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晩年こそ本番。42歳会社員、喋る猫と現代ダンジョン攻略──ここからが本番だ  作者: 七乃白 志優
第七章:守られる檻、ほどける決断

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096話『みどりの日、炎上は進む』

木曜日。みどりの日。


祝日なのに、目覚ましはいつも通りの時間に鳴った。

止めたのは僕だ。今日は朝から新大阪に向かう予定がある。

二度寝していい日じゃない。


家から新大阪までは、だいたい一時間。

出社じゃない日に同じ距離を移動するのは、少しだけ億劫だ。


(移動短縮のスキルって、誰か持っていないかな……)


そんな都合のいいことを考えながら、身支度を済ませる。


「……休日に、“会社がある新大阪”に行くってのが、どうもスイッチ入らないな」


そう独り言のように言って玄関に向かうと、足元で気配が揺れた。

コユキが、こちらを見上げている。


「会社じゃないでしょ」


「分かってる。分かってるけど……駅の空気が、仕事なんだよ」


ブレスレットの奥から、ディアの念話が落ちる。


『じゃあ、仕事用の顔を置いていきなさい。今日は“攻略”よ』


「了解。……攻略モードで行く」


コユキが尻尾を一度だけ振る。


「最初からそう言えばいいのに」


コユキは先に影へ溶けて、気配だけ軽くした。

スーラはぷる、と小さく震えて、僕に引っ付いた。

服の内側で待機。守ってくれる。

僕は、靴を履いて外へ出た。


車内は連休の顔をしている。荷物の多い人が多い。


席に落ち着いて、スマホを開いた。


……昨日より悪い。


恐怖の話から、排除の話へ。

帰還者は“危険だから警戒”じゃなくて、“危険だから消せ”に寄っている。


黒猫仮面。

山田。

首輪。

見出しと切り抜きと解説テロップが、勝手に“物語”を完成させている。


動画は、ただの流出じゃない。

編集されて、複数の角度が混ざって、意図した情報だけが抜き取られている。


日向一成の名前も、速水えりなも、既にタグで飛び交っていた。

配信者のアカウントは炎上の熱で真っ赤で、直近の投稿もリポストとリプライの嵐。


日向一成。

あの場にいた帰還者、有名配信者。

気になって、直近の動画配信のアーカイブまで飛んだ。

コメント欄が、燃えていた。叩かれ方が、酷い有様だ。


(……僕は、まだ帰還者だとバレてない。コユキも見えてない)


でも、“もし周りが知ったら”と想像した瞬間、胃の奥がひゅっと縮む。


『見るの、やめる?』


コユキの声が、少しだけ低い。


『うん。見ると疲れる』


言って、画面を閉じた。

触るほどいらない情報が増える。でも、安心は増えない。経験則だ。


新大阪。


祝日の昼でも、駅は人が多い。

旅行鞄の車輪の音が、規則正しく流れていく。


ゲート前に立つと、空気が切り替わる。

いつもの“境目”の圧。


「行くよ。47階から」


『いつも通りにね』


ディアの声が返ってくる。


僕は手を伸ばした。

空気が反転し、視界が切り替わる。


47階に踏み込んだ瞬間、風が一段やさしくなった。


木漏れ日。

風が、気持ちいい。祝日みたいな景色。


「……みどりの日、って感じだな」


「ダンジョンも暦、知ってるの?」


「知らない。僕が勝手に納得してるだけ」


「意識してるのはあなたの方よ」


ディアがさらっと刺してくる。


枝みたいな腕の木霊が、のどかな顔で殴ってきた。

苔の鎧。見た目は優しい。攻撃は優しくない。


「優しさ、どこいった」


コユキが影から滑る。

僕は最短の動線だけ切る。余計な飾りは要らない。


倒すたびに、新緑の匂いだけが残る。

綺麗なのに、ちゃんと“敵”だった。


48階、青緑の水。

石畳に反射した光が、眩しいくらい綺麗だ。


「ここ、映える」


コユキが言う。悪い予感がする。


「映えはいらない。帰る」


「帰る前にクリアしなさい」


ディアの声が、当然みたいに落ちる。


水面を滑る影が来た。

槍を持った水精みたいなやつ。動きが速い。


「足元、取らせるな」


スーラが、ぷる、と震えた。

薄い膜みたいな補助が、僕の踏み込みを支える。


一体を沈めた瞬間、コユキが噛みつく。


【スキル取得:水面歩行(アクア・ステップ)


ディアの声はさらりとしているのに、言葉だけは刺さる。


「当たり。水の上、歩ける」


「地味に便利だな」


「地味じゃない。人生が変わる」


人生は言いすぎだ。

でも、移動のストレスが減るのは確かだった。


49階は、風が乾いていた。


白い段丘。

遠景に海みたいな青が見える。波音“っぽい”ものまで聞こえる。


「観光客なら泣いて喜ぶな」


「秀人は泣いて帰りたい」


「そこまで言ってない」


砂と潮の混成が出てくる。

貝殻みたいな装甲。砂嵐で目を潰しにくる。


砂の中、何かが動いた瞬間。

コユキが、連撃魔弾(マジックラッシュ)で魔弾を飛ばした。


出てきたモンスターを観察し、コユキが、当然みたいに取った。


【スキル取得:砂紋探知(サンド・レーダー)


