偵察
---
「よぉ」
呼びかけられて、早紀ははっとした。
気づいたら、また彼女は歩いていたのだ。
そして、夢の中に入っていた。
向こうにいるのは、あの鎧。
そっか。
早紀は、思い出した。
真理に連れて行かれた怖いところから帰ってくるなり、彼女はバタンと意識を失ってしまったのだ。
疲労、緊張、恐怖。
いろいろ積み重なったのだろう。
早紀の人生の中で、あんなに怖い思いをしたのは初めてだったのだから。
おまけに。
おまけに、真理が笑うのを初めて感じた。
昏い笑み。
早紀は、ようやくほっと出来て、その場にへたりこんだ。
「お疲れのようだな」
鎧の男は、楽しそうだ。
「うん…疲れた。怖いね、みんな」
この鎧の男は、話しやすい気がする。
他の鎧よりも、怖い感じがしないのは、契約をした関係だからだろうか。
「あっはっは、あいつらのマヌケ面を見たか? オレを『4th』と見下しながらも、警戒しまくりだったな」
早紀の恐怖など、どうでもいいことのように、鎧は思い出し笑いを始める。
4th?
そういえば、あの場でも聞いた言葉だった。
一番怖い闇が、真理に向かってそう言ったのだ。
『極東エリアの4th』、とかなんとか。
「他に三匹いただろ? クサレ鎧どもが。4体の鎧の中で、新参者は一番びりっけつ。だから…4thだ」
口にしなかった早紀の疑問を、彼は笑みと共に語る。
しかし、どう聞いても他の鎧と仲良しとは思えない。
ライバル、なんだ。
だから。
だから、真理も笑みを浮かべたのか。
他の三体に、存在を気づかれないまま近づいた事実が、どうも彼を喜ばせたようだから。
「この鎧って、あんなこともできるのね」
早紀は、うまくつながらない記憶を混ぜ合わせながら、ぽろっと口にした。
刹那。
「ぶはっ…おまえ…おまえ…誰があんな技を繰り出したか分かってないのか!?」
息も絶え絶えに笑う鎧なんて──そうは見られるものではなかった。
※
うーん。
早紀は、授業も上の空でいろいろ考え込んでいた。
鎧の男が教えてくれる情報は、1つずつであっても、十分彼女の思考のキャパを超えるものばかりだ。
自分は魔女で、二度死んで、鎧になって、真理と同化して、空を飛んで、怖い人たちと対面して。
それでもってそれでもって。
あの能力とやらを出したのが、早紀だというのだ。
そんなすごい能力なんて、本当に持ってるのかなあ。
考え込んでいるだけで、あっという間に授業が終わり放課後で。
とりあえず、言われたとおりのことを、ごくんと飲み込むしか、早紀には出来なかった。
真理は、懇切丁寧に早紀に教えてはくれないし、鎧の人といられる時間は、意外と短かった。
夢の世界では、時間の流れが随分違うように感じるのだ。
うーん。
伸びをしたい気持ちをぐっとこらえて、早紀は身体を縮こまらせたまま、教室から出ていこうとした。
その時。
「…捕捉しました」
目の前に──誰かが立った。
下を向いていた早紀に見えたのは、真っ黒いスカート。
声も服も、間違いなく女生徒のものだ。
ゆっくり。
いやな予感がしながら、ゆっくりゆっくり、早紀は顔を上げていった。
黒いガラス玉のような眼。
青いほど白い肌に際立つ赤い唇。
ウェーブを帯びた長い黒髪。
綺麗な女性だが、知らない人だった。
同じ学年でもない。
だが。
だが、ただひとつだけ、早紀には理解できた。
彼女の額のまんなか。
自分と同じ、しるしがあったのだ。
この人!
