第10話 触れた額と、言えなかった言葉
翌日。
澪は朝から体が重かった。
(……なんか、熱っぽい)
昨夜の台風対応の疲れが出たのかもしれない。
だが、今日は重要な解析会議がある。休むわけにはいかない。
「白石さん、大丈夫?」
同僚に声をかけられ、澪は笑顔を作った。
「だ、大丈夫です……」
しかし、歩くたびに視界が揺れる。
(……まずいかも)
そのとき。
「白石」
低い声が背後から落ちてきた。
振り返ると、黒川晴臣が立っていた。
いつも通りの無表情──
のはずなのに、澪を見る目が鋭い。
「……顔色が悪い」
「だ、大丈夫です……」
「大丈夫ではない」
黒川は澪の腕を掴み、ぐっと引き寄せた。
「きゃ……!」
距離が近い。
息が触れそうなほど。
黒川は澪の額に手を当てた。
「……熱がある」
その声は、明らかに怒っていた。
「なぜ来た」
「だ、だって……会議が……」
「会議より、お前の体のほうが大事だ」
澪の心臓が跳ねた。
(……“お前”?
黒川さん、そんな呼び方……)
黒川は澪の肩を支えながら、低く言った。
「歩けるか」
「だ、大丈夫です……」
「大丈夫じゃない」
黒川は澪の腰に手を添え、支えるように歩き出した。
その手は驚くほど優しい。
***
休憩室。
黒川は澪を椅子に座らせ、水を渡した。
「飲め」
「……ありがとうございます」
澪が水を飲むと、黒川は隣にしゃがみ込み、目線を合わせた。
「白石」
「……はい」
「俺に言えと言ったはずだ」
澪は息を呑んだ。
「……心配、したんですか」
黒川は一瞬だけ目をそらし──
低く、静かに言った。
「……当たり前だ」
胸が熱くなる。
黒川は続けた。
「お前が倒れたら……俺は、どうすればいい」
澪の心臓が止まりそうになった。
(……そんなふうに思ってくれてたの?)
黒川は澪の手を取り、そっと包み込む。
「白石。俺は──」
その瞬間、ドアが開いた。
「白石さん! 会議始まりますよ!」
同僚の声が飛び込んできた。
澪は反射的に手を引っ込めた。
黒川の表情が一瞬だけ曇る。
「……行け」
「で、でも……」
「行け。倒れそうになったら、すぐ呼べ」
澪は頷き、立ち上がった。
だが、ドアを出る直前。
背後から黒川の声が届いた。
「白石」
振り返ると、黒川が静かに立っていた。
「……言えなかったことがある」
澪の心臓が跳ねる。
黒川は数秒迷い──
しかし、言葉を飲み込んだ。
「……後で話す」
澪は胸を押さえながら、会議室へ向かった。
(……黒川さん、何を言おうとしたんだろう)
──この日、黒川が言えなかった“言葉”が、
二人の関係を大きく動かすことになる。




