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夢に、歩いて入ったのは初めてだ。
眠りに落ちていく感覚が、ひたひたと早紀の身体に染みゆく。
染みゆくごとに、彼女はよりリアルに自分の歩みを自覚するのだ。
「早かったな…」
その足の向こうに――彼はいた。
黒い黒い鎧の男。
つい少し前に会った時は、鎧からは刺がたくさん突き出ていたが、いまそれは見えない。
「また、私は死んだの?」
早紀は、歩いてきた方向を振り返りながら、微妙な気分で聞いてみた。
「オレと契約したせいだ。だから、自分で歩いてきたろ?」
解説を受けても、早紀にはピンとこなかった。
ただ、もう死ななくてもよいようだ。
自分が何になったのか、早紀はまだ分かっていなかった。
真理から詳しく聞く前に、意識が遠くなってしまったのだ。
そりゃ、一日に二回も死ねば疲れて当然だ。
笑い話にもならない、そんな奇妙な表現が、頭を掠める。
気がかりなのは、自分がほぼ全裸のまま昏倒しているだろう事実。
「なんだ、浮かない顔だな」
鎧の男は、ニヤついた声を出した。
この黒い存在と、早紀は何か契約したらしい。
「私…どうなったの?」
早紀の知識はまだ、自分が魔女だった、という一点のみだったのだ。
はっ、と。
兜の内側が、笑いに震えた。
「面白い、面白い…知らないまま二度も死んだのか…これは傑作だ」
笑っても笑っても、その兜は光を反射しない。
暗く暗く沈むだけ。
「いいぜ、魔女…教えてやろう」
この世界に、本当は光がないのか。
はたまた、光を吸い込み続けているのか。
鎧は、右腕を上げた。
指の先まで分厚い黒が覆っている。
「お前は…」
彼は、その親指で。
自分自身の胸を差した。
「お前は…この鎧になったんだ」
早紀は――しばらくの間、考え込んだ。
そして。
やはり、理解できなかった。
※
目が覚めたら、自分のベッドの上だった。
パジャマを着ているのは、きっと真理が使用人の誰かに命じたにちがいない。
彼自身が、そんな甲斐甲斐しい真似は、絶対にしないだろうから。
乙女らしい、自分の裸の行方よりも。
鎧ねぇ。
さっき帰ってきた世界のことを、早紀は噛み締めてみた。
まだ、よく分かっていない。
ベッドの上に座ったまま、早紀は両手を広げてみたが、生身となんら変わりがない。
「おはよう、お母さん…私、鎧になったんだって」
枕元の、母の写真に語り掛けてみる。
早紀が魔女だというのなら、母だって多分そうだったのだろう。
しかし、とても魔女には見えない笑顔に、肩をすくめながらベッドを降りる。
事件は。
洗面所で起きた。
早紀は、いつものように顔を洗おうと思っていたのだ。
こんがらがったままの頭で考え事をしながら、半ば意識せずにいつもの作業を行った。
タオルで顔を拭き、洗面所から立ち去りかけた時。
「ん?」
早紀は、違和感に足を止めた。
何か。
何か、今、見えたのだ。
おそるおそる、早紀は洗面所を振り返った。
正確に言うと、鏡を見たのだ。
見間違い、ではなかった。
前髪を、がばっと持ち上げてみる。
鏡の中の早紀の――額。
そこには。
赤紫の、丸に似た記号が描かれていたのだ。
「ええーっ!?」
何回洗っても、取れなかった。