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晩年こそ本番。42歳会社員、喋る猫と現代ダンジョン攻略──ここからが本番だ  作者: 七乃白 志優
第七章:守られる檻、ほどける決断

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095話『憲法記念日、バズる日』

水曜日。憲法記念日。


カーテン越しの光が、休日らしく“遠慮のない明るさ”で部屋に落ちていた。

目覚ましをかけていない朝は、時間の感覚が少しだけほどける。


……ほどけたまま、しばらく。


肉球が、頬にぺたり。


「……ん」


もう一回、ぺたり。


目を開けると、コユキが僕の枕元に座っていた。三本の尻尾が、ゆっくり揺れる。


「やっと起きた」


「10時?」


「10時」


「寝たな……」


「よく寝たね。祝日って感じ」


その言い方が、なぜか可笑しくて、僕は小さく息を吐いた。

ブレスレットから、ディアの気配がふわりと起きる。


「おはよう。今日は5連休の1日目よ。人間らしくしなさい」


「人間らしく……って、何を基準に?」


「まず顔を洗う。次に、ちゃんと食べる。あと、着替える」


コユキが真面目に頷く。


「全部、できてない顔」


「失礼だな」


リビングに出て、冷蔵庫の水を飲む。体の中が、ようやく“朝”に追いつく。

テーブルに座ると、コユキが当然の顔で聞いてきた。


「今日の予定は?」


「昼から、担当の小型ゲートに行こうと思ってる。まだ浅い方を、進める」


「了解」


「欲張らないでね」


ディアの“いつもの釘”が、今日は少し柔らかい。


僕は返事の代わりにスマホを手に取った。

いつもの癖で、通知を流し見する——つもりだった。


画面の上のほうが、やけに騒がしい。


トレンド。急上昇。再生数の桁。


(……いや、これ)


サムネに映っているのは、見覚えのある場所。

レセプションホール。照明。人の密度。空気の色。


そして——黒猫の仮面。


指が止まったまま、再生ボタンを押していた。


動画は、綺麗だった。

綺麗すぎる。音も整えられて、字幕もついて、要点が“理解しやすい順”に並べられている。


山田が煽る。

空気が寄る。

黒猫仮面が入る。

攻撃が防がれる。

契約モンスターが消える。

首輪が嵌まる。

爆光投射(ブレイズ・キャノン)が不発——ここまで、説明付き。


(……なんで、出てる)


「……おい」


喉の奥が冷たくなる。


「……流れてるな」


言葉が漏れたのを、コユキが横で拾う。


「流れてるね……それに、バズってる?」


「……バズってるな。嫌な方向に」


コメント欄は、火種が四方向に広がっていた。


恐怖——洗脳があるなら、もう誰も信用できない。

権力——首輪で能力を封じられるなら、国家が支配できる。

安心——犯罪帰還者を捕まえられるなら必要だ。

熱狂——黒猫仮面、強すぎる。


恐怖と憧れが、同じ中で混ざっている。

この手の混ざり方は、止まらない。


ディアが、息を落として言う。


「……回収は、しきれなかったのね」


「だろうな。というか……」


僕は動画をもう一度、最初から見直した。

止めて、巻き戻して、角度を確認する。


「この撮り方、変じゃないか?」


「変?」


「カットが割れてる。定点じゃない。……この角度、あったか?ってのも混じってる」


コユキが一拍だけ黙る。考えるときの間だ。


「撮ってた人、いたよね。山田のところの」


「いた。けど、これは一人分じゃない気がする。」


結論は出ない。出せない。

分からないなら、分からないまま置く。今、優先順位は別だ。


一通り情報を拾い切ったところで、コユキが顔を上げた。


「で、どうするの?」


僕は一瞬だけ、柊さんの名前が頭をよぎる。

でも、そこで手を伸ばさなかった。


(……何かあれば向こうから来る。今は向こうが一番忙しい。祝日だろうと関係なく――だからこそ、今こちらから割り込むのは悪手だ)


「……どうもしない」


言い切って、スマホを伏せた。

こういう時に余計に手を出すと、だいたい空回りする。――経験則だ。


「予定通り、ゲート行く。体、動かしたい」


「賛成。頭の中だけで走ると、変なとこで転ぶ」


コユキの言い方は雑なのに、的確だった。


昼。

担当の小型ゲート。


僕の持ち場の中でも、一番クリア階層が進んでいないところ。

それでも、ここはここで意味がある。今日は、安全に回す。


ゲートの前で、僕は先に言っておく。


「今日は、頭が別件でいっぱいだ。たぶん考え事しながら歩く」


僕は息を吐いて、ディアに視線を向ける。


「ディア。いつもは任せないけど、今日は支援を頼む。……事故だけは嫌だ」


「ふふ。珍しいお願いね。――分かった、手を出すわ」


ぷるっと、スーラが小さく震える。


「ボクはいつも通り。目は離さない」


頼もしい言葉だ。


今日は12階層から。

動きは丁寧に、呼吸は浅くしない。——そういう“普通”を積む日だ。


戦いそのものは、淡々と処理できる。

問題は、考え事が頭を占めること。


斬っている最中に、編集された動画が浮かぶ。

首輪の説明文が浮かぶ。

誰が、何の目的で、ここまで整えた?


