第16話 迎えに来た理由と、抑えきれない声
その日の夕方。
澪は同僚に誘われ、軽い飲み会に参加することになった。
(……断ろうかと思ったけど)
黒川のことを意識しすぎて、
逆に距離を置きたくなったのだ。
「白石さん、最近黒川さんと仲良いよね」
「えっ……そ、そんなこと……」
「いやいや、あの黒川さんがあんなに気にかけるなんて珍しいよ」
澪は返事に困り、グラスを持ち上げた。
(……意識しないようにしよう)
そう思っても、
黒川の声や、触れた手の温度が頭から離れない。
***
飲み会が終わる頃には、
澪は少しふらついていた。
(……飲みすぎたかも)
店を出て、夜風に当たる。
「タクシー呼ぼうか?」
「だ、大丈夫です……歩けます」
そう言った瞬間。
「澪」
背後から低い声が落ちた。
振り返ると──
黒川晴臣が立っていた。
スーツの上着を羽織り、
息を少しだけ乱している。
「く、黒川さん……?」
黒川は澪の腕を掴み、
ぐっと引き寄せた。
「……何をしている」
「え……飲み会で……」
「知っている」
黒川の声は低く、抑えているのに怒っていた。
「なぜ一人で帰ろうとする」
「だ、だって……」
「危ないだろう」
澪は胸が跳ねた。
(……心配してくれたの?)
黒川は澪の顔を覗き込み、
眉をひそめた。
「……顔が赤い。飲みすぎだ」
「す、すみません……」
「謝るな」
黒川は澪の手を取り、
自分のコートのポケットに入れた。
「……冷たい」
「えっ……」
「手が冷たいと言っている」
黒川は澪の手を包み込みながら歩き出した。
(……な、なにこれ……)
心臓が痛いほど鳴っている。
***
少し歩いたところで、
黒川がふいに立ち止まった。
「澪」
「……はい」
「……迎えに来た理由を言う」
澪は息を呑んだ。
黒川は数秒黙り、
覚悟を決めたように澪を見つめた。
「……心配だった」
澪の胸が熱くなる。
「飲み会に行くと聞いたときから……ずっと落ち着かなかった」
「黒川さん……」
「誰と話すのか、誰の隣に座るのか……
考えるだけで、胸がざわついた」
澪の心臓が跳ねる。
黒川は続けた。
「……お前が、誰かに笑いかけるのが……嫌だった」
澪は言葉を失った。
(……そんなふうに思ってくれてたの?)
黒川は澪の手を強く握り、
低く、抑えきれない声で言った。
「……もう、限界だ」
澪は息を呑んだ。
黒川は視線を逸らし、
苦しそうに言葉を続けた。
「……これ以上、お前が他の男といるのを……見たくない」
夜風が静かに吹き抜ける。
澪の胸は、痛いほど熱かった。
──この夜、黒川の“限界”は初めて言葉になった。
そして澪は、その重さを真正面から受け止め始めていた。




