097話『ぷよクッションと、告知の違和感』
金曜日。こどもの日。
祝日らしく、窓の外の光はのんびりしている。
起きて顔を洗って、リビングのソファに沈む。
コユキはテーブルの端で丸くなっていて、ミニチュアのディアはマグを片手に、いつもの場所にいた。
何の気なしにスマホを開いた瞬間、広告が目に飛び込んできた。
「スキル封じ首輪」「洗脳対策ネックレス」「帰還者に効く――」
……効くなら、まず国が動いている。
売れる匂いがするところに、詐欺は湧く。
世の中は変わっても、そこだけは変わらない。
コユキが、露骨に嫌そうな顔をする。
「それ、効いたら苦労しない」
「だよな」
ディアが小さく肩をすくめた。
「人間って、恐怖で商売するのが上手よね」
言葉は冷たいのに、声は妙に落ち着いている。
そのとき、スーラがぷるん、と動いた。
小さく膨らんで、僕の手元を覗き込むみたいに身体を伸ばす。
広告の派手な色に惹かれたのか、ぷる、と首を傾げた。
「……ぷる?」
その間の抜けた反応に、思わず口元が緩む。
「よくないものは見ないでおこうね」
僕はスマホを伏せた。
スーラはぺた、満足そうに落ち着く。
台所から、ディアの声が届く。
「スーラ、これから料理するから少し手伝って」
スーラがぷるん、と跳ねて、ぺたぺたと台所へ向かった。
それから、台所の方でぺた、ぷる……と小さな音がして、ビニールの端や皮の切れ端みたいな“細かいゴミ”が消えていく気配がした。
便利だ。
そして、かわいい。
さて――今日の方針は決まっている。
買い出しと、94階での訓練。
祝日だろうが、一日ダラダラ過ごすわけにはいかない。
ディアの料理が終わった頃。
エコバッグを肩にかけて、玄関へ。
コユキは先に影へ溶けて、外用の気配に切り替える。
ディアは念話で、買うものを淡々と述べた。
『鶏肉。野菜。卵。あと、塩分と水。……それからゴミ袋はスーラがいるから少なくていい』
「了解」
スーラが胸の内側に、ぺた、と密着した。
スーラが服の内側で待機している。
触れているというより、“着ている”に近い。
薄いスライム製のシャツを一枚、追加で仕込んだみたいな感触で、身体の動きに合わせてぷるっと追従してくる。
守られているのは分かる。
分かるけど――ぷるっと反応するとこそばゆい。
「……いたずらしてないよな」
影の中から、コユキが即答する。
「そんなことしない。スーラは真面目」
ぷる、と胸元が小さく震えた。
否定のつもりらしい。――少しこそばゆかった。
スーパーでは、ディアの指示が正確だった。
献立の最短ルート。
僕は言われた通りに籠へ放り込むだけで、余計な迷いがない。
祝日の売り場は家族連れが多い。
その“普通”が、少しだけ眩しい。
僕らは僕らの生活をしている。
それだけのことが、いまは大事だった。
昼。
帰宅して、荷物を片付ける。
買ったものを冷蔵庫へ入れて、空き箱や包装をまとめて、机の上の細かい紙片を集める。
そこへ、スーラが出てきた。
ぷよ、と床に落ちて、ぺたぺたと動く。
玄関の髪の毛、包装の切れ端、机の角の小さなゴミ。
吸って、溶かして、消す。
片付けが“片付け”じゃなくて、“消去”になっている。
コユキが感心した声を出した。
「スーラ、最近、家の妖精」
スーラが、ぷるん、と少し膨らむ。
褒められたのが分かったらしい。
得意げにぺたぺた走って、最後に僕の足元へ戻ってきた。
「……助かる」
ぷる。
返事みたいに揺れて、また戻っていく。
94階。
今日はディアに、強敵を出してもらう。
狩りじゃない。訓練だ。
「強敵相手のフォームと運用を詰めたい」
「いいわ。じゃあ、遠慮なく出す」
ディアの声は淡々としているのに、言ってる内容は容赦がない。
