080話『黒猫の起動符』
休憩の続きを広場の縁で腰を据え直しながら、僕は本題を切り出す。
「昨日決めた件、まずは“仮面”を作りたい。……顔を隠すやつ。それと、できれば音声も変えたい」
ディアが目を細めて、すぐに頷く。
「ええ。いいわ。身元は守るべきものよ」
コユキが尻尾を揺らして、楽しそうに口を挟む。
「じゃあ、要件整理しよう。持ち運びやすさ、装着の速さ、違和感のなさ。あと、精神干渉対策も必須だね」
「……頼もしいな」
「当然。みんなで案を出そ」
レグリスが、静かに一歩前へ出た。
「提案。所持スキル、術式装填を使用すれば、装備品に特殊効果を付与可能」
僕は眉を上げる。
「術式を……装備に埋め込めるってこと?」
「肯定。精神防壁、認識阻害、音声変調等のロジックも装填可能」
――完璧じゃないか。
そう思った瞬間、僕の中の“いつもの現実チェック”が働く。
「……実はさ。仮面なら、黒想鋳具で作れば早いと思ってた。でも、その“スキルで作った物”に、術式装填って載せられる?載せられるなら一番楽なんだけど」
レグリスは一拍も置かずに答えた。
「否。黒想鋳具生成物は恒久媒体ではない。術式の固定が不安定。装填は推奨不可」
「やっぱり無理か……」
分かってた。でも、ちょっとだけ期待してた。
ディアが小さく頷く。
「当然ね。スキル生成物は“存在のそのもの”が薄いの。形は保っても、術式が居座る土台がない。仮に焼き付けられても、時間と一緒に剥がれる」
コユキが尻尾を揺らした。
「じゃあ答えは簡単。ベースが必要。常に存在して、術式を“保持できる媒体”」
レグリスが即答する。
「推奨解。術式固定用の媒体を用意し、それを核として魔力武装を展開する方式」
僕は、その瞬間に映像が浮かんだ。
「……それって、変身ベルトとか変身ステッキみたいなことか?」
コユキが、妙に嬉しそうに鼻を鳴らす。
「そういう発想になるの、秀人らしい」
「持ち運びが楽で、必要な時だけ展開できる。最高じゃないか」
ディアが笑った。
「子どもみたいに目を輝かせるのね」
子どもじゃない。
合理的だ、たぶん。
ディアが腕を組み、さらりと言った。
「媒体が必要なら、宝物庫から素材になりそうなものを持ってくるわ。魔力伝導の良い金属もいくつか——」
「待って。……それ、ゲートの外に持ち出したら崩れるやつだろ」
僕が止めると、ディアが小さく瞬きをする。
「そうね……うっかりしてたわ」
「忘れたら痛い目を見る」
コユキが尻尾を揺らす。
「じゃあ“現実側”の素材で作るしかないね。持ち運ぶ前提だし」
僕はそこで一拍、考えた。
媒体は、毎日持ち歩く前提だ。
軽くて丈夫で、錆びにくくて、加工もしやすい。できれば“それっぽくない”方がいい。
ステンレスは手に入りやすいけど、少し重い。
シルバーやゴールドは魔力的には映えそうだけど、財布に入れて歩くにはリスクが高すぎる。……そもそも高いし管理が面倒。
プラスチックは軽いが、術式の土台としては心許ない。
熱や傷で歪めば、固定したロジックがズレる危険性がある。
(結局、“現実の道具として信用できる素材”が一番だ)
「……一回、家に戻ろう。アウトドア用のチタンのスプーンがある。軽くて錆びにくいし、丈夫。媒体にするなら、たぶん一番バランスがいい」
「スプーン……?」
ディアが目を細める。
「レグリスにクレジットカードくらいのサイズに加工してもらう。そこに術式を焼き付ければ、持ち運びも楽だろ」
ディアが小さく笑う。
「なるほど。素材は地味なのに、発想は派手ね」
サブゲートでいったん自宅へ戻り、引き出しからチタンのスプーンを取ってくる。
軽くて、薄くて、変に頑丈。こういう“道具としての信用”がある。
94階へ戻ると、レグリスがスプーンを受け取った。
「素材確認。チタン合金。加工可能」
指先から細い光が走り、金属がまるで粘土みたいに形を変える。
微かな焦げの匂いが、遅れて鼻を刺した。
柄の部分が切り出され、圧延され、クレジットカードサイズの薄板に整えられていく。
角が丸く落とされ、表面は均一に研磨されて、手触りだけが妙に上等だ。
「……スプーンだったとは思えないな」
「原素材の用途は無関係。重要なのは媒体としての安定性」
「だよな。頼もしい」
次に問題は、仮面のデザインだ。
僕はスマホのAIイラストアプリを開いて――このアプリは端末内で完結するタイプで、ゲートの中でも動く。コユキをモデルに“黒猫の仮面”のイラストを作っていく。
目元は細く鋭く。額には祭りの面みたいな神秘模様。
耳の角度は控えめに。
コユキの“偉そうさ”は……いや、偉そうじゃない、偉い、らしいので、その雰囲気を少しだけ。
