空蝕
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「くーしょく?」
聞いたことのない言葉を、早紀は唇で繰り返してみた。
さすがに慣れてきた、夢の中での出来事だ。
「そう、空蝕。空が欠ける夜のことだ」
鎧の男は、そこに空があるかのように、上を指差した。
すると、本当に闇夜が広がり始めるではないか。
月や星のある、夜の空が。
さすが夢。
便利だなあ。
早紀は、あんぐりと空を見上げた。
「蝕が起きると、空に更に暗い影が出来る…似たようなのを、お前も見たろ?」
言われて、早紀はすぐに思い当たった。
真理と空を飛んで、黒い球体に入ったことを、だ。
「あれは疑似蝕で、本物じゃないがな。ああいうのが、不定期に発生するわけだ」
いま、頭の上にある空の一部が、闇に欠けてゆくのが分かる。
「その空蝕の、『涙』を奪い合うんだ」
空で――火花が散った。
遠いカメラの映像のように、何かが激しくぶつかり合う。
「あの中に、オレたちも行くんだ」
見上げたままの早紀の耳に、楽しげな声が届く。
血の奥が沸き立つような、熱狂さえ含まれているような声。
早紀は、空から視線を降ろしながら、彼を見た。
そうだ。
早紀は鎧なのだ。
真理も、初陣という単語を使ったではないか。
だから、早紀も戦わなければならないということになる。
ひえぇ。
理解したら、腰が引けた。
争いなんか、好きなはずがない。
「む、む、無理…死んじゃうよ」
魔族の戦いなんて、想像もつかないようなものを、早紀が出来るはずがない。
そんな彼女に、鎧の男は楽しさを消したりしない。
「ばーか、お前にはもう選択肢はないんだよ」
それどころか――とどめを刺してくれたのだった。
※
そのまま。
目がさめると、思っていた。
鎧の男に笑われて、あれ、と夢から放り出されると。
なのに、今日の夢は終わらなかった。
あれ?
早紀は、その違和感に引っ張られるように、辺りを見回した。
頭上の映像は消え、再び静かな状態に戻っている。
いま、自分に生まれた違和感を、早紀が消化出来ないでいると。
ガチャ。
金属が、鳴った。
ガチャガチャガチャガチャ!
地震でも起きたかのように、小刻みに鎧が震えだしている。
「きた…来た来た来た…」
声が。
彼の声が、ひどくなる鎧に共鳴するかのように、喜びに打ち震えた。
「戻れ! そして新当主を叩き起こせ!」
継ぎ目という継ぎ目が、大きな音を立て続ける中。
制御しきれないほどの、その小手の先の指が、早紀に向けられる。
な、に?
ぶれる黒い指先は、彼女の額に向かっていた。
「来た…蝕だ!! 待ち焦がれたぞ!!」
震えながらも、それでも指は早紀の額で円を描いた。
「あっ!」
その悲鳴は、既に現実の音を伴っていた。
更に。
彼女は既に、真理の部屋の前に立っていたのだ。
しょ、く。
一瞬前の鎧の言葉が、頭をよぎる。
同時に、身体の奥底から、熱い何かがせり上がってきていた。
彼女の中で、あの鎧が猛っているような。
あらがい難い、そして、生まれて初めて持つ衝動。
手が。
自分の手が。
自分のものではないように、ドアノブを掴んでいた。
あの真理の部屋を――ノックなしで開けるなんて。