095話『憲法記念日、バズる日』
水曜日。憲法記念日。
カーテン越しの光が、休日らしく“遠慮のない明るさ”で部屋に落ちていた。
目覚ましをかけていない朝は、時間の感覚が少しだけほどける。
……ほどけたまま、しばらく。
肉球が、頬にぺたり。
「……ん」
もう一回、ぺたり。
目を開けると、コユキが僕の枕元に座っていた。三本の尻尾が、ゆっくり揺れる。
「やっと起きた」
「10時?」
「10時」
「寝たな……」
「よく寝たね。祝日って感じ」
その言い方が、なぜか可笑しくて、僕は小さく息を吐いた。
ブレスレットから、ディアの気配がふわりと起きる。
「おはよう。今日は5連休の1日目よ。人間らしくしなさい」
「人間らしく……って、何を基準に?」
「まず顔を洗う。次に、ちゃんと食べる。あと、着替える」
コユキが真面目に頷く。
「全部、できてない顔」
「失礼だな」
リビングに出て、冷蔵庫の水を飲む。体の中が、ようやく“朝”に追いつく。
テーブルに座ると、コユキが当然の顔で聞いてきた。
「今日の予定は?」
「昼から、担当の小型ゲートに行こうと思ってる。まだ浅い方を、進める」
「了解」
「欲張らないでね」
ディアの“いつもの釘”が、今日は少し柔らかい。
僕は返事の代わりにスマホを手に取った。
いつもの癖で、通知を流し見する——つもりだった。
画面の上のほうが、やけに騒がしい。
トレンド。急上昇。再生数の桁。
(……いや、これ)
サムネに映っているのは、見覚えのある場所。
レセプションホール。照明。人の密度。空気の色。
そして——黒猫の仮面。
指が止まったまま、再生ボタンを押していた。
動画は、綺麗だった。
綺麗すぎる。音も整えられて、字幕もついて、要点が“理解しやすい順”に並べられている。
山田が煽る。
空気が寄る。
黒猫仮面が入る。
攻撃が防がれる。
契約モンスターが消える。
首輪が嵌まる。
爆光投射が不発——ここまで、説明付き。
(……なんで、出てる)
「……おい」
喉の奥が冷たくなる。
「……流れてるな」
言葉が漏れたのを、コユキが横で拾う。
「流れてるね……それに、バズってる?」
「……バズってるな。嫌な方向に」
コメント欄は、火種が四方向に広がっていた。
恐怖——洗脳があるなら、もう誰も信用できない。
権力——首輪で能力を封じられるなら、国家が支配できる。
安心——犯罪帰還者を捕まえられるなら必要だ。
熱狂——黒猫仮面、強すぎる。
恐怖と憧れが、同じ中で混ざっている。
この手の混ざり方は、止まらない。
ディアが、息を落として言う。
「……回収は、しきれなかったのね」
「だろうな。というか……」
僕は動画をもう一度、最初から見直した。
止めて、巻き戻して、角度を確認する。
「この撮り方、変じゃないか?」
「変?」
「カットが割れてる。定点じゃない。……この角度、あったか?ってのも混じってる」
コユキが一拍だけ黙る。考えるときの間だ。
「撮ってた人、いたよね。山田のところの」
「いた。けど、これは一人分じゃない気がする。」
結論は出ない。出せない。
分からないなら、分からないまま置く。今、優先順位は別だ。
一通り情報を拾い切ったところで、コユキが顔を上げた。
「で、どうするの?」
僕は一瞬だけ、柊さんの名前が頭をよぎる。
でも、そこで手を伸ばさなかった。
(……何かあれば向こうから来る。今は向こうが一番忙しい。祝日だろうと関係なく――だからこそ、今こちらから割り込むのは悪手だ)
「……どうもしない」
言い切って、スマホを伏せた。
こういう時に余計に手を出すと、だいたい空回りする。――経験則だ。
「予定通り、ゲート行く。体、動かしたい」
「賛成。頭の中だけで走ると、変なとこで転ぶ」
コユキの言い方は雑なのに、的確だった。
昼。
担当の小型ゲート。
僕の持ち場の中でも、一番クリア階層が進んでいないところ。
それでも、ここはここで意味がある。今日は、安全に回す。
ゲートの前で、僕は先に言っておく。
「今日は、頭が別件でいっぱいだ。たぶん考え事しながら歩く」
僕は息を吐いて、ディアに視線を向ける。
「ディア。いつもは任せないけど、今日は支援を頼む。……事故だけは嫌だ」
「ふふ。珍しいお願いね。――分かった、手を出すわ」
ぷるっと、スーラが小さく震える。
「ボクはいつも通り。目は離さない」
頼もしい言葉だ。
今日は12階層から。
動きは丁寧に、呼吸は浅くしない。——そういう“普通”を積む日だ。
戦いそのものは、淡々と処理できる。
問題は、考え事が頭を占めること。
斬っている最中に、編集された動画が浮かぶ。
首輪の説明文が浮かぶ。
誰が、何の目的で、ここまで整えた?