「砂の中の“動き”が見える」


「助かる。こういうのが地味に事故を減らす」


「地味じゃないって言ってる」


言い合いながら、淡々と刈り取る。


そして、50階。

空気が、変わった。

石造のアーチ。崩れた回廊。モザイク床。遠くに円形闘技場。


……そして。


「広い」


言った瞬間、ディアが頷く気配を返した。


「この階層、今までより広いわ」


(今までの広くても“半径5キロ”の感覚じゃない)


察知系のスキルで直感的に分かる。

これまで、最短ルートで“効率化”してきた。

ただ、広いと時間がかかる。


現在、16時半。

ここからが本番のようだ。


橋が落ちている。

回廊が崩れている。

行けそうで、行けない。


迂回が増えるたび、敵との接触回数が増える。

密度が高い。巡回が長い。地形が迷路みたいに意地悪だ。


「門が三つ、閉まってる」


コユキが索敵の結果を落とす。


「鍵役がいるってことか」


「たぶん。順番に潰すタイプ」


やらされる。

闘技場の外周を、延々と。


中型を落として、鍵が一つ開く。

また走る。

また落とす。

また走る。


“広さ”が、体力じゃなく集中を削ってくる。

スーラの補助が、踏み込みの芯を支え、モンスターを蹴散らす。

ディアの声が、判断をまっすぐに戻してくる。

コユキの索敵が、迷いを切り落とす。


(……コユキと二人だけなら、余裕はなかったな)


そんなことを思った頃、闘技場の中心に着いた。


石と熱をまとったドラゴン。

遺跡の守護みたいな顔で、普通に殺しに来る気配。


翼が動いた瞬間、風圧が地面を削った。

柱が折れて、瓦礫が雨みたいに落ちてくる。


「落下、来る!」


「左!」


コユキの声で身体が先に動く。

スーラの膜が、瓦礫の角を“滑らせる”みたいに逸らした。


竜は火を吐く。

熱が広がる。息が詰まる。


(……いい趣味してるな、このダンジョン)


そんなことを考えてる余裕はないはずなのに考えてしまう。


竜の動線を切る。翼の付け根を潰す。重心を崩す。

逃げる余地を残さない。


最後の一手は、コユキだった。


「逃がさない」


重力撹乱(グラビティ・シェイク)でバランスを失った竜。

ほんの一拍。

その一拍が、決着になる。


ドラゴンが崩れ落ちた。


息を吐いて、汗を拭う。


「……いっぱい手に入った」


「スキル?」


「うん。あとで確認する」


それ以上は言わない。

模写捕食(ミミック・イーター)の手応えを、本人が一番よく分かってる。


既に20時を越えていた。


ディアの声が落ちる。


「ボスも強かったけど、広さも半径10キロくらいあったんじゃないかな」


(今までの“広い階層”の、体感で倍はある)


「そりゃあれだけ走っても時間溶けるわけだ。ディアが昨日言ってたことがよくわかった」


広いだけで、やることが増える。

そして50階に入ると敵もあたりも強い。

今日、それを身体で覚えた。


帰りの電車。


スマホを開くと、今度は「黒猫仮面は誰だ」検証が加速していた。

冗談半分が混ざっているのが、厄介だ。


……動画が一度拡散したら、回収不可能な世界。

どこで購入した服か、靴は何か、腕時計は――まで検証されている。


当日着ていたのは、名前を出すまでもない大手の量販店で買った既製品だ。


それでも、厄介なのは――同じ服が百枚あっても、炎上は“特定した気分”を欲しがる。


(……やめよう。今、SNSを追っても疲れるだけだ)


嫌になって、画面を閉じた。


帰宅。


シャワーで汗を落として、ようやく呼吸が戻る。

食卓には、ディアの手料理。

スーラはぷるんと揺れて、いつもの場所に落ち着いた。


「……今日の戦果、発表します」


コユキが、少しだけ得意げに言った。


「48階。水面歩行(アクア・ステップ)、浅瀬・水面を“沈まずに”移動できる補助。戦闘より探索が楽になる。」


「49階。砂紋探知(サンド・レーダー)、砂地・粉塵内の“動くもの”を波紋みたいに捉える索敵補助。」


「50階。竜鱗装甲(ドラゴン・スケイル)。物理防御の底上げ。受けの安定感が増える。灼熱吐息(インフェルノ・ブレス)、前方へ高温の炎の息を吐く。威圧波(ドレッド・ウェイブ)、プレッシャーの強化版。範囲が広い。使い所は選ぶ。飛翔補助(スカイ・アシスト)、空を飛ぶ時、安定感が増す。」


「……ドラゴンからは4つか」


「強いボスだったからね」


そしてディアが、淡々と補足する。


「吐息は扱い方を間違えると、家が消えるわね」


さらっと現実を置いてくる。


「家は消さないで……」


食事が落ち着いた頃、ふと思い出した。


「そういえば、東京の会場では……今回は髪の毛、拝借しなかったの?」


「撮影も回っていたし」


ディアの声が即答だった。


「万が一を考えて、控えた。動画の拡散を見る限り、あの場は取らなくて正解だったわ」


「だよね」


合理的だ。

そして、少しだけ安心でもある。


今日も政府から連絡はなかった。

祝日で休んでいるのか、詰んでいるのか。分からない。


分からないまま、夜だけがちゃんと進む。


「明日の予定は?」


コユキの質問に、僕は短く返した。


「……買い出し。あと、94階で訓練かな」


「いいね。50階、そこまで余裕なかったもんね」


「……まあな」


明日も、祝日。

休みはまだ残ってる。


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