第6話 初めて見せた、先輩の“揺らぎ”
台風対応の翌日。
予報センターは、昨夜の緊張が嘘のように静かだった。
澪はデスクで資料をまとめながら、胸の奥がまだ熱いのを感じていた。
(……黒川さんが、あんなふうに言ってくれるなんて)
「誇れ。君の判断だ」
その言葉が何度も頭の中で反芻される。
そんなとき、同僚の男性予報士・三浦が声をかけてきた。
「白石さん、昨日すごかったね。あの進路予測、君が最初に気づいたんだって?」
「え、あ……はい。たまたまです」
「たまたまじゃないよ。すごいよ、白石さん。今度、解析のコツ教えてよ」
にこやかに笑う三浦。
悪気はない。
ただのフレンドリーな会話。
……のはずだった。
「白石」
低い声が割って入った。
振り返ると、黒川晴臣が立っていた。
いつもより、ほんの少しだけ表情が硬い。
「解析の話なら、俺が見る」
「え、黒川さん?」
三浦が苦笑する。
「いやいや、黒川さん忙しいでしょ。白石さんの成長のためにも──」
「俺が見る」
黒川の声は淡々としているのに、どこか冷たい。
三浦が一瞬だけ怯んだ。
「……そ、そう? じゃあ、お願いするよ」
三浦が去ると、澪は黒川を見上げた。
「黒川さん……あの、別に三浦さんと話してただけで──」
「分かっている」
黒川は短く言った。
だが、その声はどこか不機嫌に聞こえる。
「……怒ってますか?」
「怒っていない」
即答。
でも、目が合わない。
(……え? これって、もしかして)
澪が戸惑っていると、黒川がふいに言った。
「白石。解析の復習をする。来い」
「え、今ですか?」
「今だ」
黒川は歩き出す。
澪は慌てて後を追った。
***
データ室。
二人きりになると、空気が変わる。
黒川は無言でモデルを立ち上げ、澪に席を示した。
「昨日の進路変化、もう一度確認する」
「は、はい」
澪が画面を覗き込むと、黒川が隣に立つ。
距離が近い。
肩が触れそうなほど。
「……黒川さん」
「何だ」
「さっきの……三浦さんのこと、気にしてます?」
黒川の手が止まった。
数秒の沈黙。
そして、低い声。
「……気にしていないと言った」
「でも、なんか……」
澪が言いかけた瞬間。
黒川が、澪の手首をそっと掴んだ。
「……白石」
その声は、いつもより少しだけ低かった。
「他の男に、そんな顔を向けるな」
澪は息を呑んだ。
「え……?」
黒川はすぐに手を離し、視線をそらす。
「……すまない。忘れろ」
「忘れられません……」
思わず漏れた言葉に、黒川がわずかに目を見開いた。
澪の胸は早鐘のように鳴っていた。
(……今のって、どういう意味?
どうして、あんなふうに言ったの?)
黒川は何も言わず、ただ静かに画面に視線を戻した。
だが、その横顔はいつもより少しだけ赤く見えた。
──この日、黒川が初めて見せた“揺らぎ”が、
二人の関係を大きく動かし始めていた。




