084話『鍵のない正義』
「はい、そこまで!」
八代さんの声が広場に通った。
バラけていた視線が、一気に集まる。号令って、こういう力がある。
八代さんは一度、自衛官の方にも目を向けた。
それから、特務班へ。
「今日、シュナさんに来てもらったのは……“世界を知ってもらう”ためだ」
“世界を知る”。
上には上がいる、という意味でもある。
でも――それだけじゃない。
(八代さん、言葉の組み方がほんと巧いな……)
「世界」と言えば、国内の枠がふっと外れる。
誰も嘘を聞かされていないのに、聞いた側の頭の中では「国外」や「外の基準」に自然と繋がる。
つまり――僕の素性を、守りながら隠せる言い方だ。
カタコトの芝居を、八代さんが言葉で補強してくれた感じがした。
案内された別室は、必要最低限に整っていた。
椅子とテーブル、ホワイトボード、そして妙に冷えた空気。
九条さんが先に口を開く。
「……で。犯人はいたか」
僕は仮面のまま頷く。
「いません。少なくとも“今日ここにいる範囲”は、全員シロです」
柊さんの肩から力が抜けるのが分かった。
八代さんも、ほんの少しだけ目を細めた。
「契約モンスター側も?」
「そこも含めて、洗脳系スキルの保持者は見当たりませんでしたし、洗脳を受けた痕跡もありませんでした」
――言ってから、遅れて胸の奥が落ち着く。
“いなかった”。それだけで、救われる。
九条さんが短く息を吐いた。
そこで終わらせるのは簡単だ。
けど――終わらせたくない。
「もし、いた場合はどうされていました?」
……自分で聞いておいて、部屋が静かになる。
僕も分かってる。
答えは軽くない。
九条さんが視線を落としたまま、淡々と言った。
「まずは麻酔で眠らせる。契約モンスターも含む。……ただ、牢屋も手錠も意味がないのは理解してる」
言葉が続く前に、僕の中で先に理解が立ち上がる。
壁も鎖も、“人間の前提”の上にある。
九条さんは、そこで一度止めた。
止めたけど、逃げなかった。
「最終的に止める手段が……処刑しかない可能性もある。言いたくはないがな」
重い。
だけど、荒い結論じゃない。
現場の計算だ。
僕は口を開きかけて、閉じた。
否定はできない。
代案も、まだ出せない。
沈黙を切ったのは柊さんだった。
「……土曜日、新宿。段取りを詰めましょう」
現実は重い。
でも、止まっても進んでも、時間だけは進む。
僕たちは“次”の話に切り替えた。
誰かが切り替えないと、時間だけが潰れるやつだ。
打ち合わせの合間の休憩。
外へ出ると、遠くの演習の音がまだ聞こえた。
スキルの光。
モンスターの咆哮。
“訓練”だと分かっていても、胃の奥が少し固くなる。
(ゲートが出て、まだ2ヶ月も経ってないんだよな)
濃い日々が、時間の目盛りを誤魔化してくる。
でも社会も制度も、当然そこまで追いつけてない。
――その背後から。
「時任さん」
反射で振り向きかけて――遅れて止めた。
……やばい。今の反応、完全に“本人”だ。
改めて振り向き、そこにいたのは一ノ瀬だった。
目が合って、彼女は苦笑する。
「やっぱり時任さんなんですね」
「……なんで分かった?認識阻害、かけてるんだけど」
「印象は違います。声も雰囲気も、ぜんぜん別人です」
一ノ瀬はそこで少しだけ言いづらそうに目を逸らし、それでも続けた。
「でも……八代さんと九条さんが“信頼してる”って顔してて。私より圧倒的に強い人、って言われたら……時任さん以外、思い浮かばなかったです」
……なるほど。
スキルじゃない。
推理の材料が“人間関係”だ。
それは認識阻害じゃ消せない。
僕は仮面の縁を指で軽く押さえた。
「この姿の時は“シュナ”だから。内緒で」
一ノ瀬は、可笑しそうに笑って頷いた。