まずは同時運用。
索敵、補助、防護。
複数のスキルを重ねたまま、消費の癖を読んでいく。
次に立ち回り。
回避して、反撃して、距離を取って、もう一度詰める。
一つひとつを丁寧に繰り返す。
コユキは短距離の索敵と、広域の索敵を交互に回して精度を調整していた。
淡々としているのに、集中が切れていない。
疲労が溜まってきた頃。
休憩に入ると、スーラがぷよ……と膨らんで、形を整える。
座れそうな高さ。
ちょうどいい柔らかさ。
……クッションだ。
僕はそれに腰を落とす。
「……便利だな」
スーラが、ぷるぷる、と嬉しそうに震える。
ディアが、少し呆れた声を落とした。
「甘やかされて育つわね」
止めないあたりが、ディアだ。
もう一度、立つ。
動く。
そして――身体の奥が、ふっと軽くなる感覚が来た。
(……上がったな)
走り出しが少し滑らかで、視界が澄む。
呼吸がひとつ深く入る。
僕はステータスウィンドウを確認した。
レベル61。
「……よし」
大きく喜ぶほどではない。
でも、積み上げた分だけ前に進んだ。
その事実は、ちゃんと効く。
夕方。
サブゲートを出て、物置部屋に戻った瞬間にスマホが震えた。
柊さんからのメッセージ。
【月曜、WEB会議できないでしょうか】
やっときた。メッセージの内容は短い。
でも、透けて見える。
動画拡散の件。
政府としての見解。
首輪の扱い。
僕は即答で返す。
【可能です。時間だけ教えてください】
送信して、画面を閉じる。
頭が“仕事側”へ寄りそうになった瞬間、ミニチュアのディアが肩を撫でるみたいに言葉を落とした。
「戻りなさい。――いまは仕事じゃないでしょ。祝日よ」
「……了解」
その一言で、目の焦点が家に戻る。
助かる。
夜。
ニュースをつけると、関係省庁のコメントが読み上げられていた。
「真偽不明の情報に注意」
「犯罪行為は通報を」
「冷静な対応を」
言葉は薄い。
ここまで燃えているのに、火に水をかける温度じゃない。
でも、言えない事情があるのも分かる。
政府内でも色んな意見がぶつかり合い揺れている感じを受ける。
どちらにしても、今は明確に言えないのだろう。
食後。
ふと思い出して、久しぶりに『みみモン日記』を開いた。
現実逃避じゃない。
帰還者チャンネルの状況確認――そういう名目にしておく。
動画の概要欄に、大きく告知が載っていた。
5月6日土曜日、京都、トークイベント開催。
(……明日だ)
帰還者ゲスト:速水えりな、ナナ、鷹城慎吾。
司会:白石 悠真(ラジオパーソナリティ兼フリーMC)。
(……この状況で、中止しないのか)
胸の奥が、じわっと落ち着かない。
理由は言語化しない。
できないんじゃない。したくない。
今、帰還者イベントは火種になる。
恐怖も、熱狂も、ぜんぶ燃料だ。
僕はチケットページを開いた。
――完売。
「買えないな」
「完売、早かったのね」
ディアの声が落ちる。
(払い戻し、会場、関係者。いろいろ動いてるでしょうね。簡単には止められない)
腑に落ちた。
だから押し切る判断になる。
だからこそ、余計に怖い。
「……明日、近くまで行くか」
「推しの確認ね」
「違う。違うって。……確認だ。状況の」
片付けを始めると、スーラがまた出てきた。
ぺたぺたと食卓を回り、細かいゴミを拾って溶かす。
包装の端。
切れ端。
小さな紙くず。
消していく。
最後に、スーラが小さく膨らんで、枕寄りのクッションになった。
僕はその上に手を置いた。
ぷよ、と温度が返ってくる。
明日は、京都の会場近辺へ。
チケットはない。
中には入れない。
ただ、近くの空気だけを確認する。
不穏は残る。
それでも――今夜は、家の明かりと、ぷよっとした温度で終わる。




