第3話 ゲリラ豪雨の兆候と、二人きりのデータ室
その日の夜勤は、いつもより空気が重かった。
湿度が高い。風向きが不安定。
どこか、嫌な予感がする。
澪はモニターに映る雲の動きを追いながら、胸の奥がざわつくのを感じていた。
(……これ、来るかもしれない)
その瞬間、背後の空気が変わった。
「白石」
振り返る前に、誰の声か分かった。
黒川晴臣。
深夜のフロアに立つだけで、空気が引き締まる男。
「このライン、見てみろ」
黒川が澪の席の横に立ち、画面を指差す。
距離が近い。
息が触れそうなほどの距離で、彼の低い声が耳に落ちる。
「……積乱雲の発達が早い?」
「そうだ。モデルの予測より早い。現場の感覚のほうが正しい」
“現場の感覚”。
黒川がそう言うと、胸が熱くなる。
「白石。データ室に移動するぞ」
「えっ、私も……?」
「君の目が必要だ」
その一言で、澪の心臓が跳ねた。
***
データ室は、予報センターの中でも特に静かな場所だ。
二人きりになると、空気の密度が変わる。
黒川は複数のモデルを同時に立ち上げ、澪に言った。
「このラインの変化、気づいていたな」
「……はい。でも、確信が持てなくて」
「迷うな。君の判断は正確だ」
まただ。
また、あの言葉。
胸の奥がじんと熱くなる。
「……でも、私、まだ新人で……」
「新人かどうかは関係ない」
黒川は澪の隣に立ち、画面を覗き込む。
肩が触れそうな距離。
深夜の静けさの中で、彼の体温が近い。
「白石。君の“目”は、俺より鋭い」
「え……?」
思わず顔を上げると、黒川の視線とぶつかった。
近い。
息が止まりそうになる。
「だから、迷うな」
その瞬間、アラート音が鳴り響いた。
《ゲリラ豪雨の兆候を検知》
澪が息を呑むより早く、黒川が指示を飛ばす。
「白石、解析を続けろ。俺はセンターに連絡する」
「は、はい!」
黒川はすぐにフロアへ戻っていった。
澪は震える指でデータを追いながら、胸の奥が熱くなるのを感じていた。
──どうして、こんな緊急時なのに、
あの人の言葉だけが頭から離れないんだろう。
***
数十分後。
豪雨は予測より早く発生し、センターは一気に慌ただしくなった。
黒川が戻ってきて、澪の肩にそっと手を置く。
「白石。よくやった」
その声は、騒がしいフロアの中でも不思議と澪にだけ届いた。
「……黒川さん」
「君の判断が、最初に正しかった」
澪は言葉が出なかった。
ただ、胸の奥が熱くて、苦しくて、嬉しかった。
──この夜の緊急対応が、
二人の距離を確実に縮めていくことを、
澪はまだ知らない。




