帰宅禁止令
さすがに、高校卒業したら、出ていかなくちゃなあ。
シーンと静まり返る車内は、いつものこと。
登下校の、送迎の間の風物詩だ。
図太さを身につけた早紀は、隣の氷の王子がしゃべらない限り、ぼんやりと考え事が出来る。
そして、しゃべることなど、めったになかった。
今朝きた、あの一撃も久しぶりのことで。
彼も、長い間早紀を目障りに思い続けているようだ。
この屋敷での生活と、風変わりな学校で、随分早紀も世間知らずになっているだろう。
とは言え、ねっこは庶民なはずなので、仕事さえ見つければ、暮らしていけるんじゃないかと考えていた。
あと一年ちょいかあ。
意外と残り時間が短い事実に、早紀は驚いた。
たったそれだけの期間で、就職を探し、学校を卒業して、あの屋敷を出るのだ。
結構、忙しそう。
ちょっとビビって、早紀はへらっと笑ってしまった。
それを自覚して、はっと顔を引き締める。
真理に、見られたかと思ったのだ。
幸い、隣の彼は窓の外を見ていた。
セーフ。
自分の頬に手をあてて、早紀は顔を引き締める。
あと一年ちょっと。
真理に、実力で叩き出されないようにしないといけないのだ。
「おい…」
なのに。
そんな、早紀の考えを吹っ飛ばすような、本日二回目の王子の言葉。
ひっ。
なまじ、車内は近いせいもあって、声にこもった低い響きが、ダイレクトに伝わってくる。
こんな距離で、はっきりと出ていけと言われたら、断りづらいではないか。
完全にビビりまくりながら、早紀はそれでも王子の次の言葉を待たなければならなかった。
逃げ場は、ない。
「おまえ、今夜はうちに帰ってくるな」
突き付けられたのは── 一方的で強引な一言だった。
※
ちょっ。
女子高生に、外泊しろとのお達しなのだ。
しかも、いきなり今夜。
い、行くとこが、ありませんが。
やや青くなりながら、情けないことを、早紀は思った。
残念ながら、友達と呼べる人間は、一人もいなかったのだ。
独特のクセのある生徒ばかりの中で、早紀は何というか――空気のような存在だった。
小さいうちから、真理を相手にしてきたため、とにかく彼女は反射的に自己防衛に特化してしまったのだ。
余計なことは言わない、でしゃばらない、声をかけられないように存在を薄くする。
そんなことばかりが身についたせいで、おそらくいまだ早紀の名前さえ知らない生徒もいるだろう。
小学校から、ほとんど生徒に変化はないというのに、だ。
それで、早紀もよかった。
いいこともないが、悪いこともない穏やかな生活があれば、それで満足だったのだ。
そんな空気女子高生は、今夜屋敷に帰ってはいけないと言われてしまった。
どう、しよう。
反論したり、拒否したりという考えは、早紀にはない。
それも、空気になるべく努力した結果だ。
知り合いの家がないなら、ホテルとかになるのだろう。
しかし、高校生が平日の夜に、制服でホテルに泊まって不審がられないだろうか。
受験シーズンでもないというのに。
うーん、うーん。
悩んでいた早紀に、ふと光が差した。
そうだ、と。
浮かんだのは、修平の顔。
彼に相談すれば、どこか宿泊先を紹介してくれるかもしれない。
幸い、携帯電話がある。
昼休みにでも、電話で相談してみよう、うん。
なんとかなりそうな事実に、早紀はにこっとした。
瞬間、はっと顔を引き締める。
さすがに、いまの表情は真理に見られただろう。
幸い。
彼は、その後何も言わなかった。
何故帰ってきてはいけないのか──理由を聞かないことさえデフォルトだった自分を、早紀は後で悔やむこととなる。