089話『SideStory 九条 誠吾 ― 崩れる拍手』
会場に入った瞬間、九条はまず「流れ」を拾った。
入口、退路、詰まりやすい角。
事故はいつも、同じ場所で起きる。
今日はそれを“起こさせない日”だ。
――名目は「意見交換会」。
政府が帰還者の声を聞き、情報を共有する場。
建前は、柔らかい。
柔らかい建前ほど、刃が隠れる。
特務班は12名。
見える場所に4、見えない場所に8。
“警備”に見せた人間と、“雑用”に見せた人間。
九条はその配置を、胸の奥で指さし確認する。
(予定通りに進むはずがない。だが、崩れても折れない形にはしてある)
帰還者の入場が始まる。
誰もが、少しだけ姿勢を大きく見せて入ってくる。
力を得た人間は、立ち方が変わる。
視線が変わる。歩幅が変わる。
――顔見知りばかりだ。
九条がここ数週間で実際に会い、会話をし、目を見てきた面々。
今日の名目は「意見交換」でも、実態は“犯人探し”だ。
喋りが上手い日向は、“場を動かせる口”だ。
速水は“像が先に歩く”。周囲が勝手に守る。
榊原は“視線が合わない”。介入系の可能性がある。
——覚えておくのはプロフィールじゃない。
事故の起点になり得る“癖”だ。
他の面々も、全員、九条は知っている。
そして――山田玲央が来た。
場の“重心”が、そちらへ少し傾く。
6人を引き連れているというより、最初から舞台装置として連れて歩いている。
上座へ向かう足取りに迷いがない。
案内を待たない。確認もしない。
昔からそうだ。最初に派手に目立ち、注目に味をしめて、勢いでチームを作った。
拍手が増えるほど声が大きくなる――そういう人間。
九条は山田を長く見ない。見るべきは周囲の反応だ。
そこで、もう一つの違和感が入ってきた。
カメラ。三脚。肩に担ぐ機材。
動きが慣れている。場に馴染むのが上手い。――同伴の手続きは聞いていない。
(山田が連れてきたな)
厄介なのは、存在そのものじゃない。
“映像に残る状況”で人が判断を誤ることだ。
会議が始まる。
司会役が、柔らかい言葉を並べる。
「本日は帰還者の皆さまの声を伺い、互いの情報を交換し――」
「政府としても、現場の意見を今後の施策に――」
形式が会場に落ちきる前に、山田が立った。
「俺たち帰還者は、選ばれた存在だ」
内容は粗い。まともに聞けば首を傾げる。
それでも山田は埋めない。埋めないまま押す。
“気分のいい言い切り”だけで、空気を前に倒す。
「政府の管理など受ける必要はない。俺たちが、この国を引っ張る」
――会場が熱を持った。
拍手が早い。揃いすぎる。
笑うべきじゃない場所で、笑いが起きる。
(……うっ)
九条はそこで初めて、薄い圧を皮膚で拾った。
音でも視線でもない。頭の奥が、ぞわりとする。
触れられたわけでもないのに、思考だけが撫でられる。
次いで、前の列が立ち上がった。
「そうだ!山田さんが言う通りだ!」
一人が叫ぶと、二人が続く。
合図があったように、連鎖が起きる。
警備員の一部まで顔が変わる。
焦点が山田に吸われていく。
九条は短く息を吐いた。
――シュナが用意した対策は、確かに効いている。
自分も、柊も、八代さんも崩れていない。
だが空気そのものは止まらない。
「……柊」
口の形だけで合図を送る。
柊は頷かない。ただ視線の鋭さだけが一段落ちる。
九条は、さらに視線を滑らせた。
落ちていない者が、点で残っている。
山田より強いとされている者。耐性を持つ者。
――その点のひとつが、一ノ瀬だった。
*
――一ノ瀬は、空気が変わった瞬間に胃が冷えた。
「賛成したい」じゃない。
「それが正しい気がする」に、心の向きが書き換わる。
自分の意志が、自分のものじゃなくなる感覚。
(……これ、スキルだ)
喉が乾く。目の奥が熱い。
それでも、踏みとどまれたのは――強さだ。
一ノ瀬は唇を噛み、視線だけで周囲を見た。
“強そうな人”が、まだ数人、残っている。
――なら、止められる。
*
