黒黒黒
朝。
早紀は、夢から転がり落ちたまま、ベッドでぼんやりしていた。
今日は平日だ。
いつも通りなら、きちんと着替えて準備をして、学校へ向かわなければならない。
真理と一緒に。
そこだ。
その部分が、早紀をベッドでぐずらせるのだ。
ずきずきと鈍く痛む額が、否応なしに彼の存在を思い出させる。
逃げた自分と、連れ戻した男。
噛んだ男と、放り出された自分。
そんな男に合わせる顔など、早紀が持ち合わせてはいなかった。
本当に。
夢の中にとどまっていられたなら、どんなに楽だったか。
だが。
早紀をただぐずらせてくれるほど、世界は彼女に優しくなかった。
突然のノック。
早紀は、毛を逆立てた。
慌てて時計を見る。
しかし、まだ登校の時間ではなかった。
「タミです」
「ひゃあい」
名乗られた瞬間、ビビった勢いで反射的に変な声を出していた。
真理でなかったことにほっとすると同時に、何故彼女が自分の部屋に朝っぱらからきたのか、という疑問がわきあがる。
だが、その思考は自分が思ったより、ゆっくりだったようだ。
その間に、ドアを開けたタミが、すっと部屋の中に入る。
ちらと室内を見ただけで、彼女は早紀の存在をきちんと認識しようとはせずに、クローゼットに向かったのだ。
開けた瞬間。
一瞬、タミが固まった。
ハンガーに並んでいるのは、買い与えられている黒い黒い黒い服。
「はぁ…」
彼女は、深いため息を漏らす。
「???」
ベッドの上の早紀は、その落胆めいた背中を眺めているしかできなかった。
※
「あ、あの…?」
タミの背中に、ついに早紀は声をかけた。
早朝からの訪問の意図を知ろうとしたのだが、彼女の言葉は、タミに自分の位置を認識させたようだ。
振り返った視線が、すんなりと早紀を捕まえる。
確認するように一度まばたきする、整えられた目元。
そして。
表情を、微かに曇らせる。
タミの視線は──早紀の額に注がれていた。
あっ。
慌てて傷を隠そうとしたが、時すでに遅し。
みっともないものを、見られてしまった。
疑問よりもバツの悪さが勝って、早紀は小さくなりかける。
「部屋へ」
彼女の存在を、見失わないようにか、タミが声をあげた。
はっと顔を向けると。
「私の…部屋へ」
そう言うなり、出口の扉へと向かおうとするのだ。
え?
全ては語られなかったが、タミの部屋に来いと言ったのだろうか。
一体、どうして?
心当たりがあるとしたら、昨日だ。
真理とのトラブル。
それを、ほんの少し垣間見たタミ。
だが、その事件とクローゼットの、因果関係は分からない。
タミの部屋へ行く因果関係は、もっと分からない。
朝から部屋を襲撃されて、落胆されたり、傷を見られたり。
一体、彼女は何を。
「声…」
出口の扉で一言だけ。
「は、はい」
反射的に、答えてしまう自分は、一体何の病気なのか。
ついていかなくてもいいという選択肢は、早紀にはないようだ。
疑問という以前の思考の中、彼女はのそのそとベッドから足を下ろす。
とりあえずいまは。
真理に合わなくていい口実だと思えば、理不尽な誘いでも、ついていけそうな気がした。
※
タミの部屋は──黒かった。
いつの間に、調度品を運び込んでいたのだろう。
元々、どんな部屋かは知らないが、カシュメル家のものとは違う黒が、部屋を覆いつくしていたのだ。
光沢のある、金属のような黒が多い。
おずおずと、慣れない部屋に足を踏み入れた早紀は、前をゆくタミが、やはりまごうことなくクローゼットに向かうのを見た。
そして。
開け放たれる。
黒、黒、黒。
しかし、早紀の部屋の黒とは違う。
光沢も、黒具合も、ラインも。
一目見ただけで、早紀のただの黒い服の海とは違うと分かった。
「脱いで」
その服を、手袋の手で器用により分けながら、タミは言う。
ぬ、ぐ?
早紀は、思わずきょろきょろした。
脱ぐって。
自分を見ると、しょぼいパジャマ姿。
脱ぐものなんて、これくらいしかない。
しかし、脱いでどうするというのか。
雰囲気的に、タミの出す服と着替えるということなのか。
早紀の部屋の服では落第で、自分の服を出そうとしているように見える。
何故か、という理由は分からないままだが。
「えっと」
まごついている早紀を尻目に、タミは黒いレースで作られたドレスを引き出す。
それを、じいっと見ている。
たらっと。
早紀は、いやな汗をかいた。
まさか、それを自分に着せようということじゃないよね、と。
「脱いだ?」
振り返ったタミの一言に、早紀は別の意味で逃げておけばよかったと後悔したのだ。
「まだ…です」
困った眉間を作った瞬間、額がズキッとひどく痛む。
真理に、「逃げるな」と言われた気分だった。




