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極東4th  作者: 霧島まるは
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おかあさん

 雷と雨を引き裂いて飛んでいた鎧は、ゆっくりと減速していく。


 はっきり、目的を持った動きだった。


 鎧の中で、寒くもないのに震えを止められずにいた早紀は、ある方向を見た。


 正確には、いまの鎧の主導者である真理が向いた方を、自動的に見ただけだ。


 雨にけぶる四角い建物の、ひとつの四角い窓。


 その窓辺には──ベッドがあった。


 そして。


 人が、横たわっていた。


 病院?


 早紀が、ぼんやりとその認識をした直後。


 あ。


 決壊する一瞬前の、ひとつの言葉。


 ぁああああああ!!!!


 ステルスなど、一瞬で崩壊するほどの大声を、早紀は鎧の全身で放っていた。


 勿論、それは物理的に外に漏れることはない。


 真理の、意識的聴覚をつんざくだけだろう。


 しかし、早紀は叫ばずにはいられなかった。


 そこには、おかっぱの女性がいたのだ。


 記憶より年を重ねてはいるものの、早紀の記憶を鮮明に塗りつぶすほどの威力があった。


 お母さん!


 猛獣が吠えるように、早紀はそれを叫んだ。


 驚きよりも早く、野生そのもので出来た愛しさが駆け抜ける。


 そして、本能のまま彼女はその部屋へ向かおうとした。


 のに。


 ガチャン。


 身体は、不恰好な金属の音を立てるだけで、真理に制されてしまっていた。


 すぐそこに、会いたくてしょうがなかった母がいるのだ。


 一秒でも早くその側に駆けつけ、自分が早紀だと名乗りたかった。


 そして、優しく抱きしめて欲しかった。


 制御される鎧もものともせず、早紀はガシャガシャと関節部を鳴らして動こうとしたのだ。


『あれは…人間だ。お前の本当の母ではない』


 あ、れ?


 鎧の動こうとする雑音のせいで──何を言われたか、よく聞こえなかった。



 ※



 雨の中で。


 伝聞ばかりで作られた、昔話を聞いた。


 昔々、ではなく――ちょっとだけ、昔の話。


 魔女と人間の娘が出会い、親交を持ったこと。


 魔女が、自分の赤ん坊を、人間に預けて死んだこと。


 人間は、その子を育てていた。


 しかし。


 人間と魔族が長く一緒にいたために、魔気のせいで人間はどんどん身体を壊して弱っていった。


 このままでは、魔族の子供を残して死んでしまう。


 そう悟った人間は、生前の魔女が言っていた言葉を頼りに、彼女の血族に子供の存在を伝える。


 そこへ、ちょうど生け贄の魔女を欲しがっていた本家に、その情報が届いた。


 生け贄にされるとも知らず、育てられなくなった人間は、子供を手放した。


 それが、早紀の幼少時代の真実。


 産みの母は死んだ。


 しかし、育ての母は生きていた。


 だから、早紀の知る真実と、事実は食い違っていたのである。


 淡々と事実のみを語られる言葉を聞きながら、早紀の目は病室のベッドを見ていた。


 彼女は、入院生活を余儀なくされているようだ。


 自分の発していた魔気が、どれほど育ての母を苦しめたのだろう。


 死を感じるほどに、彼女を追い詰めていたのだ。


 早紀は、動けないまま窓を見ていた。


 どうして、近づけようか。


 魔気でボロボロにされた女性に、更に魔気を浴びせることなど、出来るはずがなかった。


 愛の記憶が。


 早紀の中に、確かにあった愛の記憶が、雨に打たれていく。


 狂おしいほど、この愛を伝えたい相手がそこにいるというのに、雨はその火が燃え上がるのを邪魔するのだ。


 後はただ、くすぶるばかり。


 何も考えられなくなった早紀の身体は、ゆっくりと病院に背中を向けた。


 自分の意思ではない。


 真理が、そうしたのだ。


 鎧でよかった。


 初めて──そう思った。


 でなければ、早紀はきっと一人では帰れなかっただろうから。



 ※



 ずぶ濡れの鎧が、真理の部屋を濡らす。


 構うこともなく、彼は早紀の中から抜け出た。


 あぁ。


 いまほど、彼女はその喪失感を、痛く感じたことはなかった。


 ほんのわずかの温度も失って、自分がただの抜け殻になってしまう気がしたのだ。


 せめていっそ。


 肉を持たない、この無機質な鎧のままでいられたら。


 しかし、真理の指が額をなぞる。


 ガシャン。


 金属が崩れ落ちるように、早紀を肉の塊に戻してしまう。


 水で湿った床に、彼女は膝をついた。


 そんな早紀を、真理は見下ろしているようだ。


「何故、そんなに過去にこだわる…」


 降り注ぐ視線に乗って、彼はそう聞いた。


 さっきの母の姿が、早紀の脳裏を矢のように貫く。


 だ。


 だって。


 彼女は、自分のおかっぱの頭を、強く両手で掴んだ。


 だって、私には。


「私には……過去しかないもの」


 楽しい記憶も、嬉しい記憶も、あの過去の中にしかない。


 小さな小さな絵本におさまる程度の、短い幸せな思い出。


 その後は。


 ただ生かされ、ただ生き延びていただけ。


 ああ。


 疲れた。


 強い倦怠感と、虚無感に包まれる。


 早紀は、のろのろと立ち上がった。


 のろのろしたまま、真理の部屋を出る。


 そして。


 自分の部屋を、素通りしたのだ。


 そのまま──屋敷を出てしまった。



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