096話『みどりの日、炎上は進む』
木曜日。みどりの日。
祝日なのに、目覚ましはいつも通りの時間に鳴った。
止めたのは僕だ。今日は朝から新大阪に向かう予定がある。
二度寝していい日じゃない。
家から新大阪までは、だいたい一時間。
出社じゃない日に同じ距離を移動するのは、少しだけ億劫だ。
(移動短縮のスキルって、誰か持っていないかな……)
そんな都合のいいことを考えながら、身支度を済ませる。
「……休日に、“会社がある新大阪”に行くってのが、どうもスイッチ入らないな」
そう独り言のように言って玄関に向かうと、足元で気配が揺れた。
コユキが、こちらを見上げている。
「会社じゃないでしょ」
「分かってる。分かってるけど……駅の空気が、仕事なんだよ」
ブレスレットの奥から、ディアの念話が落ちる。
『じゃあ、仕事用の顔を置いていきなさい。今日は“攻略”よ』
「了解。……攻略モードで行く」
コユキが尻尾を一度だけ振る。
「最初からそう言えばいいのに」
コユキは先に影へ溶けて、気配だけ軽くした。
スーラはぷる、と小さく震えて、僕に引っ付いた。
服の内側で待機。守ってくれる。
僕は、靴を履いて外へ出た。
車内は連休の顔をしている。荷物の多い人が多い。
席に落ち着いて、スマホを開いた。
……昨日より悪い。
恐怖の話から、排除の話へ。
帰還者は“危険だから警戒”じゃなくて、“危険だから消せ”に寄っている。
黒猫仮面。
山田。
首輪。
見出しと切り抜きと解説テロップが、勝手に“物語”を完成させている。
動画は、ただの流出じゃない。
編集されて、複数の角度が混ざって、意図した情報だけが抜き取られている。
日向一成の名前も、速水えりなも、既にタグで飛び交っていた。
配信者のアカウントは炎上の熱で真っ赤で、直近の投稿もリポストとリプライの嵐。
日向一成。
あの場にいた帰還者、有名配信者。
気になって、直近の動画配信のアーカイブまで飛んだ。
コメント欄が、燃えていた。叩かれ方が、酷い有様だ。
(……僕は、まだ帰還者だとバレてない。コユキも見えてない)
でも、“もし周りが知ったら”と想像した瞬間、胃の奥がひゅっと縮む。
『見るの、やめる?』
コユキの声が、少しだけ低い。
『うん。見ると疲れる』
言って、画面を閉じた。
触るほどいらない情報が増える。でも、安心は増えない。経験則だ。
新大阪。
祝日の昼でも、駅は人が多い。
旅行鞄の車輪の音が、規則正しく流れていく。
ゲート前に立つと、空気が切り替わる。
いつもの“境目”の圧。
「行くよ。47階から」
『いつも通りにね』
ディアの声が返ってくる。
僕は手を伸ばした。
空気が反転し、視界が切り替わる。
47階に踏み込んだ瞬間、風が一段やさしくなった。
木漏れ日。
風が、気持ちいい。祝日みたいな景色。
「……みどりの日、って感じだな」
「ダンジョンも暦、知ってるの?」
「知らない。僕が勝手に納得してるだけ」
「意識してるのはあなたの方よ」
ディアがさらっと刺してくる。
枝みたいな腕の木霊が、のどかな顔で殴ってきた。
苔の鎧。見た目は優しい。攻撃は優しくない。
「優しさ、どこいった」
コユキが影から滑る。
僕は最短の動線だけ切る。余計な飾りは要らない。
倒すたびに、新緑の匂いだけが残る。
綺麗なのに、ちゃんと“敵”だった。
48階、青緑の水。
石畳に反射した光が、眩しいくらい綺麗だ。
「ここ、映える」
コユキが言う。悪い予感がする。
「映えはいらない。帰る」
「帰る前にクリアしなさい」
ディアの声が、当然みたいに落ちる。
水面を滑る影が来た。
槍を持った水精みたいなやつ。動きが速い。
「足元、取らせるな」
スーラが、ぷる、と震えた。
薄い膜みたいな補助が、僕の踏み込みを支える。
一体を沈めた瞬間、コユキが噛みつく。
【スキル取得:水面歩行】
ディアの声はさらりとしているのに、言葉だけは刺さる。
「当たり。水の上、歩ける」
「地味に便利だな」
「地味じゃない。人生が変わる」
人生は言いすぎだ。
でも、移動のストレスが減るのは確かだった。
49階は、風が乾いていた。
白い段丘。
遠景に海みたいな青が見える。波音“っぽい”ものまで聞こえる。
「観光客なら泣いて喜ぶな」
「秀人は泣いて帰りたい」
「そこまで言ってない」
砂と潮の混成が出てくる。
貝殻みたいな装甲。砂嵐で目を潰しにくる。
砂の中、何かが動いた瞬間。
コユキが、連撃魔弾で魔弾を飛ばした。
出てきたモンスターを観察し、コユキが、当然みたいに取った。
【スキル取得:砂紋探知】
「砂の中の“動き”が見える」
「助かる。こういうのが地味に事故を減らす」
「地味じゃないって言ってる」
言い合いながら、淡々と刈り取る。
そして、50階。
空気が、変わった。
