第1話 深夜二時、予報センターにて
気象予報センターの深夜は、独特の静けさに包まれている。
モニターの光が淡く揺れ、空調の低い唸りだけが耳に残る。
白石澪は、画面に並ぶ数値を睨みつけていた。
今日もまた、外れた予報へのクレームが届いていた。
胸の奥が重い。
自分は、この仕事に向いていないのかもしれない──そんな弱気が頭をよぎる。
そのとき、背筋がふっと伸びる。
フロアの空気が変わった気がした。
(……黒川さんが来た?)
この時間帯に彼が姿を見せるのは珍しい。
予報センターの“氷の男”。
無口で、有能で、誰よりも正確な判断を下す先輩。
彼が近くにいるだけで、空気が張り詰める。
澪は気を取り直し、再びデータに目を落とした。
一つの予測モデルが、さっきから妙な動きをしている。
「……また、ずれてる」
小さく呟いた瞬間。
「白石。気づいたか」
低く落ち着いた声が、すぐ後ろから降ってきた。
振り返ると、黒川晴臣が立っていた。
距離が近い。
息が触れそうなほどの距離で、彼は無言のまま画面を覗き込む。
澪の心臓が跳ねる。
「こ、このモデルだけ、急に南寄りに……でも、他のモデルとは一致してなくて」
慌てて説明する澪に、黒川は短く頷いた。
その横顔は冷静で、どこか優しい。
「……君の判断は正しい」
その一言が、胸の奥に静かに落ちていく。
自分の判断を肯定されることが、こんなにも温かいなんて知らなかった。
「でも、他のモデルは……」
「気にするな。今の状況なら、この動きが一番自然だ」
黒川は淡々と答える。
けれど、その声は澪にだけ向けられた特別な温度を帯びていた。
彼が画面から目を離した瞬間、澪は気づく。
自分の席のモニター設定が、いつの間にか見やすいよう微調整されていることに。
(……これ、黒川さんが?)
もちろん、彼は何も言わない。
ただ静かに、必要なことだけを伝えて歩き去っていく。
深夜の予報センター。
モニターの光が揺れて見える。
──この夜の小さな乱れが、
やがて大きな“恋の前線”になるとは、まだ知らなかった。




