利害
こ、こ、ここは魔族の学校デスヨ!!
早紀は、目を白黒させたまま、錯乱状態に陥っていた。
慌てて周囲を見回してしまうのは、誰かが見ているのではないかという恐怖感のせい。
だが、彼がここに早紀を訪ねてきたということは、彼女のことを魔族だと知った、ということでもある。
魔族だと知って遠ざかるならまだしも、一体何の用があるというのか。
伊瀬は、人差し指を下ろして、微かに口元を微笑ませる。
早紀が、騒ぎ立てないことが分かったからだろう。
「やっぱり…思った通りの子だ」
優しい、声。
早紀が魔族と知る前に、彼の出した声と同じ音。
いまなお、伊瀬はそんな声で語りかけてくれるというのか。
「君にお礼がしたくてね…最初は。だから…君のことを調べてしまった」
優しい声が、経緯を語り始める。
お礼ごときのために、魔族の学校に侵入したなんて、おめでたすぎる。
大体、早紀は彼にとってお礼の対象では──
「そしたら…君が魔族だと分かった…カシュメルの家にいることも」
しかし。
伊瀬は、全てを知っていた。
その上、どういう意味かは分からないが、カシュメルの名前も。
カシュメルの当主が鎧を身につけ、戦いに出ているということを、知っているということなのか。
反射的に、早紀が一歩下がりかけた時。
「ああ…いや、怖がらないで欲しい…私は君の…魔族である君の助けが必要なんだ」
伊瀬の方が、先に一歩下がる。
初めて出会った時も、早紀を怖がらせないようにしてくれた人。
「もし、話を聞いてくれる気があるなら…すまない…手に触れさせてくれないか?」
複雑な戸惑いに振り回されている彼女に、伊瀬は不思議な言葉を並べた。
手?
つい、自分の手を見つめてしまう。
「正直…そろそろ限界でね…海から離れすぎると…こうなる」
大きな身体が、微かに傾ぐ。
「……!」
敵地に。
話を聞く、確証もないというのに。
海族の身体で乗り込むなんて。
早紀は、慌てて手を伸ばしていた。
確かに彼女の身体の中にある──海の力が、伊瀬に流れてゆく。
※
「魔女を探している…血筋で言えば、カシュメルの…」
早紀の手に渡される、一枚の写真。
艶やかで、見ているものの視線を惹きつけてやまない、強い強い瞳。
長い黒髪は、くるんくるんと好きな方に浮き、跳ね回っている。
どう見ても魔女。
タミや零子と反対の、騒々しい方の魔女だ。
「この人を…何故?」
魔女と、関わりのある人間には見えなかった。
授業の始まる鐘が鳴る。
「昔…我らの宝が盗まれた。その犯人を…私はずっと探している」
その鐘の音の中、伊瀬は語り始めた。
写真の魔女は、一人で海族の中に飛び込み、宝物庫からそれを奪っていったと。
その方法は、決してスマートではなかった。
多くの海族に姿をさらしながら、宝を奪い、そして逃げていったというのだ。
俊敏で、そして『アバキ』と、彼らが名づけた能力を持っていた。
天族寄りの能力を持つ眷族が、全てそのアバキでしてやられたのだと。
記憶や知識、秘密──それらを彼女はことごとく、天族寄りから吐き出させたのだ。
そのおかげで、海族でも一部しか知らない抜け道から、逃げおおせた。
「私は…宝を取り返したい」
この魔女を、探しす手伝いをしてほしい。
そう、伊瀬は言うのだ。
突然そんなことを言われても。
困ってしまうのが、早紀だ。
カシュメルの血筋と言われても、早紀はあの屋敷以外のことはまったく知らないのだ。
それに。
伊瀬を手伝うということは、海族を手伝うということで。
そんな事実がバレたら、早紀は身の破滅ではないのか。
しかし。
何度も確認するが、相手は海族。
彼女の中にある、海の力の秘密が分かるかもしれない人でもあった。
あらがいがたい、誘惑の瞬間。
ごくり。
早紀は、生唾を飲み込んでいた。
「私のお父さん…あなたたちの眷属かもしれないんです」
しらべて、くれますか?
真理の言葉を──鵜呑みになんて出来なかった。