僕は足元を見て、目の前を見て、次の手だけを見る。

それでも、頭の隅はさっきの動画から離れない。


「……あの動画が広まったら、次に起きるのは何と思う?」


コユキが、間髪を入れずに返す。


「政府の出方次第。――でも民衆とか週刊誌は、映ってた帰還者に当たりに行くよ。配信者とか、アイドル枠とかさ」


「日向さんと速水さん……だったかな」


僕が名前を拾うと、コユキは当然みたいに続けた。


「そう。連絡経路が見えてる人間は狙われる。DM、凸、配信中の突撃。手段はいくらでもある」


スーラが、ぷる、と震える気配をこぼした。

ディアは何も言わない。ただ、その沈黙が“同意”に近い。


「……黒猫仮面が僕だって、辿り着けると思う?」


「一般人は無理。情報が足りない。……でも国家は別。防犯カメラを繋げるとか、ログを追うとか、そういうことができる」


「……だよな。僕もそう思う」


肯定すると、ディアの声が落ちる。


「危ない可能性は上がったわ。だから――警戒を上げるしかないんじゃない?」


「……だよな」


僕は少しだけ間を置いて、続けた。


「首輪も、海外に一気に知られる。……売れる、って意味でも、狙われるって意味でも」


コユキが、当然みたいに言う。


「昨日、レグリスにチタン版、作らせてたよね」


「ああ……正直、ああいうステンレスの首輪を買い足すの、ちょっと恥ずかしいし」


コユキが、悪びれずに返す。


「今さら?」


「今さらでも、恥ずかしいものは恥ずかしい」


僕は咳払いを一つ挟んで、話を戻す。


「それに――もう“形”が決まった以上、わざわざ市販品を買い集める意味がない。チタン合金のプレートを仕入れて、同じ形に加工してもらった方が早いし安い。余計な履歴を残さずに済む」


ディアが、くすりと笑う。


「合理の顔をして、ちゃんと照れるのね」


更にディアが、さらりと釘を刺す。


「考えるのはいいけど、今ここで倒れたら全部終わるわよ。——足元、三体」


「了解。ありがとう」


会話を切って、動く。

スーラの補助が、がっつり支えてくれる。

ディアは必要な瞬間だけ、的確に指示を落とす。

コユキの索敵が、迷いの芽を先に摘む。


結果、16階まで。


僕は出口のゲートの前で立ち止まり、腕を回した。


「今日は、ここまで」


ゲートの外。スマホを見る。

柊さんからの連絡は——ない。


(対応に追われてる、か。……それとも、祝日か)


夜。


今日は湯を張った。

風呂に沈むと、昼の汗が落ちるのと一緒に、頭の熱も少し引く。


上がって、リビング。

ディアの手料理。コユキ。スーラはテーブルの端で、ちいさく丸まっている。

家の中の“いつもの並び”が、胸を落ち着かせる。


テレビをつけると、ニュース番組で例の動画に触れていた。

ただし、言い方は慎重で、注意喚起程度。核心には触れない。


(もう、動画を消すのは無理だろうな)


一度拡散した動画は、切り抜きが出回る。

誰かが保存して、別名で上げ直す。

消したところで、形を変えて増えるだけだ。


ディアが、淡々と言う。


「明日は、朝から新大阪に潜ったら?SNSの熱から距離を取れる」


「……潜る、か」


「秀人、今レベルいくつ?」


「60」


「なら、深追いはしないこと。50階あたりから、敵の当たりが一段上がる……安全に行くなら、階層よりレベルを10くらい上に置いておきなさい。余裕は保険よ」


コユキが尻尾で床を軽く叩く。


「無茶したら、ボクが怒る」


「怒るのはいいけど、止めてくれ」


「止めるよ。怒りながら」


スーラが、ぷる、と控えめに揺れる。

“賛成”の意思表示みたいで、僕は口元だけ少し緩めた。


今日、できることは限られている。

でも、警戒を上げる。鍛錬を積む。足場を固める。

そして考えることは止めない。


布団に入る前、スマホをもう一度だけ見た。

火は大きい。——でも、見続けても消えない。


僕は画面を伏せて、息を整えた。


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