石造のアーチ。崩れた回廊。モザイク床。遠くに円形闘技場。
……そして。
「広い」
言った瞬間、ディアが頷く気配を返した。
「この階層、今までより広いわ」
(今までの広くても“半径5キロ”の感覚じゃない)
察知系のスキルで直感的に分かる。
これまで、最短ルートで“効率化”してきた。
ただ、広いと時間がかかる。
現在、16時半。
ここからが本番のようだ。
橋が落ちている。
回廊が崩れている。
行けそうで、行けない。
迂回が増えるたび、敵との接触回数が増える。
密度が高い。巡回が長い。地形が迷路みたいに意地悪だ。
「門が三つ、閉まってる」
コユキが索敵の結果を落とす。
「鍵役がいるってことか」
「たぶん。順番に潰すタイプ」
やらされる。
闘技場の外周を、延々と。
中型を落として、鍵が一つ開く。
また走る。
また落とす。
また走る。
“広さ”が、体力じゃなく集中を削ってくる。
スーラの補助が、踏み込みの芯を支え、モンスターを蹴散らす。
ディアの声が、判断をまっすぐに戻してくる。
コユキの索敵が、迷いを切り落とす。
(……コユキと二人だけなら、余裕はなかったな)
そんなことを思った頃、闘技場の中心に着いた。
石と熱をまとったドラゴン。
遺跡の守護みたいな顔で、普通に殺しに来る気配。
翼が動いた瞬間、風圧が地面を削った。
柱が折れて、瓦礫が雨みたいに落ちてくる。
「落下、来る!」
「左!」
コユキの声で身体が先に動く。
スーラの膜が、瓦礫の角を“滑らせる”みたいに逸らした。
竜は火を吐く。
熱が広がる。息が詰まる。
(……いい趣味してるな、このダンジョン)
そんなことを考えてる余裕はないはずなのに考えてしまう。
竜の動線を切る。翼の付け根を潰す。重心を崩す。
逃げる余地を残さない。
最後の一手は、コユキだった。
「逃がさない」
重力撹乱でバランスを失った竜。
ほんの一拍。
その一拍が、決着になる。
ドラゴンが崩れ落ちた。
息を吐いて、汗を拭う。
「……いっぱい手に入った」
「スキル?」
「うん。あとで確認する」
それ以上は言わない。
模写捕食の手応えを、本人が一番よく分かってる。
既に20時を越えていた。
ディアの声が落ちる。
「ボスも強かったけど、広さも半径10キロくらいあったんじゃないかな」
(今までの“広い階層”の、体感で倍はある)
「そりゃあれだけ走っても時間溶けるわけだ。ディアが昨日言ってたことがよくわかった」
広いだけで、やることが増える。
そして50階に入ると敵もあたりも強い。
今日、それを身体で覚えた。
帰りの電車。
スマホを開くと、今度は「黒猫仮面は誰だ」検証が加速していた。
冗談半分が混ざっているのが、厄介だ。
……動画が一度拡散したら、回収不可能な世界。
どこで購入した服か、靴は何か、腕時計は――まで検証されている。
当日着ていたのは、名前を出すまでもない大手の量販店で買った既製品だ。
それでも、厄介なのは――同じ服が百枚あっても、炎上は“特定した気分”を欲しがる。
(……やめよう。今、SNSを追っても疲れるだけだ)
嫌になって、画面を閉じた。
帰宅。
シャワーで汗を落として、ようやく呼吸が戻る。
食卓には、ディアの手料理。
スーラはぷるんと揺れて、いつもの場所に落ち着いた。
「……今日の戦果、発表します」
コユキが、少しだけ得意げに言った。
「48階。水面歩行、浅瀬・水面を“沈まずに”移動できる補助。戦闘より探索が楽になる。」
「49階。砂紋探知、砂地・粉塵内の“動くもの”を波紋みたいに捉える索敵補助。」
「50階。竜鱗装甲。物理防御の底上げ。受けの安定感が増える。灼熱吐息、前方へ高温の炎の息を吐く。威圧波、プレッシャーの強化版。範囲が広い。使い所は選ぶ。飛翔補助、空を飛ぶ時、安定感が増す。」
「……ドラゴンからは4つか」
「強いボスだったからね」
そしてディアが、淡々と補足する。
「吐息は扱い方を間違えると、家が消えるわね」
さらっと現実を置いてくる。
「家は消さないで……」
食事が落ち着いた頃、ふと思い出した。
「そういえば、東京の会場では……今回は髪の毛、拝借しなかったの?」
「撮影も回っていたし」
ディアの声が即答だった。
「万が一を考えて、控えた。動画の拡散を見る限り、あの場は取らなくて正解だったわ」
「だよね」
合理的だ。
そして、少しだけ安心でもある。
今日も政府から連絡はなかった。
祝日で休んでいるのか、詰んでいるのか。分からない。
分からないまま、夜だけがちゃんと進む。
「明日の予定は?」
コユキの質問に、僕は短く返した。
「……買い出し。あと、94階で訓練かな」
「いいね。50階、そこまで余裕なかったもんね」
「……まあな」
明日も、祝日。
休みはまだ残ってる。