僕は足元を見て、目の前を見て、次の手だけを見る。
それでも、頭の隅はさっきの動画から離れない。
「……あの動画が広まったら、次に起きるのは何と思う?」
コユキが、間髪を入れずに返す。
「政府の出方次第。――でも民衆とか週刊誌は、映ってた帰還者に当たりに行くよ。配信者とか、アイドル枠とかさ」
「日向さんと速水さん……だったかな」
僕が名前を拾うと、コユキは当然みたいに続けた。
「そう。連絡経路が見えてる人間は狙われる。DM、凸、配信中の突撃。手段はいくらでもある」
スーラが、ぷる、と震える気配をこぼした。
ディアは何も言わない。ただ、その沈黙が“同意”に近い。
「……黒猫仮面が僕だって、辿り着けると思う?」
「一般人は無理。情報が足りない。……でも国家は別。防犯カメラを繋げるとか、ログを追うとか、そういうことができる」
「……だよな。僕もそう思う」
肯定すると、ディアの声が落ちる。
「危ない可能性は上がったわ。だから――警戒を上げるしかないんじゃない?」
「……だよな」
僕は少しだけ間を置いて、続けた。
「首輪も、海外に一気に知られる。……売れる、って意味でも、狙われるって意味でも」
コユキが、当然みたいに言う。
「昨日、レグリスにチタン版、作らせてたよね」
「ああ……正直、ああいうステンレスの首輪を買い足すの、ちょっと恥ずかしいし」
コユキが、悪びれずに返す。
「今さら?」
「今さらでも、恥ずかしいものは恥ずかしい」
僕は咳払いを一つ挟んで、話を戻す。
「それに――もう“形”が決まった以上、わざわざ市販品を買い集める意味がない。チタン合金のプレートを仕入れて、同じ形に加工してもらった方が早いし安い。余計な履歴を残さずに済む」
ディアが、くすりと笑う。
「合理の顔をして、ちゃんと照れるのね」
更にディアが、さらりと釘を刺す。
「考えるのはいいけど、今ここで倒れたら全部終わるわよ。——足元、三体」
「了解。ありがとう」
会話を切って、動く。
スーラの補助が、がっつり支えてくれる。
ディアは必要な瞬間だけ、的確に指示を落とす。
コユキの索敵が、迷いの芽を先に摘む。
結果、16階まで。
僕は出口のゲートの前で立ち止まり、腕を回した。
「今日は、ここまで」
ゲートの外。スマホを見る。
柊さんからの連絡は——ない。
(対応に追われてる、か。……それとも、祝日か)
夜。
今日は湯を張った。
風呂に沈むと、昼の汗が落ちるのと一緒に、頭の熱も少し引く。
上がって、リビング。
ディアの手料理。コユキ。スーラはテーブルの端で、ちいさく丸まっている。
家の中の“いつもの並び”が、胸を落ち着かせる。
テレビをつけると、ニュース番組で例の動画に触れていた。
ただし、言い方は慎重で、注意喚起程度。核心には触れない。
(もう、動画を消すのは無理だろうな)
一度拡散した動画は、切り抜きが出回る。
誰かが保存して、別名で上げ直す。
消したところで、形を変えて増えるだけだ。
ディアが、淡々と言う。
「明日は、朝から新大阪に潜ったら?SNSの熱から距離を取れる」
「……潜る、か」
「秀人、今レベルいくつ?」
「60」
「なら、深追いはしないこと。50階あたりから、敵の当たりが一段上がる……安全に行くなら、階層よりレベルを10くらい上に置いておきなさい。余裕は保険よ」
コユキが尻尾で床を軽く叩く。
「無茶したら、ボクが怒る」
「怒るのはいいけど、止めてくれ」
「止めるよ。怒りながら」
スーラが、ぷる、と控えめに揺れる。
“賛成”の意思表示みたいで、僕は口元だけ少し緩めた。
今日、できることは限られている。
でも、警戒を上げる。鍛錬を積む。足場を固める。
そして考えることは止めない。
布団に入る前、スマホをもう一度だけ見た。
火は大きい。——でも、見続けても消えない。
僕は画面を伏せて、息を整えた。




