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晩年こそ本番。42歳会社員、喋る猫と現代ダンジョン攻略──ここからが本番だ  作者: 七乃白 志優
第六章:仮面の告発者

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078話『仮面の支度』

八代さんが、淡々とまとめる。


「……想定を更新する必要があるわね。ここまで自然に入るなら、“誰に会うか”“どう会うか”。全部、手順から見直す」


会議室の温度が下がる。

この話は、個人の不調じゃない。


八代さんはすぐ次の段取りに入った。


「九条さんが“おかしくなった”と思われる期間は、ここ数日。接触した“スキル保持者”を洗い出す」


柊さんがすでに用意していた資料を開く。

ページが迷いなく進むのが、準備の跡を物語っていた。


「……洗い出し自体は、もう終えています。対象は大きく二つです。ゲート対処特務班のメンバー12名。もう一つは、最近面会した帰還者——約15名です」


八代さんが眉をわずかに動かした。


「特務班は分かるとして……帰還者が15名。多いわね」


柊さんは即座に頷き、補足を入れる。


「はい。本日が“スタンピードの想定日”だったので。小型ゲートを、期限までに全部“4階層クリア”して封じる必要がありました」


八代さんが小さく息を吐く。納得の息だ。


「だから九条さん、ここ数日ずっと外に出ていたのね」


「ええ。関係者への調整と現場への指示で、九条は走り回っていました。……おかげで現時点では、日本国内でスタンピードは確認されていません」


柊さんの言葉に、会議室の空気が一瞬だけ軽くなる。

ただ、それは安心というより、“別の負担が明確になった”軽さだった。


「つまり——会う人数が増えたのは、守るために動いた結果でもある、ってことか」


八代さんがそうまとめると、柊さんは静かに頷いた。


九条さんが顔を上げ、僕を見る。

さっきまでの茫然が消えて、仕事の目になっていた。


「……時任。頼む。手を貸してくれないか。俺たちだけじゃ、これ以上が追えない」


八代さんも頷き、淡々と言葉を重ねる。


「従来の検査じゃ限界があるの。たとえば従来の“嘘発見器”は、本人が嘘だと認識していないと反応しない。洗脳された状態だと、本人は本気で“正しい”と思って答えるでしょう?」


彼女の視線が、まっすぐ刺さる。


「でも、あなたは見抜いた。——その力が必要なの」


僕は、頷きかけて——止めた。

受けるのは簡単だ。

でも、“受け方”を間違えると、取り返しがつかない。


「協力します。ただし、条件があります」


三人がこちらを見る。


「能力の詳細は伏せてください。私が何を見て、どう判断したか——内部でも必要以上に共有しないでほしい」


八代さんは、即答しない。

それが逆に信頼できた。安請け合いしない。


僕は続ける。


「もう一つ。身元を隠すための措置を許可してください。顔を隠すとか、声を変えるとか。相手が“政府の人間”を洗脳できるなら、私が露出するメリットはゼロです」


九条さんが、短く笑った。乾いた笑い。


「……お前らしいな。わかった。許可する」


八代さんも頷く。


「合理的ね。こちらも守秘範囲を整理する。日程は後日調整。まずは特務班から、順にチェックしていきましょう」


決まった。

僕は、ひと息ついた。


(情報は、出した瞬間に資産じゃなくなる。“交渉の材料”になる。だからこそ、先に線を引く)