九条は会場の反応を、数字に置き換える。
落ちた警備員。落ちた帰還者。落ちた特務班。
動ける者。動けない者。
その分布が、最悪へ寄っている。
(このままなら、会場のルールが山田側に書き換わる)
“今”止める。
だが、止め方を間違えれば、映像と世論が火を吹く。
九条は迷わない。
迷う材料を、もう事前に削っている。
(投入する。――シュナ)
インカムに、今度は言葉を落とす。短く。
「来てくれ」
返事はない。返事はいらない。
切り札とは呼ばない。
“最後の手”だ。
あれは正義でも英雄でもない。
事故を止めるための、手順だ。
拍手が、さらに揃った。
笑いが起きる。
「そうだ」が連鎖する。
――熱が、型にはまっていく。
九条は、そこで初めて“時間”を数えた。
何分耐えればいい、ではない。
何秒で「次の事故」が起きるか、だ。
(このままだと――誰かが手を出す)
正義の顔をした暴力が、いちばん止めづらい。
九条は、呼吸をひとつだけ深くした。
焦ると、指示が雑になる。
雑な指示は、死人を作る。
柊が、動かずに囁く。
「……九条さん。状況がよくありません」
「分かっている」
八代さんは、呼吸が乱れない。
——この手の空気に慣れている。
国会という名の闘技場で、化け物みたいな連中と渡り合ってきた側だ。
怒号も詭弁も世論も、全部“武器”として扱う人間だ。
山田はさらに熱を煽るように、声を張った。
「政府は俺たちを“管理”するつもりだ。危険だ、危険だってな。笑えるだろ?」
笑いが起きる。
笑うべき場所じゃないのに、笑いが起きる。
それが、いちばん気持ち悪い。
「危険なのは、俺たちじゃない。俺たちを縛ろうとする連中の方だ!」
“縛る”という単語が出た瞬間、九条の背筋がわずかに硬くなる。
――来る。これから先は、言葉じゃなくなる。
実際、山田のチームの一人が動いた。
警備員に近づいて、耳元で何かを言う。
警備員が頷き、視線が会場の出入口へ向く。
(何をする気だ?)
扉を閉める。誰かを指差す。排除の対象を作る。
そうやって一気に、会場を自分の色にしていく。
九条は椅子の肘掛けに指を置き、ほんの少しだけ力を入れた。
その合図で、五十嵐が数センチだけ位置を詰める。
目立たない。だが、即応できる距離。
その時――会場の後方、入口側で小さな揉め事が起きた。
警備員が誰かを止めている。
「お名前を――」
「……まで、お通しできません」
次の言葉が、途中で途切れる。
音が消えたわけじゃない。
“引っ込んだ”。
誰かが、息を呑んだ気配だけが残る。
そして――遅れて、会場の端まで届くものがあった。
圧。
空気が、きゅ、と締まる感覚。
肌が粟立つほどじゃない。
けれど、確実に「近づくな」と言っている。
カメラマンが、反射みたいに入口へレンズを向ける。
見えない相手に向けているのに、そこに“事件”があると分かっている動きだ。
山田も気づいたらしい。
壇上から、わざとらしく笑って手を叩いた。
「おいおい。何だよ。演出か?」
会場の半分が笑う。
笑いが、攻撃になる。
――次の瞬間。
静かに扉が開いた。
黒猫の仮面の男が、静かに歩み入る。
早歩きじゃない。走りもしない。
“遅い”くらい落ち着いた歩幅で、会場の中心へ向かう。
この男は、熱狂に飲まれない。
空気に合わせない。
空気を、相手に渡さない。
そして、黒猫の仮面が口を開く。
「……少し静かにしてもらおうか」
その声は大きくない。
なのに、会場の端まで届いた。
熱狂が一瞬だけ、揺れる。
塗り替えられていた“空気”に、ひびが入る。
――一ノ瀬が、そのひびを見逃さなかった。
*
一ノ瀬は、喉の奥がきゅっと鳴ったのを飲み込む。
黒猫の仮面。
普段と姿も雰囲気も違う。けれど、あの“安心感”は変わらない。
(……時任さん)
口に出したら、壊れる気がした。
だから、目だけで追った。
*
山田は、仮面を見て吹き出した。
「何だそのふざけた仮面。――おい、つまみ出せ」
命令が飛んだ。