「ようやく捕まったか」
その彼女の後ろから現れたのは──またも、知らない男だった。
※
「君の能力は、厄介だな」
まだ、生徒の帰りきっていない、ざわつく教室。
そこで、早紀は見知らぬ男と女に、行く手をふさがれていた。
ど、ど、どうしよう。
うろたえるしか出来ない。
何となく、いま、自分がピンチな気がしたのだ。
早紀は、知らない学校の人間から、声をかけられるような有名人ではない。
ましてや、相手が自分と同じデコのマークを持っているとなると、いやな予感がプンプンするのだ。
「朝から探索させたが、見つけ出すのに今までかかった」
男は、左目を紫を帯びた黒髪で遮っている。
残った右目は、何というか──輝いているように思えた。
この人。
この人、この人、この人、まさか。
勝手に語り始める男を、早紀は警戒しまくった。
彼女の想像が、間違いでなければ。
この男は昨夜、あの三人の中の一人として、いたのではないか。
「ああ、名乗ってなかったな…僕は、東夷淳」
こっちは、零子。
ガラス玉のような目をした綺麗な子を、軽く顎で指す。
「は…はぁ」
あの中の一人だというのなら、一体何の用なのだろう。
無意識に小さくなろうとした早紀は──しかし、次の瞬間びくっとした。
二の腕を、淳という男につかまれたからだ。
「目の前で挨拶してる相手に、その技は駄目だろう…」
掴んでれば、消えられないかな。
淳は、ひとつの目でニッと笑う。
「あっ…あのっ…」
意味も分からずに、更に腕をとっ掴まれた状態で、早紀は更にしどろもどろになった。
一体、私に何の御用ですか。
そう聞いてしまえれば、簡単だったというのに。
知らない人とのコミュニケーションに慣れていない自分を、ここでさらしてしまうだけだった。
「不思議だね…魔族の力は、魔族には効きが悪いはずなのに」
ひとつの目が。
ゆっくりゆっくり──早紀に迫ってきた。
※
「トゥーイ卿…その辺にしていただけますか?」
ひやっ。
声には、冷気が感じられた。
反射的に、早紀は自分が叱られている気がして、身を竦める。
真理の声に対する、条件反射だ。
ん? 真理?
しかし、早紀はすぐに感情を驚きに変えた。
なぜ、ここで真理の声が聞こえるのか。
はっと視線を投げると、ドアの向こうに彼が立っているではないか。
あ、あの真理が、ロークラスに!?
信じられない事態に、早紀の口はあんぐりと開いたまま。
もはや、淳に捕まれている腕など、どうでもいいほどの衝撃だった。
「おや、カシュメル卿…昨日ぶりだね」
ぱっと、彼は早紀から手を放す。
何にも悪いことはしてませんと言うように、その手を軽く上げてみせる。
「さっそく偵察ですか? まあ、3rdのトゥーイ卿としては、気になりますよね?」
ぴっきぴき。
早紀の周囲に、氷が張っていく音を感じる。
それほど、真理の声には冷たさが溢れていた。
その冷気が、自分に向けられるなら、まつ毛さえ凍りついて目が開かなくなるのではないかと思うほど。
「珍しい能力だと、興味がわくものでね…ご挨拶だよ」
その冷気を受け流すように、風が巻いた気がした。
ふわり、と。
一瞬だけ、左目を覆う髪が浮いたが、その中はよく見えなかった。
「そう心配されなくても、初陣でゆっくりご覧になれますよ」
冷気を溢れさせながら、真理はちらと零子を見た。
早紀と同じしるしを持つ女性。
「つれないねぇ、極東の中では二人だけじゃないか、憑き魔女は」
自分以外の憑き魔女を見るのは、これが初めてでね。
淳は、早紀と零子を見比べるような動きをした。
「しかも、たった一つしか年が違わない。仲良くなれるかもしれないじゃないか」
淳の言葉とは裏腹に、二人の男の間には火花が散っているようにさえ感じる。
こ、こわい。
早紀は、この場に立っていなければならないだけで、拷問のようなものだった。
「ご冗談を…」
真理が──笑った。
「3rdを狙わないほど、お人よしじゃありませんよ…俺は」
怖い寒い怖い寒い。
早紀は、その真理の笑みを、見ないように目をそらしたのだった。