一段落したところで、重苦しい空気を僕は意図的に崩したくなった。


「あ、そういえば」


三人の視線が集まる。

嫌な予感がするのは、たぶん僕だけじゃない。


「一応……現場でゲートを守ってる隊員さんから、一次報告は上がってると思うんですけど」


僕は言い訳めいた前置きを挟んでから、続けた。


「一昨日、小型ゲートで……28階層まで潜って、コアを破壊して消滅させました。僕からの報告、まだでしたよね」


沈黙が、別種の沈黙に変わった。


柊さんが、軽く目を閉じてから頷いた。


「……はい。私のところには上がっています。現場確認も取れてます」


それから、視線を九条さんに向けて、少しだけ言いにくそうに続けた。


「ただ……九条がこの数日、様子が違ったので。どのタイミングで報告を上げるべきか、迷ってしまって」


九条さんが、ゆっくりと顔を上げる。


「……俺に?」


「はい。重要案件として上げるほど、九条さんの判断がぶれて見えたので……私の判断で、一旦保留していました。申し訳ありません」


柊さんの声は丁寧だけど、芯があった。

“自分の判断で守った”と、きちんと言うタイプだ。


八代さんは口を開けかけて、言葉が出てこない。


九条さんが、頭を抱えて絞り出す。


「……洗脳の件が片付いた直後に、28階層のコア破壊を出してくるな。情報の優先順位が崩壊してる……!」


「すみません。……でも、今なら“まだ”まとめて処理できるかなって」


「今じゃない」


「……今のうちに出すべきかなと」


「今じゃない。順番がある」


九条さんと僕の押し問答に、柊さんが小さくため息を落とす。

八代さんが、ようやく言葉を取り戻した。


「……規格外なのは把握していたけど。想定は、更新され続けるわね」


場の空気が、ほんの少しだけ緩む。

笑いじゃない。でも、呼吸は戻った。


こういう瞬間があるから、人は折れずに済む。


その後、今後の段取りを最低限だけ詰めて政府施設をあとにした――ひとつは解決したのに、犯人探しなど新しい課題だけが増えていた。


帰宅すると、体の芯が重かった。

精神的な疲労は、筋肉痛より遅れてくる。


シャワーで熱を当て、ようやく頭が回り始める。

リビングには、ディアが作る夕食の匂い。

それだけで、胸の奥が少し緩んだ。


「今日は……疲れてる顔ね」


「うん。まあ、いろいろあったからね」


コユキがぬっと現れる。白い毛並みと、三本の尻尾がゆるく揺れた。


「“いろいろ”で済ませるの、上手くなったね」


「いや、だって……影の中で最初から最後まで聞いてたろ」


「聞いてたからこそ言ってるの。省略が過ぎる」


「過ぎてない。こういう場合、“いろいろ”が便利なの」


ミニチュアのディアが、テーブルの縁に腰掛けて足を揺らしながら言う。


「で?あなたが言ってた“顔を隠すや声を変える”って、具体的にどうするの」


僕はソファに沈み込み、天井を見た。


「……印象遮断(ミス・リメンバー)などスキルを使いながらの仮面、かな。現実の僕と、ゲートの僕を切り分けたい」


コユキが、楽しそうに目を細める。


「いいじゃない。神秘的なやつにしましょ。人間って、“正体不明”に勝手に物語を乗せるもの」


「それ、面倒が増える方向じゃない?」


「増えるかもね」


ディアが小さく頷いた。

ミニチュアの顔には、どこか楽しそうな笑みが浮かんでいる。

口調は相変わらず上品で少しだけ刺さるけれど、刺すためじゃなく、じゃれつくための棘だ。


「猫の仮面がいいわ。……あなた、うちの猫に守られてるんでしょう?」


「猫って言うな」


「猫よ。三本尻尾の、偉そうな猫」


コユキが尻尾を一度だけ揺らした。

抗議というより、軽い合図みたいに。


「偉そうじゃない。偉いの」


「ほら、こういうところ」


二人のやり取りは、いつもの調子だ。

僕もつい笑ってしまって、疲れが少しだけ抜けた。


夕食は“優しいけれど、きちんと”。

温かい煮込みと、整った副菜。

箸を動かしながら、明日の段取りを頭の中で組み直す。


敵は見えない。

でも、見えないなら——手順と観察で、輪郭を作るしかない。


僕は皿を置いて、小さく言った。


「……まずは準備だ。顔を隠す手段を用意して、それから動く」


コユキが、軽く肩をすくめる。


「やれやれ。あなたの平穏、いつ来るのかしら」


ディアが微笑む。


「平穏は、自分で作るものよ。まずは——食べましょう」


僕は頷いて、もう一口、温かいものを口に運んだ。


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