「はい。内緒にします。――シュナさん」
言い方が、ちょっとだけ優しかった。
帰りもジープで駅まで送ってもらった。
揺れが土の匂いを運んでくる。
車内で仮面を外し、サングラスとマスクに戻す。
切り替えの儀式。
こういう“手順”があると、心が変に落ち着く。
帰宅。
玄関の鍵を回した瞬間、外の空気がすとんと切れて、家の静けさが戻ってきた。
靴を脱いで、洗面所へ直行する。
シャワーの湯が肩を叩き、駐屯地の乾いた匂いと砂っぽい感覚を、少しずつ洗い流していく。
熱で筋肉がほどけるのに、頭の奥だけは逆に冴えていく。
今日の会話の“言葉尻”が、湯気の向こうで何度も再生された。
リビングに戻ると、もう台所から湯気が立っていた。
いつものサイズのディアが手際よく鍋を回し、香りが部屋に広がっている。
生姜の匂い。
出汁。
たぶん、疲れている日にちょうどいいやつ。
コユキはというと、ソファの端で尻尾をゆるく揺らして、僕の顔――じゃなく、帰宅後の空気そのものを観察している感じだった。
「いただきます」
湯気の立つ椀を手に取ると、胃の奥がようやく現実に戻ってくる。
テーブルの上で、コユキが尻尾を揺らした。
「今日の打ち合わせ、顔が固かったよ」
「固くなる内容だった」
僕は箸を止めて、半目で見た。
「ていうか、仮面してたから見えないだろ」
コユキが当然みたいに言う。
「見えるよ。顔じゃなくて、空気が」
「空気って……」
「呼吸の浅さとか、間の置き方とか。そういうやつ」
「嫌なとこだけ鋭いな」
ディアが、湯気の向こうで小さく笑う。
「褒め言葉よ、それ。コユキは“気配”に強いもの」
「……褒めてないつもりだったんだけど」
コユキが、少しだけ得意げに胸を張る――つもりの顔をする。
「じゃあ、褒めにしとく」
僕は息を吐いて、椀を持ち直した。
「で?」
コユキが真面目な声に戻る。
「今日の話。結局――“捕まえる手”がない」
ディアが頷く。今度は笑っていない。
「ええ。止める方法はあっても、“縛る”方法が足りないわ」
僕は箸を進めながら、苦く笑う。
「……そこを何とかしないと、次の土曜は最初から結論が決まってる、ってことか」
そう。
法律や手続きは、なんとかできる。
でも“物理”がないと、作戦は最終的に処刑ルートに寄る。
それは避けたい。
避けたいから、考える。
「ディア。スキルを封じる、みたいなのって……ある?」
ディアは少し考えて、首を振った。
「永続的に封印するものはないわ。……ただ、発動の“芯”を散らすことならできる」
「芯?」
ディアは箸を置いて、静かに続ける。
「スキルが立ち上がる瞬間に必要な魔力を、拡散させるの。火を点けようとしたところに風を当てるみたいにね。形になる前に散らせば――“発動しなかった”扱いになる」
「つまり、キャンセル……というか、不発にする」
「待って」
僕も箸を止めた。
「そもそもさ。魔力とかスキルって……結局、何なんだ?僕、雰囲気で使ってるけど、仕組みはちゃんと聞いてない気がする」
ディアが一瞬だけ目を細めて、それから小さく笑った。
「今それを聞くのね。……ええ、いいわ。後でちゃんと説明する」
「ありがとう。じゃあ……」
コユキが尻尾を揺らして、間に割り込む。
「その講義、長くなるやつ。理屈はあとでいい。先に“止め方”だけ詰めよう」
ディアは頷く。
「簡単に言うわ。――相手が“撃とうとした瞬間”を狙って、撃てなくするスキルよ」
一拍。
「ただし、永続じゃない。条件が合った時にしか刺さらない」
コユキが、尻尾の先だけをぴんと立てた。
「……でもさ。永続じゃないなら、逆に“永続っぽく”使えばいい」
「どうやって?」
「仕組みを作る。相手がスキルを起動しようとした瞬間、その魔力に反応して――毎回、自動で散らすように」