「……できた」
思ったより、しっくり来る。
僕は画面をレグリスに向けて差し出した。
「このイラストを、さっきのカードにそのまま転写してほしい。仮面の“設計図”にしたいんだ。毎回、同じ形で出せるように」
レグリスがカードを受け取り、指先から極細の光のラインを走らせる。
表面に、僕の作ったイラストが寸分違わぬ精度で刻まれていく。
彫るというより、焼き付ける。光の温度が肌に刺さり、空気に金属の匂いが混ざった。
「これがイメージ・アンカーになる」
僕は思わず息を吐いた。
“毎回同じ形”が出せるのは、現場での再現性として強い。
仕事も戦闘も、迷いを減らした分だけ、速くなる。
裏面に回して、レグリスが術式装填を発動する。
幾何学回路がびっしりと刻まれ、複雑な光の線が重なっては消え、定着していく。
「音声変調ロジックを装填。さらに精神跳躍演算を、視覚補助として簡易実装」
僕が眉を上げると、レグリスが補足した。
「前回、秀人殿の端末から学習した“AIグラス”の概念を参照。視界に干渉しない程度の薄いオーバーレイ表示を採用」
「……いいね。視界を邪魔しないライン。コユキ先生の指導、ちゃんと反映されてる」
コユキが尻尾をふわりと揺らし、誇らしげに胸を張る――つもりらしい顔をした。
「当然」
ディアが頷く。
「レグリスがもつスキル、接続拡張で、私の防御系の要素も少し混ぜられるわ。精神防壁や……時任とは別人物として認識させる“ズレ”を作りましょう」
完成したカードを、僕は指で持つ。
黒猫の起動符――マスク・カード。
顔の前にかざし、黒想鋳具を重ねる。
黒い魔力が、呼吸と同期するみたいに滲んだ。
「——展開」
カードを核にして、漆黒の魔力が一瞬で顔を覆い、硬質な仮面へ物質化する。
目の奥に、薄い表示が浮かんだ。
輪郭、距離、相手の呼吸。
解析というより、“気配の翻訳”みたいな補助。
【LV】
【状態】
【所持スキル】
必要なものだけが、視界の隅で静かに言語化される。
試しにコユキへ視線を向けると、情報が綺麗に揃う。
次にスーラ――ぷるんと震える気配に合わせて、状態欄が微細に変化する。
そして、ディア。
……表示が一瞬で乱れた。
文字が重なり、途切れ、意味を成さない記号に変わる。
【ERROR】
【ACCESS DENIED】
【REDACTED】
「……読めない」
読めない方が安心するのに、少しだけ背筋が寒い。
ディアが、涼しい顔で微笑む。
「当然でしょう。私を“一覧”に収めようとするのが、そもそも無理なのよ」
「だよな……。いや、そうなるよな」
コユキが尻尾をひとつ揺らして、仮面を一瞥した。
「……悔しいけど、出来はいい。ギミックも無駄がない」
「欲しいのか」
「違う。“いい”って言っただけ」
ディアは楽しそうに口元を緩める。
「素直じゃないのね。でも――ミステリアスで素敵よ。持ち歩けるのも賢いわ」
レグリスが淡々と結論を出す。
「動作正常。精神防壁、認識阻害フィールド、音声変調、いずれも安定稼働中」
コユキが、最後に小さく付け足すみたいに言った。
「……うん。ボクと並んでも違和感ない。悪くない」
僕は仮面越しに息を吐く。
声が少し低く、別人の響きになって返ってきた。
「……これなら、いける」
“準備が整う”というのは、ただ道具が揃うことじゃない。
迷いが一つ減ることでもある。
夜。94階から自宅へ戻る。
レグリスはまた、魔力炉のチャージが満ちるまでの3日間、94階に滞在してコユキと“学習”を続けることになった。
3メートルなら城内でも動ける。前回の“壁”より、ずっと現実的だ。
風呂上がり、スマホを見ると柊さんからメッセージが届いていた。
【4月25日(火):大阪府和泉市・陸上自衛隊 信太山駐屯地
「ゲート対処特務班」自衛隊混合の集合訓練(名目)
4月29日(土):東京都渋谷区・政府関連施設
「有力帰還者」意見交換会・日当あり(名目)】
名目、という言葉がすべてを語っている。
僕は短く返信した。
【承知しました。両日程、調整のうえ参加します。詳細のご連絡をお待ちしております】
テーブルの上には、完成したばかりの黒猫の起動符。
カード一枚。
なのに、指先でつまむだけで妙に心が浮く。
……不謹慎だとは分かってる。
来週は“点検”の皮を被った化かし合いだ。
面倒もあるだろう。
それでも――新しいおもちゃを手に入れた時の、あの感じがある。
子どもみたいに試したくて、仕組みを確かめたくて、つい笑いそうになる。
「……いいものが、できたな」
そう思えた瞬間、胸の奥の硬さが少しだけほどけた。
握れる“手応え”があるだけで、人は案外前に進めるし楽しめる。




