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晩年こそ本番。42歳会社員、喋る猫と現代ダンジョン攻略──ここからが本番だ  作者: 七乃白 志優
第六章:仮面の告発者

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087話『参宮橋の夜、整う』

17時。

コユキがレグリスに小さく手を振る。


「じゃ、またね。明後日には戻って来る」


ディアが、さらりと言う。


「留守の間は、私がレグリスを見ておくわ。安心して東京へ行ってきなさい」


「“見ておく”のニュアンスが、ちょっと怖いんだけど」


僕が言うより先に、コユキの声が返ってきた。


「ディア。レグリス、破壊しないでね」


「しないわよ」


即答してから、ディアは少しだけ目を細める。


「……たぶん」


「“たぶん”が付くのが一番こわい」


レグリスは間に挟まれても平然としている。


「耐久試験、歓迎。学習効率、向上」


「ほら、本人がやる気よ」


ディアが肩をすくめると、コユキはため息みたいに尻尾を揺らした。


「……じゃあ、ほんとに“壊さない範囲”でね。戻った時に部品バラバラだったら泣くよ」


コユキは最後にもう一度だけ手を振ると、スーラと一緒に僕の影へ滑り込んだ。

すう、と足元が静かになる。


「行くか」


僕は首輪をカバンに入れ、鍵を確認して、家を出る。


新大阪。

18時半、新幹線。


夕食は駅弁。

蓋を開けた瞬間の匂いで、ようやく新幹線での“移動”の実感が湧く。


車内で、コユキとディアが念話で話す。


『レグリス、喋りやすくなってた』


『滑らかになったわね。まだ硬いけど』


『これからよ』


僕は窓の外の流れを見ながら、ふと思い出した。


レグリスが外に出られるようになったら。

じゃあ、ディアが完全に外に出られるようになったら。


『ディアが外に出られるようになったら……服って、どうなるんだろうな』


コユキが即答する。


『ゲートのものは持ち出すと腐る。だから、基本は……』


『言うな。分かってる』


ディアが上品に息を吐いた。


『私の場合は魔力で作ることもできるけど……正解は、人間の世界の服を先にゲートに持ち込んで、そこで着替える。最低限の礼儀よ』


『礼儀のために、準備が増えるな……』


『あなた、準備は得意でしょう』


『仕事ならな』


ディアが小さく笑う気配がした。


その流れで、一瞬だけ頭に浮かぶ。

――リィナは、最初どうだったんだろう。


(……やめよう。触れてはいけない気がする)


蓋をする。


東京駅。

そして、乗り継いで、参宮橋駅。


予約しているホテルへ向かう。

明日は国の研修施設内にある会議室に、13時30分から帰還者たちが集まる。


チェックインを済ませて、荷物を置く。

そのまま、大浴場へ。


ある程度出世してから、出張のホテルはここを基準にするようになった。

大浴場とサウナがあるかどうか。

それだけで、出張の楽しみが変わる。


僕は、変に気合いを入れない。

「長く入る」より「正しく回す」。


昔、仕事がきつくて、心が先に折れそうになっていた時期があった。

その時、前の会社の先輩が、ぽつりと教えてくれた。


――サウナは根性じゃない。自律神経を“並べ直す”手順だ。

やり方を間違えると、ただの消耗になるぞ。


それ以来、僕はずっとこの入り方をしている。


まずは身体を洗って、湯船で一度だけ温める。

そこからサウナ。

深呼吸を一つ。

背筋を預けて、心拍が上がりきる手前で出る。


水風呂は、短く。

冷たさで思考が止まりかけた瞬間に、縁を掴んで上がる。


そして外気――ととのい椅子。

息が勝手に整っていく。

交感神経と副交感神経が、乱暴に入れ替わっていたのが、噛み合っていく感じ。


(……こういうのが、“自律神経が整う”ってことなんだよな)


目の前の世界が、少しだけ静かになる。

音はあるのに、刺さらない。

頭の余計なものが削がれていく。

仕事。明日。土曜の作戦。


二セット目、三セット目。

回すたびに、身体の輪郭が戻ってくる。

「疲れが消える」というより、疲れを抱えたままでも、余計に荒れない状態になる。


最後にぬるめのシャワーで汗を流して、僕は大浴場を出た。


部屋に戻り、髪を乾かす。

そこでようやく、スマホを手に取った。


政府からの支度金。

10万円、振り込み済み。

新幹線の往復とホテル代。

――これなら赤字にはならない。


そして――明日、出席することで45万円が振り込まれる予定。


(……僕にとっては危険手当っていうより、口止め料みたいだな)


笑えないのに、口元だけが勝手に緩む。

こういう俗世的なところは、自分の悪い癖だ。


でも、たぶん政府の狙いは、もっとシンプルだ。

一日分の“日当”としては、明らかに高い。

高いから、来る。

余計な理由を挟まずに、確実に人数を揃えるための金額。


帰還者は、自由だ。

命令じゃ動かない。

だから――「来た方が得」を先に置く。


(……やり方が、いかにもだな)


ベッドに沈む。


ブレスレットの中で、ディアが静かに言った。


『明日。勝負の日ね』


「勝負じゃなくて、打ち合わせな」


『言い方の問題よ』


影の中から、コユキの小さな声。


『でも、取り繕っても勝負でしょ』


「……まあ、そうだな」


目を閉じる。

今日は、準備が整った。


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