ディアが少しだけ目を細める。
「つまり、トリガーを相手側に置くのね」
「うん。本人が撃とうとする限り、勝手に不発になる。……もしそれができたら、封印にかなり近い」
僕は息を吐いた。
コユキは「でしょ」とでも言いたげに尻尾を揺らした。
「仮面、できたじゃん。あれと同じ。媒体に“仕込み”を固定して、条件が来たら勝手に動くようにする」
「条件って……相手がスキルを使おうとした瞬間?」
「うん。相手の魔力が立ち上がった時にだけ反応する。こっちが押すんじゃなくて、向こうが押したら勝手にキャンセルが走る」
ディアが少しだけ首を傾げる。
「理屈は分かるわ。でも――“勝手に何度も”は、簡単じゃない。魔力は燃料だもの。何もしなくても回る仕組みにするなら、どこから燃料を引くかが問題になる」
「相手の魔力を使う、って言ってたよな」
「ええ。理屈の上では可能。……ただ、相手の魔力を勝手に使うなら、術式の組み方は慎重にしないといけないわ」
コユキが軽く目を細めた。
「だから、レグリス頼り。そういう“回路”もアイテムに作ってもらう」
「金曜だっけ。戻ってくるの」
ディアが頷く。
「92階へ帰ったのが今日。次は――金曜ね」
スマホのカレンダーに目を落とす。
金曜、レグリス帰還。
土曜、新宿。
「……ギリギリだな」
「ギリギリって言うの、好きだね。仕事人」
コユキの声に、少しだけ笑いそうになるのを堪えた。
「好きで言ってるんじゃない。ギリギリは、ギリギリなんだ」
ディアが、湯気の向こうでふっと口元を緩める。
「でも、道が一本できた。良いことよ」
確かに。
“処刑しかない”という結論から、ほんの少しでも離れる線が引けた。
それだけで、息がしやすくなる。
「じゃあ……今のうちにできることは、媒体探しかな?」
“土台”さえあれば、金曜にレグリスで回路を組める。
「持ち歩けて、壊れにくくて。できれば複数作れるやつ」
ディアが補足するように言う。
「相手に“付ける”なら、外せない形が理想ね」
……本当は、それだけじゃ足りない。
相手本人だけじゃなく、契約モンスターの方まで“安全に”する手段がない。
そこは、今の僕にはどうにもできない。
だから――まずは、人間を止める。
ほかの問題は、いったん割り切る。
割り切らないと、前に進めない。
「今回は、気絶している間に付けられる前提として、牢屋の中で管理できるなら、目立つかどうかは二の次でいい」
コユキが尻尾を揺らす。
「うん。見た目じゃなくて“外せない”が優先。あと――鍵。外す自由を、こっちが握れる形がいい」
ディアが静かに頷いた。
「ええ。魔力の細工は後でできる。まずは“土台”を用意しましょう。確実に、逃げられない土台を」
僕は一度だけ息を吐いて、スマホのメモを開いた。
(媒体。鍵。外せない形。――金曜までに用意)
ディアが、少しだけ声を柔らかくした。
「明日も――朝から仕事でしょう?早く休みなさい。あなたが疲れていると、思考の精度が落ちる」
「それは自覚ある」
僕は立ち上がって、食器を下げようとした。
するとスーラが、床でぷるん、と一回跳ねる。
手伝う気なのか、ただ嬉しいのか分からない。
「ありがとうな、スーラ」
ぷるる、と返事みたいに震えた。
コユキが背伸びをして、欠伸をひとつ。
「眠たい」
その一言で、部屋の空気が「今日はもう終わり」に寄る。
戦後処理みたいに尖っていた頭の角が、少しだけ丸くなる。
僕は苦笑して頷いた。
「……だな。今日はここまで」
ディアは何も言わず、僕の背に手を添えるだけだった。
押すでもなく、止めるでもない。
――ただ、帰る方向を示すみたいに。
その温度を確かめてから、僕は寝支度をすませて寝室へ向かった。




