの相手なのに。
それが、分からないのだ。
タミに、そんなものを求めていない。
修平にも、勿論、イデルグの双子にも。
なのに──真理には、求めてしまった。
ちらりと。
真理を見た。
むっつりと、不機嫌を残した──それでも、綺麗すぎる横顔。
子供の頃、早紀が来た時に出ていけと言った時も、こんな顔だったのかもしれない。
ああ、そうか。
少しだけ、心当たりを見つける。
その出会いが、キーワードだ。
真理は、最初から彼女を煙たがっていた。
他の人が、空気レベルには彼女をそこに置いておいてくれたのに、彼だけが早紀を拒絶していた。
そう。
空気ではなく、唯一拒絶してくれた人なのだ。
逆に言えば。
早紀の『存在』を、たった一人強く認識してくれていた相手だった。
『出ていけ』、『まだいたのか』と面と向かって言われる度に、彼女は何とか図太く切り抜けてきた。
だが、あの瞬間だけ、早紀という魔女は生きていた。
この世にあって、唯一誰かから特別な感情を抱かれていた。
それが──真理だったのだ。
※
学校につき、早紀は自分の席についてなお、心は自分の内側に囚われていた。
そうだ、最初は真理だったのだ。
次が、鎧の男。
早紀は、彼に好意を覚えかけた。
真理よりも、鎧の男のそばにいたいと考えた。
だが、それを彼は、早紀に拒ませた。
ここは、ロクなものじゃないと、居座る場所ではないと突きつけたのだ。
そしてその次が──伊瀬。
彼だけは、何故か早紀を見つけることが出来た。
理由は分からないが、彼女はどうやら伊瀬(あるいは海族)の近くにいると、能力を発揮できないらしい。
それは、零子が応接室の早紀を、容易に見つけることが出来た事件で証明されている。
そんな環境のせいもあるかもしれないが、伊瀬は彼女を見つけた。
魔女と知ってなお、追ってきた。
そして。
好意に近い感情を覚えた。
好意に近い感情をもらった。
なのに。
その好意の感情は、成立しなかった。
種族の違い、母親のせい、相手の立場のせい。
いろんなものが立ちふさがって、あの部屋が砕けた時のように、ぱぁんと割れて失われたのだ。
結局。
早紀には、真理だけが残ったのである。
なんだ。
彼女は、自分を好きになってくれる人を、フラフラと探している自分に気づいた。
なんだ、そうか。
私は。
ただ、誰かに好かれたかったのか。
は、はは…。
唇を軽く開けるだけで、音のない乾いた笑いを浮かべる。
教室の誰も、そんな早紀には気づかない。
自分という生き物を認めた誰かに、好きだという感情を持って欲しかっただけなのだ。
その相手がいま。
真理しかいない、というだけ。
何と高級な──残り物。




