079話『土曜の94階と、騎士レグリス』
土曜の朝。
平日の“起きた瞬間から予定に追われる感じ”がなくて、呼吸が少しだけ軽い。
リビングでは、ミニチュアのディアがテレビの料理番組に釘付けになっていた。
テーブルの縁に腰掛けて、手帳サイズのメモにびっしり書き込んでいる。
字が綺麗すぎて、たぶん僕より読みやすい。
――ふと、変なところで引っかかった。
いつからディア、日本語を書けるようになったんだ?
しかもこの筆圧と、この整い方。
「……ディア、いつの間に日本語の読み書きまで?」
彼女は顔を上げて、何でもないことみたいに微笑む。
「学ぶ必要があるなら、すぐに学ぶわ」
(……そうだよな)
ディアなら、そういうことをさらっとやる。
「……“煮込みは冷ましてから再加熱すると味が馴染む”……なるほど」
隣では、スーラがパン屑を一粒ずつ器用に「掃除」していた。
掃除というより捕食だけど、結果は同じだ。
テーブルはやけに清潔になる。
窓際の陽だまりでは、コユキが三本の尻尾をゆるく揺らして日向ぼっこをしている。
耳だけこちらに向いているのが分かる。
起きてる。
完全に起きてる。
「……平和だな」
口に出した瞬間、ミニディアが顔を上げた。
「秀人。平和は“放っておくもの”じゃなくて、“維持するもの”よ。……忘れがちだけど」
そう言って、彼女は満足そうに紅茶の香りを吸い込んだ。
朝から刺してくる。
刺してくるけど、どこか機嫌がいい。
料理番組のおかげだろう。
僕はコーヒーを一口飲んで、ふっと息を吐いた。
昨日の政府施設の空気が、まだ胸の奥に薄く残っている。
――“大丈夫”って言える状況じゃなかった。
でも、準備を積めば状況は動く。
社会にいると、結局そこに戻ってくる。
「……今日は、ガッツリ訓練したい」
僕が言うと、コユキが片目だけ開けた。
「急にやる気。どうしたの、エリート会社員」
「褒めてないだろ」
「褒めてない」
ディアが小さく頷く。
「いいじゃない。動ける時に動くのは、美徳よ。行きましょう、94階」
スーラが、ぷるんと一回跳ねた。賛成らしい。
朝食の片付けを終え支度した後、全員で94階層へ移動する。
サブゲートをくぐった瞬間、空気の温度が変わる。
城の庭は、風が綺麗で、匂いが澄んでいた。
――あれ。
「……また、出る場所変わった?」
前に出たのは中庭の石畳だったはずなのに、今日は庭の奥寄りだ。
風の抜け方も、陽の当たり方も違う。
ディアが、ふわりと視界に降りてきて、得意げに胸を張る。
「ええ。ここ、いい場所でしょう?景色も風も落ち着くから、出口を移してみたの」
コユキが日向を探すみたいに一歩ずれて、尻尾を揺らした。
「便利だね。……人間の通勤にも欲しい機能」
「じゃ、いつもの反復から」
僕は黒想鋳具を展開する。
掌の上に、漆黒の素材が“思考の形”として湧き、硬質な輪郭を得ていく。
同時に、スーラが僕の前腕にまとわりついた。
ひんやりして、少しだけ重い。
けれど、その重さが「支え」になる。
「アーム化、安定してきたな」
スーラが誇らしげにぷるんと震えた。
僕はそのまま、刃の角度と重心の位置を微調整しながら、ディアが用意した訓練用のモンスターへ踏み込む。
獣じみた影が、庭の芝を蹴って突っ込んでくる。
爪の軌道、肩の沈み、踏み込みの癖——全部が“次の一手”を喋っていた。
一撃。
二撃。
三撃。
刃が肉に見えるものを裂く感触が手首に返り、同時に相手の体勢が崩れる。
けれど、重心がズレた分だけ次の一歩が遅れる。
「……今の、ちょっと浅い」
コユキの声が、日陰から落ちてくる。
(いまの浅さは、仕様じゃなく僕の判断ミスだ。次は直す)
次の瞬間、コユキが捕縛結界を短く展開した。
見えない檻みたいな空間固定のフィールドが足元に絡みつき、訓練用モンスターの動きが一拍だけ鈍る。
「分かってる」
「分かってるなら直して。——ほら、今。踏み込み、もう半歩」
援護に合わせて、僕は重心を前に預け直す。
刃の角度をほんの数度だけ寝かせて、斬るんじゃなく“流す”ように入れる。
ディアは庭の縁で紅茶を飲みながら、時々だけ視線を投げてくる。
見ている。
見ているが、口は挟まない。
昼前には汗が背中に張り付いて、指先が少しだけ痺れてきた。
休憩に入って、石段に腰を下ろしたところで――ディアがさらりと言った。
「レグリスから連絡があったわ。魔力炉の再チャージが完了したから、こちらに来るそうよ」
僕は水を飲みながら顔を上げる。
「……来るのか」
前回のあの“20メートル級”が頭に浮かんで、反射的に眉が上がった。
敵じゃないし、契約も結んでいる。
分かってる。
それでも、あのサイズで来られると「常識の方」が先に揺れる。
ディアが肩をすくめる。
「驚かなくていい、とは言わないわ。でも――害はないわよ。あれは味方だもの」
「そこは信じてる。問題は“サイズ感”ってだけで」
コユキが尻尾を一度だけ揺らした。
「まあ、驚くのは分かる。でも、あなたの顔、ちょっと楽しみにも見える」
「見えない」
「見える」
城の広場。
地面に幾何学模様の光が走り、巨大な転送陣が展開される。
空気が薄く震え、視界の端が一瞬だけ歪む。
光が収束して――現れたのは。
全高、3メートルほど。
以前の“壁”みたいな圧迫感はない。
無駄を削ぎ落とした、スマートな人型機動兵器。
神々しさはそのままに、騎士みたいなフォルムへ最適化されている。
「……えっ。誰?」
思わず口をついて出た。
転送陣から出てきたのは、僕の記憶にある“20メートル級”じゃない。
別の機体――そう見える。
コユキが、得意げに尻尾を揺らす。
「……やっぱり。そう来ると思った。学習データに“人間との適切な距離感”と“屋内活動の利便性”を入れておいたから、最適化してくると思った」
「……つまり、同一個体で、フォームチェンジ?」
「そう。縮めた方が扱いやすいでしょ。あと秀人の趣味も入れておいた」
「何を入れたの、僕の趣味」
「黙秘」
絶対ろくでもない。
機体が静かに膝をつく。
「個体名ノヴァリア=レグリス、再構成完了。秀人殿、再会を歓迎する」
……声。
この言い回し、この間の取り方。
見た目が違っても、 “本人”だと分かる。
「マジか。縮んだっていうか……別物に見えるレベルだぞ」
ディアがミニチュアのまま、満足そうに頷いた。
「言語の滑らかさも上がったわね。……学習が進んでいる」
「記憶学習の結果を反映。継続学習を希望する」
レグリスはまるで、仕事の報告みたいに淡々と言った。




