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極東4th  作者: 霧島まるは
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隙間

 首をへし折られるほどの強さではなく、伊瀬はただ静かに早紀を殺そうとしてくれた。


 その、残酷なあたたかさの向こうで―― 一滴。


 確かに一滴、水がしたたったのだ。


 それは、青く細い流れを生み出した。


 雫を追うように細長い青が、滑り込んできたのである。


 ぁ。


 苦しい喉元が、ドクンっと反応した。


 あの、青は。


 あの――濃紺は。


 刹那。


 青い空間自体が、大きくたわんだ。


 ぐわんと、気が唸った。


 伊瀬が、はっと顔を天に向けた時。


 泡のように。


 部屋は。


 弾けた。


 水は、即座にうねりを持って早紀を包みこむ。


 首から引き離される、あたたかな残酷。


 しかし、その大きな手は、即座に早紀を捕まえようと伸ばされた。


 ここは、水の中。


 伊瀬のテリトリー。


 この中なら彼は、地上よりも速く、そして強い。


 早紀の目前に、大きな手が広がる。


 再び、彼女が伊瀬に捕らわれようとした――その時。


 いきなり降りた白いカーテンが、その手を消してしまう。


 冷たい、とても冷たい、氷のカーテン。


 あ。


 ぁあ!


 急激な温度の変化に、早紀を取り巻く水は蜃気楼のように揺らめいた。


 早紀の真上。


 いびつな光の屈折率の物陰から。


 白い白い指先が――伸ばされていた。



 ※



 水中で。


 天を仰いだ早紀の、額に押しあてられる指先。


 ごぼっ。


 彼女の吐き出した空気が、蜃気楼の向こう側の景色を、粉々にしてしまう。


 だが。


 だが、早紀の額に触れる者など――ただ一人。


 何故?


 明確な疑問さえ間に合わないほど速く、指先は円を描いた。


 黒い泡が、早紀の全身を包んだ。


 水の中で鎧になるのは、これが初めて。


 全身から吹き出す黒い魔気の代わりに、水が押し寄せてくる圧迫感。


 そして。


 水よりも大きな質量が、早紀の中に滑り込んだのだ。


 忘れもしない、独特の生々しさ。


 あ。


 何故、泣きそうになったのだろう。


 もう何もかもどうでもよくなって――それこそ自分の命にだって、興味を失っていたというのに。


 自分の隙間を埋められると、満たされた幸せのような錯覚を覚えるのか。


 早紀の戸惑いが落ち着くのを――待ってくれない者がいた。


 白いカーテンが、眼前で砕け散ったのだ。


 美しいほどの、氷の破片の乱舞。


 その舞と共に、赤茶けた濁流が踊る。


 伊瀬の長い髪が、生きもののように水中でうねっていた。


 早紀は、身構えた。


 いや。


 身構えたのは、早紀の中の男。


 魔族の、男。


 あっ。


 早紀は、慌てた。


 確かにここは、伊瀬のテリトリーだ。


 しかし、彼は生身なのだ。


 そんな姿で、この身に挑んでは危険ではないのか。


 この鎧の持ち主が、海族に対して加減するはずがない。


 さっき。


 さっき、確かに彼は早紀を殺そうとした。


 だが彼は、最後まで優しくあろうとしたのだ。


 その伊瀬が。


 顎を上へと上げた。


 遠くの水面を指すように。


 帰れ、と。


 そう言っているのだろうか。


 次の瞬間。


 伊瀬は、水に溶けて――消えてしまった。



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